第22話:突然の旅立ち

「レイン、レインっ!」


「――っ!」


 誰かの声に目を覚ます。薄暗い部屋の中、誰かが俺の顔を覗き込んでいた。


「し、しょう……?」


 師匠は俺の声を聴いてホッとした様子で息を吐く。それから、優しい手つきで俺の顔に冷たいタオルを押し当てた。


「酷い汗。レイン、すごくうなされていたわ。怖い夢を見ちゃったのね」


「…………はい」


 怖いと言うより……嫌な夢を見た。


 『Happy End Story』屈指の鬱シーン。オークの苗床にされた挙句、肉塊の化け物になってしまったミナリーを、主人公レインがそれに気づかず殺す場面。


 プレイヤーは戦闘終了後に肉塊がミナリーだったことを知るが、主人公がそれを知ることはない。


 ミナリーは主人公に手を伸ばし、消えてしまう。


 分析組の誰かが、その方がお互いにとって幸せだと言っていた。


 確かにそうかもしれない。


 だけどそもそも、こんな悲劇が生まれない方がずっと幸せだったに決まっている。


「そうだ、ミナリーは……?」


 高熱で意識は朦朧としていたが、ずっとミナリーが看病してくれていた事には気づいていた。おかげで今は少しだけ気分が良い。


「大丈夫よ。ここに居るから」


 師匠は少し困ったように笑う。見れば、ミナリーが師匠にギュッと抱き着いていた。なぜか顔をくしゃくしゃに歪めて、ひっくひっくと嗚咽を漏らしている。


「レインが本当に苦しそうだったから、怖くなっちゃったみたい。ほら、ミナリー。レインが起きたわ」


「うぇ~んっ! レインく~んっっっ」


「うわっ」


 ミナリーが大泣きしながら俺に抱き着いてくる。


「うぅっ、ぐすっ、ひっぐっ」


「どうしたんだよ、ミナリー。俺はもう大丈夫だ」


 そう言って安心させようとしたのだが、ミナリーは首を横に振って俺から離れようとしない。


 石鹸のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。


 俺はミナリーの頭に手を回して、抱きしめる。


「約束する。ミナリーを一人にはしないから」


「……ほんと?」


「ああ」


 ミナリーがどうしてこんなに泣いているのか、本当のところはわからない。


 だけどあの夢が、無関係であるとは思わなかった。


 あの悲劇は繰り返さない。改めて、そう誓う。


 それからミナリーがなかなか離れてくれなくて、結局朝まで同じベッドで眠った。


 風邪をうつしてしまわないか心配だったが、翌朝もミナリーは元気いっぱいで杞憂に終わる。


 もしかしたら、ミナリーが持つ〈女神の祝福〉のスキルが作用でもしたのかもしれない。


 ミナリーと師匠の看病のおかげで、俺も魔力コントロールの鍛錬を再開することが出来た。


 少し休んだおかげで感覚を忘れつつあったけれど、取り戻すのはそう難しくない。


 平和な日々が続いた。


 ミナリーは光系統魔法をどんどん覚えて行き、師匠は母さんから料理を学び始めた。


 俺は父さんとたまに剣の稽古をしたり、師匠から魔力コントロールの手ほどきを受けたり。


 運命の日は近づいている。焦りはあるが、出来る限りの事をしている。後はもう乗り越えるしかない。大丈夫だと、自分自身に言い聞かせる。


 やがて冬が終わり、春が訪れた。


 雪は北方山脈を依然として白く染めているが、村の周囲はすっかり雪が解けて緑に覆われている。村では冬の終わりと春の訪れを祝う祭りの準備が始まりつつあった。


 俺の誕生日は、偶然にもその祭りの日だ。


 それが一週間後に迫った夕食時、


「明日から領都に戻ろうと思います」


 師匠が唐突にそう切り出した。


「…………え?」


 思わず持っていたスプーンを落としてしまう。


「師匠、もう旅立ってしまうんですか……?」


「あ、違うの! 驚かせてごめんなさい、レイン。そうじゃなくて、先に領都でお世話になった人たちに挨拶をしておこうと思って。レインの誕生日は一緒に祝いたいから、それまでには戻ってくるわ」


「そう、ですか……」


 師匠は嘘を言うような人じゃない。きっと本当に領都にはお世話になった人たちへの挨拶に行くのだろう。


 明日出発すれば向こうに2日滞在しても、俺の誕生日には戻って来られる。だから何も心配する必要はない。


 ……ないはず、なのだが。


「…………」


「レイン? どうかしたの……?」


 黙り込んだ俺を心配したのか、師匠が声をかけてくれる。父さんと母さんも顔を見合わせていた。


 ……このまま、師匠を送り出していいのか?


 ここは『Happy End Story幸せが終わる物語』の世界、不測の事態はいつだって起こりえる。


「師匠、俺も――」


「物は相談なんだが、アリスちゃん。レインも領都に連れて行ってやってくれないか?」


「「えっ?」」


 俺の言葉を遮るように発せられた父さんの台詞に、俺と師匠の疑問符が重なる。


 母さんも「そうね」と同調するように頷いた。


「去年の留学話もなくなってしまったし、レインはまだ領都を見て回れていないものね。もしアリスちゃんさえよければだけど、レインの事を頼まれてくれないかしら?」


「えっと。それは構いませんが……」


「レインの事を宜しく頼むよ、アリスちゃん」


 そう言いながら父さんは俺にしか見えない位置でサムズアップを作って見せる。そういえば、俺が師匠のことを好きだとか何だとか勘違いされたままだったな……。


 母さんも母さんで、師匠にウインクしている。


 師匠は苦笑いだった。

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