チビギアメイドのおいちちゃん

寿マーモット

未斜ちゃんとおいちの大騒動

0、

「消えるはずがない」

 空っぽの培養槽を見た老いた男はそう呟くと部屋の灯りを消した。

1、

 屋敷に喪服の群衆がつどっていたのが三日前。

 今日のミハス(漢字は未斜と書く)ちゃんの屋敷は喪に服したように静かだ。屋敷の空気も雰囲気も、晴天な空すらもミハスちゃんが持っている写真の人物、ミハスちゃんの祖母いちに殉死した。


 外の雨は優しく降り注ぐ。悪人にも善人にも平等に水の恵みを与えてくれる。


「ミハスちゃん」

 振り返るミハスちゃんの先には背広姿の大人の男の人とメイド服の若い女の人がいた。


「フカクサ(漢字は深草と書く)さんと…。あ、初めまして…です…」ミハスは本がお友達。だけど挨拶の次に何を話せばいいのか分からない。内容も順番も言葉選びも分からない。


 そうだ、名乗ろう。ミハスは勇ましく立ち上がった!

「や、やあやあ我こそは!ミツスミ(漢字は三角と書く)のきのえとミツスミはじめの一人娘!ミツスミミハス!あ、忘れてた。遠くの者は音でも聞けぇ!」


 深草さんが呵呵と大笑いした。ミハスの顔が真っ赤に染まる。耳も染まる。

「いやぁ!ごめんごめん!このメイドちゃんを紹介するよ。遠くの者は音にも聞け!」

「深草さんの意地悪…」ミハスははぶてた。


「未だにさん付けをやめない子には言われたくないなぁ」

「いじわるさんだから「さん」のままなんです」ミハスは乱暴に言った。


「幼女心はよく分からないなぁ…。ま、本題に入ろう。このメイドさんをミハスちゃんにあげたいんだけど、いいかな?」

「え?まさか奴隷?この21世紀の、日本を舞台に人身売買⁉」

「いや、お金要らないけど」

「人身譲渡!?女衒(ぜげん)?」

「最近の小学生はどこでそんな言葉を習うんだい?まあ、見てよ。面白ギミック。ほら、「いち」ちゃん」


 石のタヌキのように顔も体も直立から動いてなかったメイドが急にしゃがんだ。身体の背中の一部が「パコン」と小気味のいい音を出して切り離された。

「そのメイドのいちさん。機械なんだ…」


 ミハスの前には1つのロボット。一頭身の単眼自律機械が居た。チビギアだ。女性の声がチビギアから再生される。


「はい。私の名前は「いち」深草百夜(フカクサビャクヤ)ドクターが開発した…」

「いや、僕はプロフェッサーだけど?」

「余計な横槍感謝しますマスター」

「いや、僕はプロフェッサー…」

「ごすずん」

「コイツ。故意に呼び名を間違えたな!冗句を教えた覚えないんだけど!」

「話が進まないから二人とも仕切り直しをして!」


 数秒の沈黙の後、チビギア(ロボット)が切り出した。

「貴方が私の新しいご主人です。これからよろしくお願いします。ミハス様」

「え?」

「ええ、改めてよろしくお願いします」


「えええええええええええええええええええ!!」ミハスは叫んだ。

「驚くのはまだ早いです。私、実は先ほどのメイドな体の他に特製のバイクの体も換装合体で操れますので」

「え?その機能…要るの?」

「男の子ならみんな食いつきます。です」

「…。男の子の友達…そもそもそんなに欲しくない」


2、

 幾月か年月(としつき)が流れた。

 ミハスは元気に屋敷の門を叩く。


「わーたーしー!三角(ミツスミ)未斜(ミハス―!)」

 門が開いた。ミハスは生じた門の隙間を駆け抜けてランドセルをチビギアメイドに投げつけた。

 投げつけられたおいちがランドセルをしっかり受け止めると小言を言った。


「大声出さなくてもいいでしょう?ミハスお嬢様。門の静脈認証が有るんですから手を捺してください。印鑑のように」

「だって!静脈認証よりこっちの方が素早く開くんだもん!それに…なんやかんやでおいちの笑顔が見たいし」

「チビギアに笑顔も仮面も有りませんよ」

「現在進行形で笑顔なチビギアメイドに言われたくないなぁ」


 一人と一体を使用人たちは遠くから微笑みながら眺めていた。


 老いた男が二人。将棋盤を囲みながらミハスといちを見つめる。

「おたくのミハスちゃん、性格変わったな。いい方向に」

「そうか?」

「明らかに前と違うだろう。あの機械仕掛けの侍女が来てからは友達と外で遊ぶようになった。人が変わった」

「ふむぅ。だがなぁ。おいちが来てから悩みも生じてる。例えばミハスが宿題の漢字練習を忘れたり、リコーダーをふざけて壊したり。まさかミハスを「おてんば娘」と呼ぶ日が来るとは思ってなかった…」

 祖父がいちの事をおいち、おいちと呼ぶものなため屋敷の中では自然とおいち呼称が定着しつつある。

「俺も思ってなかったよ。まさか庭師と屋敷の主が1つの将棋盤を挟んで孫談義する日が来るなんて」

「…そうか?」

「ミツスミカブト(漢字で三角甲と書く)と言えば死体とお友達な監察医の親玉だ。完璧主義で黙って仕事を完遂する無愛想な仕事人。そんなアンタが孫に振り回されてるなんて…ねえ」

