走るメタルミュー

 三月。


 ほどなくして祐介は小学五年生になる。

 あともう少ししかない四年生を惜しむかのように学校に通い、一段と小さく見えて来たランドセルを背負う。


 そんな家に、メタルミューの姿はない。


 メタルミューは、決して安い買い物ではない。

 いや一般向けの市販品はそれほどでもないが、ただの癒し効果だけではなく、ある種のセキュリティシステムを備えた高級品、いや最高級品のメタルミューもある。一台で二十五万円もする代物であり、私だって買う気にならない。それこそ高嶺の花だ。

 そういう訳でいわゆる受注生産であるが、それでも買う人は買う。言うまでもなくお役所様と一緒に開発しているのはその最高級品のさらなる発展型であり、完成品はそれこそ一台百万円まで行くかもしれないらしい。

(うちの息子が欲しがらなくて良かったわ)

 開発者特権でとか言う話が通る事はない。一応市販品のメタルミュー一台が与えられたが、息子が全く関心を持たなかったせいかすぐさま児童養護施設に寄付してしまった。今もそこで可愛がられているらしく、私たちの下にいるよりずっと幸せかもしれない。

 もちろん一般向けの市販品はそんな目の玉が飛び出るような値段ではないが、それでも子どものオモチャとしては安くない。まあ安い高いとは結局相対的であり、買う人間が高いと思えば高く安いと思えば安い。

 自動車一台五十万円と聞いて高いと思う事はないが、牛肉百グラム二千円を安いと思う事もないと言うだけだ。




「昨日、○○市△△にて殺人事件が発生しました。夜十時ごろ、道路にぐったりと倒れ込む男女を通行人が発見、119番通報しましたが午後十一時七分死亡が確認されました。」


 そんな訳で夫と息子を見送り一人っきりになってテレビを点けた私の目に飛び込んで来たのは、いつも通りの殺人事件のニュースだった。いくら日本が平和とか言ってもこういう事件はどうしても起きてしまう。振り込め詐欺とか言うシロモノが横行して時久しいように、今日も犯罪を起こす人間は絶えない。どんなに警察官の皆さんが頑張ったとしても、犯行は行われてしまう。


「被害者は男女とも無職、三十六歳。死因は絞殺及び刃物による刺し傷から来る失血死との事です。現場は周囲に家屋のない細い脇道であり財布などがなくなっていない事から警察では怨恨による殺人であるとして犯人を追っています」


 そんな風に被害者の特徴が述べられ、犯行の範囲もわかる限りのそれで私たちに伝播されて行く。

 

 なぜそんな事をする必要があったのか。

 どうして、そこまでせなばならないのか。

 その事件について、ニュースキャスターやら芸能人やら有識者やらが語りまくる。

「被害者は何ですかね、誰かに恨みでも買ってたんですかね」

「犯行の手口からして手練れた人間であると思われます。被害者は現在無職と言う事ですが前職で何らかの恨みを買ったのではないでしょうか」

「警察は被害者の身元を確認する事となりそこから被害者の人となりも暴かれると言う事ですよね、いや、本当犯罪なんかするもんじゃないですね」

 テレビの中の人たちが、いろいろな事を言い合う。そんな対策を聞いた所でどうにかなると言うのだろうか。

 結局私たちにできるのは後方に気を付ける事、後ろを付けられないようにする事、怪しい存在を見たらわき目もふらずに逃げたり叫んだりする事しかない。

 そんな時のためにメタルミューがいるだろとか言うかもしれないが、一万五千円のメタルミューに整備されていない道路を駆ける脚力はない。せいぜい人間が歩くのについて来るのが精いっぱいで、基本は室内猫である。110番通報だの119番通報だのも、所詮は高級品の特権でしかない。いくらAI込みでも、だけはどうにもならない。



 取材を受けている最中にチラッと映ったメタルミューは、空を向きながらもどこか寂しげだった。



 もしその場にいれば被害者たちを救えたかもしれないのにとばかりに、生身の肉体を持った同類項を見上げているのかもしれない。そのメタルミューがいつ購入者の家族になったのか、彼らとその仲間がいつからいるのか。そんな事はわからない。

