私が教えた
「藤木家が詐欺に遭った」
「藤木康介が会社を首になった」
「藤木家が泥棒に入られた」
そんな噂が流れ出したのは、一体誰の責任だろうか。
高い高いと言った所で、ゲーム機とソフト合わせて一万数千円。その気になれば出せないお金ではない。ましてや私たち小学校四年生のお小遣いでも、コツコツためれば何とかなる額だった。
それすらも出せないほどに、藤木家は困窮している。
それはなぜか、となった理由を考えるのは残念ながら自然な考えだった。
「いや…」
「心配しなくてもいいんだよ、いざとなったらな」
「ボクがパパに頼んでもいいんだよ、譲のパパをうちの会社で雇えないかってさ」
キャッチザモンスターのブームは、このレベルだった。品薄状態で買えないのは仕方がないとしても、金さえあればいずれ買える物をまったく手に入れようとしないのはさすがに異常だ。大人から見て住宅ローンやら家電やらその他出費があったとしても、その気になれば一万円で手に入るかもしれない物を拒み続けるのは異常にさえ思えた。
実際には被服費に使っているのだろうが、譲にしてみればそんな事などどうでも良かったしクラスメイトたちもさほど気にしていなかった。
「考えておきます」
そして藤木玉枝と言う人は、そんな噂など気にしなかった。実質ゼロ回答とでも言うべきその言葉を繰り返し、息子に対しての対応を伸ばし伸ばしにした。それこそ、自分の息子に対し納得ができるようになるまで、永遠に先延ばしする気だった。
そしてその辺りから、彼女は私に寄り添うようになった。単にまだゲームソフトを買っていないだけの人間に寄り付くようになり、強引に仲良くするように勧めた。元から息子が私に寄り添い、それこそキャッチザモンスターを手に入れさせるために手段として利用していた事も構わずにだ。
「でも政美ちゃんと一緒にいる限りは大丈夫でしょ」
「私だって小学四年生ですけど」
「だからね、邪魔だって言って欲しいの。それこそ欲しいって言うんなら本当に平田さんちの子になっちゃいなさいって」
「はあ」
その私の年齢も顧みず、電話で私を駆り出してそんな事を言い出す。
そんなによそのお家のことばっかり言うんならよその子になっちゃいなさいってのは漫画で読んだ事があるが、実際にそれを聞かされたのには驚いた。
それこそ毎日単位で何時間もやっているとか言う話を聞かされて目を見開いた事もあるが、一日一時間を三ヶ月繰り返せばそれだけで九十時間。不健全とは言えない時間でも積み重ねればそうなる。その分勉強して成績を上げろとでも言いたいのだろうが、私に干渉されても困るとしか言えない。逆らうだけ無駄だとわかっていた私がゼロ回答を物真似すると、それをイエスと言う回答と見なしたのか彼女は意気揚々と受話器を置いた。私はもう予想済みだったから藤木譲と言う人間の前からこれまで通り自分のために買っていたキャッチザモンスターのグッズを隠し、ノートと教科書と参考書だけを見せた。
この時の私は、自分が可愛かった。少しでも露見すればそれこそ目の前の人間から私さえも取り上げられると思ったわけでもないけど、単純に藤木玉枝と言う人間が恐ろしくて仕方がなかった。
そして、この決断を私は後悔した。
ある冬の日、キャッチザモンスターが出てから十か月ほど経った日。
藤木譲は、藤木玉枝に連れられた買い物帰りだった。小遣いさえもそちらに向かせないために譲名義の通帳に振り込ませていた彼女の手により、譲はお菓子すらも玉枝の買って来たそれを食べる事しかできなかった。それでいて服は奇妙なほどにきれいであり、中流家庭のはずなのに関家のように見えた。
そんな小学四年生が、いきなりガードレールのない道路の隙間から車道へと歩き出した。横断歩道はもう十メートルほど歩いた先だと言うのにだ。
「わーっ!」
あわててそこにいた男性が叫んだから怪我はなかったが、その時の彼は死んだ魚の目をしていたと思う。
「すみません、本当に申し訳ありません、ほらあなたも謝りなさい!」
「え…………?」
「えじゃないでしょ!ほら!」
譲は急ブレーキをかけてくれた運転手や玉枝さんに指摘されてなお何が起こったのかわからないと言いたげな顔をして視線をさまよわせるだけで、まるでどこか別世界の存在になっていた。
「何か考え事でも」
「今度こそ百点を取らなければいけないなって、ほら謝りなさい!ほらごめんなさいは!」
そのあまりにもあまりな有様に運転手さんが何かよほど他の事を考えているんだろうなって言ってたけど玉枝さんは「今度のテストの事で」とか何とか言って強引に息子の頭をわしづかみにして下げさせた。
「……すみません……」
「本当にご面倒をおかけして申し訳ありません!」
「うちの息子によく似てるからな、なんかやっぱり」
「失礼しました!」
そしてうちの息子に似ていると言う言葉を聞くや既に三十キロ以上あった人間を引きずって走り出し、家へと駆け込んだ。その時の彼女は猛母だった自分の母よりもずっと恐ろしく見えたと和也君から聞き、私は親にさえ見られないまま泣いた。
そして、かなり後にその本人から聞かされた言葉を聞いて、もう一回泣いた。
「あーもう、本当に欲深いのね。言っとくけどね、今挫折したら将来何にもつかめなくなるわよ。他の子はもっと努力している。歩みをやめた瞬間にあなたは置いて行かれる。後になってああしておけば良かったってなっても遅いの」
欲深い、の後の言葉は全て意味などない。私にも本当にあの子は欲深いからね、何とかして言い聞かせてちょうだいと真剣に頭を下げられながら言われた。今でも僕って欲深いかなと現在進行形で幾たびも聞いて来る夫の言葉は、とても聞くに堪えない。
思えばこの時から、夫は実母に期待するのをやめたのだろう。またその事件辺りから、学校内でキャッチモンの噂は減った。藤木玉枝と言う人間の恐ろしさを知った子供たちが、自分と夫の身を守るためにオオカミから逃げ出したのだ。親たちさえも口にするのを控え出し、藤木家との付き合いを減らした。
その時、私は決めた。
私が、買ってあげる。遊んであげると。
そのために自分の部屋を調べ、自分の親にも見られないような隠し場所も探した。
そして、私はこの時藤木譲を夫とする事に決めたのである。
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