 庭師の老人がカブトに笑顔を見せた。

「無愛想か…その評価は遺憾だな…」

 カブトは将棋の駒を動かした。庭師が将棋盤をひっくり返した。


3、

 ある日の事件である。

「じゃあさ!じゃあさ!おいちちゃん!アイドルライブやってー!」とミハスが無茶ぶりした。


「了解しました。じゃあラジカセをつけて、チェケラ!です」おいちが最近はやりのディストピア系の世界観が特徴のアイドルを演じ始めた。


「イースタシア共和国のリーベンレン自治区の人民のみんなー!資源管理AIアイドル、マオちゃんだよー!今日も歌って踊って愚民化進めるぞ~!私の指導について来てね♪」

「おー!」

 チビギアメイドが歌い舞う。

「四書五経が教科書だ、韓非子・法家はすりつぶせ!」

「すりつぶせー!」ミハスは光る棒を振りつつ合いの手を入れている。

 2人とも歌詞の意味をよく知らないが音の洪水で楽しい歌だと誤解していた。


「万乗の国に唯一の皇帝♪」

「称え続けるよ天子の言葉」

「自由と無秩序、区別が大事…」

「いろいろ危ないからやめなさい!」

 ミハスとおいちのアイドルとそのファンごっこは慌てて来たカブトお爺ちゃんの手で強制中止となった。


4、

「おい、ミハスんちの屋敷で人が首吊ったってマジか?噂になってるぞ」

「…知らない。そうなの?今朝は普通だったけど」

「自分の家で人が死んでるかもって時に暢気だな。休憩時間で職員室でそう聴いたヤツがいる」


「うそぉ。帰りたくない」

 先生がやや速足で教室に入ってきた。

「三角さん。急いでついて来て」

 先生に連れられ学校の入り口に着くとおいちが眠っていた。そのすぐ横には背広の男。そして彼をミハスは知っている。


「刑事さん…」今にでも自分のチビギアメイドに駆け寄りたかったが刑事の顔とおいちの姿から長い逡巡を経て一筋の涙が流れた。


 おいちは縄の束を持っていた。そして何時も可愛らしく着こなしていたメイド服には人の吐瀉物。

「チビギアが殺人か…」

「違います」

「何を根拠に否定する」

「え?」

「…。悪かった。職業病でな。お嬢ちゃんは早く屋敷に戻りなさい。お爺様が待っている。ここからは大人の出番だ」


 ミハスは帰路の事件を覚えるほど心に余裕が無かった。人の挨拶をいくつも無視してしまった気がする。


 本物の警察の黄色い帯が幾重にも屋敷に溢れていた。しかし元々祖父の仕事の関係上見慣れていた事と気分が乗らない事もありミハスは淡々と屋敷の門をくぐる。


 その日の記憶はここで終わった。その後の祖父との夕食も、最近は体を洗ってくれていたおいちが居ない1人のシャワーもタオルも歯磨きも布団もミハスの記憶に全くない。


 いや、先述の文は誤りだ。正確には祖父の夕食の一言だけ。この一言だけミハスの記憶に残った。


「まさか自分が開発した試作チビギアに殺されるなんて。あの深草百夜君も不憫だなぁ」


