《3-2》トゥ・メディア・アランチャ
待機室の中に入ると、そこは清潔でモダンな空間だった。部屋の端にあるパソコンのような機械と、転送装置にキーボードがついたような機械はきっとコンダクター用だろう。奥の方に仮眠用のベッドが三つほど並んでいて、中央には会議用であろうデスクがあった。あとは小さなキッチンと、大きめの棚と……。
「……ここで暮らせそう」
「半分暮らしてる演者(クンスター)もいるわね。現に、わたしが前にいた部隊の隊員の一人に、もはや待機室に“住んでる”人が居たわ……」
ミーシャがそう遠い目をした。
なんだかまだ夢の中のようだ。自分が正団員で、ミーシャと仕事できて、約束は守られて……。
「……うぅ」
またぽろぽろと涙が出てくる。あんな地獄に耐えながらも、頑張ってよかったなぁと心の底から思った。
「……あのねぇ、ここはまだスタートラインに過ぎないのよ? わたし達は『MELA』を超えるんだから」
ミーシャがフーっとため息をついて、やれやれと首を振った。というか、なんかとんでもないこと言い出してる。
「……ぅえ、『MELA』を……こえる……?」
泣いてる僕の聞き間違いではなかったらしく、フフンと記憶のままの得意げな表情で、ミーシャは首肯した。
「そうよ? わたしたちは5年以内に特別功労賞を取るの。そしたら、自ずと最年少記録達成よ!」
特別功労賞……我楽団での活動において、類まれなる功績をあげた者だけが授与される、本当に、名前よりもずっと特別な賞だ。部隊単位で授与されたのは、『MELA』以外は、今の所2部隊しかいなかったはずだ。
「……ミーシャはほんとに、ビッグマウスだなぁ……猫なのに」
「あら、そのビッグマウスについてきたあんたが言わないでよね! あと、“猫なのに”は余計よ!」
……確かに、本当にあの約束から3年後にここに来られるなんて、あの頃は本気で思っていなかったななんて思い返した。
「というか……ミーシャのおかげでしょ、約束が守れたのは……」
僕はそう、ぼそっと言った。
今回の要請は、ミーシャの立場の力あってのものだった。超ハイスピードで超エリートになったミーシャが僕を引き上げてくれなかったら、僕の力では春までに正団員になれていたか危うかった。まあ、そのために頑張っていたし、春の正団員選抜試験には挑戦しようと思ってはいたが、ここまで確実な方法ではなかっただろう。
だが、ミーシャはハン、と鼻を鳴らした。
「あんたがアオバ我楽団で功績をあげてなかったら、流石にわたしの力でもスカウトできなかったわよ。まあ、わたしの力6割、あんたの力4割ってとこね」
そこは“あんたの実力よ”じゃないのか。そんなシビアで、でもちゃんと自分たちを見ているところはミーシャらしさだった。
「で、わたしのグッズは?」
がく、と力が抜ける。感動の再会でドラマチックを論じていたのはどこの誰だったのか。
「……今持ってないよ」
「はー⁉」
ぼこっと頭をぶん殴られた。ちょっと痛い。
「わたしがあんたを引き上げたのは半分グッズのためなのにー! バカ! バカオロカ! ケイゴバカ!」
「ちゃんとあるから! 家に段ボールでおいてるから! そのせいで僕が『MELA』のオタクをやめた人みたいになってるからー!」
がくがくと肩を掴まれて揺さぶられる。気持ち悪い。
「保存用と観賞用、買っておいてくれてたでしょうね!」
「そのせいで段ボール三箱になってるんだからもっと褒めてよ~!」
そうわあわあ騒いでいると、コンコンコン、とノックの音が聞こえる。
「失礼します。新部隊のモニタータクトに任命されました、シン・ジアオスウと申します。入室許可を求めます」
可憐な女の子の声がした。思わず僕は姿勢をただし、口をきゅっと結んだ。
