第十七話 婚約破棄① 〜sideシェナ〜

「シェナ・フロー公爵令嬢。君との婚約を破棄させてほしい」


 アルト・ウィルソンから呼び出され、珍しいと思いながら彼の屋敷までやって来たわたくしは、突然そんなことを告げられた。

 しばらく理解不能だったが、ようやく別れ話を言われているのだとわかって猛烈に腹が立ち始めた。


(わたくしをわざわざここまで来させておいて、何ですのその態度は?)


 ウィルソン侯爵令息はわたくしより何段も格下。

 本当なら皇子と結ばれたっておかしくないわたくしが、お父様のわがままをわざわざ聞いてあげて一時的にではあるけれど婚約してやっていたのに。それをあちらから破棄? 信じられない。


「何をおっしゃいますの、ウィルソン侯爵令息。わたくし暇じゃありませんのよ。つまらないご冗談はおやめになってくださる?」


 わたくしは、才能、美貌、地位の全てを兼ね備えた最高に恵まれた女。

 父はこの国の宰相であり、わたくしの婚約者の座など誰もが欲するもの。だというのにこの男は、それを捨てるというの?


「これは冗談でも何でもなく、本気だよ。父には公の場で宣言することを勧められたが、それは君が嫌がるだろうと思い、こうして対面の形を取らせてもらったんだ。

 君が隣国と密通していたことが明らかになった。あるところから手紙が送られてきて、不審に思った父が調べたんだ。そうするとその内容が全て本当だというじゃないか。

 僕だって君を疑いたくない。でも、仕方がないんだ。君の部屋からはケヴィン・ジェネヤード皇太子への手紙の書きかけがたくさん出てきたんだから……」


「まあっ」


 わたくしは、そんなまさかと息を呑んだ。

 隣国ジェネヤードの皇太子殿下にしてわたくしの想い人、ケヴィン様。

 彼との手紙のやりとりを知られてしまったなんて……。目の前が真っ暗になり、はしたなくも床にへたり込んでしまったのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 わたくしが身も心も捧げている方――隣国ジェネヤード帝国の皇太子殿下であるケヴィン・ジェネヤード様。


 幼少のみぎり、とある国際的なパーティーでお会いした時から互いに運命を感じ、惹かれ合った。

 結ばれるなら彼しかいない。そう思っていたのに、ケヴィン様にはわたくしは相応しくないと父が言ったせいで婚約を許されなかった。


 相応しくないと言うのなら、ケヴィン様に相応しい女になろう。

 そう思って貴族令嬢の鑑となるよう今まで励んできた。そして周囲から認められ出すとすぐにケヴィン様とこっそり文通するようになって、『この国をジェネヤード帝国の領土にしてしまおう』ということで一致、ウィルソン侯爵令息と結婚してしまう前――正確に言うと半年後まで――には行動を起こそうと計画していたところだった。


 だというのに、どうしてこの男がわたくしたちの計画を知っている?

 わたくしの部屋には厳重な警備がされていたはずなのに。そうか密偵。密偵を雇ったのか。それなら全て合点がいく。


(面倒臭いことになりましたわね)


 わたくしとケヴィン様の一大作戦を邪魔させるわけにはいかない。

 いかにしてこの男を処分しよう。ああ、それより何より侯爵家に手紙とやらを送りつけた人物も気になる。侯爵令息をとりあえずここで潰しておくとして、その後しっかり対処しなければ。

 でもまあいい。これでケヴィン様と結ばれるのが早くなったわけだ。これ以上、なんとも思っていない男と共に過ごさなくて良くなる――そう思うと思わず笑みがこぼれそうになった。


「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ。しかしわたくしに楯突けばただで済まないとご理解くださいませ。この報復はきっちりとさせていただきますので」


「ああ、それなんだけど」


 ウィルソン侯爵令息はわたくしへ憐れみの視線を向けて、言った。


「君はもうじき貴族としての地位を失うだろう。すでに王家に手は回っているからね」


「……っ!」


 王家に手が回っている?

 そうとなれば話は別だ。わたくしは立ち上がると、ウィルソン侯爵邸から駆け出て馬車に飛び乗り、生家フロー公爵家を目指して馬車を走らせた。




 帰り着いた先、わたくしを待っていたのは炎にゆらめく公爵邸だった。

 わたくしの暮らした屋敷が、昼時に微睡んだ庭が、思い出深い数々の品が、灼熱の炎に焼かれて消えていく。

 わたくしはわけがわからず、屋敷の外でうずくまっていた父を見つけて彼に叫ぶように問うた。


「これは一体どういうことなんですの!? ああっ、公爵邸が」


「先ほど、王家から騎士団がやって来た。我々の貴族籍を剥奪し、国外追放処分とすると……。シェナ、お前はなんてことをしてくれたんだ」


 わたくしの父はこの国の宰相だ。

 わたくしと違って王国への愛着もあるし、国王とは古くからの友人であり信頼されていると聞いていた。だから、こうも簡単に爵位剥奪されるなんて思ってもみなくて、わたくしは目を点にしてたちすくんだ。

 父は獅子のように怒り狂いながら言う。


「お前を裏切り者に育てた覚えはない。私と共に死ぬがいい」


「嫌!」


 わたくしは、ケヴィン様と結ばれる。そのために頑張ってきた。

 だからこんなことで死ぬわけにはいかない。死んでなんてやらない。立ち上がった父に腕を引っ張られ、炎の中に引きずり込まれようとして――。


 気づけば、父を全力で押し倒しその体を持ち上げ、もてる全力を尽くして炎の中に放り投げていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 焼死する様をしばらく眺めていたが、呻き声――断末魔と言うべきなのかも知れない――のうるささに気分が悪くなったので屋敷を立ち去った。


 焼け失せてしまった屋敷にもう未練はない。

 わたくしの幸せを散々邪魔してくれた父は死んだ。だがわたくしの願いを叶えるためにはまだいくつもの障害がある。


 わたくしを陥れたウィルソン侯爵令息や王家の人間どもを消さねばならない。

 そして彼に手紙を送ったというどこぞの人物も、この手で捻り潰す。


 そのためにはまず、ケヴィン様に会いに行かねば。そこで策を練り、早速王国へ戦を仕掛けよう。

 

(たっぷり痛い思いをさせ、わたくしの名誉を汚したことを後悔させて差し上げましょう。後でせいぜい後悔でもすればよろしいのですわ)


 全ての厄介なしがらみから解き離れたわたくしの心は、いつになく軽かった。

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