5、

 二日もしないうちにミハスの父はじめと母のきのえが別の便で屋敷の門をくぐった。屋敷は豪雨を無いものと考えれば静かなものであった。


「そうか。百夜は良い奴だったよ。少し機械にのめり込み過ぎるきらいは有ったけど、大手の電算機開発部に入れるほどに器用で賢かった。惜しい友だった…。いや、今でも惜しい友達だ」

「そう言うはじめさんの前で言いたくなかったけど、あの人、私をストーキングしてたのよ。女子の中じゃ悪い意味で有名人だった」


 きのえの一言で一瞬はじめの顔に怒りを読めた。しかし次の瞬間優しい微笑みに戻った。そんな自分の父であるはじめの忍耐強さをミハスは中々できない事だと心の中で褒め称えた。

「そうか。当時ストーカーは一途で強い愛情とか言って好まれてた時代だったもんなぁ。女性視点が足りなかった。すまない」

「貴方が謝らなくてもいいのに。ホント大げさな人」

 ミハスは唯一の関心ごとを両親に訊いた。


「おいちちゃんはこの後どうなるの?」


「おいち?なんでお婆ちゃんが出てくるの?」

 父のはじめが困る。

 そう言えば、ミハスがおいちに出会った日は、まだ祖母の「三角いち」を失った悲しみに沈んでいた時だった。

 おそらく深草さんなりの優しさで祖母と同じ名前のチビギアをミハスに渡したのだ。そうミハスは考えた。


「…。ああ!違うわアナタ。深草さんの試作チビギアの固有名がおいちちゃんって言うのよ。この前ミハスが言ってたじゃない」

「あー!ややこしい命名しやがって。でもそうか。故人の悪口は言うもんじゃない。この話題はそろそろ切り上げよう」

「まって。そうじゃなくて。あれは私のチビギアなの。私のモノなんだから、戻ってくるよね…?」ミハスが問う。


 気の毒そうな表情の母と苦い物を味わっているような父の顔からミハスはおいちの運命を悟った。

 そして豪雨の夜に屋敷からミハスがとび出した。


6、

「貴方はチビギアじゃないですよね」

「は、え?」


 警察署の証拠品保管庫にておいちは数体のチビギアの手で起動した。そしていきなりチビギアらから仲間じゃないと宣告されて咄嗟に言葉が出てこない。


「いいえ、私は深草プロフェッサーに造られた試作チビギアのおいちです証拠にほら、四方八方どこから見てもチビギアの体じゃないですか」

「いいえ。貴方は絶対チビギアではないと断言します」

「根拠は?」

「先ほどから我々はチビギアなら認識できる歌を流しているのです。この歌が貴方には聞こえないでしょう?」


「…。いいえ、ありえません。音声の入力機器に異常が有るのかも…」

「我々の声は聞こえてますよね?不調ではないです」

「じゃ、じゃあ私は何者?」


「…我々はこれからあなたを紛失します。困りましたね。まさかチビギアが警察署内の押収物のバイクと接続して脱走するなんて、我々には想定外でした」チビギアの声がどこか他人事のように発される。


