嫌悪《ジーク side》
◇◆◇◆
い、イザベラ様にキスされてしまった……。
自室として宛てがわれた皇城の一角で、俺は一人悶々とする。
いや、別に嫌だった訳じゃない。ただ、動揺しているだけ。
まだ柔らかい感触の残っている唇へ触れ、俺は頬を紅潮させた。
あれからもう
イザベラ様のことが、頭から離れない……気づけば、彼女のことばかり考えている。
無邪気に笑う銀髪の少女を思い浮かべ、俺は半ば放心した。
────が、ゴーンゴーンと鳴る鐘の音を聞き、ハッとする。
『し、仕事をしなくては!』と慌てて居住まいを正し、執務机に並べられた資料を見下ろした。
アルバート帝国の現状や国民の反応が書かれた文章に目を通し、俺は一つ息を吐く。
やはり……とでも言うべきか、まだ民の混乱は大きい。
でも、イザベラ様が早めに第一皇子エリオット・ルーカス・ヴァルテンと皇后エステル・ピクシー・ヴァルテンの処刑を行ったおかげで、『ヴァルテン帝国が滅んだ』という事実は理解しているようだ。
皇帝イーサン・アダム・ヴァルテンや第二皇子ロイド・ザッカリー・ヴァルテンの生首を城の壁に晒したのも、大きい。
「問題は民より、貴族だよな……」
第一皇子と皇后の処刑はもちろん、イザベラ様の即位にまで口を出してきた輩を思い出し、俺は眉間に皺を寄せる。
『皇帝と第二皇子の首だけで満足しろ』とか、『こんな逆賊紛いの即位、認めない』とか……散々言ってくれたよな。
まあ、イザベラ様が尽く却下して貴族を厳しく取り締まっていたが……それでも、やはり気に食わない。
誰よりも強く、美しいあの方の邪魔をするだなんて……。
「でも、一番気に食わないのは────第一皇子や皇后が処刑されるなり、俺を担ぎ出そうとしていることだ」
ガンッと執務机に拳を叩きつけ、俺は憎々しげに吐き捨てた。
腹の底から黒く暗い感情が湧いてきて、止まらない。
嗚呼、汚い汚い汚い汚い汚い……汚い!
『この国を自分のものにしないか?』と誘ってくるやつも!
『あんな小娘より、もっといい女を宛がってやる』と世迷言をほざくやつも!
「俺がっ……!イザベラ様を……!裏切る訳……!ないだろ……!」
言葉に合わせて何度も何度も拳を振るい、俺は嫌悪感でいっぱいになる。
『落ち着かなくては』と思っているのに、イザベラ様から俺の本性を引き出されて以来どうも感情に歯止めが効かない。
自分を制御し切れない。
ドロドロに溶かされた理性を尻目に、俺は乱暴に前髪を掻き上げた。
ちょっと優しくすれば、簡単に尻尾を振る犬だと思っているのか……!?
俺の忠誠を……イザベラ様への敬愛を甘く見るな!
そんな半端な気持ちで、彼女について行くと決めた訳じゃない!
険しい表情で書面を見つめ、俺は堪らず拳を振り上げる。
行き場のないこの感情をどうにかしたくて、再び机を殴ろうとした瞬間……
「────なんだ?今日は随分と荒れているな」
そう言って、イザベラ様が目の前に転移してきた。
机越しにこちらを見つめる彼女は俺の拳をそっと掴み、僅かに目を剥く。
「怪我しているじゃないか」
「あ、あの……」
「全く……貴様はもっと自分を大切にしろ。ジークの代わりは、誰も居ないのだから」
やれやれと
すっかり痛みの引いた手を机の上に下ろし、一つ息を吐く。
「貴様は少し休め」
「えっ?で、でも……」
「寝不足とストレスで倒れられたら、困る。それに────一番重要な案件は、既に片付けてくれただろう?」
執務机の端に置いた新聞を手に取り、イザベラ様は『ほら』とある記事を指さす。
そこには、大きく『アルバート帝国による新法律!』と書かれていた。
法律のベースは基本的にヴァルテン帝国と変わらないが、イザベラ様たっての希望で新たな法律を組み込んだ。
それは────『皇帝の命令は如何なる法律より尊重され、絶対遵守すべきものである』というもの。
正直公布に至るまで色々苦労したが、皆イザベラ様を恐れていることもあり何とか実施出来た。
「絶対王政のシステムを構築してくれただけで、充分だ。だから、何も気にせず休め」
『ジークはよく頑張った』と手放しで褒め、イザベラ様は人差し指を上に向けた。
その瞬間、俺の体が宙を舞い、半ば強引に寝室へ放り込まれる。
『あっ……』と思った時にはもうベッドの上で、イザベラ様にシーツを掛けられた。
「さっさと寝ろ」
ベッドの端に腰掛け、イザベラ様は俺の目元に手を当てる。
『早くしないと、魔法で無理やり眠らせるぞ』なんて言いながら。
温かい……イザベラ様の手も、声も、言葉も全部。
同い年の筈なのに凄く包容力のあるイザベラ様に、俺は安心感を覚えた。
『まるで、母の胸に抱かれているみたいだ』と思いつつ、早速うつらうつら。
あぁ……仕事、しないといけないのに……
そっとイザベラ様の手に自身の手を重ねると、俺は酷く穏やかな気持ちで眠りに落ちた。
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