第6話:魔法留学

 それから俺たちはMPが尽きるまで魔法を使い続けた。


 朝から夕方まで、来る日も来る日も。


 一日が過ぎ、三日が過ぎ、一週間が過ぎて、一か月が過ぎた。


 オークの軍勢に村が襲われるシーンに場面が転換する様子はない。


 そして、VRゲーム機の強制ログアウト機能が動作する様子も無かった。


 一年と半年が過ぎた頃には、疑いも確信へと変わっていく。


 この世界は、『Happy End Story』の世界に限りなく近い現実なんじゃないか。俺は『Happy End Story』の主人公レインに転生してしまったんじゃないか、と。


 状況証拠が物語っている。


 ゲームの『Happy End Story』には存在しないはずの痛覚や味覚。そして肌に感じる温度や触覚、重さの概念は現実さながらだ。


 これがゲームによって再現されているとしたら、あまりにも革新的過ぎる。



 白い息が灰色の空の下に広がって溶け消える。遠くの山から吹き下ろす風が長く険しい冬の到来を告げていた。村は総出で冬支度の準備を進めている。


「レイン、こっちの木を頼む!」


「了解。父さん、みんなを下がらせてくれ!」


 主人公レインの父、カインが印をつけた木の根元に向かって右腕を構える。木の高さは10メートルくらいか。


「〈風刃エア・カッター〉」


 俺の右手に集まった淡い緑色の粒子は刃になって木に向かって放たれ、木の根元を軽々と切断した。


「よおし、引っ張れ!」


 あらかじめ木に巻き付けられていた縄を、カインの合図で村の男たちが2方向から引っ張る。枝木がガサゴソと音を立てながら、木は地面に倒れ落ちた。


「よし、解体作業に移ろう。――ありがとうな、レイン。お前のおかげで今年の冬は薪の心配をしなくて済みそうだ」


 角ばった大きな手でカインは俺の頭を撫でる。ごつごつとした戦士の手だ。


 カインはけっこう名の知れた冒険者だったようだ。レティーナとの結婚を機に冒険者を引退してこの村に移り住んだと、設定資料集にも書かれていた。


「もう少し細かくしようか?」


「いんや、あれで十分だ。これから旅に送り出そうってのに、これ以上無駄な魔力を消費させるわけにもいかんだろう」


 MPにはまだまだ余裕はあるけど、まあカインがそう言うなら甘えておこう。


「旅支度は済んだか?」


「いちおう」


「そうか。じゃあ家に戻ろう。母さんとミナリーが待っているはずだ」


 俺はカインに手を引かれて家路を歩く。手を繋がれるのは小恥ずかしいが、年相応の子ども扱いは受け入れるようにしている。その方が何かと都合がいいしな。


「それにしても、まさかレインが魔法を使えるようになるなんてな。それも、大きな木を切り倒してしまうほど強力な魔法を独学で……。きっとギルドマスターも驚くぞ」


「あはは……」


 『HES』の世界では、魔法は誰しもが使えるわけではないのだ。主人公の両親であるカインやレティーナはもちろん、この村に魔法を使える大人は一人も居ない。


 だから俺とミナリーが独学で魔法を使えるようになったと知られた時には、村中が大騒ぎになった。


 神童だ天才だと持て囃されて、気づいた時には領都オーツへの留学話が出ていた。


 カインの伝手で、冬の間のみ冒険者ギルドに所属する魔法使いに師事できるようになったのだ。


 俺はこの話ににべもなく飛びついた。


 オークがこの村を蹂躙するまであと四か月。


 俺はこの世界に来てから毎日魔法を使い続けて地道に経験値を貯め続けた。


 おかげでレベルは15に達し、魔法も〈風刃〉のように低レベルのオークなら一撃で倒せそうなものを覚えられた。


 だけど、それだけじゃ心もとない。


 オークの襲撃イベントはムービーシーンでの出来事。村を襲ったオークの情報はほとんど無いに等しく、設定資料集にも細かな内容は書かれていなかった。


 仮に高レベルのオーク……例えば『ハイオーク』や『ジェネラルオーク』が混じっていたら今の俺に太刀打ちは出来ない。


 それにMPも有限だ。低レベルのオークだけでも、数で押し切られる可能性は十分にある。


 だから、援軍が必要だった。できればAランク以上の冒険者パーティ。最悪の可能性を考えるならば、個人でSランクに達するくらいの冒険者が必要だ。


 カインによれば領都オーツの冒険者ギルドには何人かAランクやSランクの冒険者が在籍しているらしい。


 彼らに援軍を頼めれば、オークの襲撃からミナリーを守れる確率はグッと高くなる。


 ――それにもしかしたら、領都の冒険者ギルドには彼女が居るかもしれない。


「お帰りなさい、レインくんっ! おじさまっ!」


 家に帰るとミナリーが出迎えてくれた。ここ一年半で身長はグッと伸びて、いまだ低身長の俺はミナリーを少し見上げなくちゃいけない。


 そういえば子供の頃って女の子の方が成長早いんだよなと思い出さされる。


「ただいま、ミナリー。準備の方は終わったか?」


「うんっ! レティーナさんに確認もしてもらったよ!」


 ミナリーは父さんのことを「おじさま」と呼ぶが、母さんのことは「レティーナさん」と呼ぶ。その辺、レティーナの教育がしっかり行き届いている。


 リビングに入ると、ちょうどレティーナが大きな鞄に荷物をまとめている所だった。


「お帰りなさい、あなた、レイン」


「ただいま、レティーナ。準備は順調かい?」


「ええ。……けど、やっぱり心配だわ。子供たち二人だけで領都に向かわせるなんて……」


 レティーナは俺とミナリーを見て不安げに瞳を揺らす。


「なあに、心配はしなくてもいいさ。ギルドマスターが迎えの冒険者を寄こしてくれる手はずだ。それに、領都までの街道はモンスターも少ない。そう遠くじゃないから野営も一日で済む。安全な旅だよ」


「それは、わかっているけれど……」


 それでも心配なものは心配なのだろう。レティーナは俺とミナリーの傍まで来ると、ギュッと俺たちを抱きしめた。


「レイン、ミナリー。必ず無事に帰ってきてね……?」


「もちろんだよ、母さん。春には必ず帰ってくる」


 少なくとも四か月後、オークがこの村を襲うまでには帰るつもりだ。


 レティーナやカインを見殺しには出来ないし、この村やこの村に住む人たちにもそれなりの愛着を持っている。


 ミナリーだけを守るなら領都に居たほうが安全だが、そうするつもりは毛頭ない。


「ミナリーちゃん、レインのことをよろしくね?」


「お任せあれ!」


 ミナリーは元気に手を挙げて返事をする。俺がミナリーの面倒を見る側なんだけどな……まあ、いいか。


 ミナリーが俺に抱き着いて頭を撫でてくるが好きにさせておく。

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