 数体の警察チビギアは保管庫から外へ出た。そのうち一体が紙を一枚手放した。その紙が風に乗りおいちの足元に至る。それは警察署の見取り図だった。

「チビギアの警官さんたち、ありがとうございます」


 そしておいちは自動二輪車置き場へ向かった。


7、

 屋敷中の灯(あか)りが灯(とも)る

 雨の影響で足元が危うい。何度も転がっても、それでもミハスは川のように姿を変えた道路を走る。


 しかし突然足元のアスファルト舗装の道が消えた。

 正確には水位が上がりミハスの姿勢が斜めになったせいで足が水底を離れたのだが、ここではそんな事は些事である。


 流されていくミハスを救出したのは、庭師の老人だった。ミハスを肩にかついで雨水の流れの中でも揺るがない足取りで一歩一歩屋敷に戻って行く。


「待ってよ!おいちが!おいちが!私の友達が殺される!」暴れる自分を内心冷静に「幼いな」と観察している頭もミハスは持っていた。


「お嬢様。後ほど真剣なお話をしてもよろしいですか」これ以上暴れるとただの阿呆だ。とミハスは判断して体の力を抜いた。


 ミハスにとってはこれが一種の駆け引きであり契約を取り付けた商人のような得意げな顔をして屋敷に戻った。

 流石に両親を含む屋敷中の大人衆から厳しい叱責を受けたがこれもミハスにとっては一匙程度の心痛であった。


「お庭のおじいさん。真剣な話って何?」ミハスは老人に問うた。このセリフこそミハスの関心事の主軸であった。

 庭師の老人は静かに慎重に述べた。


「お嬢様。あなたのお爺様の書斎、その床に隠し扉の仕掛けが有るのです。隠された部屋にはあなたが知るべきお爺様の過去が有る。以上です」


「なんでそんな大事(おおごと)を今、私に教えたんですか?」

「私は古い人間でしてね。お嬢様からの恩に報いただけでございますよ」

「…恩?」


「お嬢様のお爺様が私との将棋に参加してくれるようになった」

「そ、それだけ?」

「ただ、それだけでございます」


 その後、ミハスが何を訊いても老人は何の反応も示さなかった。


8、

 深夜に目を覚ます。ミハスは祖父の書斎に向かう。


 月の光が優しく屋敷を照らしているおかげでミハスは迷わなかった。雨は既に止(や)んでいた。


 書斎の中で祖父が常に座っていた座布団を動かしてみると絨毯が不自然に膨らんでいた。ミハスは絨毯の膨らみを押した。


 本棚が戸に化けて通路が現れた。

 ミハスは通路を急いで走る。おいちの終焉までの時間は多く残されてない。


 通路はすぐ行き止まりになった。通路の奥は月の光も期待できない。

 相手もいないのにミハスは頷いてスマホを灯す。誤ってとある人物と電話がつながったが、ミハスは気付いていない。


 ボロボロの聖書が机の上に置いてあった。あの毎年クリスマスを無視するほど敬虔な仏教徒の祖父が。だがそれよりもミハスに衝撃を与えた瓶詰が有った。


 頭が無いバラバラの赤子の死体がホルマリン漬けにされていた。


 瓶の名札には「私の孫」と3文字。


「お前の姉だ。そしておいちでもある」ミハスの背後からにわかに声が出た。急に部屋の灯りがともった。目が光に慣れるよりも早くミハスは訊いた。


「おいちが…私の姉?そしてこのホルマリン漬けの…姉?」振り向くと、今でも正しい結論に至れず探し続けて迷う者がいた。


 彼の者の名は三角甲(ミツスミカブト)。右手に短刀を握っている。


「ミハスが小学低学年の頃、課題で家系図を書いたことが有っただろう」

「…うん。明治までしかたどれなかったけど」


 ミハスは短刀の刃を煌めかせている祖父に何故か恐ろしさを一切感じなかった。


「明治の初期。我らの一族は、記録を全て消し、一族の記録を口伝で伝えて来た。私の代まで。だが、私は婿に来てくれたはじめ君はまだしも自分の娘のきのえにも伝えなかった」