 メタルミューは人間に忠実であり、その点は生身の彼らとは合わないのかもしれない。メタルミューが彼らになじめるのかどうか、それは夫と言うか人類にとって永遠の課題となるかもしれない。もし口があれば被害者の名前を叫び、その名前を持った人間がどういう目に遭ったのか聞いていたかもしれない。すべて私の想像に過ぎないけど、メタルミューにはそれだけの夢が詰まっているはずだった。


 とにかく祐介が帰って来たら見知らぬ人には付いて行かない、後ろには気を付けて歩けとか通りいっぺんぐらいの注意はしておかねばならないとテレビを切り、掃除を始めて昼ご飯を適当に取っていると、自分用のスマホが鳴った。


「あなたどうしたの」

「殺人事件が起きたらしいな」

「そうなの、○○市ってとこで」

「テレビで名前出てたか」

「ああそう言えばなぜか出てなかった」

「それなのにネット上で名前が出てるって浅野君が言ってたんだよ」



 三十六歳、無職、○○市△△、あとテレビの映像。

 それだけで被害者の存在を当ててしまうなど、インターネット上には恐ろしい存在もいる物だ。



「それでどうしたの」

「その二人の男女って、二十歳から今まで十五年間牢屋に入ってようやく刑期を終えた所だって、なんでも身元引受先から少しだけ離れた工場勤めで」

「無職じゃないの」

「多分、十五年も牢屋に入るぐらいだからひどい罪を犯したんだろうね。それで被害者家族に復讐されないように……」

「無駄骨だったのかしらね……」



 十五年も牢屋に入らなければならない犯罪とは一体何なのか。殺人事件なのか。

 それとも、いろいろやらかした上で重なった結果か。法律なんか学んでないけど刑事ドラマとか引っ張ってきたレベルの知識はある。

 しかし三十六歳と言う事は、それこそ二十歳か二十一歳にしてそんな罪を犯したと言う事になる。どうしてそんな事をしたのだろうか。







 その疑問は、その夜解決させられた。夜と言っても初春の夜であり、正月からすればかなり明るい夜だった。


「なんでも男は女性を取り押さえて強引にやる事をやり、女はそのために被害者を誘導してって」

「怖いわね…」

「それで懲役十五年だって、そして氏名だけでなく学校や実家までわかっているとか聞いている。さすがにそんな事件だったから家族は絶縁してどこか遠くに引っ越してしまったようだけど、その気になればそれこそさらに追う事もできるからね」

「ああ今から帰るからとりあえずむやみにドアを開けないでな」


 朝方と同じような事しか言わないテレビとは、存外優しい存在だった。

 確かに二人がやった事は卑劣極まる行いだったが、それに対する法の裁きは懲役十五年の段階で終わっていたし、後は世間からの白眼視と本来得るべきだった物を得られないと言う苦しみで十分だろう。前科と言う消しようのない烙印を押された二人の人生にこの先どれだけの希望があったのか、ほぼ同い年ながら考えたくなかった。







