第153話 エンディングセレモニー(3)
ムデンは久方ぶりにテティスの部屋、というよりも、そこに備え付けられていた厨房を利用していた。
個人の部屋に厨房があるとは、火事の心配をしていた頃が懐かしい。今ならわかる。貴族の目の届く場所なら魔法でいかようにも対応できるので人間とは違う建物の作りになっていたのだと。
さらに屋台で料理を作っていた関係で分かったのだが、ここの厨房は最小限の機能を下回っている。おそらくは半完成品を持ち込んで温めるだけ、という形が本来の運用だったはずである。
何もかも間違っていたなと、ムデンは少し微笑んだ。もっとも、その姿に気づくものはいなかったが。
いつもそばにいるボーラも、今日はテティスやウリナとの漫才で忙しいようだった。あるいは女同士のおしゃべりとは、漫才みたいなものなのかも知れない。
楽しげな女たちの声を聞きつつ、ムデンはお菓子を作り始めた。もっとも半分くらいは、屋台で下処理などをしている。
分かっていなかったといえば、今のウリナやテティスの味覚も分かっていなかった。ムデンはそう思いながらテティスをちらりと見た。人間で言えば一〇歳相当、前と比べて二歳増えているわけだが、思いの外成長している。見た目もさることながら、味覚も育っており、ある程度の苦みも美味さとして許容できるようになっていた。ウリナに至ってはかつて苦い、飲めないないと言っていたアマレットを飲めるようになっている。完全に大人と同じであった。
嫁入りすると告げられたとき、俺はどんな顔をするかな。あるいは相手の男を一発殴るだろうか。
アマレットとは甘いものと一緒に出てくる酒で、これ自身もお菓子のアマレッティと名前が似ていることからわかるとおりに、苦いという意味の言葉である。材料は杏の種を割った中に入っている核、杏仁を使っている。華やかな杏仁の香り漂う酒である。これが甘いものと合うのだった。香りとは裏腹の少しの苦みで舌が初心を思い出し、また甘味を一層強く感じるようになるのである。アルバでは甘味を求めるとかならずと言っていいほど、ついてくるものだった。
今日も、アマレットがある。ウリナの私物である。高価そうな陶器の壺を見て、高いなと思う一方、ウリナの母を思い出す、ムデンだった。
まあお菓子をつくろう。まずはアマレッティである。試作の時は扁桃ではなく、ひよこ豆を使ったが、今回はきちんと扁桃の粉を使う。同じ杯に入れた、という意味で同量のきめの細かい砂糖と混ぜる。重量にすれば砂糖のほうがわずかに重い。それとは別に卵白と砂糖を混ぜて泡立てる。
”混ざれ”
と、魔法を使いながら並行するムデンである。手際が良くなっていた。
そして扁桃と泡立てた卵白を混ぜるのである。このとき深煎りした扁桃を砕いていれることもあるのだが、ムデンはアマレットを少しいれることとした。混ぜるとたちどころに湧き上がる華やかな香り。金貨状に小さく整形してどんどんと鉄板に並べて天火にかけるのである。
これだけでは味に変化がないので、ムデンは二品目を作った。作るのは当然、ジェラートである。前々から作ろうと思っていたのだった。
ジェラートにも色々あるが、今日ムデンが作ろうと思ったのは爽やかな酸味が特徴のジェラートである。
腐乳を泡だて、牛乳から弱めの撹拌をして取り出した乳脂肪を混ぜる。冷やす。また泡立てて、冷やす。これを五回繰り返すのである。繰り返すたびに口溶けが柔らかくなり、角が取れた味になる。ムデンは今日の日はボーラにも怒られないだろうと魔法を使って冷やしていた。
冷やしていると、慌ててテティスがやってきた。
「それは私がやりますから」
今は自分でできると言おうとして、テティスが寂しそうな顔になりそうだと気付いたムデンは、じゃあ頼むかと頭を撫でた。テティスの嬉しそうな顔は、中々に忘れがたいものであった。すぐボーラとウリナがやってきて、協定違反だとか言い出して、狭い厨房がさらに狭くなる。ムデンはもみくちゃにされながら、俺はどうも子供に料理を振る舞うのが好きらしいと考えて、テティスとボーラに頬を引っ張られた。
アマレッティとジェラート、さらにもう一品、ムデンは作り慣れたひよこ豆の粉の焼き菓子を作る。
「もっと塩入れて」
「私も塩っぱいほうが好きです」
ウリナとテティスに言われて、ムデンは言われたとおりにした。今日のこの日くらいはいいだろうという判断である。今日はムデンが久しぶりに、人間で言えば七年ぶりにテティスに料理を出す日だった。もっとも、蓋を開ければお菓子づくりになっていたのであるが。
「できたぞ」
お菓子三種と酒を添えた甘味である。この時代、幼くても酒は飲む。無論現代では忌避されるが、当時は飲料水すら怪しい時代なので、酒は腐らない水として子供にも供されていた。
”ボーラ、試食します! うまー”
「はしたない」
テティスはジェラートに頭を突っ込んだボーラを指でつまんで捨てながら、匙でジェラートを救って食べた。しばし考える。
「なんとも爽やかな味ですね」
「アマレッティも食べてみろよ」
ウリナに言われるままに、テティスはアマレッティを口にした。口の中でほろほろに崩れていく柔らかな感触と、少しの苦み。甘さ。
「これは良い組み合わせですね」
花もほころぶ勢いでテティスが言うと、ウリナは我が事のように笑った。
「だろー?」
「おじさまの料理だから美味しいのです」
テティスはそう言ったあと、ウリナと並んで、うまー、という顔をした。
ボーラはブルを連れて来る。まだ、完全にムデンを受け入れてはいなかったのだった。
”ほら、食べて食べて”
ボーラに言われてジェラートを口にして、尻尾が硬直するほど、お菓子を堪能した。うまーである。
「それでそのひよこ豆の焼き菓子だが」
「忘れてました」
テティスはひよこ豆の菓子を食べて、ザクザクと噛んだ。
「なる、ほど」
「なにがなるほどだよ」
ウリナが食べて目を見開いた。
「甘い、爽やか、そして塩っぱい。これは……」
”無限に食べられますね。リセット、リセットですよムデンさん!”
”言ってることはよく分からんが、そうか”
ムデンはそう思った跡、ブルに、今度は魚をだそうと言った。鱒を脂で揚げようと。
余程嬉しかったのか、ブルはちょっと泣いて抱きついた。あるいは別のことだったのかも知れぬ。テティスはその光景を見てちょっと泣いて自分も抱きついた。仕方ないなあでボーラとウリナも抱きついている。
ムデンはどうしてこうなったと苦笑したあと、難しいことを考えるのはやめた。
英雄その後のセカンドライフ 終わり
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