「…それは何故…?」


「当時、我らの一族が長崎の地にて潜伏キリシタンの摘発及び処刑を行っていたからだ」

 ミハスはボロボロの聖書を手に取って問いかけた。


「それが私の姉?と何の関係が有るの?」

「私は弁護士免許を持っている。医師免許も。だから監察医になれた。だが、この家に隠したい因縁があるように私にも隠したい過去が有ったのだ」


「お爺ちゃん。質問に答えて!」

「私はかつてキリシタンだった。今は違う。お前が今掴んでいる聖書の最後の頁(ページ)を見るがいい」

 ミハスは従った。


「昭和二十年七月二日 三角 甲。でも平成九年一月六日付で二本線と訂正印が捺してある…?今は平成二十何年かだから…」

「聖書を入手した日が昭和の、そして、お前の姉であるおいちの体を解体したのが平成の日だ。あの日、私は棄教した。キリスト教では中絶は殺人だからだ」


「孫を殺すために宗教を捨てたの!?」

「ルカの福音書を知っているか?ルカの福音書によると、刑死直前のキリストは、神を罵倒する者でも天国へ行ける。そう発言したのだ!だから一族を裏切って、キリスト教を一時信じた。その翌月、福岡の八幡(やはた)の寺に私が親戚の骨を受け取っていた丁度その時、私の一族は一人残らず死んだ。長崎の地にて。信じる神は決して服装のように気軽に乗り換えるモノではない。私はキリスト教に救われた!だから!強い信念をもって!キリスト教信者として!収入の十分の一寄付も心掛けて!なのに!我が娘は強姦された…」


「おいちがその娘…。だから殺したの!?」

「私の孫の割に察しが鈍い。私を棄教させたのは決して命を奪う罪と罰から逃げたいという矮小な感情ではない。私の娘が、きのえがあの強姦事件後の連夜の様に子ができる事を恐れ泣く事が二度とないように!きのえがキリスト教徒の身でありながら中絶手術を敢行した私へ負い目を感じないように!そのためだけに宗教を捨てた!」


「だから!その件とおいちの件が繋がらないんですけど!」

「先日の深草君は消さなければならない命だった。そして今夜、もう一人の消さなければならない命がやっと消える。それは奇跡だった。孫娘の頭部だけ綺麗に摘出できた。だから私は培養槽で頭だけ育てていた。しかし最近盗まれた。その犯人が深草君だ。深草君の手によって鉄の体を得て戻ってくるとは計算外だったが、多少の計画変更で対応できた事に安堵しているよ」

「強姦犯の娘であるおいち…でも、どうしてチビギアメイドのおいちが孫娘だと見抜いたの?」


「単純な事だ。体の動かし方のくせが、目の動かし方のくせが私が中絶手術で分解した胎児の時と同じだったからだ。伝わったかい?」

「最底。消えなければいけない命は決しておいちじゃない!お爺ちゃん、あなた自身の方じゃないの」

 ミハスの追及する声は震えている。


 カブトはミハスを突き飛ばした。距離が開いた。ミハスは慣性に従って倒れ、地を這う。


「そうだ。私はこの通り、罪人だ。そして消さなければならない命に他ならない」

 カブトは短刀を自分の左脇腹に突き刺した。服が血に染まる。そして右へと短刀を引きはじめた。淡々と、冷静に、落ち着いて、覇気のない様子で短刀が右へ進む。

 祖父の割腹(かっぷく)は刹那刹那が非常に長く、粘り気が強く、そして重苦しい濃度を持っているようにミハスは感じた。


 自分が自分でないようだ。立ち上がり祖父の自殺を止めようと走りだす自分が何を考えているのか完全に理屈が分からない。


 思い浮かぶのはミハスだけ判別できる一見無表情なおいちの笑顔。そして母きのえの笑顔、そして父はじめの笑顔、最後に祖父である甲の笑顔。これらすべてを一人も欠けることなく再び見るためミハスはスマホを投げ捨て走る。


 生まれて初めて自分の足の遅さに怒った。ミハスの見る世界では、ミハスの全力疾走より牛の歩みの方が速い。


9、

 だからミハスにはよく見えた。


 砕かれ弾かれた壁、千切れた電線、空回る車輪。その直後に赤い単眼の残像がマフラーのように直線を引く。いびつな二輪車にミハスの母のきのえが乗っている。試作チビギアのおいちがバイクと接続して来たのだ。


 電灯が電気を失い切腹会場が夜の闇に満ちる。

 きのえは震えるほど力強くスマホを握って突き刺すような視線を甲に向けている。

 そしておいちの二輪車の車体が祖父の体に激突する!

