灯油販売と私
あおいそこの
ガソリンスタンド
で
しか買ったことがない。ガソリンはもちろん。灯油はガソリンスタンド以外で買ったことがない。そもそも同級生の中に灯油ストーブを持っている人を見たことがない。
前も上も危ないタイプの灯油ストーブ。もしくは、前だけが危ないタイプのストーブと2つあるが、うちは上も前も危ないタイプを持っている。
冬になるとそれを点けたらリビングが一気に温まる。そこで鍋物を温めたり、乾燥が厳しい冬に湿度を上げるためにお湯を沸かしたり。
その燃料は子供の私が買いに行くことはなかった。ガソリンスタンドについていくくらい。それも満タンになった灯油タンクは重いし、歩いて行ける距離にガソリンスタンドがあるにしても持って帰るのさえ一苦労だから父がわざわざ車を出していた。
私はそれに乗って嬉々として歩きなれた街を車窓から眺めるのことに勤しんでいた。
「ほら、持ってみろ」
そう言われても体の小さい私はちょっと持ち上げたらすぐに地面に降ろしてしまった。父は車のトランクにさっと乗せて、肩を回した。
「重くないの?」
「重いよ。でも父さんは力持ちだからな」
「知ってるよ」
「父さんがか弱かったら気持ち悪いだろ?こんなにムキムキなのに」
「うん、気持ち悪い」
「それはそれで傷つく…」
「父さんが言ったんじゃん」
明らかにしょんぼりした顔をした父の車を運転する姿を定位置の運転席の真後ろの席からバックミラー越しに確認する。
なんだこの父は、と思うけれど嫌いではなかった。
後ろを確認するためにバックミラーを見た父と目が合う。キメ顔をしてきた。何だコイツ、という目で見るとまたしょぼくれた。
「灯油って何で出来てるの?」
「え…灯油は、灯油じゃない…?灯油というか、石油、というか。原油って言われるものが、ガソリンとかに変わるんだよ」
「げんゆ、って何?」
「エネルギー…かなぁ…鉱物っていう、分かりやすく言えばダイヤとか、そういう地下に埋まってるエネルギーに変わるものがあるんだけど、それの兄弟みたいな」
「ダイヤモンドが、この車を動かしてるの?」
「そーういう、わけじゃあないなー…」
純粋が故の質問の嵐に父を困らせたと思う。調べるってなったら父に聞けばいい。ネットなんてものは知らない。本も読めない文字の方が多い。だから父は常に答えを知っていると思っていた。なんでも答えをくれたから。実績があったから子供の私は信じるしかなかった。
私の家に母はいない。私が幼い頃に死んだ、と言われている。死んだ、とは言われていない。もうちょっとオブラートに包んで言われている。仏教色が強くない仏壇がひっそりとあるし。子供の頃は隠していたっぽいけれど好奇心旺盛の子供はどこかしこを探ってしまう。見つけた時にオブラートを渡された。
「今日の宿題はやったのかー?」
ぺら、と見られた私のノートには答えを書き写した、と分かるくらいの正答率の解答が並んでいた。父はそれに気づいたと思う。
「丸が多いな。良いことだ。頭が良いから、その知識をいろんな人に分けられるともっといいな。頭が良い人の仕事だからね」
父は私に罪悪感を抱かせる天才だった。答えは写したけど、ちゃんとやろうという決心は分かりやすく大きくなった。
「怒らないの?」
「父さんだってやったからな」
「でも、教えるのが、父さんじゃないの?」
「面倒くさいならそうやればいい。宿題を出した、ということが大事なんだよ。その過程はどうせ、先生だって見てないからな」
「先生はたぶん、怒るよ」
「でも父さんは怒らないよ。先生と父さんは同じ人じゃないから確かに先生は怒るかもしれない。いつもやらない子が出した時に褒めたりするだろ?いつもテストが悪い点の子が点数上がれば褒めるだろう?」
「うん」
「怒られたってことは、いつもはよくやっているのにって思っているんだよ」
そうなのかもしれない。
「怒られなかったら?」
「ちゃんとお前のことを見ていない人と思っていい」
「1回の失敗だけで」
「その回数はお前が決めたらいい」
