#3.ノーリスク・ノーライフ?


 湿気の少ない鮮やかな暑さが、固まった身体をほぐしてくれる。

 今日もいい天気だ。いい仕事ができる。雨で衣類や装備が汚れれば単純に支障がでてしまうし、そもそも汚染物質の混じった雨はどうしたって身体に良くない。


 天候を見るのは、ジャンク屋のその日最初の仕事だと言えるだろう。


 もう少ししたら梅雨が来てしまう。梅雨前線が日本列島を舐め、各地に豪雨を落としていく。

 アルゴーを出てから5回目の梅雨だが、あの高温多湿の空気はいつまで経っても慣れないし、台風なんかきたら仕事どころではない。だから働けるうちに頑張って、今のうちに蓄えておかないと。



 昨日と同じ工場に入った。バックパックの中身は少なめに、ロープを多めにして。

 かつて水が滴っていたのだろう。熱交換用の冷却水かなにかが通る配管の隙間から漏れて、金属が腐食して変色して、乾いた痕がライトに照らされた。配管に満たされた水が枯れ果てるほど長い時間放置されたのだろう。


 ライトが無いと真っ暗な空間、UPSが鳴らす一定の電子音。昨日と何も変らない。だが、今日は取り残したUPSを回収しに来たのではない。



「UPSが生きていたのは、電力が供給されていたから」

 昨日の夜、桃の缶詰を食べながらおーちゃんはそう言った。


「UPSは停電とかの非常時に、大事なものが壊れないように電力を供給するバッテリー。でもそれはって数分。機器を正常に立ち下げるシャットダウンするための時間稼ぎ」

「うん」


「普段は、その大事な物へ"UPS"を介して電力が送られてる」

「どこから? 発電所、違うな、太陽光パネル?」


 発電所が動いていたら工場全体が明るいだろうし、それに、そんな設備が近くで動いていたら何かしら情報が届きそうだ。太陽光システムがあるのなら、設置後は勝手に電力を供給してくれる。


「私もパネルだと思って、ちょっと調べたら電気は屋上から来てる

「じゃあ、パネルを持ち帰れば」

 状態の良いパネルは、かさばるが、あって困る物じゃない。お金になる。


「屋上からパネルを降ろして運搬するのは、組単位での仕事になる」

「そっか……」

 私とおーちゃんだけでは無理がある。


「じゃあ――」

 悩む。自分の少ない知識を総動員して組み立てる。知識の差と経験の差が実力の差となって出てくる。おーちゃんの頭の中には答えがあって、それを私に当てさせようとしている。

 

「どこから、じゃなくて、、が重要かも」

「そうだね。その、"大事な物"、探してみようか」



 ――♺――



 UPSからバッテリーが弱っているお知らせがあるということは、少なくとも生きているということ。生きているということは、あのUPSはどこかへ電気を供給し続けているということだ。


 無線から涼やかな声が聞こえてきた。

 ≪あーちゃん。やっぱり太陽光発電システムは生きてる≫

「じゃあ、そこで発電した電気はどこかに行ってるんだ」


 電気はどこに行っているんだろう。先にあるものとは何なのだろう。

 エレベーターの扉をバールでこじ開けて中を覗き込むと、下はがらんどうだった。空間があることだけが分かる。完全な闇の中だ。


 この下に何があるんだろうという期待感と、もしもの時、皆へ迷惑がかかってしまう、という気持ちがせめぎ合う。


 ≪あーちゃん、どう?≫

「エレベーターシャフトに着いたんだけど、先がどうなってるか分からない」

 自分の声は少し反響したあと、帰ってこなかった。

 ≪何かあったら助けに行くよ≫

 それで尻込みしてしまう。私がもし危険な目にあったら、皆、また必死に助けようとしてくれるだろう。それは嬉しくもあるが、申し訳なさもある。


 真下に掘られた幾何学的なほら穴に、その辺で拾ったびのスパナを放り投げると、2秒くらいで音が聞こえてきた。どんぶり勘定で20メートルくらいの深さ。4、5階ぶんくらいかな。


 意を決して、ケミカルライトを折って投げ入れ、ロープを工場のH鋼にきつく結んで、自分の身体をしっかり固定し、懸垂降下の準備をする。


「おーちゃん。行ってみるね。ここからは通信ができなくなるかも」

 ≪分かった。二時間以内に連絡なかったら、助けを呼ぶね≫

「うん」

 エレベーターシャフトをゆっくりと降り始めた。



 ――♺――



 文明が終わると分かった時、人は地下に移り住み始めた。地上の汚染はどんどん酷くなっていたし、かみさまが大暴れしていたから、地下に造ったシェルターに籠ることにしたのだ。


