閃盤のカレイドスコープ
椒央スミカ
STAGE 00 : INFECTION(感染)
第001話 海土泊現在
──隣の市にある、国立病院。
俺の高校よりも大きな建物、広い敷地。
感染症専門の隔離病棟があることから、あのウイルス禍では名前をよく耳にした。
マスク着用は任意になったけれど、出入り口での検温と手指消毒は継続中。
玄関の検温器をパスするまで自動ドアが開かない仕組みだ。
──ピッ!
……ん、ちゃんと平熱。
健康だけが取り柄だからな、俺。
『預かってほしいものがある。学校の帰りに病院へ寄ってくれ』
父方の爺ちゃんから、ショートメールでの呼び出し。
七十歳近い爺ちゃんは、少し前に心筋梗塞で緊急手術。
血が行き渡らず腐ってしまった、心臓の下三分の一を切り取った。
手術は成功。
快方へ向かってはいるものの……。
そんな爺ちゃんから「預かってほしいもの」なんて言われると、不謹慎だけどよからぬ予感を抱いてしまう。
爺ちゃんの病院へは、高校から電車とバスの乗り継ぎで一時間前後。
帰宅部の俺、時間はあり余ってるけれど……。
病院の雰囲気は、正直ちょっと苦手だ。
自分が大きな病気もケガもしたことないからだろうか。
異質な場所、知らない世界……という、言いようのない不安を覚えてしまう。
だから爺ちゃんには悪いけれど、見舞いはきょうでまだ三度目。
ええと……五階の受付で、お見舞いの申請を済ませて……っと。
五〇三号室の
五〇三号室、五〇三号室……。
ん~と、こっちだったっけ……?
「……おーい、
休憩所を通過したところで、背後から爺ちゃんの声。
振り向くと、薄い水色のパジャマ姿、点滴の袋を提げた棒……みたいなやつを右手に握ってる爺ちゃんが廊下に。
袖から出てる手首はずいぶんと細くなってる気がするけれど、背はまっすぐ伸ばしてて、肌の色も悪くない。
「あっ、爺ちゃん」
「えらく遅かったなぁ。病人が呼んだんだから、寄り道せずに飛んで来い」
「いや、まっすぐ来たよ……。タクシー乗れる身分じゃないし、寄り道しないでもこんなもんだよ」
ハキハキとした爺ちゃんの声。
どうやら「形見を渡す」とか、そういう話じゃなさそうだ。
よかった。
中学からは疎遠気味の爺ちゃんだけれど、やっぱり長く健康でいてほしい。
「……ときに桂馬。おまえ、ショートカットの女の子は好きか?」
「えっ……なに突然?」
「いいから。好きか? 好きだよな?」
「なんか誘導尋問っぽいなぁ。まあ似合ってれば、髪型はどうでも……」
「よし。じゃあおまえに、ショートカットがよく似合う同い年の美少女を紹介してやろう。感謝しろよ」
「はぁ?」
不敵な笑みを浮かべてから、爺ちゃんが休憩室へ。
細くなって血管が浮き出てる首と、染髪できずに白髪が大半を占めた後頭部を見ながら、同じ歩幅で追う──。
「……イマリちゃん。やっと立会人が来たぞ」
……イマリちゃん?
立会……人?
「あっ、噂のお孫さんですね?」
……女の子の声。
高い響きの、落ち着いた声色。
思わず爺ちゃんの背後で横移動し、声の主の姿を確認。
すぐに一人の女の子と、目が合った──。
「はじめまして。アマドマリイマリです。座ったままで失礼します、ウフッ」
「あ……はじめまして。曽根……桂馬です」
休憩室の壁際のソファーに、白い肌の女の子。
きれいに膝を揃え、その上に本を一冊置いて、そこで両手を重ねている。
薄いピンク色のパジャマに、青い生地に黒い線で模様が描かれたバンダナ。
スレンダーな体つきに、細い首、細い顔。
すらっとした高い鼻に、尖った顎。
ちょっと細めで黒目がちな瞳、薄く形のいい唇。
爺ちゃんが言ったように、確かに美少女……。
けれど、バンダナの周囲からは髪の毛が見えないし、眉毛も気持ち薄い。
投薬の副反応で、髪の毛抜ける病気があるって聞いたことある。
健康美じゃなくって、儚げな美しさを持った女の子……。
……そんな印象。
ところで、この子の名前って……。
「ええと……ちょっと悪いんだけど。名前、もう一度聞いてもいいかな?」
「フフッ、いいですよ。いつものことですから。こう書いて、アマドマリ……イマリと読みます♪」
そう言って、彼女が膝の上にあった本を両手で掲げた。
本の裏表紙には、太い油性ペンで縦に書かれた「海土泊 現在」の文字。
「……珍しい名字だね」
「日本に数件しかない姓だそうです」
「……どうりで」
「でもこの名前のおかげで、初対面の人とも話が進みます。いまみたいに、ウフッ」
「ははっ。俺口下手だから助かるなぁ。あははは……」
いや本当助かる。
女の子とこんなに会話続いたの、いつ以来だよ……。
……って、あれっ?