この日の夜ご飯は父と一緒に居酒屋に行った気がする。冬の寒い日で手袋をつけた父の手と、手袋をつけた私の手を繋いで歩いて行った。
間違っていることをした自覚があるのなら、出来るだけそれを実感する機会を減らしていけばいい、と父は私を諭した。ひどく納得した。いたく感動した。
怒られる、と危惧する同級生を山のように見てきた。怒られている瞬間も見てきたけれど。私は脳内のどこを探っても父に怒られた記憶がない。
それは高校生になった今もそうだ。
「父は、どうして怒らないのだろうか」
「怒る必要があることを娘がしないからです」
「父よ、私は怒られるであろうことをいくつかしているぞ」
「では父がその不安を解消してやろう。さあ、話してごらんなさい」
ユーモアのセンスもある父は私の前で酒を飲まない。タバコも吸わない。私に対して。未成年の私に対して。『未成年』の私に対して。吸いたければ吸えばいい。飲みたければ飲めばいい、という。流石にしないけど。
「テストでチラって見えた解答、そのまま書いちゃった」
「見ようと思って見たんじゃないだろう?父もしたことがある。父は何なら悪意あって学年で頭が良い子の解答を盗み見たことがある。だから娘を怒る資格がない。入試とか、真面目な試験は掲示物も気を付けてあるだろうが、自分以外の人間がこの世に出した文字は手書きだろうと、活字だろうと、見ようと思って見なければ写していい、と父は思う。あからさまなのはやめろよ?」
「父は、どこで育ったんだ」
「北海道の山の中だ」
どうりで。父は薄い顔をしている。それなのに頼りがいのある男の背中をしている私の父。
父の父。私の祖父は南の生まれらしいが祖母のことが好きすぎて北へ渡ったんだとか。ロマンスは最高だ。私は南の濃い顔の要素があると言われている。
どの血か。母方は祖父母共に関西の方だ。それは南か?母のの要素はどこだろう、と探すことはあまりない。母の記憶は私にはない。父に思い出させるのは、苦かな、と思う心優しい娘の気遣いだ。
「他にも私は、友達が万引きしているのとか、パパ活とか、無視しました」
「保身は悪いことじゃない。父は、娘が無事であればいいから。ただ罪は犯すな。お天道様に背を向けずに歩ける人でありなさい。体は大事にしなくてもいいけれど、無視したことを悔いることが出来る内側が綺麗な人間でいなさい」
「うん、分かった。・・・娘は、学校辞めようかな、って思ってます」
「父は、やっていけるプランをプレゼンしてほしいです」
「作っとく」
「待っているぞ」
特に何があったわけでもないし、いじめもないし。特に何もないんだけど、辞めようかな、って思ったから父に言ってみた。とりあえずは明日学校にまだ行けるかもしれないな。プレゼンは作っておくけれど。
「今日の懺悔はこれくらいにしておくかな」
「父はいつでも聞くよ」
「頼もしいなぁ」
今気づいた。
熱燗を灯油ストーブであっためるんじゃないよ。父よ。
私はそのお湯でインスタントの味噌汁を飲もうと思っていたのだ。
父に言うと懺悔された。
プレゼンはしていない普通の金曜日。バイトの帰りだった。無法地帯と呼んでいる駅の反対側に出た。父にはそこを避けて帰って欲しいと言われているけれど結局は一番の近道なのだ。
鼻歌でも歌いながら住宅街に差し掛かる最後のコンビニを通った。次の大きい灯は薬局のはずなのに、今は閉まっている時間帯だ。いつもはどこで灯を感じていたか忘れた。
「あの!神留(かみど)さん」
「はい?」
振り返ったところには全く知らない人がいた。いや、全く知らないわけではない。どこか見覚えがある。私のおじいちゃん譲りの記憶力を探ると
「あ、もしかしてよく来てくれる…?」
「顔覚えててくれたんですか!」
「まぁ、何となく。いるな、くらいには」
勢いの良さに一歩後ずさる。もしかしてストーカー?過剰で、異常な愛を向けられて、逃げて回るうちに刺されたりとか?それとも共依存で『ダーリン』『ハニー』とか呼び合う仲になっちゃう?逃げるとか言った瞬間にアキレス腱切るよとか言われちゃうかもしれない!?
