第10話 波乱の幕開け


「ふわぁぁぁ⋯⋯⋯⋯⋯⋯眠い」


 次の日の朝。


 登校する生徒達で慌ただしくなる教室の中で、伊織は口を大きく開けて欠伸をする。 

 眠りについた時間が深夜ニ時ぐらいだったので無理もない。目にクマができている。


 そんな伊織には目もくれず、後ろの席の影光はソシャゲに夢中だ。

 最近NCG(略:ノーマル・カード・ゲーム)のアプリ版がリリースされたらしい。


 目をギラギラに光らせて、黙々と指を動かしている。

 二人の美少女から好意を向けられている人間の行動としては、呑気極まりない───伊織は後ろに体を向けたあと、寝ぼけた顔で影光をじっと見つめた。


 それに気づいた影光が、眉間にシワを寄せて不思議がる。


「何だよ⋯⋯俺の顔になんかついてるのか?」

「いや、何でもないよ」


 伊織は首を振って軽く流す。


「ならいいんだけど」


 影光もそれ以上詮索はしなかった。視線をスマホの画面に戻す。伊織も体を前に戻す。 その過程で、同じクラスの真雪にも目を向けた。

 廊下側から二列目の、後ろから二番目の席に真雪は座っている。

 

 真雪の様子はいつもと変わらず、静かに読書を嗜んでいた。


 大層様になっているが、真雪が読んでいるのはコテコテの少年漫画、『死滅の刀』である。

 多少自分のイメージを気にしているのか、ブックカバーをつけている。が、伊織には分かった。


 あれはこの前影光が貸した『死滅の刀』だと。


 葵といい真雪といい、彼女達のようなサブカル系美少女がもっと増えますようにと、伊織は願った。


「お前ら席につけー。ホームルーム始めるぞー」


 早乙女がいつもより数分早く教室に入ってくる。

 配布物らしきプリントの束を教卓で綺麗に揃え、左腕につけた時計を確認する。


 まだ朝のチャイムは鳴ってない。


 だから早乙女の声掛けで速く動く生徒は少なかった。


「先生ー、まだ時間じゃないですけど?」


 誰よりも早く登校して席に座っていた学級委員長───水川千雨が、手を上げて早乙女に疑問を投げ掛ける。


「今日は転校生に時間取らなくちゃいけないからなぁ。余裕持って始めさせてくれ」

「あぁ、なるほどー。そういえば今日でしたねー」


 そう言うと千雨は勢いよく立ち上がり、口元に手を添えて、辺りを見回しながら大きく声を張り上げる。


「みんなーー! 今日は早めにホームルーム始めるらしいから座ってー!」


 すると、さっきまでダラダラ歩いていたクラスメイト達の動きが素早くなった。

 早歩きになる者、全速力でダッシュする者、お喋りを中断する者、三者三様クラスメイトが千雨の声に耳を傾ける。


 まさに、鶴の一声。


 早乙女のときは誰も動かなかったのに⋯⋯。


(水川さんはすごいなぁ)


 伊織は千雨の行動を見て素直に感心と尊敬の念を覚える。 誰もやりたがらない役目を、彼女は率先して果たそうとする。 なかなかできることじゃない。

 何よりすごいのは、皆が彼女に従うところだ。彼女への絶対的な信頼が一組の生徒にはある。


 大体こういう行動をする真面目な人間は嫌われやすいのだが、彼女はむしろ好かれている。


 まぁ、見えないところで陰口を吐かれている可能性はあるが⋯⋯。

 一分も経たないうちに騒がしかった教室は静まり返り、ほとんどの生徒が席に座った。

 

