バッカス

澄田ゆきこ

 十七の冬、友達と一緒にお酒のチョコレートを買った。

 中にコニャックが閉じ込められている、四角い粒のチョコレートだ。緑のパッケージは今でもスーパーやコンビニに並んでいる。今は十粒入りに減ってしまったが、当時は四隅まできちっと並んでいて、十二粒入っていた。

 そのチョコレートを、放課後、友達と二人で分け合って食べた。

 友達の名前はTちゃんと言った。Tちゃんは勤勉で努力家で、その点では私と大きく違っていたが、私とは家庭環境がよく似ていた。主に父親が暴力をふるうという点で。父親たちの言動は驚くほど酷似していて、生き別れた兄弟なのかもねとか、脳がクラウドでつながっているのかもねとか、そんな冗談をよく言い合っていた。

 Tちゃんも私も塾には通っておらず、学校と家だけでほとんどの世界ができていた。家は先述の通りだったし、学校は学校で、進学実績を伸ばすことと校則で生徒を締め上げることしか考えていなかった。まじめだった私たちは道を外れる方法も知らず、学校と家というふたつの檻の中で守られながら、それぞれを行ったり来たりしていた。

 そんな中で、あのチョコレートは、私たちの些細な非行だった。

 甘いチョコレートを噛んだ瞬間、ぱりっと表層がはじけて、味の濃いブランデーが口を満たす。喉が焼けそうなほど強いアルコール。

「お酒だ」「お酒だね」「すごい、悪いことをしている気分」

 私たちは囁き合いながら、チョコレートを口に入れて、ほのかな悪徳の味を愉しんだ。

 不自由だった私たちが、一瞬だけ自由でいられた時間だった。

 十二粒のチョコレートを六粒ずつ分け合って、私たちはそれぞれの地獄へと帰った。

 Tちゃんとは卒業まで一緒にいた。私が家出をしたときにかくまってもらったり、「勉強合宿」と称してうちに泊まってもらったり、他の友達よりも一段踏み込んだつきあいをしていたと思う。お昼もよく一緒に食べたし、選択科目が一緒だった彼女とは受験勉強もよく一緒にした。卒業式の後には二人でサイゼリヤにも行った。

 卒業後、Tちゃんとは音信不通になった。

 幾度となくLINEを送ったが、一度も既読はつかなかった。他の友達も同様だったようだ。LINE自体を消したのかもしれない。誰一人Tちゃんの安否がわからないまま数年が過ぎた。ついこの間高校を卒業したばかりな気がするのに、気づくと大学も卒業していた。

 大学生活を送っている間に、私は家を出て、父親からは自由になった。けれど彼女はどうだったのだろう。ちゃんとあの地獄を生き延びられたのだろうか。

 そんなことを思っていたら、この間、ずいぶん前のLINEの投稿に、Tちゃんから「いいね」がついていた。とりあえず生きてはいるらしいと知って、私は心底ほっとした。

 彼女は今、どこで何をしているのだろう。できることなら、小さな罪を分け合ったあの日のように、また話がしたい。私たちはもう、お酒を飲むことが非行とされる年齢ではなくなった。今度は堂々とお酒を口にして、あんな時代もあったねと語り合えたら。

 それとも彼女にとっては、私は捨て去りたい過去のひとつになってしまっただろうか。

 バッカスとは酒の神のことらしい。片恋慕のような情を抱きつつ、私は酒の神に祈ってみる。どうか彼女が安らかな日々を送れていますようにと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バッカス 澄田ゆきこ @lakesnow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