第一章 フラッシュモブ 七話


 黒ガウンがいなくなると、潤はさっ、と真也と恵津子、そして佐和を見た。ほんの一瞬のことだったが、小春は目敏く、気が付いた。


「こういう時は、やっぱ多数決じゃないの」

 潤の思惑を、小春は瞬時に悟った。内心で密かにため息をついた。潤はこの一瞬で、彼らにとって最適な発言にたどり着き、不動の流れを作ってしまったことになる。


 小春はその長年に培った力に感心して、ため息をついたのだった。ほどなく、小春は死ぬだろう。


 というのも、佐和はそもそも強く主張する方ではないし、我の激しい恵津子が押し黙っているところを見れば、反対することもない、というところに違いない。真也はおそらくできるだけ合理的な判断を下そうとするのではないか……。


 そうとも、ここにいる全員、多数決を行ったならば、誰が選ばれることになるか重々わかっているのだ。それに対して、反対意見を述べる必要がどこにある? 多数決ならば、自分が殺したという負い目もずっと減る。みんなで決めたという大義名分があるのだから。


 そもそも「多数決にしよう」と潤が言ってしまった後で強く反対すれば、むしろ反感を得ることだろう。結局、多数決となり、小春が選ばれる……という図式が出来上がる……。


 ところで、死が眼の前に見えているというのに、小春にはちっともどうにかしようという気が起こらなかった。それまでと同じく、静観以外の態度を取らず、それはなおのこと、小春の死を確実にするものと思われた。


 沈黙が過ぎた。小春は、いよいよ死ぬのだろうかと思った。

 それを破ったのは、意外にも真也だった。


「潤、流石にそれは、あんまりじゃないか……」真也は声を低めて続けた。「ただの暴力だろ、それは。数の暴力。そんなやり方は、あいつらとちっとも変わらないよ」

 潤は、思わぬ所からの反論だったのだろう、大いに戸惑い、微かに怒りを滲ませた。


「でも、真也さ、じゃ、どうするって? 他にいいやり方あるん? くじとかじゃんけんは、断固反対」

 すると真也は、みんなに小さく集まるように手を招くと、声を一層、低くした。それから、赤ドレスにちらっと視線を向けた。

「なあ、この車内で、あれに従ったままでいいと考えてるひとなんか誰もいないはずだろう。なあ?」

「いやさ、真也、それは無理、無理」

 蛇が這うような、ささやかな声で潤は言った。


「あの赤ドレスは二人で狙えば、確実にいける」

「その代わりに二人は死ぬぜ?」


 恵津子も続けて言った。

「勘定合わんっしょ。一人死ねば良かったのが、二人死ぬってなら」

「いいから、まずは銃、出せよ。確認してからだって遅くないだろ」


 真也の声に、小春も含めた残りは、渋々、銃を取り出した。確かに、全員が持っていた。みんな、銀色の、シンプルな銃。


「数の優位はこっちさ。僕らが一丸でかかれば、みんな発起する」

「でもさ、それで誰もついてこなかったらどうすんの? あたしらむざむざ無駄死にじゃん。実際、みんな傍観者じゃん……うちらだって。だいたい、数の暴力ってなら、多数決も、真也のも、一緒っしょ?」

「だけど、」真也は苦々しい顔をした。「多数決なんていうやり方は、あんまりだ。自分で罪を負いたくないだけの、ずる賢いやり方じゃないか」


 真也は吐くように続けた。「フェアーじゃないよ」

 いつまで経っても、恵津子と潤は必死に多数決を押し通そうとし、真也は頑として頷こうとしなかった。佐和も小春も、ただ黙って見守っていた。


「でもさ、どうにかして決めなきゃ、うちら全員終わりよ?」

「そうだって真也、言いたいことはわかるけどさ、やっぱ無理よ、無理。やるしかないって!」

「そう言うなら、勇気出せよ! 恐いだけだろ? こんな悪行に従ってていいのかよ! 後で死んでも死に切れないくらい、後悔するぞ!」

 すると、明確な足音が聞こえた。


 全員の顔に、戦慄が走った。明らかにこちらに向けて、特徴的な高い靴音が近づいてきた。小春たちは、時間を使い過ぎてしまった。そう、使い過ぎてしまったのだ!


 黒ガウンが、メガホンと銃をくるくる回しながら、やってくる。電車の床を、高く鳴らしながら、歩いてくる。真也と恵津子と潤が激しく、言い合っている。赤ドレスの裾が、電車に揺られている。佐和が、静かに一同を見守っている。


 奇妙なことに、小春の眼前で、真也たちが怒鳴り合っている姿が、黒ガウンの歩く姿が、佐和の静かな瞳が、近づいては、離れた。幾度も、幾度も、振り子のように、ゆらゆらと近づいて、離れていく……。すると、小春自身、まったく何にってかわからないが、腕が……指が、動いた。


 一同、茫然ぼうぜんと見つめるなか、潤は倒れた。小春はそっと、腕を下ろした。


「ああ、済んでるね」黒ガウンは、満足そうに頷いた。


「あんたがやったの」黒ガウンは小春の足から頭のてっぺんにかけてじろじろ眺めた。呆然としている一同を見る。そして、再度、力強く頷いた。

「正しいと思うことをなさい、たとえ世界が丸ごと異端審問を行ったとしても! なぜなら、世界はこれまでずっと誤ってきたのだから」

 それだけ言うと、黒ガウンは颯爽さっそうとガウンをひるがえし、車両の前方に戻っていった。

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