存在抹消《カルロス side》

◇◆◇◆


 な、何故イザベラがここに……!?

あちらに送り込んだ暗殺者は、どうした……!?

まさか、全員────殺したのか……!?


 瞬きの間に現れたイザベラを前に、私は何とか事態を呑み込もうと必死。

でも、どう考えても有り得ない……いや、考えたくもない可能性の数々に腰を抜かした。

『戦わなくては』『人を呼ばなくては』と分かっているのに、喉の奥に何かが……恐怖が張り付いて声を出せない。

産まれたての子鹿のようにただ震えることしか出来ない私の前で、イザベラはスッと目を細めた。


「抵抗すらしないとは、面白くないな。貴様の妻や娘はもっと勇敢だったぞ」


「なっ……!?ジェシカとマチルダに手を出したのか!?」


 やっとの思いで声を絞り出した私は、僅かに身を乗り出す。

すると、イザベラはニヤニヤと口元を歪めた。


「さあ?それはどうだろうな?」


 私の反応を楽しむためかわざとはぐらかし、イザベラは一歩前へ出る。

と同時に、風の刃を複数顕現させた。

言うまでもなく、矛先は私に向いている。


「貴様もあの世へ逝けば、分かるんじゃないか?」


 『物は試しだ』と平然と言ってのけるイザベラに、私は恐怖を覚えた。

背筋が凍るという感覚に陥る中、手を握り締める。皮膚に爪が食い込むほど強く。

そうしないと、泣いてしまいそうだったから。


 お、恐れるな……!相手は所詮、子供!

魔法の扱いや戦闘の経験なら、私の方が上!


 『勝機はある!』と己を鼓舞し、私は震える体に鞭を打った。

使命感に押されるまま立ち上がり、私は扉へ一目散に駆け寄る。

そのかん、後ろから風の刃を飛ばされたが、全て水の矢で相殺した。

バシャンと飛び散る水滴を尻目に、私はドアノブへ手を伸ばす────ものの、見えない壁に遮られた。

バチッと体に走る痛みと衝撃に呻きながら、私は目を凝らす。

すると、うっすら……本当にうっすら結界らしきものが見えた。


 い、いつの間に……!?結界を張るには効果範囲を計算したり、強度を調整したりと色々工程があるのに!

いや、それだけじゃない……!さっき見せた転移魔法はもちろん、風の刃の生成スピードもおかしい!人並み外れている!

アルバート家の血を引いているとはいえ、これは異常すぎる!


 『今日、魔法を使えるようになった魔導師とは思えない!』と戦慄し、後ろを振り返る。

そこには、薄ら笑いを浮かべるイザベラの姿が……。

悪魔より悪魔らしい雰囲気を漂わせ、黒い瞳に狂気を宿す彼女に、私は絶望を覚えた。

だって、確信してしまったから。

彼女は……イザベラ・アルバートは、


「成長途中なんかじゃない────もう成熟した魔導師……」


 半泣きになりながらそう呟き、私は膝から崩れ落ちた。

『私の読みが甘かった』と痛感し、苦渋に満ちた表情を浮かべる。

────と、ここでイザベラがこちらへ歩み寄ってきた。


「ま、待ってくれ……!」


 『殺される』と思い、私は両手を挙げて戦う意思がないことを示す。

────が、イザベラはどこ吹く風。

足を止めることはもちろん、歩行を躊躇う素振りさえ見せなかった。


「た、頼む!一度、話を……」


「貴様も馬鹿犬と同じことを言うのだな。さすがは夫婦とでも言うべきか……似た者同士でお似合いじゃないか」


 『貴様もさっさとあの世へ送ってやる』と言い、イザベラは手を前に突き出した。

それを魔法発動の動作と受け取った私は、身を縮める。

少しでも、的を小さくしようと思って……まあ、全くもって無駄な努力だったが。


「あがぁ……!!」


 右足に風の刃が直撃し、私は悲鳴に満たない汚い声を上げた。

斬り落とされる寸前まで刻まれた右足を抱え込み、フーフーと荒い呼吸を繰り出す。


 不味い……不味い不味い不味い不味い不味い!!!!

これは恐らく、骨まで切られている……!!!

ギリギリ刃が届かなかった神経と皮のおかげで、辛うじて繋がっている状態に過ぎない……!!!

