宿借り
結端 命都
朝明け
快晴の夜明けを拝むにはまだ空は暗い。そんな早朝から俺の一日が始まる。誰もが寝静まるあいだのうちに起き抜けて、目元の隈を擦りながら身支度を整える。物音を立てずにそっと家を出て、井戸から少しの水を汲んで顔を洗う。
やがて街中の明度が上がるにつれて、人々は朝支度を済ませ、他の店舗が
……いや、もう一つ。これはここ数日ぐらいに増えた日課? というか悩みの種というか。二階の片隅奥の客室。俺はそこの扉が開いた様子をしばらく見ていない。他の客は既に朝食を済ませており、すぐにでも食器洗いに移行したいというのに未だに残った手付かずの定食が一つ。今起きているのかすら把握できていない。心配はあらかた
「失礼します。お客さん、朝になりましたよ。お客さん?」
俺は荒く扉をノックする。耳をそばだてるが、反応はない。
「お客さん、チェックアウトについてのご説明は宿泊初日から再三申し上げた通りです。早急にご退室願います。お客さーん?」
この街で商いをするにあたって、商人は自己都合で値段を設定ないし変更することが出来ない。街の元締めである商業組合の役員が各店舗の質を吟味して値段を設定する。例えば俺の宿屋なんかだと、いくら接客や提供を良くしたとても、一泊あたりの値段と評価を上げるには、この長く受け継がれてきてあちこちが軋むようになったオンボロ宿屋全体の改築をするしかない。だが改築を頼もうにも大工への依頼料は軒並み高く、固定された安給ではおいそれと払えるものじゃない。そんな息苦しい経営事情のなか、宿泊の料金は変えられなくともそれ以外であれば融通が利く金額がある。チェックアウトを過ぎた客に対する、違約金及び延滞料のことだ。俺は今まで泊める客を選んだことはない。泊まりたいというなら誰であっても部屋を貸すし、対応も一人一人平等に接している。ただ、一泊二日以上の宿泊を希望される客には、二日目昼手間の時点で強制的にチェックアウトしたとして扱い、客がごねる時は隔日おいての宿泊案内か、一泊の値段の倍以上もをぼったくって請求している。どんな奴でも一泊二日だけ。それ以上は部屋を貸さない。それが俺の宿屋の規則だ。
「お客さーん! せめて応答くらいしたらどうなんですか? お客さーん!」
人の気配は確かにある。いい加減にこの引きこもりを追い出さねば。宿屋の評価に響くのだ。
すすす、と音がした。扉の下から紙切れが出てくる。その紙は客室に設備されているメモ用紙で、そこには延滞料らしき数字と名前が書かれてあった。
「チッ、お前なぁ……。(しっかりしろ、落ち着け俺)お客さん、払う意思を見せたからってこの場を
念を押すが、今対応している輩はいくらぼったくっても構わないカモネギなどではない。この規則には別の意図がある。近年の不況の煽りと物価高で、このごろ失職した浮浪者が増えていて、そのなかには遠方から来た戸籍不明の流れ者なんかもいる。賑わう商店街の裏手を回れば、たちまちそこはどんよりとしたそんな奴らの溜まり場だ。一泊分の前払いができる以上、たとえそいつの背格好が
こいつを泊めてから、はや一週間が経とうとしている。今手元で預かっている形式だけで書かれた署名の合算、つまりこいつの滞納している金額は、この街周辺に住んでいる一般民の生活費三カ月分に相当する。そんなに金があるならば、こんな宿より商店街を抜けた先に堂々と構える繁華街の高級旅館に一週間泊まった方が遥かに安い。はなから儲けを期待して決めた規則じゃない。こういうヤツを留まらせない・追い出すための抑止力として設定した暴利なのだが、厄介なことに扱いが「金を払える客」であるせいで衛兵が対応する事案にできない。無理やり鍵をこじ開けようにも、このあいだの家無しとの取っ組み合いでこの部屋の扉の鍵穴が歪んでしまってマスターキーが使い物にならない。扉を壊すのは流石に論外だ。鍵の故障を悟られないように、毎日扉前でこうやって退室するよう圧力をかけているが、もし俺がマスターキーで解錠できないことをこいつが知ったら、今以上につけ上がられる。多分こいつもそういう野郎だ。今まで顔を見せないどころか一言も発したことだってない。そのくせ、もったいないからとわざわざ扉前に置いてやった定食は余所見しているうちにいつのまにか平らげていて、まるで片付けてくださいと言わんばかりに空の食器一式が扉前に戻されている。なんて厚かましく捻くれた野郎だ。こいつの身なりはもうぼんやりとしか覚えてない。確か、初日のときは子供が貯めたお小遣いの山のような小銭で一泊分を支払ってきて、(確認作業がめちゃくちゃ面倒だった)顔はボロ切れみたいなフードを被っていてよく見えなかった。だが、こいつが何者かなんてのはどうでもいい。人前で顔を隠すヤツなど、絶対ろくな人相ではないことは間違いないだろう。許されることなら腹いせに顔面を一発ぶん殴ってやりたい。
昨日チェックインした宿泊客はこいつ以外全員退室して、この場は
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