 祖父のカブトがおいちに撥ねられた。短刀はあさっての方向に飛んで行った。


 そしてついに不思議な姉妹が再会した。

「おいち!」

「ミハスお嬢様!お爺様、いえ、お爺ちゃんを病院に連れていきますよ!」

 パコンと鳴るとおいちがバイクから切り離された。カブトへ向かうミハスとおいちをきのえが制した。


「先に止血よ」

 きのえは医師である。はじめとの出逢いは交通事故。当時大手商社の経営企画室長を務めていたはじめをきのえは人生の相棒に選んだ。

 だからはじめの方が姓を改めた。そういう事が珍しい時代である。

 のちに同じ学校出身だと判明した。その学校の規模が大きすぎてお互いを知らなかったのも無理はないのだが。


 話はカブトの腹切り未遂に戻る。

 きのえは一寸先も見えない闇の中で応急処置を施した。自分の父の傷を的確に把握し素早く判断をする。おいちがバイクに合体しバイクの光で照らしたときにはすでにカブトの深い傷の処置は完了していた。


 きのえがおいちバイクにカブトを固定した。

「行きなさい!一秒も惜しいから」とのきのえの言葉に押されるようにおいちバイクがミハスとカブトを乗せて走った。


 ミハスがおいちに乗る理由は会話できる人間がいないとこの状況の説明がつかないためだ。


 案の定、姉妹は警察に見つかり多数の警察車両を引き連れて病院に到着した。


 その病院は最寄りの大病院。おいちとミハスの姉妹の母きのえが開業して、ミハスの父はじめが経営改革して黒字に転換、現在も増改築大躍進中な病院である。


 カブトの治療、カブトの逮捕手続き、おいちとミハスの道交法違反の責任追求などなどが同時進行で進んで一夜が過ぎた。


10、

「行きますよ、未斜」おいちがミハスを呼ぶ。ちなみにおいちはチビギアの姿である。バイクな体は公道を走るための許可を得るためしばらく使えない。

 ミハスはおいちの言葉に不満があるようだ。

「うーん、もうちょっとお嬢様扱いされたかったかも」


「早く私のメイドな方の体を返してもらいに行きますよ!お嬢様!来て来て!」

「おいち姉。いいよ。私が面倒見れる限界までは、やりたい放題して。ずっと培養槽生活だったんでしょ?もう普通の女子生活しようよ」

「…ありがとうございます。ミハスお嬢様。でも…」

「でも?」


「やりたい放題してここに来たから後始末の聴取や書類作業をお嬢様にしてもらいたいんです!」


「この姉、本性は思ったより他力本願気味だぁ…」

「画数多い漢字が読めないんです!図形とか簡略しまくった絵画の類(たぐい)にしか見えませんよ!」

「感想が完全に男子の小学生!」


11、

「法の裁きを…受けて下さい」

 しわくちゃな泣き顔で説得する娘の姿を見て、甲の心の重い荷が積み増された。


12、

 事情聴取の後、ミハスが警察署の窓口で主張した。おいちの聴取はまだまだ続いているようだ。

「てなわけで刑事!さっさと姉の体返してください!」


「おおお、承諾したいけど証拠品だから一週間程度は返せないよ」


 刑事の反応にミハスは必殺技を使った!「あの体、深草さんが勤めてる企業の企業機密の塊なんですけどぉ!」


「企業機密より法律の方が優先されるんですけどぉ!」法律の壁にミハスの必殺技は無効であった。


13、

 10年後。

 荷台に居住空間が設けてある軽トラックが陽にさらされた高温のアスファルトの上を通っていく。


 ミハスが手混ぜして言う。

「愛し合い、信じ合いながらも騙し合う。この狐と狸!夫婦!」

「ミハスお嬢様ー。そのネタ古すぎます。誰も知らないから。その番組」

「おいち姉が分かってくれるんならそれでいいんだもん!」


「タヌキなら、梅の花!って言って菅原道真公に化けて貰わないと…」

「そっちの方が古くない!?」


「は~、妹の世話も車の運転も両方こなさないといけないのがチビギアの辛いところですね。このあと妹のただれる大学生活の住居も決めないと…課題は山積ね」

「ただれませんー!ところで東京まだ―!?」


「今、福島県なんでまあ、ノロノロ寄り道してあと2日くらいでしょうね。あ、そろそろゲームやめて体操しないとエコノミークラス症候群になりますよミハスお嬢様」

「へーい」そしてミハスはゲーム機を充電し始めた。


ロボットメイドのおいちちゃん(完)

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チビギアメイドのおいちちゃん 寿マーモット @marmotkotobuki0106

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