第36話:おまけ②「何気ない日常(後編)」
「お風呂に入らないと臭くなっちゃうわよー?」
「だから入らないとは言ってないですよ。一人で入りたいだけです」
「えー? どうして? 一緒に入りましょうよ、レイン。私の弟子なら師匠の背中を流すくらいしてくれてもいいと思うんだけど?」
「ミナリーにしてもらえばいいじゃないですか」
「いつもしてくれているから今日はレインの番ってことで」
「そんなめちゃくちゃな……」
師匠もミナリーも全然納得してくれない。
二人に体を揺らされながら、俺は対面のソファで微笑まし気に俺たちのやり取りを見ていた母さんに視線で助けを求める。
母さんはそれに気づいたのか可愛らしくウインクを返してくれた。
よかった、どうやら救いの手を差し伸べてくれるらしい。これで解放される。
「ミナリーちゃん、アリスちゃん。レインは今日私と一緒にお風呂に入ります」
「なんでだよっ!」
母さんはミナリーと師匠に有無を言わさず、俺を連れて脱衣場に入った。そのまま強引に俺の服を脱がすと、自分も全裸になって浴室へ入っていく。
母さんと一緒にお風呂に入るのは初めてだ。
顔も若々しくて美人なのだが、体つきも若々しくて美しい。どうして妹や弟ができないのか不思議なくらいだ。師匠よりよっぽど目に毒だった。
「レインとお風呂に入るなんて何年ぶりかしら」
「憶えてない……」
俺がレイン・ロードランドになってから一年と九か月。それ以前の記憶は何となく憶えている気もするし、忘れている気もする。
ただ、周りの反応を見るに上手くレイン・ロードランドとして生きられているんだろうとは思う。
「おいで、レイン。髪を洗ってあげるわ」
母さんに手を引かれて、俺は大人しく従う。母さんに抵抗しても仕方がない。
母さんはシャワーのお湯で俺の髪を濡らすと、シャンプーをつけて慣れた手つきで俺の髪を洗い始める。シャワーにシャンプー……まあ、こういう世界だ。
「それで、レインはどっちが好きなの?」
「どっちって……?」
「とぼけてもお母さんの目は誤魔化せないわよ? 好きなんでしょ、ミナリーちゃんもアリスちゃんも」
「そりゃ好きではあるけど……別にどっちが好きとか、そういう甲乙つけるような感じじゃない。ミナリーは妹のような感じで、師匠はどちらかというと尊敬に近い感情だと自分では思ってる。恋愛感情じゃないよ、これは」
「ふぅーん。9歳が語るわねぇ」
「母さんがそういう話を振ってきたんだろ」
やけに強引に風呂に入らされたと思ったら、どうやらこの話をしたかったらしい。親としてはやっぱり俺の将来が気になるんだろうか。
ミナリーとアリス。二人とも『HES』のストーリーでは主人公と結ばれることなく死んでしまったキャラクターだ。
今はとにかく二人を生き残らせることが最優先。どちらが好きだとか考えている余裕はない。
「レイン。ミナリーちゃんとアリスちゃん、二人とも幸せにしてあげなさい」
「…………は? いや、二人ともって」
「ミナリーちゃんもアリスちゃんも、私にとっては娘のようなものだもの。二人には幸せになって欲しいのよ。だからレインが幸せにしてあげなさい」
「なんだそれ……」
まあ、この世界に一夫多妻を制限する法律はおそらくない。その気になればミナリーと師匠どちらとも結婚することは可能だろう。
ただ、それは当人たち同士で決めることであって、母さんに言われたからするようなことでもない。
ただ……、
「まあ、俺に出来る限りのことはするよ」
幸せ=結婚でもあるまい。とにかくミナリーと師匠が死なないように頑張る。まずそこをクリアしなければ、ミナリーと師匠を幸せになんて出来るはずがない。
そこから先は、その時にまた考えよう。
「及第点ってところかしら」
母さんはそう言って風呂桶にたまったお湯を俺の頭にかける。
「このまま体も――」
「それは自分でやるからいい!」
母さんの手から手ぬぐいをふんだくる。
さすがに全身くまなく洗われるのは恥ずかしいにもほどがある。しばらく自分で泡立てた手ぬぐいを使って体を洗っていると、何やら脱衣場が騒がしい。
「わたしもお風呂はいるーっ!」
「レティーナさん、ミナリーがどうしてもって言うから! べ、別にレインの裸が見たいとかそういうことじゃないですよ?」
全裸のミナリーと師匠が乱入してきた!
「あらあら、賑やかな入浴になりそうね」
母さんは楽しそうに笑っているが、俺としてはたまったもんじゃない。とっとと全身の泡を流して風呂場を出ようとしたら、母さんに腕を掴まれた。
「駄目よ、レイン。ちゃんと湯船に浸かって温まりなさい」
「…………はい」
母さんには逆らえない。
俺は湯船に体を沈めて、両手で顔を覆った。
母さんとミナリーと師匠が楽しそうに洗いっこを始める。それからミナリーの胸の成長がどうのだのという話を聞かされ続けた。
ここは天国…………いや、さすがに居た堪れないから早く解放してくれ……。
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