第40話『体育祭⑦《打ち上げ》』
影光はげんなりした。
こんなことなら、さっさと帰っておけばよかった。
影光は今、学校近くのファミレスでテーブル席に腰掛けている。時刻は、午後七時半。
このファミレスは、学生にも優しい値段で和風洋風揃えた料理を提供してくれるチェーン店で、その誰でも入店できる敷居の低さから青風院高校の生徒たちには憩いの場として、しばし利用されている。
影光も例に漏れず、結構利用するのだが、そこはどうだっていい。何も問題ない。
視線を、問題のある──というより問題の発端がいる左の方へ向ける。
「ん? 影光、どした?」
由貴が、不思議そうに首を傾げた。
彼は影光の左隣で注文したハンバーグをもしゃもしゃ頬張っている。
チーズと目玉焼きと唐揚げもトッピングして、贅沢なことだ。
「どうしたもこうしたもねぇよ。早くこの状況説明しろよ」
「状況? 説明? どういうこと?」
「だから! なんでこんな大人数になったのかを説明しろって言ってんだよ!」
影光は店内で迷惑にならない程度の声の大きさで、由貴に説明を求めた。周囲を横目で見回しながら。
影光の周りで、同席している生徒は九人。
由貴、蒼介、隼、鈴零、真雪、葵、美也子、千雨、真姫。
二つの六人掛けテーブルを店員の許可をとってつなぎ合わせ、腰かけている。
当初は、影光と由貴、蒼介の三人で体育祭の打ち上げを行う予定だった。にもかかわらず、最終的にはこうなった。⋯⋯なぜだ。
「大人数? あぁ、そういうこと──」
「由貴くん!」
ようやく理解した由貴を遮るように、邪魔者が現れた。由貴の恋人、戸田鈴零である。
彼女は由貴の左隣、つまり影光の二つ左隣に座っていた。影光を彼氏越しに覗き、微笑みかける。
「影光くん、ありがとう。私の参加を許可してくれて。優しいんだな!」
「え、いや⋯⋯打ち上げの言い出しっぺは由貴だし、別に俺が認めるもなにも⋯⋯」
影光は照れて文句を言えなくなってしまった。
美人だし、上目遣いやばいし、胸でかいし⋯⋯。
つい、鈴零の薄い体操着の布から主張する二つの双丘に視線が吸い寄せられる。実は体育祭中も、こそこそ隠れてチラ見していた。ばいんばいん揺れていたから仕方がない。さすがにスポブラの類は着用しているのだろうが、それでも揺れてしまうほどでかかった。
うーん、眼福だ。影光は不満を忘れてガン見する。
「鈴零、体育祭終わったら部活の試合があるし、それも終わると今度は受験が始まっちゃうから、会う機会が減っちゃうんだ。だから、その前に少しでも鈴零と過ごせればいいと思って、打ち上げに誘ったんだ」
恋人がいやらしい目で見られていることにまったく気づかない由貴は、鈴零を見つめながら語った。
一応影光に話している風だったが、その瞳は愛しの彼女しか見ていない。
「由貴くん⋯⋯!」
同じく影光の視線など意識にも入らないのか、鈴零は由貴を見つめ返す。
「鈴零、部活も受験も応援してるからね⋯⋯!」
「あぁ! 由貴くんや美也子、私を支えてくれる人たちのためにも、頑張るぞ⋯⋯!」
あっという間に二人だけの世界が完成した。
影光はその世界の影響で、我に返る。
「ま、まぁ⋯⋯お前の彼女さんはいいとして、だな⋯⋯」
影光は、正面に目を向けた。
向かい側の席には、うどんを頼んだ蒼介がいる。
その左隣──影光から見て──から順に、スパゲッティを頼んだ千雨、親子丼の真姫が座っており、右隣には蒼介の友人である瀬戸山隼がいる。彼はピザだった。
(この女子二人はなんなんだ⋯⋯?)
