書籍2巻好評発売中:英雄その後のセカンドライフ
芝村裕吏
第1話 シレンツィオの肖像
注:翻訳に当たって
1)作中パンという表記があるが、本邦においてこの表現が使われはじめたのはポルトガルからの伝来で四〇〇年以上前であり、それゆえ日本語とみなしてそのまま使用した。他の用語については可能な限り明治二〇年までに使われた表記に改めている。
2)作中焼き菓子が登場する場面があり、ここのみ本邦の区別に従いビスケットではなくクッキーとした。またこれにともない和名、乾蒸餅を使わず、そのままカタカナでクッキーとしている。
3)作中で存在する概念のうち、現代では残ってないものについては説明を付した。一方で現代では広く使われている概念、用語であっても作中の時代にあっては存在しないものはあえて書かないように留意している。
日本語版再翻訳にあたって
昭和100年にもなろうというこの時に、本作を翻訳したのは、現代でも通用するところがあるからである。むしろ、現代にこそ読んで欲しいところが、多分に主人公であるシレンツィオ・アガタに含まれている。そう思っている。
シレンツィオ・アガタは歴史に詳しい人物であれば、今日アルバ第二帝国とよばれる時代の海軍提督の名前であるとか、アバロンを発見した冒険家であると知っていよう。しかし、本作はそれらを扱っていない。彼の人生の下り坂、大提督をやめたあとの人生を描いている。さりとてそれはもの悲しい話ではなく、人生の小さな喜びに満ちているように思える。
現代において必要なものは、こういうことではなかろうか。そういう思いで翻訳した。
本作の底本は現在手に入る中でもっとも古い原書32刷版のほか、明治22年、民明書房から刊行された妖精国美食奇行から訳語の一部を拝借した。明治の時代の味わいもまたこの本の魅力ではないかと思ったからである。快く許諾を戴いた関係者の皆様がた、とりわけ東北工業美術大学で教鞭をふるっておられた吉田先生の御遺族に深く感謝するものである。
それでは、シレンツィオ・アガタの長く緩やかな下り坂を見ていきたい。もっとも、読む人によってはこれは下り坂ではないのかもしれぬ。これこそが、新しい絶頂なのだと。
昭和99年12月吉日 w8宰相府の夏の園にて 芝村裕吏
序
母なるシーリア海の青い水面は、こんな晴れた日には煌びやかに輝いていた。空には白い小舟のように浮かぶ雲が点在し、太陽は雲に時折隠れつつも照りつける。北風(ルビ:ボーラ)は勢いよく吹き抜け、風よけで高く作ってある外套の襟をはためかせた。
それはシーリア海の塩気を運ぶ力強い息吹であった。風で波立つ海面は、まるで小さな競争を繰り広げているかのように、せわしなく駆け抜けていく。
建造されてから八〇年、船としては随分と老齢の彼女は、かつては茶を満載して外海で最速を競うこともあったが、払い下げを何度も受けて、今はシーリア海で余生を過ごしていた。波の穏やかなシーリア海なら、老齢の彼女でもあまり心配はしないでもいい。
もっとも、汚水を掻き出す水夫たちが必死に仕事をしているところを見るに、絶対とまでは言えないようであったが……
「こんな平和な海でも指揮をしたくなるものですか」
後ろからのんびりした声がかかる。
苦笑すると
「少しだけさ。船長」
ちなみに、船長も大尉も古代語ではキャプテンである。海でのこの言葉は、ひどく重い意味がある。船に船長は二人といらないのが不文律であるから、この声掛けは奇妙であるとも言えた。普通は相手が大尉でも、一つ階級を落として海尉と声をかけるのが複雑怪奇で有名な船上のルールであった。シレンツィオ・アガタは、あえてそれを破るにたる人物であった、ということである。
シレンツィオはどこか拍子抜けするように微笑むと、もはや水兵も船も見ずに船長を向いて口を開いた。
「でも船乗り人生はもう終わりだ。命令が出てね」
「陸軍……からですか」
「命令を出したのは元老院で、具体的には海軍卿だな。シレンツィオ・アガタのこれまでの功績をもって、コルアブに知行地を与え、男爵に任ず。大笑いだな」
「アルバの宝剣を海から引き上げるなど、憚りながら上は何を考えておられるのか……」
「さてな。まあ、戦争はもうないと思っているんだろうよ」
まあいいさとシレンツィオは言った。シレンツィオこのとき数えで三一歳である。
戦争や伝染病などにより人生が五〇年ほどで終わった頃であるから三一といえば場合によっては代替わりと隠居が許される歳ではあった。
歴史的にはシレンツィオのそれは冷遇、排除と言われているが、命じた方も幾分かは本当にこれまでの功績を称えて領地貴族に引き上げてやったつもりだったのかもしれない。
ただ、海の上で生まれて三一年と自称するシレンツィオにとって、それは随分と酷な話であった。シレンツィオは、揺れない大地で三日以上寝たことがなかったのである。それまでの人生を、すべて否定されたようなものであった。
同じ船乗りとして、船長はシレンツィオの境遇をひどく哀れんだ。実際シレンツィオが港に降りたときには上等なぶどう地酒二本をもたせるほどである。
