フェイバリットライフ・オンライン ~岩波鳴砂は楽しみたい~

イゼオ

第一章 フェリセティアにようこそ!

第1話 他人事じゃないオープニング①

 夜の森を走る屋根付きの馬車の中、私は対面の席に座る人物にそっと視線を送った。いかにもレア装備っぽい白銀の鎧に身を包んだ初老の男性だ。

「心配いりませんよ。あなたは我々が必ず隣国に送り届けますから」

 私の視線に気づいた男性、ドーガンは口を開いた。低くていい声だ。

 私を安心させるためなのか、微笑んではいるが緊張は隠しきれていない。

 豊かなひげを蓄えた顔は、ゲームのキャラクターとは思えないほど真に迫った表情をしていた。

 公式サイトで初めてキャラ紹介を見たときは、この渋い顔で童顔なのかとくだらないことを考えたけど、いまはそんな昔の私を引っぱたきたい。


 この人、正確にはノンプレイヤーキャラクターは、これから死ぬのだ。私を守るために。

 

 半年ほど前に運良く当選したベータテストで現在の私が「体験」しているオープニングムービーを見たとき、私は全く他人事ひとごとのように彼の死を眺めていた。

 早く自分のアバターを動かせるようにならないかなとか、そんなことを考えていたのを覚えている。

 あのときの私は安全地帯からムービーを見る一プレイヤーに過ぎず、NPCノンプレイヤーキャラクターの命に頓着なんてしてなかった。

 だが、いまは違う。自分のせいで彼が命を散らすのは耐えがたい。

 プレイヤーであることに変わりはないが、この製品版では私は当事者なのだ。


 たくさんの人がインターネットを介して同時に遊ぶことができるロールプレイングゲーム、『フェイバリットライフ・オンライン』の物語に関わる重要なキャラクターの一人、エーデルシュタイン・クライノート。

 ベータテスト時にはNPCだった彼女を操作するプレイヤー。

 それがいまの私だ。


 唐突に馬のいななきが聞こえて、馬車が急停止した。リアルさを追求した物理演算が働き、よろめいた私の身体をドーガンが支えてくれる。ドーガンの手はごつごつしていて、たくましかった。お父さんの手を連想する。

 フェイバリットライフ・オンライン、通称FLOはフルダイブ対応だ。

 身体は現実世界に置いたまま、プレイヤーの意識だけを仮想世界のアバターに接続するフルダイブ型のゲームは、質感も現実と大差ない。ゲームの中に自分自身がそのまま入り込んだような感覚だ。

 ここまで来ると、もう魔法と言っても差し支えないと思う。

「お怪我はありませんか?」

 ドーガンが気遣わしげに尋ねる。

「ええ、私は平気です。ありがとう」

 私は、かつて見たオープニングでエーデルシュタイン――多くのプレイヤーや一部のNPCはエーデという愛称で呼んでいる――が発した台詞をそっくりそのまま口にした。

 台詞は借り物だが感謝の念は本物だ。

 どこかにぶつかっていたらゲーム内の生命力であるHPが減っていたかもしれない。なにせ、いまの私はレベル1なのだ。まだステータスは見てないけど、HPは低レベル相応に貧弱だろう。

「外で何かあったようですな。見てまいります」

 傍らに立てかけていた長剣を手に取り、ドーガンは馬車の扉を開けようとした。

「待ってください」

 私は思わずドーガンの腕をつかんでいた。NPCのエーデとは違う行動だった。

 ムービーでは、エーデは心配そうな顔でドーガンを見送るのだ。

「不安なのはわかります。しかし、このままこうしていても埒があきませんぞ。夜は明けるかもしれませんが」

 冗談めかして言って、ドーガンは私の手をやさしく叩いた。

 FLOはNPCのAIも優秀だ。ドーガンは私が引き止めるのも想定済みといった態度だった。

 ここで意固地になってもゲームが進まない。

 私が仕方なく手を離すと、ドーガンは「エーデ様はここでお待ちください」と馬車の扉を開け、外へと出ていった。

 ほどなくして、

「エーデ様! 絶対に外に出てはなりません!」というドーガンの大声が響いた。切迫した声だった。

 止められたにもかかわらず、ムービーでのエーデは不安に駆られ、扉を開けて顔を覗かせるのだ。

 展開はわかっているけど、確認のために私もそうした。

 

 そして、「それ」が馬車の前に立ちはだかっているのを見た。


 身長は160センチ程度。月の光に照らされた身体は青白く、背中に巨大なコウモリの羽らしきものが生えている。あの羽で飛んできて、馬車の進行方向に着陸したのだろう。

 女物のドレスを身にまとっているけど、明らかに人外の存在だ。

 人間だけじゃない。FLOの世界に生きる他の種族――エルフやドワーフ、ライトステップ、獣人じゅうじんにも当てはまらない。

 伝説の存在にして、人間たちにとっての天敵。


 すなわち、魔族まぞく

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