隼は蒼介の友人だからまぁ百歩譲っていいとして、千雨と真姫についてはさっぱり意味不明である。
しかもこの二人に関しては、店でたまたま会い、そこから飛び入り参加してきたのだ。
来店が被って顔を合わせた時、千雨が「私たちもお邪魔していい?」と頼んできて、主催者の由貴が「いいよ!」と二つ返事し、現在の状況が完成した。
なぜ千雨は接点のない影光たちのグループに参加を申し込んだのだろう、と訝しく思ったが、食事が始まってから理由が分かった。
食事中、千雨は蒼介の隣を確保し、しきりに話しかけているからだ。多分、彼女は蒼介に惚れていて、ばったり鉢合わせしたときに勇気を出して参加した。
蒼介にアピールするために。そんなところだろう。
「蒼介くんって、うどん好きなのー?」
「まぁ」
「へー、私も結構好きなんだー。一番好きなのは肉うどんー。やっぱり運動してたらお肉食べたくなるよね。ならないー?」
「日による」
「サッカーって、普段どんな練習するのー?」
「色々」
千雨はほとんど一方通行の会話で頑張っていた。
蒼介も対応は素っ気ないが、不快に感じている様子はない。友人の隼とも時折会話するが、千雨のときと似たりよったりの反応をする。影光に対しても、基本こんな感じだ。
ふと千雨の左隣を窺うと、真姫がこちらに向けて「ま・じ・で・ご・め・ん」と口パクで謝ってきた。
おそらく彼女は親友の千雨に巻き込まれ、付き合ってあげているのだろう。申し訳なさそうに眉尻を下げている。
影光は真姫に肩をすくめてみせた。
「別に気にしないでいい」のニュアンスを込めたのだが、伝わっただろうか。
(はぁ⋯⋯もういいや)
影光は、諦めることにした。
人数が増えて居心地の問題が発生したが、何も人を見下すような性悪がいるわけではないし、そもそもみんな、由貴や蒼介に用があるみたいだし、自分には関係ない。
であれば、何も気にすることはない。
大人数で始まってしたことはもうどうしようもないのだから、受け入れて平穏にやり過ごすまでである。
────と、思っていたのに。
「影光、ずいぶんと会長のこと見てたね。主に胸を。人様の彼女だよ? だめだと思うんだけど」
「それに影光先輩、向かいの先輩方二人も見てました」
右から、女子二人の声で説教が飛んできた。
うんざりしながらそちらの方に目を向けると、影光の右隣にツンとした顔の真雪、そのさらに隣には頬を膨らませた葵がいた。
真雪はデミグラスソースのオムライスを注文し、葵はお腹を壊しているからか、テーブルにはホットコーヒーだけ置かれている。
「⋯⋯別に、見てねぇよ」
「嘘だ」
「嘘ですね」
「普通に話してただけだ」
「嘘だ」
「嘘ですね」
影光の弁明が二人に効かない。
頭を抱えて唸りたいのを我慢する。
(なんでお前らまでここにいるんだよ⋯⋯)
この二人については影光の知り合いで、どこから打ち上げの噂を聞きつけたのか、「私も参加したい」と頼み込んできた。
時系列としては、影光、蒼介、由貴の輪に鈴零が加わり、次に隼、続いて真雪、葵、美也子、そして店でばったり会った千雨、真姫。
おおらかな由貴は、全部に参加許可を出した。
一応、影光と蒼介には確認してくれたけれど、本人が目の前にいたので断れるわけがない。蒼介はどっちでもいいという感じで、「いいよ」も「だめ」も言わなかった。
兎にも角にも、鈴零や千雨、真姫はともかく、ちゃんと交流がある真雪と葵がいる以上、隅っこで静かに目立たず、料理を食べるのは不可能だ。
その証拠に、この二人はさっきからずっと話しかけてくる。
「ねぇねぇ、代打先生の新作漫画読んだ? 前作と比べてシリアス寄りになったよね」
「影光先輩影光先輩、『青駆け』の最新話見ましたか? 主人公側が前半で三点も取られましたが、勝ち筋はあるのでしょうか。ただでさえ高杉彼方くんが怪我で出場できない状況なのに」
真雪と葵はオタクなので、影光も話題にはついていけるし、なんなら会話すること自体は楽しい。
けれど、影光のメンタリティ的に、よく知らない可愛い女子の前で親しい女子と話すのなんだか恥ずかしい、みたいなよくわからない思春期感情を発動してしまう。
「あー、えっとな──」
「え、彼方くん怪我したの?」