顔は決して変えずに名前も知らない常連のその人の顔を眺め続ける。人と目を合わせるのは苦手だ。でも礼儀だ。作法だ。
「神留さんのことが、好きなんです!」
高校生
2年生
終わりかけの夏
恋人が出来ました
私の中では大事件。2人しかいない私の家の中でも大事件。
「えっと、それは、どういう、好き…ですかね」
予想はついていた。そこまで鈍感ではない。
「ラブの方の好きです。お付き合い、をしたい、という好きです」
返事に迷った。顔は好みだし、態度もそこまで悪くない。服や、髪型の清潔感も存在を認識する度に目を背けたりする必要がないくらいには整っている。恋愛経験が豊富でもなく、お盛んな妄想ばかりしてしまう時期も過ぎ去った私は軽く返事が出来なかった。
「そもそも私はあなたのことを何も知らないので自己紹介してください」
「はい!帝蔡大学に通ってます。今大学3年生。一浪したので22歳です。バイトを掛け持ちしながら、一人暮らしで都内のマンション。狭いですけど。に、住んでます。大学では環境について学んでます。将来は都市開発に関われる仕事に就職したいと思ってます」
数秒間私は待った。一番重要な情報がない。
「あ、名前は隠原遊斗(かくしばらゆうと)です」
「ふむ…」
だから、なんだ。
それ以上も、以下もない感想。ただ先ほど報告した通り私は隠原遊斗の腕の中に転がり落ちてしまったのだ。人はだが恋しくなる季節に近づくたびに、私は父親のいない家に帰ることを何となく嫌だ、と思う。
送り迎えしてくれる。一緒に夜道を歩いてくれて、それでいて守ってくれるような。都合のいいアッシーくん的な存在でいいだろ、なんていうクズの思考回路で私は告白を承諾した。
「やったぁ!」
そうやって無邪気に喜ぶ顔は庇護欲を駆られた。いや、私は年下なんだって。
精一杯甘えましょう。
「父よ」
「どうした娘。懺悔か?」
「娘は彼氏が出来たぞ」
皿を洗っていた父がスポンジを握った。食器の人工着色料を吸った泡がシンクの中に落ちていく。
「はい?」
「バイトの常連さん。告白されて、嫌な気もしないからおっけーしたら彼氏、彼女になりました」
「娘よ…」
「なんだ、父」
反対か?
「彼氏になったって言った?」
「違うわ!」
思いもよらぬ指摘に声を上げて笑う。多様性だ、多様性だ。
「娘は彼女だ。彼氏は男だ」
「父よりかっこいいか?」
「それは微妙だ」
「そうか。許そう」
「ふははっ!」
父のこういうところが大好きだ。
同級生の中には父親が嫌いな友人も多いし、恋人が出来たことを家族に言うのは絶対に嫌だ、としている子が多い。
私はおかしいのかもしれない。真っ先に父に報告しようと思った。
恋がなんだ、とか。夢がない、とか。
将来のことは別に遊斗、とかいう人と考えなければいけないわけじゃないし。私は私の人生のキャリアを積みたいところで積み立てていればいい。
父には報告したい。人生のイベントの大半を。
「葵」
「ん?」
「今度家に連れて来なさい」
「結婚しないよ?分かんないけど」
「娘の彼氏というジャンルの人間には会ったことがない」
「宇宙人か。中学校とかもいたけどね」
「父知らないが?」
「言ってなぁい」
久しぶりに名前を呼ばれた。最近は娘、って一番呼ばれていたから。ちょっとむずかゆいな。
中学校の時は反抗期だったのかもしれない。父親にはなにも言っていなかった、気がする。無理して聞いてこようとしなかった父のおかげで、話したいことが山積みなって反抗期、思春期を抜けたあたりでドバーっと吐き出した。
父はうんうん、と相槌を打ちながら聞いてくれた。
彼氏のことはその時は話していなかったのかもしれない。
「結婚する、しない、は別にいい。葵のタイミングで、人生だから。父よりかっこよくないか見極める」
