第十四話 王子の初めての笑顔
絵本の中にでも出てきそうな綺麗な風景だった。
どこまでも広がる青い空。生い茂る緑の中、そよ風で湖の水面が揺れている。そして湖畔の草原に腰を下ろして語らう幼な子たちの姿があった。
当然、その幼な子というのはアイリーンとファブリス王子のことだ。
昼食は道中で買ったパンということになったのだが、ファブリス王子はそれにかぶりつく姿すら美しい。
(写真に撮れるものなら撮って残したいものだわ。カメラがなくて本当に残念……)なんて考えながら、ファブリス王子とアイリーンの会話を聞いていた。
「このパン美味しいわね、まあ、わたくしの作った料理の方が上だけれど」
「また食べさせてほしいな、君の手料理」
「もちろん。ファブリス殿下の食べたことのない料理がきっとまだまだあるはずよ。その時を楽しみにしててちょうだい」
料理のこと。たまにでいいから公爵領に来てほしいこと。いつか二人で馬に乗って競争しながら走りたいと思っていることなどなど、アイリーンは次々に話していく。
目をキラキラと輝かせる彼女に相槌を打つファブリス王子の表情は、なんとも言えない……強いて言えば何かを噛み締めているかのようなものだった。
「ファブリス殿下、何を考えていらっしゃるの?」
「……ただ風が気持ちいいなって思ってたんだ」
「そうでしょう! 王宮に引きこもっていてもこの爽快さは味わえないものね」
確かにこの湖畔で過ごすのはとても心地いい。今後の諸問題なんてどうでも良くなってくるくらいに。
もちろんそんなことを言っていられないのはわかっている。わかっているけれど、そう思えてしまうものは仕方ない。
いつまでもこんな風にしていられたらいいのにと馬鹿なことを考えながら、私はここに来てはじめて口を開いた。
「楽しんでもらえてるようで良かったわ。私、こんなことをしたら王子様に嫌がられるんじゃないかと不安で」
「嫌がったりしないよ。本当はずっと、こうしてみたかった」
私的にはアイリーンの行動は過激なところが多いと思うのだけれど、同じ子供であるファブリス王子にしてみれば好き放題遊びたいのはごく自然な話だ。
彼が遠出の機会を得られたのはアイリーンのおかげ。そう考えると、アイリーンが彼の元を離れるのは彼のためにも良くないのだろうか。
せっかく喜んでくれたのに彼に悲しい思いはさせたくないなと思った。
アイリーンが処罰を受けないようにうまく立ち回ってどうにかすれば、再び二人で出かけるという機会も得られる可能性もなくはない。
(具体的な案は思い浮かばないし、アイリーンに代わって誠心誠意謝罪することくらいしかできないけれど――もしもそれで許されたとしたらまた連れてきてあげたい)
「さすがに今回はやり過ぎだから本当に申し訳ないけど怒られない程度なら……」
来てもいいかも知れないわね、と続けるつもりだった。
しかし次の瞬間には喋るつもりのない言葉を話していた。
「いいえ、これからもどんどん楽しいことしましょう、ファブリス殿下!」
言うまでもない。アイリーンだ。
またやられた。
ああ、しまった。叶えられるかわからない口約束をするはずではなかったのに。
その言葉を受けたファブリス王子は「うん、そうだね」と小さく頷く。
すっかり本気にさせてしまったらしい。
こうなれば責任を取って駆け落ちも夜逃げも諦めよう。捕らえられるならそこまでだ。
絶対この口約束を果たさなければならなくなったと、唇を噛みたい気分になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんなこんなありつつも、昼食はなごやかに進み、やがて終わりを迎えた。
たらふく食べたアイリーンは満足げにお腹をさすりながら立ち上がる。
「そろそろ帰りましょうか。急いで。このままゆっくりしてたら日が暮れるわ!」
なんとも忙しない。けれど確かに、もういい時間だ。
近くで待たせていた馬に乗って、静かな湖畔を出発することになった。
「楽しかった。君といられてこんなに幸せだと思ったのは初めてだよ、アイリーン。ありがとう」
満足そうににっこりと微笑むファブリス王子。
それをアイリーンと一緒に振り返りながら私は気づく。それが初めて目にする彼の笑顔であることに。
幼いイケメンの微笑は、それはそれは美しく、鼻血が出そうなほどに破壊力の高いものだった。
「そんな顔もできるのね。なかなか悪くないじゃない」
呟き、アイリーンがニヤリと笑う。
私はファブリス王子の顔面に視線が釘付けで、ほとんど聞いていなかったけれど。
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