「こ、こほん、入っても良くってよ」
ミーシャが咳払いをしてからそう言うと、扉越しの彼女は「失礼します」と言って丁寧にドアをあけながらこちらの部屋に入ってきた。
全体的に優しい色合いをしている少女だった。緑色ボブカットの髪には一房の青いメッシュと黒いリボンがついており、切りそろえられた前髪の下には溌剌そうな丸い目があった。表情もデフォルトでにこにこきらきらしているみたいで、まるで星を食べて生きているかのようだった。
「ミーシャ、この方が……?」
僕がミーシャに確認すると、ミーシャも首を傾げる。おそらくは、という意味だろう。
「はい、私はこの特殊部隊のモニタータクトを勤めさせていただきます、シン・ジアオスウと申します。人間です。今後共、よろしくお願いします」
そう言って、彼女はさらに深くニコリと微笑んだ。
「は、はじめまして。今川継護です。バッファーになる……のかな。あ、人間です。精一杯がんばります!」
「ミーシャ・リリーホワイトよ。猫の獣人ね。アタッカーをしているわ。仲良くして頂戴。えっと……ジアオスウ?」
ミーシャが首を傾げると、彼女はくすっと微笑んだ。
「“シン”でいいですよ。ファーストネームはジアオスウですけど、シンの方が覚えやすいでしょう?」
「あ、じゃあ、シンさん……」
「はい?」
なんとなく呼んでみた僕に、シンさんは柔らかな笑みで返してきた。まずい、これでなにもありませーん呼んでみただけですぴっぴろぷーと言うのは憚られた。
「シンさんは、何歳? どっちの世界の人ですか?」
僕の質問に、シンさんはふふっ! っと肩を揺らした。
「20歳で、クラスィッシェです。クラスィッシェの第02区域の、小さな草原で遊牧民してました」
「遊牧民‼」
聞いたことがある。北の草原の遊牧民。確か、『星降しの一族』だ。クラスィッシェは区域の数字が小さくなればなるほど北に存在しているという。そんな、僕なんかからしたら死ぬほど寒いであろう場所で、遊牧民生活だなんて。
「……なんか、良く生きてこられましたね……」
「わたしも……想像しただけで震えちゃうわ……」
僕とミーシャが妄想で凍えていると、シンさんは冬の朝のような澄んだ声でくるくる笑った。
「魔法の力があるので、皆さんが想像してるよりは快適ですよ。……というか、貴方たち、年下で、後輩、だよね?」
シンさんが僕たちを見比べる。
「まあ、そう、ですね。僕は17歳です」
「わたしは9歳ね。人間で言うと……13.5歳?」
相変わらずサバを読んでるとしか思えない。シンさんが「ええ⁉」と声を上げた。
「てっきりミーシャさんは18歳くらいかと……」
「にゃはは~、よく言われるわ」
ミーシャはこの三年間で、いい意味で図太さを身に着けたみたいだ。誉め言葉だと信じて疑わずに照れている。まあ、彼女に関しては本当に褒めているのだと思うんだけど……。
シンさんは少し躊躇いながらも、口を開く。
「じゃあため口でいい?」
なんだ、そんなことか。
「ええ、構いませんよ」
「口調を縛るのは魔力の低下につながるわ」
僕たちが口々にそう言うと、シンさんはぱあっと表情を明るくさせて、僕たちに交互に両手で握手した。
「私、同世代の子たちと部隊組むの初めてなの! 頑張ろうね!」
そのイキイキした様子は、僕たちに元気を分け与えてくれる。この待機室の空気が一気に軽くなった気がした。
*
僕らは学生らしく、安めのパスタ・ピザ専門店に足を運んだ。
四人掛けのテーブルに三人で座り、メニューを開いて食べたいものを選んでいく。シンさんと僕が隣り合わせで座り、向かいにミーシャが座った。
「今日は結成記念ってことで、私が奢るよ。なんでも食べて? こんなとこで悪いけどね」
