「常務様と常務夫人様」

 とにかくそんな親で育って来た夫は、メタルミューのヒットにより課長になった。

 今も新アイディアを実現させるべくPCと、時には試作品と向き合い、また浅野さんたちとも向き合っている。

「僕も本来は溶接でもすべきかもしれないけどね」

 そう言いながら現場にしょっちゅう顔を出す。工業高等専門学校育ちの夫はぱっと見ではひ弱そうな外見にも関わらず溶接工の資格を持ち、万一の場合にはどこかの溶接工として働けるぐらいのスキルは今でもあるらしい。これは親の方針ではなく夫の方針であり、私や私の父母は知っていても夫の父母は知らないし祐介も知らない。ある意味大人の秘密であり、子どもへのアドバンテージだ。



 そして義父母の息子にとってのアドバンテージは、役職だろう。

 藤木康介は、あと三年で定年と言う身分ながら、今や常務取締役。一般的なサラリーマンとしては、出世栄達を極めたに近い身分だと言える。同じ会社の同期でもそこまで行った人間は他になく、年収も夫の倍以上だった。

 一方で私の父は義父の会社の十分の一以下の規模であり、義父自身も課長でしかない。それでも私の父はきっちりと務め私たちをここまで支えてくれたのだから文句などあろうはずもないが、義父母からしてみれば物足りない存在だろう。身分の差とか言う大時代的な事を振りかざす程ではないと思いたいが、油断はならない。

(この新婚当時に買ったテレビも最近怪しいのよね……)

 夫同様と言う訳でもないが私だって庶民として、主婦として使えるのならば最後までその物を使いたいと思っている。十三年前に買ったテレビはそれこそ画像も音質も怪しくなっており、それこそ買い替えるべき時が来たのではないかと思っている。義父にとって、常務取締役と言うカードは使えてもあと二年だ。それに使い道がある内は必死に使おうとするだろう。

 ただこのテレビもホコリや断線などで発火からの火事と言う最悪の事態を招きかねない以上、あるいは今すぐでも処分して新しいのを買うべきかもしれないと思っている。幸い近所の電気屋で下取りサービスをやっているので近々夫に内緒で買いに行こうかと思っている。夫に言うとまた自腹を切りそうだからだ。「俺の稼いだ金で」とか言うフレーズをそんな風に使うような人間に育てた人の事を思うと、いささかばかり業腹だけど我慢するしかない。


「真っ白なキャンバスに何色を塗りつけたとしても、所詮地は白いんだよね」

 浅野さんはそんな言葉を祐介に言った事もある。別に絵心などないと自称する浅野さんだが、妻の康子さんはそれなりに絵がうまくまた当然ながら夫の会社にもデザイン担当はおりその手の話も幾度もされている。氏より育ちと言うごもっともな言葉を並べた所で、と言うか小学四年生ぐらいまでほぼあの父母により染められていた夫に対し私は二十年以上自分の色の絵の具を塗りつけて来たが、結局私が一生懸命塗ったくった所で限界があるのかもしれない。もちろんそのキャンバスは勝手に色を取り込んで染まっていくのだから、思うとおりの色になどなりようがない。そんなのは祐介だって全く同じだ。おこがましいとか言うほどではないにせよ、人間と言うのはその程度の存在だ。

 メタルミューを始めとした夫の会社で作る商品は、世の人間を幸せにするために作られているはずだ。だがライバル企業にとっては自分たちのシェアを食い荒らす不幸の種だし、私たちからしてみれば興味を引かれる事により財布の中身を脅かす大敵でもある。

 祐介だって陸上で目立ちたいようだが、権威のある大会に出られるのは予選を突破した数十名だけ。残念な事に枠は有限だ。誰かがいなくなればその枠を補うように誰かが入れられる。



「そこに突っ込ませるのが親の役目よ」



 そんな話をすれば確実にそう答えるだろう人間の存在を私は知っている。


 藤木玉枝。夫の母だ。


 元々夫と婚姻する前は一般的なOLだったらしい彼女は私と同じように妊娠・出産と共に退社し、そのまま専業主婦になった。どんな学園生活・OL生活を送って来たのかは知らないが、たぶん同級生ならば仲良くできなかっただろうと思う。

 夫は間違いなく彼女の薫陶を受けてしまったと言えるし、学校の中にも彼女の類似品の教え子たちがいた。

(自分を磨けとか言うけど、中学生に何をさせる気なの……)


 自己研鑽。


 すごくカッコいい単語だ。

 人間死ぬまで勉強だとか言って、常に進化するために骨身を削る。なればこそ人間に厚みが出るとか言うしその点は否定しないが、それに中学の段階で走っているようなのは気持ちが悪い。

 中二病とか言う単語も最近知ったが、自分は選ばれた存在でありそこにたどり着くべく「普通の人間はしないような」努力に励むと言う子もいた。今その子がどうしているかは知る気もないが、そういうタイプはまだ良かった気がする。問題はそれこそ、親により徹底的に研鑽こそ正義だと叩き込まれている存在だ。そういう子は自分の楽しみを抑制し、周囲を見下すようになる。自発的であれば理解者がいない分だけ根が弱くなりまた意欲も豊富なのですぐ折れようが続こうがマイナスの結果は出にくい気がするが、親から叩きこまれていると性質が悪い。


「クジさんは本当に…ああごめんなさい」


 クジ、それがあの人の社内でのあだ名。


 浅野さんが口にしたその言葉に「九時」ですか「宝くじ」ですかと聞いた私に対し、浅野さんは国民的とも言っていい漫画の話をした。もちろん私も知っているし、息子も好きな漫画の一つだった。

「それって何だ?」

 ある日自作の弁当を会社に持ち込んだ夫に対し、夫の同僚がある漫画のキャラクターみたいに料理上手ですねと軽く口にした。私の夫の年代ならばほとんど知らない人などいないだろう漫画のキャラだから通じるネタであり、そこまで言うかとか言う反応を期待していたらしい。だが夫は首を傾げながら何語を喋っているんだと言わんばかりに箸を止めてしまい、その場を一気に凍り付かせてしまったと言う。その時から夫のあだ名はクジになり、浅野さんは休み時間などに夫の話し相手になったのだと言う。

「いや、私だってびっくりですよ。知らないんですもん、全然。それで一から説明する羽目になりましてね、まあ平田さんは開発担当で基本あまり外に出ないからいいですけど、これで営業だったらマジでヤバかったですよ」

 営業と言うのは人と人のつながりありきであり、それがつながらなければそれこそ会社の命運に関わる。その際に話の引き出しが多いことは重要であり、堅苦しい仕事の話だけでなく俗事と言うのはどうしても必要になる。その手の引き出しのない事を悟った浅野さんは休み時間などにそれこそ一から十までの単位で夫にその元ネタの作品などを教え、私と共に夫をある意味真っ当な社会人に仕立て上げんとした。もしこれが余計なお世話だと言うのならば、おせっかいでたくさんである。

 国民的漫画と言う名の巨大権力に抗ってみたくなるのは、人間としては自然かもしれない。中二病の子たちにも、そういう心理でその漫画を読まないとか言う子もいた。でもそれは流行りに乗らないオレカッコイイだから、知識としては知っているが興味ないねアピールをしているだけで正直可愛らしい。教師と言う名の第三者ですらそう思えるのだから、親などはすぐわかるだろう。

 そう、親ならば。

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