 —————ガシャ、ガシャ



 金属の音が鳴る。夫の帰りのそれではない。




「お母さん」

「祐介も聞こえたの」

「うん」




 —————ガシャ、ガシャ




 また鳴る。




「お父さんはいつ頃帰って来るの」

「あと一時間はかかるかな」

「じゃその間に宿題やらなきゃ」

 祐介は自分の部屋へと引っ込む。実際に宿題をしていなかったどうかはもういい。って言うか三月に宿題などあるのかどうか、つい昔の記憶をこねくり回したくなる。




 —————ガシャ、ガシャ




 音が近くなって来る。

 恐怖感はないが、なぜか体が重い。夫に言われたからだろうか、どうしてもドアに目をやりたくなる。




  —————ガシャ、ガシャ




  —————ガシャ、ガシャ




「え」




 接近する金属音に対し口から出た文字は、その一文字だけだった。



 不思議なほど、接近して来る金属音に警戒する事がなかった。


 なんならその直後に鳴った据え置き電話の方が強い音であり、私はその受話器を取って耳に当てた。


「もしもし」

「助けて、助けて……」

「どなたですか」 

「助けて、助けて……」


 極めて切羽詰まった文字と口調だったのに、ちっとも焦れない。

 受話器をすぐさま叩き付けてやりたいぐらいだと思いながら冷淡に返すが、言葉はちっとも変わらない。一応ナンバーディスプレイを見てやったが、数字が出て来ない。

「どちらにお住まいで」

「助けて、助けて……」

 最後のチャンスにも全く同じ抑揚でしか話さない機械音声を前にして、私は悪質ないたずらだと見なして受話器を切った。


 —————ガシャ、ガシャ


 その間にも金属音は接近する。誰かほかに騒ぐ存在がいてもよさそうに思えるが、誰も反応しない。

 要するにその程度の事なのだろう。そう判断した私は夫が帰ってくる前に服を脱ぎ、浴室に入った。


 —————ガシャ、ガシャ


 まるで何かを求めるかのように必死に戦う音。

 でも勝手にやってくれとしか思えない。同じ金属の音でも、夫が作ったメタルミューはもっと温かかった。人の正しい意志を受け、正しい事のために動いていた。

 だがこれは、金属音と言うか機械的な音だ。そこには何の情もない。


 —————ガシャ、ガシャ


 シャワーを浴びる間にも近づく音。必死なのはわかるが、何をしたいのかちっとも伝わらない。そして近づくと共に遅くなり、独り相撲を取り続けているみっともない音になって来た。

 どうしてわからないのかと言われた所で、私には日本語と少しの英語しかわからない。私は教師だが専門は国語でも英語でもない。


 —————ガシャ、ガシャ


 私はお風呂場を出て体を拭き、パジャマに着替える。祐介には夫が帰ってくるまで待つ事にしてもらって、私はお風呂上りに水でも飲もうとコップと共に水道へと向かう。


 —————ガシャ、ガシャ


 そして透明のH2Oを口に流し込むと、夫のためにテーブルを軽く拭く。後は三つ指付いてと言う訳でもないが夫の帰宅を待ち、そのために玄関の靴でも並び替えておこうかと腰を上げた。


 —————ガシャ、ガシャ 

 いいかげんうるさい。何をやっているのか少しばかり気が立った私はカーテンを開け、音のした方向をにらんだ。

 —————ガシャ、ガシャ


 金属の体に四本の金属の脚。だがその脚の全てが削れており、一体どれだけ走ればこんなになるのか不思議なほどだった。


 紛れもない高級品のメタルミューのはずなのに、赤く染まったその体はメタルミューと言う名前の別物、と言うかパチモノだった。

「ワタシタチハ、カタキヲ、トッタ…ハンザキ、アカリサンノ…」

 よくわからない言葉を発するその物体を前にして、何の感情も湧いて来ない。




 湧くとすれば、何もかもを道具として扱おうとした存在に対しての嫌悪感だけ。




 四半世紀にわたり一方的に信頼して来た存在に勝手に裏切られ、その存在のそのやり方が成果を挙げた事に対する憤懣。

 そんな存在に負けまいと自分たちの正義を証明するためだけに近所の困っている人間を一方的に救いにかかり、男ばかりの環境へと放り込む。

 そしてその人間を苦しめた害毒を実際に消し、現存する自分の方が偉大であると見せつけ、完全に拘束せんとする。


 その結果、自分の血で息子の作り出した存在を汚すも、とっくに見切られたはずの存在に対し自分はここまで真剣だったと示しに来る。




 途中からは推論だが、このメタルミューの持ち主が何者かぐらいはわかる。そして何をして来たかも。


「もしもし、家に血まみれのメタルミューが走り込んで来たんですけど……ああうちの住所は……」

 —————ガシャ、ガシャ…………

 私は110番にそれだけ言うとカーテンを閉じ、その言葉通りに動き出した生き物に目を合わせる事なく夫の帰りを待った。

 そいつらのせいで夫の夜の時間が食われると思うと恨めしくなり、しばらく絶縁の二文字を幾たびも口にせねばならない自分の運命も恨んだ。もっとも、ほんの少しだけだったが。




 これでもう、終わりなのだから。




 あんな存在と関わるのは、もう終わりなのだから。


 


 少なくとも私は、満足だった。

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