シンさんが水を一口飲んでからそう言った。
「いえいえ、助かります! 何食べよっかな……」
「鮭無いの、鮭」
「君ほんと鮭好きだね」
僕たちは向かい同士でひとつのメニューを見て、あーでもないこーでもないと言いながら決めていく。それをシンさんは興味深そうに眺めていた。
「貴方たちって、随分と仲がいいんだね?」
ミーシャは鮭といくらのパスタをじっと見ながら、シンさんに答える。
「三年くらいペンフレンドしてたからよ」
「なんだか仲良しの兄妹みたい」
そう言われて、僕らはお互いに顔を見合わせる。そしてふっと同時に噴き出した。
「いやいや」
「ないない」
「そういうところだね! すみませーん」
シンさんが手を挙げて店員さんを呼ぶと、タイニィリングの小さな人がやってくる。
「私が、あ、ローストマトン復活してる。これと……パンと日替わりスープで」
「僕はミートソーススパゲッティと、日替わりスープ。ミーシャは鮭?」
「ええ、鮭といくらのパスタ」
注文を終えると、店員さんはてぽてぽと奥に引っ込んでいった。
「改めまして自己紹介だね。シンっていいます。今年で二十歳の人間。元はクラスィッシェの少数民族で、今はノイエに留学中ってとこかな。ちなみにコードだから一瞬クラスィッシェに戻れなかった時期がありました! 17歳の時から研究生団員になって、正団員になったのは2年前。第12番部隊や、第9番部隊なんかに所属していたけど、半年前からフリーになってたの。それで、ミーシャちゃんが元いた部隊……第4番部隊だね。そこの隊長が私の知り合いで、暇してるなら、ミーシャちゃんが面白いことしてきそうだからついていけって言われてここにいます。よろろ~」
ミーシャと共にぱちぱちと拍手をする。コード――隣世界に行けはするけど戻ってこれないひとのこと――であること以外を考えると、なんともまあ普通の経歴だ。だが、第4番部隊の隊長がミーシャの新部隊に推薦するくらいだ。よほどコンダクターとして強いのか、アクが強いのか、と言った感じだ。
「じゃあ、次は僕かな? 今川継護です。今年17歳の、ノイエ生まれノイエ育ち。トーンの高校生。普段はバッファーとして、味方に対するバフをかけています。ちょっと色々あって、ノイエ我楽団でコンダクター補佐バイトしつつ、私設青葉我楽団でお助けバッファーやってたんですけど、この度団長とミーシャにスカウトされて、この二重奏部隊に入ることになりました。ミーシャとは三年前からの付き合いで、こうして我楽団で一緒に働くのが夢だったから、すごく緊張してます。よ、よろしくおねがいします!」
ぱちぱちぱち。拍手が聞こえる。シンも「そうなんだね」とにっこりしていたし、ミーシャは少し照れたように窓の外を見ていた。自己紹介としては上々ではないだろうか。
「……最後はわたしね。ミーシャ・リリーホワイト。クラスィッシェ出身のトーンのアタッカーよ。一年前から正団員になって、部隊を転々としながらハイランクのディソナンスを倒すことを重視して活動していたわ。母はクラスィッシェ我楽団の団長で、他の親戚も、結構有名なひとが多いんじゃないかしら? わたしもそうなりたいと思ってるし、この部隊を『MELA』以上の部隊にするつもりでいるから、よろしく」
ぱちぱちぱちぱち! 僕らが拍手すると、ミーシャは得意げにふふんと笑った。やっぱり何回聞いてもとんでもないエリートの経歴だった。
「じゃあ、最初に決めなきゃなのは部隊コードだよね!」
シンさんがそう言って、紙ナプキンをぴっと取ってボールペンを取り出した。
「あぁ、部隊コード……」
部隊コード、つまり隊の名前だ。特殊部隊は入れ替わりが激しいため、番号で管理していたらすぐに混乱してしまうのだ。
「どうしよう?」
