怪異怪域 怪異探偵の助手、白瀬真の怪異譚
山外大河
一章 縁喰い
1 認知を狂わす何か
【おいでよ埼玉爆乳祭り】がお祭り大国日本の中でもとりわけ有名かつ大規模な祭りであるという事は、日本国民であるならば認知していて当然な事実である。
それ故に今自分の眼前に広がっている光景は、まるでパラレルワールドか何かに迷い混んだのではないかと錯覚させるには十分だった。
(なんだ……なんでこんなにありきたりな様子なんだ……ッ!?)
十九歳の青年、
張り巡らされている掲示物からも、周囲の人間の会話からも、場の熱も。全て。
何もかもが普段大宮駅で展開されているであろう日常そのものであるように思えた。
まるでそんな祭りは存在していないとでもいうように。
即ちこれは異常事態である。
寒気がするような、悪夢でも見ているのかというような異常事態。
そう認識し始めると、とにかくこの事態の真相を究明しなければならないという感情が湧き上がった。
夢ならば覚めなければならないと。
この狂った状況からどうにか抜け出さなければならないと、まるで何かに背を押されるように意思がまえのめりになっていく。
だから気が付けば何の迷いもなく。
「あの、ちょっと良いですか!」
近くを歩いていた同年代に見える女性に声を掛けた。
どこか物静かでクールな印象を感じさせる黒髪ロングでスレンダーな彼女は、嫌な顔一つみせずどこかミステリアスな笑みを浮かべる。
「ほう、なんだか血走った眼をしているねぇ。これはアレかな、ナンパという奴かな?」
「いえ、そういうのじゃないです! 全然そういうのじゃないんです!」
そういう理由だとすれば、目の前の女性はお近づきになろうとすら思えない程の高嶺の花だ。
おそらく自発的に声を掛けたりなんてできないだろう。
この異常事態の究明と脱出に背を押されでもしていなければ。
そして今は押されているからこそ、前へと進める。
「一つ、お尋ねしたい事があって!」
「訪ねたい事? 見ず知らずの私にかい? 良いよ、言ってみるといい」
そして不思議そうに小首を傾げる女性に単刀直入に問いかけた。
「今この辺りでは、おいでよ埼玉爆乳祭りが開催されている筈なんです! なのに此処には影も形も……あの、知っていますよね! おいでよ埼玉爆乳祭り!」
真相を究明する為の至極真っ当な問い。
その問いを投げかけられた女性は、何故か一瞬僅かに引きつった表情を浮かべた後、静かに笑みを浮かべて言う。
「ははは、成程。そう来たか……キミは運が良いね」
「運が……良い?」
「その様子だと最初に声を掛けたのが私という事になるのだと思うのだけれど、それが不幸中の幸いだよ。運が良いという奴だ」
「……た、確かに声を掛けたのはあなたが最初ですけど。イマイチ言葉の意図が……」
「まあ何も分からないだろう。当然だよ。私の回答で色々と察しろなんて事は今のキミには言えないからさ」
そう言った彼女は真の肩をポンと叩いて言う。
「時間はあるかい? いや、無くても頷いてもらうよ。少しこの近くでお茶でもしながらお話ししようか」
「……分かりました」
拒否する理由は無い。
どんな理由であれ美人な女性からの誘いを断る程、満ち足りた生活を送っていないという理由もあるだろうが、それ以上に何よりもこの女性に着いて行く事が事態を一歩前へと進める事に繋がるという確信があったから。
白瀬真は【おいでよ埼玉爆乳祭り】に参加する為に訪れた埼玉県にて、えげつなく失礼ではあるが対極だと言える女性と近くの喫茶店でお茶をする事にしたのだった。
・
「このスペシャルブレンドをブラックで。キミはどうする」
「ああ、じゃあ俺はアイスコーヒーをブラックで」
訪れた喫茶店にて、女性に促されるように注文を取りに来ていた店員にそう伝える。
……伝えた筈だったが。
「……?」
何故か店員はこちらの方を見て首を傾げるだけだ。
まるで聞こえていないみたいに。
「ああ、彼にはブラックでアイスコーヒーを頼むよ」
「かしこまりました」
大体同じ位の声量の彼女の声は通ったみたいで、店員はそう答えて席から離れていく。
「……もしかして俺滑舌が終わってたりしました?」
「いや、キミははっきりとアイスコーヒーと言っていたよ。キミの声があの店員に届いていなかっただけだね」
「届いていないって、俺結構普通の声量で言ったつもりなんですけど。実際あなたには聞こえていましたよね」
「そうだね。つまりキミの声が私以外には届かない状況になっているという訳だ。私と出会った直後からね」
「それってどういう……?」
意味深な事を言い出す彼女に思わずそう問いかけると、彼女は堂々とそれに答える。
「キミの周囲にそういう結界を張ったのさ」
「結界……?」
突然漫画やアニメなどの創作物でしか聞く事が無いような単語を口にされ、申し訳ないが独特な感性をお持ちというか、色々とヤバイ人に話しかけてしまったのではないかと、僅かな警戒心とそれなりの好奇の目を向けてしまう。
と、それに気付いたのか彼女は小さくため息を吐いてから言う。
「これはアレだね。キミは完全に私の事をやべー奴として認識してしまったみたいだ」
「ええ、まあ……でも良い意味でですよ良い意味で。面白い人だなって」
