第九話 無自覚にやらかす悪役令嬢
「お父様、ファブリス殿下をご招待したいの。わたくしの手作り料理をもっと食べていただきたくて……。以前はその場で食べていただけなかったから」
アイリーンが口を開いたのは、屋敷に帰ってから数日後のある夕食の席でのことだった。
ファブリス殿下をライセット公爵邸へと呼び寄せる口実にアイリーンが使ったのは、手作り料理。
彼女はここ数日、次にファブリス王子に食べさせる料理や菓子をを試行錯誤しながら作っていた。もちろんレシピを教えるのは私だが。
(まさかこのタイミングで言い出すとは。全然その話題に触れないから忘れていたのかと思ってたけど、しっかり考えてたのね)
これでまさか本当は王子へ筋トレを課そうと企んでいるなんて誰も思わないだろう。ちょうどいい言い訳と言えた。
「殿下に食べ物を振る舞うのは……」
困り顔をして唸るライセット公爵。
しかしアイリーンは少し渋られた程度では当然引き下がらなかった。
「いいでしょ、それくらい。今度はしっかり味見係を連れて来るようにお願いすればいいんだわ。そうしたらファブリス殿下に安心して食べていただけるでしょ?」
「殿下にご来訪いただければ我が領の名産物が広く知られる機会になる。しかし子供同士の戯れならともかく招待するとなれば大問題になりかねないのだ」
「つまらないこと言わないで! ここは毎日頑張っているわたくしの言うことを聞いてくれるべきなんじゃないかしら?」
相変わらずのワガママっぷりを隠さない口ぶりのアイリーン。
彼女が折れないとわかったのか、やれやれと公爵がため息混じりに言った。
「わかった。王家に手紙を送ってみることとする。断られたらそれまでだからな」
「それくらい承知してるわ! ……まあ、来なかったら来なかったで考えはあるけれどね」
ぼそりと口の中で呟かれたその言葉を聞き逃さなかったのは、おそらく私だけだ。
一体どんな考えなのだろう。心配で仕方なかったが、幸い、ファブリス王子からの返事はすぐにやって来た。
届いたのは金銀の装飾が施された小さな封筒。そこに入っていた便箋に、蚯蚓ののたくったような――おそらくこの世界あるいはこの国での一般的な文字で、お茶会の時の菓子を食べて美味しかったという旨、そして『君の料理に興味を持ったからぜひ伺わせてもらうとするよ』と書かれていた……らしい。
「文字まで綺麗なのはさすがだわ!」
「アイリーン様は多分下手くそですよね、文字」
「…………さあさあこうなればしっかり準備を進めていかなくてはね! ご馳走の前に運動がいいかしら、それともあとがいいかしら。とにかくビシバシやらないと!」
勉強関連の話はアイリーンに見事なまでにスルーされ、強引に話を進められる。
仕方ない。今はとりあえず、ファブリス王子との問題を優先させよう。
「筋トレのメニューは私が考えますからね。やり過ぎたら怒りますから」
「はいはい」
なんと信用し難い返事だろう。苦笑しか浮かんでこない。
そんなこんなありながら、私は――私たちは、ファブリス王子を迎えることになったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「数日ぶりだね。まさか君に招かれるとは思わなかったよ」
「わたくしのお菓子を気に入っていただけたようで何より。今日はたくさん用意してあるから、楽しんでいくといいわ」
屋敷に訪れたファブリス王子は、相変わらず輝きを放って見えるほどに美しかった。
アイリーンはまず彼を食堂へ案内。事前に海鮮物を取り寄せて作った刺身料理やら味噌汁などをご馳走し、ファブリス王子を驚かせた。
彼の従者が味見をしたあと、ファブリス王子も料理に手をつける。
「見たこともない料理ばかりだ。そして味もとてもいい」
「そうでしょう? わたくしの料理の腕はなかなかなんだから!」
一部私が手伝っているからだとは言えないし言わない。
どれほど食べて過ごしていただろう。ファブリス王子が未知の味覚に夢中になり、ほとんど無言で食事が進んだのでよくわからない。
そして彼が食べ終えると同時、アイリーンが満面の笑みで問いかける。
「ファブリス殿下、満足した?」
こくりと頷くファブリス王子。その仕草まで可愛い。
しかし私はこれからこの王子に苦行をさせるのだ。させなければならなのだ。
「なら早速わたくしの部屋へいらして。少し教えたいことがあるの!」
「教えたいこと?」
「来なさい」
きょとんと首を傾げるファブリス王子の疑問に答えることなく、彼の手を引いて、アイリーンは二階にある自室へと駆け出した。
そこから始まった筋トレ大会。
ファブリス王子としてはどうしてこのようなことをさせられているかと思っているだろうが、食べ過ぎた分を痩せるためと言ってどうにか誤魔化している。
腹筋五十回、腕立て伏せ二十回。それからスクワットが十回……という計画だった。
しかし。
「あーもうつまらないわね、これ!」
(言い出しっぺがそれを言うか……)
アイリーンは秒で飽きた。
ファブリス王子はといえばひぃひぃ小さく悲鳴を漏らしながらも頑張ってやり続けているというのに。
ダメだ、こういう流れは絶対何かやらかす気がする。
今は私が体の制御権を握った方がいい――そう思った時には遅かった。
「時間かけているのも面倒臭いし、もっと厳しくしないとね。ファブリス殿下、いくわよっ!」
そう言ってアイリーンは今にも潰れそうに腕立て伏せをするファブリス王子へ一っ飛び。
そして彼の背中に着地した。
「ぎぁっ……!?」
「ちょっと何してるんですか!」
ファブリス王子と私の悲鳴が重なる。
アイリーンはどちらかといえば小柄な方だ。でも、纏っているドレスはそれなりに重いし、そうでなくても軟弱な彼が耐え切れずに崩れてしまうのは当然。
「弱っちいわね。わたくしならちょっと背中に乗られたくらいじゃなんともないのに」
危機感のないアイリーンは、自分が何をやったのかわかっていないらしい。
筋トレは即時中止され、ファブリス王子は部屋の外で待っていた従者によって連れて行かれた。
ファブリス王子の強化計画はあっという間に破綻した。アイリーンが潰した。
たとえ悪気が一切なかったとしても王子の背の上に乗るようなことが許されるはずがない。
それを彼女はやってしまったのだ――。
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