 そんな時代に置いたであろうUPSが守る、"大事な物"とは何なのか。頼りない光を頼りに闇の中を降りていく不安はあるけれど、お宝を目指している期待感が勝る。心が急いても身体が焦らないように、安全に、安全に。


 地に足が着いた。ライトで照らすと、切れた太いワイヤーがとぐろを巻いている大きなエレベーターのかごだ。天井のふたも、かごのなかの扉も開いている。


 真下から真横になった暗い廊下を歩く。非常口、と書かれた緑色の電灯に導かれて、白い光が一筋だけ漏れている奥の部屋を目指す。


 何が出るか分からない恐怖が半分、何を見つけられるかという期待感が半分。ドアノブを捻り、LEDの白い光が目に飛び込んできて目がくらんだ。


 目が慣れると、初めに目に飛び込んできたのは、白い骸骨。


「!」

 心臓が跳ね、急いでドアを閉め、背中で開かないように自分の身体をバリケードにする。暗闇しか見えない。落ち着け、落ち着け、ドキドキと脈打つ心臓を、深呼吸でなだめる。


 あの骸骨は横たわっていた。着た服がそのまま残り、腐敗のサイクルが完全に終わっていた。亡くなってから随分と時間が経っているだろう。

 無害だ、恐いことなんかない、と自分に言い聞かせてもう一度ドアを開ける。ここは安全。そう自分に言い聞かせる。


 暗闇の中で深呼吸を何度も繰り返した後、ドアノブをもう一度捻る。明るいですよと主張する、無遠慮な白い光に照らされた部屋。

 骸骨は微動だにせず同じ場所にいた。当然だけど。


 文明が終わると人が気付いた時代、一部の社員は会社と取引をしたと言う。開発を続け、製造ラインを維持する代わりに、会社の地下という安全な環境に住んでもいいという契約。起きている間は会社のために働くという約束だ。


 そう聞くと、まるで会社の奴隷になるみたいに聞こえるけど、実態は違くて、社員が自ら志願することが多かったそうだ。


 大戦中期に至り、仕事と休日の境目はなくなったから。


 人はかみさまと、それから滅びゆく世界と戦わなくてはいけなかったから。


 アルゴーの開発、ハイパーアキュムレーターの開発、休む暇もなくなり、また、戦場でない場所もなくなった。


 そんな時代に、自分と家族の安全。それから世界のために、会社という戦場に居残ることを決めた者たちは、私たちが想像するよりもずっと多かったようだ。


 ここで横になっている彼……彼女だったかもしれないけど、戦士だったのだろう。人の文明を存続させるために最期まで戦ったのだ。


「さすてなぶるさすてなぶる、えすでぃじいずえすでぃじいず」

 ゆっくりと休んでください、と祈りながら念仏を唱える。もう恐くない。

 地上にお骨を持って行って弔うことはできないけれど、せめて手を合わせてねぎらおう。これから私がやるのは、ほとんど墓荒らしなわけだし。


 立ち上がって辺りを見回すと、パソコン、3面のモニター。机、いす。ゴミが散らばったコンクリの床。空き缶や食料パックの空きなどが目に付く。


 ここは資料室を改造した仕事部屋兼生活空間のようだ。多少臭いが残っているけれど、エアコンと空気清浄機が動いていてほとんど消臭されている。


 UPSが守っていた"大事なもの"とはこの人だったのだ。少しでも長く生きられるように、"人が生存できる環境"というかけがえのないお宝を維持していた。


 でも、そうなると、お金に換えられる物がない。空振りか。ため息が勝手に出てくる。ま、そう簡単に一攫千金とはいかないよね……。


 ふと、パソコンの近くにある写真立てが目に入った。ぎこちない笑顔で映る4人家族の写真が飾ってあって、そばには豚さんを模した陶磁器セラミックの置物が置いてある。


 無機質な部屋の中にあって、有機的な面影おもかげを残す写真と置物に注意がかれる。豚さんを持ち上げると、ずっしりと重い。どこかで感じたことのある感触に、急いで背中に空いた細い長い暗闇にライトをかざして覗き込む、と――。


「これって……うそ……」


 豚さんには、ぎっしりと硬貨が詰まっていた。

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