「やべー奴とは思っているのか……だけどね、キミ風に言わせて貰えば、キミは今悪い意味でやべー奴なんだよ」
「俺風ってやべー奴っていうワードセンス自体はあなたの物では? ……ってそんな事より。俺がヤバイ奴ってどういう事ですか」
思い返すが彼女と出会ってからの自分の言動におかしな点など無かった筈だ。
見知らぬ誰かに物事を訪ねるという行為そのものがそれに当たるのだとすれば、そう捉えるような相手に声をかけたのは大変申し訳ないとは思うのだが、そもそもそう思うような人なら、こうして自分を此処に連れてきたりはしないだろう。
果たしてある程度真人間を貫いている筈の自分の何処がおかしいというのだろうか。
その問いに対し彼女は言葉を紡ぐ。
「発した言葉だ。キミが私に向けた言葉というのは、正直に言って頭がおかしいと言わざるを得ないよ。私の感性がねじ曲がっていなければドストレートなセクハラだ」
「……申し訳ないですけど、それはあなたの感性がちょっとズレてるんじゃないですかね」
基本的にハラスメントというものは受けた当人がそうだと思えばそれが答えだ。
その理屈は理解できる。
否定するつもりは無い。
だけど否定しないのはその理屈だけであり、今向けられている疑惑だけは真っ向から否定したいと思う。
流石に今回ばかりは思い当たる節がない。言い掛かりにも程がある。
そんな状態でセクハラ野郎呼ばわりは流石に傷付く訳で。
「俺が一体何を言ったって言うんですか! 教えてくださいよ!」
あまり良くない事だとは思うが、言葉に僅からながらに怒気が籠ってしまう。
「何を、か。キミが自発的に自覚する事が難しい以上、確かにこれを教えなければ事が進まないからね。当然教え…………いや、待ってくれ。これ私が言うのかい?」
「言わないと分からないでしょう。一応真っ当な事を言っている筈の俺をセクハラ野郎呼ばわりしているんですから、事の詳細はちゃんと教えてください」
「いや、そのつもりだったんだけどね。マジかぁ……えぇ……」
彼女は戸惑うようにそう呟き、それから待てど暮らせど答えが返って来る様子は無い。
躊躇うように目を泳がせるだけだ。
そんな様子を見て察した。
彼女は、今自身が陥っている状況を打破してくれるような相手ではない。
寧ろその逆。別の問題を運んでくるような相手だと。
まるでパラレルワールドにでも飛ばされたと感じる今の不可解な状況に対し、何かしらの答えを持っているかのように此処へと導いた彼女はその実、それっぽい事を言うだけの言わば詐欺師のような何かだったのかもしれない。
数分後に壺の購入や怪しげなビジネスへの勧誘を進められていてもなんらおかしな事は無いだろう。
故に此処での会話は時間の無駄だと判断した。
「もう答えなくて結構です」
そう言って真は立ち上がり、財布から千円札を取り出しテーブルに置く。
「あんまりフードロス的な事はしたくないんですけどね……後はよろしくお願いします」
「いやいや、ちょっと待ったちょっと待った! 言う! 言うからちょっと待ってくれお願いだから!」
「本当に答えてくれるんですか。言っておきますけど俺は壺は買いませんし怪しげなビジネスを始めるつもりは無いですよ」
「私の評価がとんでもない事になってるねぇ! ……完全に詐欺師か何かだと思われてるよぉこれぇ……」
「ビンゴです」
「ビンゴかぁ……なんでこうなった。まさか私はコミュニケーション能力が低いのか? 全然想定と違うんだが」
「想定と違うはこっちのセリフです……で、俺が一体何を言ったって言うんですか。これが最後ですよ。言ってみてください」
「いつのまにか会話の主導権を握られてるぅ……ほ、ほら……あれだよ」
そして彼女は何故か少し顔を赤らめながら目を反らし、掻き消えそうな声音で呟く。
「お、おいでよ埼玉…………爆乳祭り」
「……あなたは日本有数の祭りの名前を口にしただけでセクハラ野郎呼ばわりするんですか」
思わず呆れてしまい、溜息交じりにそう言ってしまう。
やはりどう考えても言い掛かりである。
自分が口にした言葉の中に該当するようなものは無かった。
だけどそんな暴論を言う彼女は、折れる事なく言葉を紡ぐ。
「普通はそうだよ。そうなって当然。そんなできそこないの企画物Aぶ……卑猥な言葉を見ず知らずの女性に投げ掛けるのは立派なセクハラだ。つまりは……そんな名前の祭りがこの国で表立って大々的に行われている訳が無いだろうという話になる」
「神聖な祭をセクハラ呼ばわりする上にマイナーだって言うんですか」
「マイナーどころの話じゃない。そもそも存在しないんだ」
「……は?」
言っている意味が分からずそんな声が漏れ出す真に、彼女は言葉を続ける。
「そんな祭は存在しないと言っているんだよ。キミは言わば認知を歪められた状態にある訳だ。存在しない物を存在していると誤認し、あたかもそれが社会的に認められた存在だと思い込む」
そして主導権を取り戻したと言わんばかりの前向きな声音で、彼女は告げる。
「おそらくキミは
またしても、漫画などの創作物でしか聞かないような言葉を。
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