死の自由
初めて足を踏み入れた時のように子供の声は聞こえてきません。しかしその先に殺気立てた彼女がいると第六感は訴えてきます。
黄土色の地面を踏み進める音を反響させながら、あの四角く切り取られた空間に辿り着きました。古い丸型蛍光灯の光のようにぼんやりした陽光が降り注ぐ中で、ルーテシアは古びたリボルバー式の銃を前に突き出しながら待ち構えていました。
「…………お前らを監視していた。理解者、だと思っていたんだがな」
一発、空に向かって銃声が響きました。見た目の年相応に重く沈む声色。目に掛かるほど長い藍色の髪の奥には光を失った瞳が見え隠れします。
「別に君を牢屋に入れようってつもりじゃない。そちらの思惑を知りたいだけ。そもそも勝手に巻き込んでその態度は無くない?」
「ボクはそこのメガネに聞いている。お前じゃない。どうして口外した。さあ、答えろ」
「私が質問をしている」
まるで時が止まったかのように、聞いた者全員が畏怖で黙ってしまうほどの非情で冷淡な声が木霊しました。私はその声が誰のものなのか理解するまで長い時間を要したと思います。
それと同じくらいの時間だったでしょうか。間を開けてルーテシアは口を開きました。
「巻き込んだ?……いや聞いていない。ボクはフィルトネとメフィと協力しているが、お前らのことはなにも……」
「なら私が寝込んだ原因となった男の事件は?」
「あれはボクが殺した。でもそれ以外のことでは関わっていない」
若干威勢を欠きながら彼女は答えます。狼狽も見え隠れすることから嘘をついているようには感じません。
ですが店主姉妹が私達を巻き込んだ理由の謎が余計にが深まります。フーリエちゃんは更に問い掛けます。今度は少し柔らかい声色で。
「私達は君が静寂従順な死神だと知っている。店主姉妹が私達に何を求めているのか、それを知るには君に聞く以外にない。まぁ殺し屋と手を組んでいるという時点で、君が静寂従順な死神となった経緯に理由があるだろうけど」
長い沈黙が流れました。お互いにぴくりとも動かず、まるで我慢比べ。まだこちらを信用できないのかルーテシアさんはまだ銃を構えたままです。
一体、目の前の少女の過去に何があったのか。どんな考えの元で自殺幇助の行為に走るのか。できるなら全てを知って彼女と対等に話がしたい、そう思いました。
「ルーテシアさん。私はあなたが骨の髄まで黒く染まった悪人だと思いません。あなたは子供達に自由への切符を与えるために勉強を教えてた。この国の現状は
風が幾度か吹き流れて、ようやくルーテシアが重い口を開きました。堪忍したかのように構えた銃も下げました。
「……ボクはこの世での生を諦めた人の手助けをしているだけ。でもそれをお前らは殺人と言って罪にする。唯一理解してくれたのは、あのふたりだけだった。ふたり以外は誰もボクの主張に耳を傾けないか、鼻で笑うか、激しく反論されるか。……ボクには前世の記憶がある」
心臓が大きく突き上げられました。まさか私と同じ世界の記憶なのではないかと、激しく打つ脈を鼓膜の裏で感じながら問いました。
「前世は、どんな世界だったんですか」
「……ここよりもずっと青い、青い空だった。古ぼけた写真のような灰色の空ではなかった。鮮やかな景色で、人々は明るい。自分が前世で何者だったかは分からない。ただ、少なくとも、あの世界はここよりも素晴らしいことは、微かな記憶の中でも理解できる。様々な権利が認められ自由に生き死ぬ世界。ボクはその理想を叶えたい」
「自由に生き死ぬ世界、それを求めているのですか」
「そうだ。下層の人間は貧困や貴族からの圧力に苦しみもがきながら生きている。ボクは居住区48番街の裏路地で産まれた。スラム街で住む場所はあって無いようなもの。食べ物も満足に得られない。唯一の肉親である母親が死んで生きる理由も無くなった。なのに自分で自分の命に刃を突き立てるのは怖い。そんな矛盾の中で気づいたんだ。自分と同じように死にたいのに死ねない、死ぬ勇気が出ない人がいると。ならボクが刃を振り下ろす役目を担わなければいけないと、そう思ったんだ」
吐き出すように言葉を並べ、そして言葉を区切ると深く息を吸い込み、嘲笑するように鼻で笑ってみせました。俯いて僅かに覗く瞳に光はありません。
「…………ま、ボクがバカだったんだ。理解されないと知っているのに期待してしまったボクの落ち度。結局は不自由の無い人間には分からないんだ。死にたいのに死ねない。自分へ向けた切っ先が怖くて寸前で止めてしまう。突き刺せば楽になれるのに、どこかで隠れている生存欲求が泣き声をあげる。死にたいけど死ぬのは怖い。そんな矛盾に嫌気が差して更に自殺願望が膨れ上がる、そんな負の連鎖。どうせお前らも知らないだろう?」
「分かります!!!」
私は叫びました。自分の意思で、彼女の連ねる単語の間に突き刺さるように。だって私も同じだったから。
「私も自殺願望を持っていました。姉、比奈姉がいなくなってから生きる意味を失って、もう死んだっていいやって。死んでしまいたいような人生に意味は無いって。けど怖いんです。痛さも苦しみもどうでもいいはずなのに、
病院にかかれば鬱病と診断されるでしょう。でも違う。ただただ…………生きる意味を見出せない。辛いとか悲しいとかネガティブな感情は無いんです。そしてポジティブな感情も無い。欲求も無い
だから寝るか起きるかの引きこもり生活。ゲーム内のモブNPCの方がよっぽど人間らしい動きをしている。だけど私はそれにすら満たない。
酸素を消費して二酸化炭素を排出するだけ。だったら死んでもいいじゃん――
「分かったようなフリかもしれないけど、でも、これだけは断言します。無責任に生きろという人間が私は大っ嫌いです。負ってきた傷の痛みを知らない人間に同情されるのは、反吐が出ます」
「ならボクの行いも理解できると言うのか」
「苦しみは理解できます! でも、その思想の元に人を殺すのが許されるかは、私には判別が付きません……」
「結局どっちなんだ」
「…………っ」
何も言い返せません。私ができるのは共感だけ。感情を元に先の選択を取るのは苦手だと引きこもりの頃に薄々気付いていましたが、こうして白日のもとに晒されて、やるせなさが胸に突き刺さります。
しかしフーリエちゃんは、やっと理解できたと鼻息を漏らしました。どういうことなのかと私もルーテシアさんもフーリエちゃんを見やりました。
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