「中々の人だよ」
自慢できるほど彼のことを知らないし、正直人となりも知らないはずの人間と付き合うことのできるマッチングアプリを軽蔑してさえいた私。そんな私の心も動くんだな、って結構感動した。
軽蔑していたことは謝ろう。すまん。私も、思いのほか人間だったようだ。
「その彼氏、とやらはいくつなんだ?」
「大学2年って言ってたかな。21だか、そのくらい」
「年上か。余裕がありそうな大人か?」
「うーん、お友達って感じ。ラブラブっ、は程遠いかもしれない」
クッションを膝に置きながら夜のバラエティを見る。恋愛に奥手な女と、積極的に自分から食いに行きたい女が争っている。
ふむふむ。恋愛とはこういうものなのか。
「その恋に、父はガソリンでも注ぐかね」
「やめてくれー」
「上手くいくっていう末路が分からないが、2人とも幸せであればいいな。父は」
「そうか。そのくらいの認識で娘はありがたい」
父の方の顔を見ると皿を水洗いしていた。耳が赤くなっている。幸せを願うのは照れ臭いのかな。
「あ、遊斗さん」
「葵さん?」
「呼びやすいやつでいいですよ。私は一応年上だしってことで」
「葵、ちゃん?」
「ふひっ、可愛くなってら」
私はちゃん、っていうキャラでもない気がする。しかし、そう呼ばれるのも意外と悪くない。一緒にいるのは初めてのデートだから。連絡先を交換して、私が話し合いをしていたらしい。
日曜日に遊ぼう、ということでシフトも入っていないし、と。
「今日は、どこ行くんですか?プラン全部任せちゃってごめんなさい」
「いやいや。完全俺の趣味だから。付き合わせちゃうかも」
「いいですよ。知りたいですし」
意外もくそもないだろうが。
なんだ、その表情。
「アニメ、とか見る?」
「一応?」
アニメのグッズが大量に陳列されている店にやって来た。アホほど混んでいる中、階段を昇り7階まで。私は息が切れているのに、遊斗さんは目をらんらんと輝かせる余裕があるようだ。
「このアニメなんだけどね!もう完結しちゃったんだけど、ラストがまさにカオスって感じ。感動もするんだけど、それ以上にドロドロ感があってたまんない」
タイトルだけ聞いたことがある。サブスクに入るのは躊躇っていた。頑張って働いてくれている父の手前自分の金だったとしても見えやすい娯楽であることに気が引けた。
そんな私をお見通しと言わんばかりに父がいつの間にか、入っていた。作品数No.1を謳うサブスクリプションに。『お試しって何度も誘われて。ハマったら父の代わりに使ってくれ』って。
こんなに最高な父はいるのか、といつも思う。
そして、この遊斗、とかいう男。そう言う気遣いは出来ないのか。なんでもいい、とは言っていないし、私が候補を出したのにもかかわらず満足させる自信がさもある、という表情で連れて来たかと思えば階段を昇らせた挙句、有名が取り柄なくせに私の感性は揺れ動かなかったアニメを語る。
ほうほうほうほう。
「このキャラ!俺の推しなんだけど、葵ちゃんにちょっと似てない?この、目のクールな感じ」
「そう?」
「似てるよー!」
やっぱり恋は魔法ではない。
ならばいっそ、映画で2時間潰す方がよかった。見たい映画だろうと、そうじゃなかろうと座って休んで、ジュースでも飲めるのなら。
これは、私が高校生だから?
まだまだお子様だから?
周りを見てみれば他にもカップルなんてものはいて、楽しそうにグッズを手にとっては悩んで買うか決めている。
「これは買うって決めてたんだー!」
じゃあ私とじゃなくてもよくない?恋人とこのグッズ売り場に来るって言うことは遊斗さんの中ではステータスなのかもしれない。
恋人は決して道具ではない。
これは、私のほぼ初めてだから?