 それを確認した早乙女はホームルームを開始する。


 今日の時間割、プリントの配布、体育際についての連絡、一通り終えた早乙女は、


「はいじゃあ、職員室で待機してもらってる転校生呼んでくるから。ちょっと待っててくれーい」 と言って足早に教室を去っていった。


 教室は転校生の話題でザワザワし始める。


 新学年がスタートしてから一ヶ月遅れの転校生。


 伊織は転校生そのものにさほど興味はないが、それでも『転校生イベント』にはワクワクする。

 アニメや漫画じゃ日常茶飯事な事でも、現実じゃそう簡単に巡り会えるものじゃないからだ。


「転校生、どんな人だろうな。女子らしいけど」

「⋯⋯⋯⋯」


 椅子を引いてもう一度影光の方を向く伊織。


 影光は依然としてNCGのアプリに夢中。ホームルーム中だぞ⋯⋯。

 ゲームの音量消せば問題ないとか思ってそうだな。


「なぁ、聞こえてる?」

「ん? んー⋯⋯さぁ、誰だろうなぁ」

「興味なさすぎるだろ⋯⋯」


 瞬き一つせずスマホの画面から目線を離さない影光。 伊織は苦笑して、再び前に向き直す。


 チャイムが鳴った。 


 ホームルームが始まる正規の時間だ。

 それとほぼ同じタイミングで早乙女が教室に入ってくる。


 その後ろについた女の子が一人───


(可愛いな)


  伊織はつい目を奪われてしまった。


 転校生の女の子は、驚くほど美少女だった。


 レッドブラウンに輝いたショートパーマ。

 ルックスはおでこを出しているからか、明るい印象を受ける。

 ぱっちりと開いた大きな目も、クリっとした鼻も、手の平より小さな顔も、何もかもが輝いていた。


 周りのクラスメイトも、その美貌に言葉を失っていた。


「えーじゃあ、甘見里さん。自己紹介よろしく」

「はい」


 彼女は視線を早乙女からクラスメイトに移し、とびきりの笑顔を作った。


「はじめましてっ! 春篠高校から参りました! 甘見里佐奈あまみざとさなで⋯⋯⋯⋯す⋯⋯」


 彼女は突然何かに驚いた様子で、無言になってしまった。 しばらくその場で立ち尽くしている。


 クラス中がザワザワしだす中、彼女の目線はある一点に集中していた。


(俺⋯⋯⋯⋯の後ろ・・だ⋯⋯)


 そう、彼女は影光をじっと見ている。


 理由は分からないが、彼女は影光を見て驚いている。


 彼女はさきほどの元気いっぱいな挨拶よりも、さらに一段階上のボリュームで声を上げた。


「みっくん!!!!!」


(みっくん・・・・!?)


 伊織は驚いて心の中でオウム返し。


 その大きな一声に、影光もようやく顔を上げる。


 彼女の顔を見た途端、影光も彼女と全く同じ反応。


 手に力が抜け、スマホを落とした影光は、一言こう呟く。


「さ、佐奈⋯⋯⋯⋯?」

「みっくぅぅぅぅぅぅぅぅん!!!!!」


 影光が名前を呼んだ次の瞬間には、彼女は走り出していた。 そのまま影光に勢いよく抱きついた。


 椅子ごと背中から倒れる影光。

 佐奈は自分の顔を影光の制服に擦りつけ、完全に身体をホールドしている。

 彼女は涙を流しながら、大きく叫ぶ。


「みっくん⋯⋯! みっくん⋯⋯! ずっと会いたかったよぉ⋯⋯! 嬉しいぃ⋯⋯! まさかこの高校にいるなんて⋯⋯うぅ⋯⋯」


 伊織は唐突に発生した一連の出来事に、開いた口が塞がらなかった。まだ状況を呑み込めない。


 何だ? 転校生が影光に抱きついて泣いてるぞ? 

 どういう状況? 知り合いっぽいけど⋯⋯。


 まぁ、とりあえず⋯⋯この子のオーバーリアクションを見るに⋯⋯。 影光LOVEだろうな⋯⋯。


 混乱する思考の中で、それだけは確実に伊織の中ではっきりとしていた。


(マジか⋯⋯)


 影光ヒロインレース、三人目の参戦決定。


 ⋯⋯波乱の幕開けだ。




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