上位存在に囚われる
鷹E3
「授業を続けてください」
「校舎内では走っては行けない。山上、なんでかわかるか?」
「はい。転んだりぶつけたりして危ないからです!」
「あぁ、そうだ。次に掃除用具では遊んではいけない。山上、答えられるか?」
「はい。掃除用具は遊び道具ではないからです!」
「……そうだな。で、次は__」
4×6に均等に机と椅子が並べられた教室内。そこには二人の人間が存在していた。
一人は教壇に立っていた。どこか落ち着かない様子で黒板の前を行ったり来たりしている、金髪の若い男である。近くにはチョークやら教科書やらこの教室に相応しいものが幾つもあるというのに、それを手にすることはなく時折頭をガシガシと掻きながら億劫そうにため息をついていた。教師と呼ぶには些か派手な様相である彼だったが、この場では授業のていを成さそうとしているようだった。
もう一人はこの座席の中央やや右、最前列にピンと背筋を伸ばして座る少年だ。山上と呼ばれたその子供は栗色の髪と新緑を思わせる瞳が特徴的で、あどけない表情で教壇に立つ彼を見つめていた。
「__それと、今日の飯か……あー、山上わかるか?」
「はい。揚げパンとトマトスープ、それと牛乳です!」
「なぁ、本当に。何が目的だ?」
「先生、授業をしませんか?」
「……一体いつになったら家に帰れるんだ?」
「下校時間になったら帰れます!」
「だからその下校時間ってのは、一体いつになったら来るんだよ!」
ドンッと教室内に鈍い音が響く。
突如声を荒らげた男は黒板を殴りつけた姿勢のまま、少年の方を睨んだ。
「なんでこんなことになってるんだよ! なんで、こんなガキと知らねぇ教室に閉じ込められねぇといけねぇんだ! 腹も減らねぇ、眠気も来ねぇ! 明らかに異常だろ! そのくせてめぇは授業を続けろと言うばかりで! なんで俺がこんなこと……」
「先せ__」
「あぁもう我慢ならねぇ!全部てめぇのせいか? ならてめぇがいなくなれば解決か? ガキだからって思ってたけどよ、最初からこうしたら良かったんだな」
男は今一度頭をガシガシと掻き、大股で少年の方へと近寄っていく。
少年は男の方をただ見上げる。未だ背筋を伸ばして席につき、翡翠色の可愛らしい瞳で男を見つめている。そんな少年の細い首に男はその骨張った大きな手を伸ばした。そして少年の首をその手中に収めると、大きく息を吐いて、力を込めていく。
「先生、」
静かな教室内に少年の声が木霊する。
今も変わらぬ表情で男を見つめる少年に、本来優位を取っているはずの男は恐れ、動揺するかのようにその瞳を震わせた。
「授業を続けてください」
「な、なに言って……」
「先生は教師になるのが夢だったと聞きました。僕は生徒になるのが夢だったんです」
「だから、なんでそんなこと……」
「授業を続けてください。ほら、お母さんも心配しています」
少年が、窓を指差す。
そこにはどれほどの時が経っても変わらぬ青空と誰もいない校庭がただ広がっているはずだ。だが今も少年と向き合う男の視界の隅にはその瞳を覆うような影が差していた。男は恐る恐るそちらを向く。
そうして、窓の向こうと目が合った。
◆
「__で、あるから。この公式を代入すればこの問題は解けるな。山上、わかったか?」
「はい。ありがとうございます!」
「ならまた後で小テストだな。じゃあ次は国語だ。教科書開けー」
二人っきりの教室で、教師と児童が仲睦まじく授業を続けている。
夕暮れと共に鳴り響くチャイムの音を聞く時が、訪れることは決してなかった。
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