彼女が持ってる本のカバーに写ってるのって……。
将棋の……駒?
「あ、海……土泊さん。それってもしかして、将棋の本?」
「イマリでいいですよ? 海土泊って、言いにくいですよね」
い、いきなり名前呼びOKかぁ……。
近寄りがたい儚げな印象なのに、距離感かなり詰めてくるんだな……。
「じゃあ……イマリさん。イマリさんって将棋するの?」
「はい、それはもう。将棋はわたしの生き甲斐ですっ!」
「と、いうことは……。爺ちゃんとは、将棋仲間ってわけだ。爺ちゃん、将棋好きだから」
「はいっ! 曽根さんには、ずいぶんと鍛えてもらって…………あっ」
「えっ? なに?」
「あなたも、名字曽根なんですよね……。紛らわしいので、桂馬さんって呼ばせてもらって、いいですか?」
「うん、もちろん」
おおぉ……出会って数分で、美少女と名前で呼び合う間柄に……。
爺ちゃん、大感謝だ!
二百歳くらいまで元気でいてくれよぉ!
「ふふ……桂馬、顔が緩んでるな。だけどおまえを呼んだのは、ただイマリちゃんを紹介するためじゃあないぞ?」
「預けたいものがある……って、言ってたよね」
「ああ、これだ。『封じ手』だ」
爺ちゃんが差し出した、一通の茶封筒。
糊付けでしっかりと封がしてあり、裏面には二人の名前が違う筆跡で縦書き。
署名……かな?
「爺ちゃん、封じ手……って?」
「将棋を中断する際に、次の一手を書き記して第三者に託すものだ。その封筒には、爺ちゃんの次の一手が封じてある」
「へえ……」
「イマリちゃんは『鍛えてもらっている』と言ったが、あれは謙遜でな。この子は強い。爺ちゃんは負け続きだ。しかしこの封には、苦境をひっくり返す渾身の一手を
「苦境ってことは、イマリさんに押されてるんだ?」
「そりゃあこの子は奨励会の……いやいや、専門的な話はさておいて。爺ちゃんの手術が済むまで、これを桂馬、おまえに預かってほしい」
「……爺ちゃん、また手術するの?」
「なあに、検査のやつさ。それでも一週間は安静にしないといかんから、こうしておまえに立会人を頼んだわけだ。なにしろ初めてイマリちゃんに勝てそうな一局だからな!」
爺ちゃんも将棋は相当強いほうで、家には賞状がいっぱい飾られてたけど……。
イマリさんは俺と同い年で、持病もあるっぽいのに、爺ちゃんに連勝してるんだ。
「……わかった。ただ預かってればいいんだね」
「おう、絶対封を開けるなよ。あと、なくすな」
「うん。任せて」
右手に提げていた学生鞄を、そばにあった丸いテーブルの上へ置く。
それから中へ封筒を入れ、二人の顔を交互に見る。
イマリさんが、両目を細めてほほ笑んだ。
「よろしくお願いします、桂馬さん。桂馬さんは、将棋はされるんですか?」
桂馬さん桂馬さんって……俺の名前、連呼しないで……。
三次元の女の子とつき合ったことないから、チョロく好きになっちゃうよ……。
「あ……将棋ね。えっと、かじったくらいかな。あははは……」
実は将棋、あまり知らない。
小学生のころ、爺ちゃんから無理やり教えられたことはあったけれど……。
中学に上がってスマホを買ってもらってからは、ソシャゲ三昧。
もうルールや駒の動かしかた、ほとんど忘れてしまってる。
でも…………家に帰ったら猛勉強だ!
イマリさんとのご縁、これっきりにしてなるものか!
「……じゃあ、俺はこれで。また見舞いに来るよ、爺ちゃん」
「無理に来なくてもいいんだぞ、ふふふ……。おっ、荻久保アナ!」
休憩室のテレビで流れている、夕方のニュース番組。
爺ちゃんひいきの女子アナが、画面に大きく映ってる。
美人女子アナとして人気なのは知ってるけど……。
俺はやっぱり、同世代のイマリさんのが好みだな。
『速報です。国立都央病院で、院内感染が発生しました。病院側はただちに全施設を封鎖し、職員、入院患者、訪問客の隔離を進めています────』
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