第二十二話 当たり前のこと

「……ええ、それが私の探していた物よ。魔法の行使に必要だから、返してもらえると助かるのだけれど」


 努めて内心の動揺を隠し、平静を装いながら私はへカーティにそう言った。

 だが……実際のところはどうだろうか。

 少し刺々しい物言いになっていたかもしれない。

 自身を客観的に見る余裕は、私にはもうない。


「ダメです。今回ばかりは、ウールギア姉さんの頼みでも聞けません。魂を魔力を変換する紫水晶なんて危ない物、使わせるわけにはいきませんから。砕いてください、イストス姉さん」

「りょーかい。あーあ、まさか本当にこうなるとはね。いつも通りだと思ってたんだけどな」


 冷めきった声で言葉を発するへカーティの指示に従って、イストスはへカーティが放り投げた紫水晶を剣で粉々に斬り砕く。

 こうなっては、魂を魔力に変換する紫水晶は使えないだろう。

 紫水晶が使えないということは、魔女の概念を変化させる魔法も行使できないということだ。


 私は潔く、魔法の行使を諦めて口を開いた。


「どこまで知っているのかしら」

「全部です。ウールギア姉さんの様子がおかしいことには、今回の計画の話をしたあの時から薄々気づいていました。まさか、ここまでやるとは思いませんでしたけど」


 そう言って、へカーティは懐から三つ折りにされた紙を取り出し広げてみせる。

 それは、私の自室にあるはずの遺書だった。


「紫水晶は、私が召喚した妖精に盗んでもらいました。この遺書は、隙を見てウールギア姉さんの部屋をデメテル姉さんに漁ってもらい見つけた物です」

「そう。本当に、全部知ってしまったのね」

「はい……。どうしてこんなことをしたのか、教えてくれませんか。私たちの願いは、姉さんと共に生きたいという願いは、そこまで受け入れられないものでしたか」

「まさか、そんなことはないわ」

「だったら――」

「けれど、私にとって何よりも大切なのは、あなたたちの平穏な生活なの。それを実現するために、私は自分の命を使うことにしただけよ」


 私がそう言うと、これまで無表情を貫いていた妹たちの顔がじわりと歪んだ。

 ああ、そんな顔をさせたくなかったから、傷つけたくなかったから、全てを隠してここまで来たのに。


「……お姉ちゃんはさ、勘違いしてるよね。遺書は読ませてもらったけど、お姉ちゃんの中身が転生者でも男の人でも関係ないよ。あたしたちはそんなお姉ちゃんに育てられて、与えられて、憧れて生きてきたんだよ? あたしたちの家族で、恩人でっ、何よりも大切な人の命をっ、何だと思ってるの!? 安売りしないでよ……ひぐっ、あたしたちのお姉ちゃんのことを、貶めないでよぉ」

「デメテル……」

 

 デメテルはひとしきりわめいてから、うなだれてさめざめと泣きだしてしまった。

 イストスとへカーティも、今にも泣きだしそうな表情になっていて、私は自身の価値観が揺らいでいくのを感じる。


「言いたいことはへカーティとデメテルがあらかた言ってくれたから、私からは手短に二言三言だけ。考えは変わった?、姉さん。変わってなかったら、矯正するだけだけど。私は家族全員大好きだから、姉さんも一緒じゃないと満足できないな」


 泣きそうな顔をしながらも、イストスは気丈にもしっかりとそう言った。

 私の方は、もうダメだ。

 言葉にして吐き出さなければ、この醜い思考を妹たちに晒さなければ、もう考えることすらままならない。


「……私は、前世の頃から誰の期待にも応えられない人間だったわ。今世でも、両親を死なせてしまったし、魔女差別を止められなかったし、投石で倒れて心配させてしまって、期待に応えてあげられなかった。魔女の力があるのに、転生者なのに、姉なのに失敗ばかりで、今度こそはなんとかしなくちゃって、とにかく必死だったわ。前世は、私が期待に応えられなかったせいで無茶苦茶になってしまったから」


 言葉にすると、意外なことにすらすらと思考が湧いて出てくる。

 そして、私はようやく理解するに至った。

 こんなにも妹たちに想われているにも関わらず、自分が死ねば妹たちが悲しむのに気づいていたにも関わらず、何故命を投げ出してしまったのか。


「あぁ……私は……期待に応えられないせいで、平穏な生活が崩れるのが怖かったのね。私の力不足のせいで、幸せだった生活が壊れていくのがトラウマで、耐えられなくて、見ていられなかったんだわ。それこそ、自分の命を投げ出すほどに。……イストス、デメテル、へカーティ。私は期待に応えられなくて、転生者の異物で、こんなにも力不足だけれど……自分を大切にして生きてもいいのかしら?」


 私が目に涙を浮かべて、声を震わせながらそう言うと、妹たちは途端に笑顔になって一斉に口を開く。


「当たり前だろ、バカ姉さん」

「当たり前だよ、お姉ちゃん」

「当たり前です、ウールギア姉さん」


 それから、私は妹たちに抱かれて、一緒に散々泣きながら笑った。

 私は、自分を大切にするという当たり前のことをようやく学んだらしい。


 それと同時に、ずっと私の心の中にあったある種の強迫観念が、溢れだした涙と共にどこかへ消えていった。

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