ちなみに僕はなんの案も無かった。だが、ふと隣を見ると、ミーシャが如何にもなにか言いたそうにしていたのだった。
「……なにかあるんだね」
「ふふっ! 当たり前でしょう? わたしを誰だと思ってるの?」
「ミーシャ・リリーホワイト」
「大正解よ!」
ミーシャはシンから紙ナプキンとボールペンを奪って、綺麗な文字でがりがりと何かを書き始めた。その表情はとても楽しそうで、興奮しているようにも見えた。ひょっとしたら、前々から考えていた名前があったのかもしれない。
「わたしたちの部隊コードは、これよ!」
【ARANCIA】
「……アランチャ?」
これは、恐らくクラスィッシェの第55区域の言語だ。僕は目をぱちぱちさせてミーシャを見た。
「MELAが第55区域語で林檎だったでしょう? こっちはオレンジで対抗しようと思って!」
つまり、憧れの部隊を踏襲した、という感じだろうか。ミーシャは本当に『MELA』が好きだ。僕は直接は知らなかったが、『MELA』が解散したときには一週間丸々寝込んだらしい。えぐい。
「うん、僕は別にそれで構わないよ」
シンさんもこくりと頷いていた。
「私はそもそも名前に興味が無いからさ」
僕たちがOKを出すと、ミーシャはぱああっと表情を明るくさせ、耳をぴんっと立たせた。嬉しいのだろう。
「じゃあもう書類も書いちゃうわね!」
そう言いながら自分の鞄からひとつの書類を取り出した。特殊部隊員申請書だ。
「えーっと、まず隊長は」
『隊長【ミーシャ・リリ 】』
「ちょっとちょっとミーシャ」
あまりにもナチュラルにミーシャが隊長になっててびっくりした。そんなことあるか?
「にゃによ」
「別にミーシャが隊長ってことに全く不満はないんだけどさ、そういうのは先に相談してくれないかなあ?」
「不満はないのか……」
シンさんが興味深そうにぼそりと呟いた。
僕らはしばらくにらみ合う。これから一緒に仕事をするとしたら、確実に報連相が大事になってくる。それを考えると、これは部隊を組むにあたって譲れない儀式だった。
「……わたし、隊長がいい」
「良いよ」
「やったー!」
ミーシャがもろ手を挙げ、喜び勇んで『【ミーシャ・リリーホワイト】』と書き進めた。
「いいのか……普通はどっちがなるかって話になるだろうに」
シンさんがまたぼそっと呟く。
「ミーシャの方が先に正団員だったし、そもそも僕はバイトだったんですよ? いきなり隊長はツッコミどころしかないかなって。それに、僕は隊長って器じゃないですよ」
「まあ、確かに? そうなんだ? ……でも、なんかちょっと不思議な感じだね、ふたりって」
ミーシャはそう言葉を交わす僕らのことなど意に介さず、『副隊長【今川継護】 モニタータクト【シン・ジアオスウ】』と埋めていき、最後に部隊コードのところに【ARANCIA】と記入した。
「フーッ! これで良いわ!」
ミーシャが大げさに汗を拭う仕草をする。僕らはちょっと笑うと、自ずと顔を見合わせた。
「じゃあ、特殊部隊『ARANCIA』、これより始動ね!」
おぉー! と三人で拳を掲げる。
「しつれいしまーす、鮭といくらのクリームパスタでーす」
が、そこに店員さんとパスタが割って入った。
「にゃっ! しゃけ! 先食べるわ! イタダキマース!」
「……どうぞ」
「ぬるくならないうちに……ね」
僕とシンさんは少し恥ずかしそうに手をおろした。ミーシャってば、昔のお嬢様仕草は何処へ行ったのだろうと思いながらも、気のおけない仲になったことを嬉しく思う。
そんな僕に気付いているのか、いないのか、この部隊の隊長は幸せそうにパスタを頬張るのだった。
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