ぶどう地酒とはぶどう酒を蒸留して作った蒸留酒で、悪くなりにくいので船乗りに尊ばれたものだった。当時はこれだけで安い奴隷が買えてしまうほどの価値がある。
要はそれぐらい船から降りることを、心から気の毒がったのである。普通の船乗りからすれば、領地も貴族位も、どうでもいいことだったのだろう。このあたりはシレンツィオを扱った書物では何度でも出てくるところなので、これぐらいで以降割愛する。
船乗りとして英雄的な活躍により船から降りることになった船乗り、シレンツィオ。たしかにそれは不幸な出来事であったが、最後まで不幸だったとは必ずしもそうではない。
なによりシレンツィオ自身が、一言も嘆きの言葉を残していない。彼が船から降りるとき、歴史に語られるよりも、もう少しだけ微笑んでいたのではないか。
以下この物語はその前提で語ることとする。
それは人生も終わりが見えた人物の、微笑みから始まる再出発の物語である。
船から長い板を下ろし、浮き桟橋に向かってシレンツィオはゆるりと歩いていった。
(1)
アルバという国がある。南北に長い火山帯が作った半島国家であり、この頃貴族を称する商人たちによる合議制で国家が運営されており、海軍も複数の商人たちが私有する小艦隊を集めて連合艦隊(ルビ:グランフリート)として運用されていた。それぞれの小艦隊への報酬は各商人が分担しており、平時は交易などを行っていた。これを武装商船という。海軍が独自に艦艇を持つ前の時代では、このような武装商船が海軍の主力であった。
今日シレンツィオ・アガタという名で知られる人物は、この武装商船で生まれた。海上ゆえにどのあたりで、ということは分かっていない。おそらくはニアアルバだろうと言われている。父母ともに交易商人であり、アルバの当然として、商人であるからには船乗りであった。長男であったが女子相続制故に嫡子ではなかった。
アルバでは鰹の子は鰹という。当然、シレンツィオもそうなった。武装商船の一員となった。洗礼を受けたのは当時としては遅すぎる一〇歳になってからであり、彼の実母は教会が海の上にないのが悪いと言い放ったとされている。彼が公的な記録に名前がでるのは、ここからである。
そんな彼の子供時代は、特に不幸、ということもなかったようである。後の行動を見るに親の愛が不足していたということはなく、海上で縄や帆をおもちゃに自由闊達に育っていたと思われる。
初陣は一二の頃で、海賊相手に戦ったとの記録がある。戦果は書いてないのでおそらくは殺すことも、当然ながら殺されることもなかったのだろう。
以降彼は度々戦闘に参加する。海の上では独立不羈、と聞こえはいいが、この時代の海とは国家の司法権が及ばない、いわば無法地帯であった。
年に何度も戦闘に参加していたので血気盛んと思われるが、同時代の人物が口を揃えて言うに、”静寂”(シレンツィオ)が渾名になるくらいに物静かな少年だったようである。
もう少し詳しく語るならば、この少年は黙ることが苦痛ではなく、また周囲の沈黙を気にすることもなく、同時に言葉を惜しむ傾向があった。
シレンツィオ、本来はピエールという名前なのだが、本人含めてこの名前で呼ぶものは誰もいなかった。アルバ(ニアアルバ含む)は男性名の種類が六種類と極端に少なく、同じ名前が多すぎてだれもかれもピエールであったからである。渾名が名前代わりになる国だったわけだ。
ともあれシレンツィオは母親の腹の中に怒りを忘れてきたと言われるほどの人物で、さりとて笑顔を常に浮かべるわけでもなく、ありていにいって万事にやる気がなさそうな少年であった。家族や親しい人物に言わせると眠そうな目をしていると評されるが、他人から見れば値踏みしているように見えたという。
頭は切れるが態度だけでいえば最低に近かったが、船上の礼儀と地上の礼儀は違うので割り引いた方が良い。船乗りの礼儀とは、複雑な慣例で決められた航路上での交通規則や手旗信号の中にこそあった。
シレンツィオの話に戻る。彼の実家はグラニート家という乾物を扱う中堅商人だったが、アルバとその属領の商家は女子相続が基本のため、長男であろうとシレンツィオには相続権がなかった。このため他家(商家)へ婿養子になる予定であったが、二度も許嫁に死なれてしまい、ケチがついて商家を継ぐのを諦めた経緯がある。
不憫に思った親は士分を買い、かくてシレンツィオ・グラニートはシレンツィオ・アガタになった。老いた老騎士の養子になったのである。この頃の商人の子としてはまあまあ普通の処遇であった。
新たな家名を得てシレンツィオは海軍に入隊した。一六歳の時であった。風の流れ潮の流れを読むのがうまく、軍人より先に船乗りとしてその名を上げた。二〇になる頃にはサルッツォ侯爵ボーナの軍船を任され二五では艦隊を率いていた。アルバならびにニアアルバが成長著しいニクニッス国と激しく戦った西方戦争に従軍し、当時ニクニッス最大の敵とまで言われることになった。この称号はこれより四半世紀ほど先、一人のルース王国の少年が持っていくことになるが、それまではシレンツィオこそがニクニッスの怨敵であった。
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