つまり、ここから一歩でも動けば完全に断絶される!!!


 『たかが初級魔法の風の刃ごときで……!』と震え上がり、私は黒の眼を見つめた。

良くも悪くも淡々と……でも、『復讐する』という確固たる意志を宿した瞳に、私は閉口しかける。

でも、ここまで黙ってしまえば一も二もなく殺されるのは明白。

だから、何としてでも口と思考を回らなければならなかった。


「い、イザベラ!お前にしたことは、全て謝る!すまなかった!」


「そうか」


 適当に相槌を打つだけに留め、イザベラは私の前で足を止める。

ゾッとするほど冷たい眼差しを向けてくる彼女に、私は必死に縋った。


「ゆ、許してくれないか!?出来る限りの償いはする所存だ!」


「あれほどのことをしておいて、許されると思っているのか。貴様の頭は実にめでたいな」


 『お花畑全開じゃないか』と嘲笑い、彼女は私の右足を蹴り飛ばす。

その反動で、何とか繋がっていた皮膚と神経さえも千切れてしまい……悶絶するような痛みが、私を襲う。


「ぁあ……がっ……ぐぅぅ……」


 叫ばないようにするのが精一杯で、私は大量の脂汗を掻いていた。

二の腕に爪を立て足の痛みから気を逸らそうと画策しながら、私はどうにかして知恵を振り絞る。

『私達を殺害する以外の方法で、イザベラの怒りを鎮めるにはどうすればいいのか?』と。


 まず、イザベラを虐げたことが事実である以上、誤魔化したり言い訳したりするのは悪手だ。

逆に相手の神経を逆撫でする危険性がある。

よって、イザベラを宥めすかして穏便に済ませるのは不可能……ならば────怒りの矛先を別のところへ向けてもらうしかない。


 『それで、こちらの被害を最小限にするんだ!』と奮起し、私は黒い瞳を見つめ返す。


「い、イザベラ聞いてくれ……!お前が────真に・・復讐すべき相手は、私達ギャレット家じゃない……!」


「どういう意味だ?」


 興味を引かれたのか、それとも単なる気まぐれか……イザベラは話の先を促す。

『今度はどんな言い訳をするんだか』とでも言うように、目を細めながら。

その子供離れした対応に、私はますます恐怖心を煽られるが……何とか悲鳴を呑み込んだ。

『今ここでイザベラの機嫌を損ねる訳にはいかない』と。


 なんにせよ、無事に食いついてくれたな……!

これなら、交渉の余地くらいはあるかもしれない!


 『どうにかして、上手く丸め込もう』と考え、私は震える声で言葉を紡ぐ。


「よ、よく考えてみてくれ……!お前の不幸の始まりは、前公爵夫妻の死!そして、あれは事故じゃなくて暗殺だ!でも、それをやったのは私達じゃ……」


「────あぁ、なんだ。そのことか」


 『私達じゃない!』と続ける筈だった言葉を遮り、イザベラは心底詰まらなさそうに欠伸を零した。


「そんなのとっくの昔に分かっている。貴様ら小物風情では、せいぜい他人のお零れに与るのが限界関の山だろうからな。公爵夫妻の暗殺など、出来る力もなければ度胸もない」


 真の敵が誰なのかもう見当をつけているらしく、イザベラは動じた素振りすら見せない。

依然として威圧的で高慢な態度を貫き、『時間の無駄だったな』と呟いた。


「私と交渉したいなら、魔力の生成過程でも紐解くんだな」


 『そんな情報、切り札にもならない』と吐き捨て、イザベラは勢いよく私の顔面を踏みつけた。

その反動で床に背中を打ちつけ、倒れ込む。

斬り落とされた足を無闇に動かしてしまったこともあり、痛みは凄まじかった。


「あああああぁぁぁぁああ!!!!!」


 ついに我慢出来ず絶叫してしまい、私はハッとするものの……止められない。

本当に痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて、堪らないから。


 クソッ……!何で私がこんな目に……!

未来のアルバート家の主人になる男なんだぞ!?