中学生の頃なんてバレないようにって一緒に帰った記憶もほぼないのに。部活ガチ勢の私は付き合って、別れてを永遠に繰り返していた。今この現状と同じように恋人をステータスと思っていたんだと思う。
マセたガキだ。本当。
「あっ、ごめん!楽しくないよね!すぐ買ってくるから。この後は、水族館だから!」
「あ、ううん。気にしないで。ゆっくり選んでいいよ」
「そう?」
(気を遣え)
父よ、私との買い物はこんな感じの心境でいたのか。すまん。今後は1人で行こう。
『そんなことないぞ、父は楽しそうに選ぶ娘が好きだ』
そう言ってくれそうな気がしてしまう。でも私と父は別の人間だ。感じ方が違う。私の理想を押し付けるんじゃない。虚しくなった。
涙が出そうになる。
水族館で見た、大きい魚の腹にくっついている魚を見た。イソギンチャクの中から出てきたクマノミを見た。サンゴの中で眠たそうな顔をしているフグを見た。
遊斗さんの顔は見なかった。ガラスに反射して明るいところよりも見えやすい自分の顔も見ようとしなかった。
昼ご飯は大きいお皿にちょっとしか乗っていないサラダを食べた。空っぽになった皿のドレッシングと、野菜の破片の交差点。皿の白い部分に映る自分の顔を見てしまった。
全然楽しくない。
歯ぎしりの音が聞こえそうなくらい。これは八つ当たりだ。自分の感性に振り回されているだけの子供だ。
違う。私は違う。
「遊斗さんは、独り暮らしですよね?」
「そうだよークソボロのアパートに住んでる」
「へー、アルバイトとかって」
「灯油販売のドライバー。町中練り歩くだけでいい額もらえるからマジラッキー」
やっぱり人生に魔法は存在しない。
私の中の魔法は完全に解けてしまった。案外簡単に魔法の正体とは見抜けるものなんだ。科学的に説明が出来るんだ。それが魔法だ。イマジネーションだ。
特別な資格がいらないことには薄々気づいていた。でも特別感を覚えていた。
イメージ的には夕方。音は聞こえるのに、どこを走っているのか見当もつかない。気づけば音は聞こえなくなっている。サンタさんが夜の闇に消えていく速度とまるで同じだと私の感性は叫んでいた。
だからサンタクロースのような。ちょっとばかり、特別な人が運転しているのだろうと思い続け、信じ続けた。信じたかったから信じた。いつか現実になって欲しかったから。
「へぇ、そう、なんですね」
「意外?」
意外もくそもないだろうが。
「もうちょっとおしゃれなカフェとかでバイトしてるんだと思ってました」
「そうー?俺そんなイメージ?葵ちゃんって、面白い子だね」
「ははっ」
午後は映画を観るらしかった。観たい映画だったもので、それは見た。面白いようで嬉々とした表情で語っていた。表面上のネットで先に見た口コミと同じだった。
ごめん。本気で心から思っているのかもしれないけれど。ごめん。
同じ監督の作品を紹介したら観てみる、と言ってくれた。
でも全然面白くない。
帰ってソファに寝てスマホの前でへの字口になっていた。出来れば誰かに気づかれるように。出来ればその誰かが父であるように。
「早く帰ってこいやあ」
BGMのテレビはうるさいし。近所のおばさんは相変わらず声高いし。
『そろそろこの世界にも飽きてきた。でっかい洪水でも起こして、この世を一度リセットしてみようか。』
CMでそんな物騒な文言が聞こえてきた。今流行りの転生系のドラマか何かのようだ。人間が演じる部分は声だけ。アニメーションの技術の発達が目に見えて多用されているのに、ちょっとバランスがおかしくないか?と思うのは深夜帯だからなのか。
いや、面白いのもあるからな。そう言う訳でもないか。
CMが終わって、流石につまらなくなって消した。電気代も無駄だ。
今日私の魔法は解けた。
話を聞いてくれ。
「あ、父おかえり」
「ただいま。ご飯にしような」
「あ、うん。すぐあっためるね」
「頼む」
仕事用のカバンを降ろしながら、コートを脱ぐ父。スーツかパジャマ姿しか見たことないかもしれないな、とふと思う。
「お父さん、お風呂湧いてるから入っておいでよ」
「いいのか?じゃあ早く上がるからご飯はもうちょっと待っててくれ」
「はいはーい」
父が風呂から上がってきた。出来た娘なのでガスコンロに鍋を設置して待っている。
「ありがとう。じゃあ食べようか」
「うん」
白菜、食べたい。
「なぁ父」
「どうした娘」
「今日デートだったんだけどさ」