影光が口を開きかけた瞬間、真雪が葵の話に食いついた。
葵は少しだけ身構えたが、すぐに調子を戻し、話し相手を真雪に切り替える。
「はい。試合直前にまさかの事故が起きてしまって」
「まじか。私単行本勢だから、知らなかった」
「そ、それは申し訳ありません⋯⋯ネタバレでしたね⋯⋯」
「あー全然気にしなくて大丈夫。私、ネタバレとかなんとも思わないタイプだから。本当に面白い作品は、ネタバレありでも面白いしね。まぁミステリとかで犯人バラされるのはさすがにアレだけど」
「ミステリも読まれるんですね」
「うん。館ものとか超好き」
「クローズド・サークルですね。私も嗜んでいます」
「へーそうなんだ! じゃあさじゃあさ、おすすめとか────」
「⋯⋯⋯⋯」
なんか意気投合して影光そっちのけで会話を始めてしまった。
影光はミステリを読まないので、ついていけないだろう。今度、由貴に何冊か貸してもらおうか。
影光がそんなことを考えていると、ふいに視線を感じた。斜め右に首を曲げる。
そこには、美也子がいた。
隼の右隣で静かに、ひっそりと、隅っこで黙々とカツ丼を食べている。まさに影光がやりたいムーブを完璧にこなしていた。
「新田先輩⋯⋯両手に花ですね⋯⋯ふっふっふ」
美也子は影光を見据えながら、ニンマリと笑った。
腹立たしいことこの上ないが、彼女に尋ねてみたいことがあったので相手する。
「からかうなよ」
「すみません」
「というか、お前はここにいて平気なのかよ?」
「え?」
「だってお前⋯⋯」
影光は左隣の由貴と鈴零を一瞥し、続けた。
「色々あったんだろ? その⋯⋯」
言いかけて、影光は口を噤む。
美也子が別人のような形相で影光を見ていたからだ。怒りというよりも、ありとあらゆる事象を何もかも悟ったような表情だった。
「何を言っているんですか? まさか私を心配しているんですか?」
「え、いや──」
「私はそこらの可哀想な当て馬とはわけが違うんですよ。私はいたずらにお姉ちゃんと由貴先輩の関係を切り裂くようなことをし、それが原因で蔓延した噂によって二人の評価を落とし、挙げ句開き直ったようなことをしました。私が同情される余地は一つもないんです。私がこれからできることはただ一つ。二人の幸せを願い、これまでの罪をわずかでも償うことです。違いますか?」
怒涛の勢いでまくしたてた美也子の目はバキバキに見開いていた。めちゃくちゃ怖い。
「そ、そうか⋯⋯」
影光は、唖然としながらも相槌を打った。
「私はこれでも猛省したんです。お姉ちゃんには、私の前であっても恋人とは普段通り振る舞って欲しいと言っています。そしてそれを、お姉ちゃんと由貴先輩は最大限汲んでくれています。綺麗事ではありますが、今後お姉ちゃんの幸せを願うなら、当然できて然るべきです」
「その覚悟を最初から出せていればな⋯⋯」
「うるさいです。そもそも、今回は葵ちゃんについてきただけなので、お姉ちゃんとは偶然です」
「はぁ⋯⋯なんで葵がついてきたんだか⋯⋯」
これは半ば影光の独り言だったのだが、美也子には聞こえたらしく、ジト目を向けてくる。
「な、なんだよっ」
「いえ、別に⋯⋯」
それきり、美也子は目の前のカツ丼にがっつき始めた。取調室にいる容疑者みたいな食い方だった。
影光は、またぼっちになる。
一人になったらなったで、寂しくなって誰かと話したくなるのは、人間の悲しき性なのだろうか。
(せめて、伊織がいればな⋯⋯)
影光は今は亡き──ではなく今は不在の伊織のことを考えた。
彼は毎日弟たちに晩御飯を作らなければいけないため、夕方以降の外出は滅多にできないのだ。
よって、打ち上げは不参加である。
「ん、どうしたの?」
葵とミステリ談議に興じていた真雪が、うわの空の影光に気づく。
「なんでもねぇよ」
影光はぶっきらぼうに答え、頼んでいたうな重に箸を伸ばした。
(⋯⋯うまっ)
──こうして。
総勢十人による打ち上げは、その後も一時間ほど続き、お開きとなった。
幕間1《憂鬱な体育祭》終わり
幕間2《美也子のコスプレ騒動》に続く
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