 『やってしまった』という後悔より、既のところで獲物を掠め取られたという無念がまさり、屈辱を噛み締める。

痛みのせいか、それとも交渉の余地がないと悟ったせいか……私は理不尽な怒りを覚えた。


「このっ……!死に損ないが……!つい先日まで、私達の言いなりだったくせに……!」


 感情の赴くままに恨み言を吐く私に、イザベラはプッと吹き出す。

心底馬鹿にしたような表情でこちらを見つめ、思い切り口元を歪めた。


「過去の栄光に縋るな、凡人」


 『今は今、昔は昔』と言い聞かせ、イザベラは部屋に飾られたギャレット家の旗や勲章を────切り刻む。

風魔法なんてお手の物なのか、まるで手足のように空気を操り、私の前にソレらを置いた。

かと思えば、上からグリグリと踏みつける。


「所詮、凡人貴様の努力など天才の前では無意味だったというだけだ」


 これでもかというほど残酷な現実を突きつけ、イザベラはカラカラと笑った。

私の心を着実に壊していく彼女は、腰まである銀髪を手で払う。


「どうだ?十数年に渡る苦労と我慢を、たった一日で覆られた気分は」


「っ……!」


 『結局、全部無駄に終わったな』と零す彼女に、私は何も言えなかった。

あまりにも、惨めで……。

『これまでの努力は一体、何だったんだ……』と自問し、なんとも言えない虚無感に襲われる。

皇帝に掛け合った日々やイザベラの病死を願った日々を思い返すだけで、脱力感に見舞われた。


 嗚呼……嗚呼、こうなると知っていたら大人しくしていたのに。

欲なんて、出さなかったのに。


 『凡人は凡人らしく、優しい後見人親戚を演じるべきだった』と反省し、静かに涙を流す。

ようやく自分の間違いを認め、私は過去の決断を悔いた。

────と、ここでイザベラが私の腹に足を置く。


「まあ、そう嘆くな。こうなることは、必然だったんだ。ある意味、運命とも言える」


 グッと足に体重を乗せながら、イザベラは同情的な態度を取った。

────が、その表情かおは依然として笑ったまま。

『可哀想』なんて微塵も思っていないことは、明白だった。


「両者、どちらかが滅ぶまで続く因縁の関係だ。それに今、私が終止符を打ってやる。貴様らの死を以て、な」


 『どうだ、嬉しいだろう?』とほくそ笑み、イザベラは四方に小さな竜巻を顕現させる。

それは徐々にこちらへ近づいていき────やがて、私の体を切り刻み始めた。


 い、イザベラ……お前、まさか────私を血と骨だけにする気か!?


 『この世に存在を残すことすら許さない』という強い意志を感じる処刑方法に、私は面食らう。

そして、イザベラの狙いを悟った。

恐らく、彼女はわざと死体をグチャグチャにして誰か分からなくするつもりなのだろう。

だって、生死不明にすれば私は失踪扱いとなり、一定期間を置いて除籍可能だから。

つまり、ギャレット家の系図から名前を消されることになる。

本来、その手続きを出来るのは我が家の直系だけだが、跡を継ぐ者が居なければ本家の管理下に置かれるため……条件さえ揃えば、イザベラでも実行出来た。


 イザベラのやつ、そこまで考えて……!?


 『いつから、そんなに頭が回るようになったんだ!?』と、私は目を白黒させる。

ただ魔法を使えるようになっただけじゃない、イザベラの成長にひたすら驚いた。

痛みを感じなくなる程度には。


「い、イザベラ……!」


 『何も残せない人生など嫌だ!』と思い立ち、私は身を捩ってイザベラに縋り付く。

────が、軽く足蹴にされて終わり。

しかも、そのとき左耳が竜巻の一つに巻き込まれてしまい、ガリガリと削られた。

『うぐっ……!』と声を漏らす私の前で、イザベラはクルリと身を翻す。


「貴様の娘も直ぐにそっちへ送ってやるから、少し待っていろ」


 私の懇願を命乞いと勘違いしたのか、イザベラは『親子三人仲良くな』と述べた。

その瞬間、竜巻の勢いが増し、既に四肢のない私を容赦なく刻んでいく。

微塵切りなんて生ぬるい惨状の自分の死体を想像し、戦慄する中────


「さて、メインディッシュに取り掛かるか」


 ────というイザベラの独り言が木霊した。

コンコンッと足の爪先で床をつつき、彼女はどこかへ転移する。

先程までそこにあったイザベラの背中を一瞥すると、私は絶望に後押しされるまま命を手放した。

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