「出だしが父にとっては衝撃的だ」
にしては真顔な父だ。
「初デートで別れるのってありかな」
「何かされたか?」
「いや。ただ価値観の違いってやつをフルに感じたのと、私にとってのフェアリーゴッドマザー的な存在が暴露されてしまった」
「ほう」
遊斗さんが灯油販売車のドライバーであることを話した。心の中身はぐちゃぐちゃで、もう恋なんてしたくないとまで思っているのに。仲睦まじい記憶しかない父と母のようになってもみたくて。
「父は、ありと思うぞ。バイト先の常連だったんだろう?また会うかもしれないって思うならバイトやめたっていい。娘が気にしているほどこの家に金がないわけではないぞ」
「自分のためだし」
「続けてもっと知りたいと思うのなら、そうしたっていい。嫌いになっても、好きになっても娘がいい方向にだけ変われば父はそれでいい」
私の父の魔法は解けないみたいだ。
永遠の魔法が私の心をだんだんと癒していく。心の存在を信じなくなったのは中学校の時の大きな喧嘩が理由だったかな。遠くもないのに不確かになっているのに私はいつまでも真実を見ようとしない。
感情が揺れ動く時。文学的に表現すれば心揺れ動く時。その時に熱を帯びるのはいつも体の中心だった。
心臓ともちょっと違う。心臓よりもちょっとだけ右側。
体の本当に中心。シンメトリーの中心点。それがきっと心なんだと思う。
「父は魔法使いみたいだ」
「え、父はプリキュアだったのか?」
「そう言う訳じゃない」
食事を終え、涙がしみ込んだ風呂はいつもと同じ41度だった。体感も41度のまま変わりなかった。風呂は魔法にかからない。
活字に思いを乗せて別れを告げた。
『そっか』
とだけ帰ってきた返信の素っ気なさにも私はなんだこいつ、という感想を抱く。理由も説明していないし、そりゃそうか。
当たり前だよな。
灯油販売でもしてろ。その素晴らしい仕事で社員になれ。私のような魔法掛かり続けるアップデートされない過去厨の夢のままでいろ。
その後、彼さんはバイト先には来なくなった。
そして春になった。
魔法屋さんのお仕事がなくなるような季節になったけれど彼は一体どうしているのだろうか。気にしないで私は次のバイトを探そうと思う。
かなり続けた方だったけれど新しい副店長と反りが合わなかった。
また逃げて、始めて、終わらせて。
練習で出来ないことは本番でも出来ない。もしも本番になった時に逃げたくなって、死にたいくらいまで追い詰められても逃げるという選択肢がなければ次の始まりは来世ということになるけれど。
論破論破。
クソガキの脳みそを持つ私にとっての魔法使いさん。
その春の訪れはもう近い気がする。
「娘よ、話がある」
「んー?どうしたの?」
今日の晩御飯はシチュー。安くなっていた。この時期はちょっと暑いかもしれない、と思ったけれど残り続ける寒波のせいで実にちょうどよかった。
「再婚したい相手が、出来た」
「ほえ?」
「すごく優しい女性で、仕事で出会ったんだ。何度か食事にも行っていて。もちろん、葵が嫌だったら断るから。率直な、素直な意見を聞かせてほしい。葵に会いたいと言っているから、会って決めるのでも…」
「父は幸せ?」
驚いた顔で父は私の方を見る。シチューのスプーンを机に置いて私を見て言った。
「幸せだ。幸せに、なる、と思う」
「じゃあ私も幸せだ!会いたい。会ってみたい」
「娘は、本当にいい子だな…」
「気づいたか」
「知ってたぞ」
その後父と新しく母になる人は再婚した、連れ子でやって来た弟は新しい家族になった。可愛らしいいい子だった。
家族が増えて、私は成長して。いつの間にか大人になる日々を送っているけれど春が来る気配がない。芽吹きを見つけに行こうっていう話ですか。
突如現れろ、私の王子様!
白馬じゃなくてポニーでも全然構わない!
『そっか』
のままの記憶が動き出した。ついでに画面に動き始めた。
『急でごめん。会って話したい。』
私はチョロいオンナなのかもしれない。
今はどんな魔法販売を、どんな車でしているんだろう。
冬は灯油販売。爆音の販売専用車両。
うーん、ロマンティック。
ーーー
あおいそこのでした。
From Sokono Aoi.
ーーー
灯油販売と私 あおいそこの @aoisokono13
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