下請け工場にて

 メタルミューのパーツを作っているのは、本社工場だけではない。


 それこそ下請けのそのまた下請けにもその恩恵、と言うか仕事は回っている。夫は開発責任者としてあちこちその工場を回る事も多いらしいが、仕事以外の話題の少ない夫の存在は場の空気を引き締める事はあっても弛緩させることはない。

「僕が行くと言うとみんな背伸びして引き締まるんだよね……」

 もっとも会社もその事がわかっているのか夫の行き先はどうも成績が振るわない工場が多いらしく、本人にその気がないのに鬼軍曹のような扱いをされているらしい。確かに仕事以外の話題を振る事のない人間が本社から視察に来たとなればそんな堅苦しいイメージが広まるのも無理のない事であり、やはり適材適所ではないのだろう。家族の話?それこそ仕事より面倒くさいじゃないか。

 いやだらけている職場に活を入れるにはいいかもしれないが、だとしても夫には威圧感もない。作っている商品は面白いのに本人が頑固おやじですらないただの仕事人間である以上、ただ受け付けにくい人がいるだけだ。

「そういうのは浅野さんがすればいいのに」

「浅野君じゃにこやかすぎて無理だってさ、でも最近業績が上がってる工場があってね」

「そうなの」

「そういうとこには浅野君が行ってるよ、何でも九月から新入社員が入ったって」

「変な時期ね」

「何かお偉いさんの紹介でねじこまれたとかってね。

 なんか女性なんだけどさ、三十代半ばで、言っちゃ悪いけどほとんど引きこもりニートだったって。でもいつも非常に真面目に仕事してて、それでまだ五ヶ月ぐらいしか働いてないのにかなり覚えが良くてもうエースになりそうだって」



 正確には二年近く工場労働者をやっていた経験があるが、電気機械とはちっとも関係のないそれ。

 実質職歴ゼロに等しいその女性の、かなり優れた働きぶりは本社にまで上がっているらしい。

 ここで立ち直れなかったら人生は終わりだと思っているのか、それとも家族から強引に押し込まれた職場で目を覚ましたのか。


「ずいぶん詳しいのね」

「浅野君がしょっちゅう話して来るんだよ、課長の耳に入れろって工場長がうるさく言ってたらしくて」

「あなたに?」

「僕が政美一筋だって知ってるのかなって」

「あのねぇ…それ浅野さんにも言ったの?」

「言ったけど」

「アハハハ」

 女遊びなど別世界の娯楽だと思っているような夫に他の女をあてがうなど噴飯ものの行いであり思わず笑ってしまったが、実際その手のハニートラップもない訳でもない。その点の報連相はずいぶんとしっかりできている辺りやっぱりビジネスマンなんだろう。

「で、そこに行ってその女性に会った事あるの」

「全くない。そのどこぞのお偉いさんとやらは会わせたいらしいけどね」

「ご機嫌取りなんか出来っこない人間を招いても無駄だってのにね」

 夫が上司から嫌われていなさそうなのは、少なくとも邪魔はしないからだろう。だがその人たちに媚を売るようなことはできないと言うか、きっと巧詐は拙誠に如かずを地で行くような事しかできないはずだ。

 そんな人間を開発と言う名の社内引きこもりにしておくのは人事として素晴らしい判断だし、開発責任者とか言う名目で工場を視察させるのはあまり正しくない判断だと思う。




「全く関係ない企業から?」

「ああ。何でもある種の障害者雇用らしくてさ、かつて犯罪に巻き込まれてショックから立ち直っていないとかって。うちとしてもある種の社会貢献をしたいんだろうね」

 翌日、またその女性の話を聞かされた。何でも犯罪に巻き込まれていたらしく、そのショックで引きこもりになり社会復帰のための経験として下請けの工場に配属される事になったらしい。

 何をされたかは知らないが、三十代半ばまで引きずっていたとなるとそれこそ相当な問題だろう。

「それで」

「それで浅野君が昼休みに話してくれたんだよ、彼女の働きぶりについて」

「そう…」

「何でも、彼女は日本人になかなか近づかないで、外国人従業員と一緒に仕事してるってさ」

「外国語分かるの?」

「わかるって。英語はかなり得意で、フランス語とかも話せてたらしい」


 バイリンガル、いやトリリンガル。

 それこそかなり頭のいい人間の証であり、下請けの工場でわざわざ汗と油にまみれる必要もなさそうだった。夫のように大企業の人間としてバリバリ働き、スーツを着こなすのが似合ってしかるべき存在のはずだ。


「でさ、浅野君が言うんだよ。偏見に塗れてますけどって」

「何が」

「引きこもってると二次元に詳しくなるって、漫画とかアニメとか」

「他にやる事ないからね…私だってあなたが家事をやるから暇になるとついそういうのに手を出しちゃうのよ」

「そうなんだ。で、その外国人が大好きだって言う呪力の刃って漫画を知らなかったらしくて。まあ僕も知らないんだけど」


 呪力の刃と言うのは、最近人気の漫画だ。


 スーパーでもその名前を冠した商品を見かける事があるぐらいには人口に膾炙し、私たちの世界に関わっている。夫もその手のシロモノに全く疎いが、私の教育のおかげで少しはましになった。あるいはそうなる事を恐れてあの二人はその手の存在と夫を引き剥がそうとしたのかもしれないが、その結果がニートのなり損ねでは話にもならない。


「じゃあ何だって言うの、ずっと引きこもって勉強でもしてたの。あるいは職歴にないだけで家の中で仕事でもしてたとか」

「それはわからないよ。でもその手の話にすごく疎いらしくてね、僕だって最近そういうのが外国で人気になったって聞いて驚いてる口だけどさ、そこの工場の子だけじゃなくて外国から取引する人も昔の日本のアニメが好きだって」

「邪魔になる事はないのね」

 

 せっかく自分が必死になって憎んでいた代物を何よりも好くような、自分たちよりもずっと権威も権力もある存在が自分たちの前に現れた時、どうするか。

 自分たちの過ちを認め手のひらを返すか、涙を呑んで自分たちを曲げ従ったふりをするか、触れないようにしてあいまいにやり過ごすか、それとも自分たちの思想信条に従うか。


 あの二人には、四番目以外の行動はとれないだろう。


 実際は還暦を過ぎた社会人らしく二番目か三番目を選ぶ気がするが、あるいは第五の手段を取る気がする。


 第五の手段と言うのを平たく言えば、自分たちがより力を持ち自分たちの優越を示すと言う物だ。だがそれは四番目の変形でしかなく、表立って思想信条を引けらかさずとも十分反感を買える行いだ。と言うか、二番目や三番目だとしてもいずれその憎しみを見抜かれろくな事にならないかもしれない。それこそ憎しみの対象にしていた存在に真摯に詫びる事が出来ればいいのだが、その時既に成熟してしまっていた存在にそんな事ができる訳はない。


「でもニコニコしてたそうだって、彼女の保護者の人たち。そう、本当にうれしそうな顔をしてたらしくてね」

 とにかく、親からしてみれば長年引きこもっていた娘が外の世界で働けたのが嬉しかったのかもしれない。

 その幸せを邪魔する事もないだろう。

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