第7話 メンバーの構図

「耽美主義という犯罪は、実際に起こったとしても、それがすべて猟奇犯罪だとは言えないのではないか? あくまでも、猟奇的犯罪を演出しておいて、犯行をくらませるという考え方は、今も昔もあるからな」

 ともう一人の刑事がいうと、

「そうなんですが、それは、殺人の動機をカモフラージュするということよりも、動機が曖昧で、あまりにもたくさんの人が該当することで、犯行を煙に巻くということになるのではないだろうか?」

 という。

 本当であれば、

「事件を未然に防ぐというのが、当たり前のことである」

 が、実際に未然に防ごうとしてできたためしはない。

 警察というところは、

「今も昔も、何かが起きないと行動に移らない」

 ということだ。

 誰かが行方不明になっても、

「犯罪性がない」

 ということであれば、こちらがいくら、

「自殺するかも知れない」

 と言っても、捜索願を受理まではしても、動いてくれることはまずないのだ。

「自殺をするかも知れない」

 と言っても、そもそも、自殺をするだけの理由を話さないといけないのだろうが、中にはいくら警察と言えども、言えないことだってあるのだろう。

 それを杓子定規に、

「今は何も起こっていないから」

 といって動いてくれない。

 動かそうとすると、

「自殺をする理由はどういうものなのか?」

 と聞かれて、それをいうと、今度は、何かの犯罪に絡んでいるとすれば、いくら捜索してほしいとはいえ、簡単に口を割るわけにはいかなかった。

 少なくとも、精神異常で自殺をするのであれば、そこには説得力はない。

 まさかとは思うが、

「精神異常者が死にたいと思うのであれば、そのまま死なせてあげるのが人情だ」

 という考えを持つ人もいるかも知れない。

 そもそも、精神異常になるのは、

「元々生まれついての素質や、親からの遺伝のようなものがあった」

 というのか、あるいは、

「母体にいる時、母親が大きなショックがトラウマになってそのまま生まれてくることになった」

 ということなのか、あるいは、

「生まれてきてからの育つ環境において、気が狂うくらいの大きなトラウマが身についてしまった」

 ということなのか、それぞれに可能性はあることだろう。

 ただ、自殺を絶えず考えている人が、思春期には結構いたりする。

 特に女性など、

「リストカットのためらい傷」

 というものが、手首に無数に残っている人もいるだろう。

 それを考えると、自殺というものが、いかに無意味だと、その時に感じたのかということと、

「人間、そう簡単に死に切れるものではない」

 ということと、

「死ぬ覚悟など、そう何度も持てるものではない」

 ということ、それぞれが、同時に頭の中に湧いてきたりするものではないだろうか?

 昔の人と、今とでは環境も違えば、考え方も違う、何と言っても国家体制が違ったからである。

 戦前は、

「大日本帝国」

 という、天皇を中心の中央集権国家である、

「立憲君主」

 の国であった。

 ただ、今は、憲法によって、

「国民主権」

「基本的人権の保障」

「平和主義」

 という三本柱による、

「民主主義国家」

 になっているのである。

 戦前の主権は、天皇であった。天皇が憲法に則って、基本的には最終決定を下す。ただ、絶対的な権利があるのは、軍にだけであり、基本的に政治には口を出さないというのが、建前だった。

 それが、敗戦によって、

「天皇制をどうするか?」

 というのが、連合国の問題であった。

「天皇に戦争責任を押し付けると、日本という国の国民性から考えて、占領地域の治安を守ることができなくなる」

 という理由から、天皇制は残すが、象徴としての存在に変わった。

 それまでの天皇は、

「君臨すれど統治せず」

 という形であった。

 確かに、最終決定は天皇であるが、御前会議に上がってきたものを、承認するだけというのが、天皇の立ち位置であった。

 その天皇には、

「元老」

 と呼ばれる、ご意見番たちがいる。

 彼らは、元首相経験者であったり、元帥であったりする猛者たちで、彼らの意見を天皇は聞くことが政治の一つのパイプだった。

 そんなご意見番のような人たちをことごとく殺害したのが、

「226事件」

 であった。

 天皇は、自分の腹心と言える連中を殺されて激怒した。しかも、天皇は軍において、

「大元帥」

 という立場であり、軍自体は、天皇直轄なので、すべての指示は天皇から出てくるものであった。

 しかも、天皇からすれば、

「彼らは、自分の許可もなく、勝手に軍を動かし、殺害を行ったのだ」

 というだけでも、当時は死刑に値する。

 つまりは、

「軍を天皇の命令なしに勝手に動かすというのは、許されることではない」

 ということだった。

 しかも、それが、大将や元帥などと言った立場の人間であれば、まだしも(そんな立場の人間がそんな大それたことをするはずもないのだが)、動いたのは、大尉や中尉などの青年将校だというではないか。普通に考えても、天皇のメンツは丸つぶれであり、

「天皇の大権を侵犯した」

 ということは死刑に値するというわけだ。

 もっとも、クーデターによる政府転覆計画なのか、それとも、陸軍内部の派閥争いなのか、正直分からない様子だった。

 そもそもの事件を冷静に見ていると、殺された要人たちは、自分たち皇道派と呼ばれる人間を敵対している大臣たちの殺害だった。

 大臣と言っても、総理大臣などは、ほとんどが陸軍出身者が多く、その次に海軍出身者、そして、政党による総理大臣選出だったりするのだ。

 内閣がいきなり総辞職ということも、この時代には結構あった。

 しかも、天皇が、余計なことを言ってしまったがために、責任を取って総辞職した、

「田中義一内閣」

 もあった。

 または、暗殺によるものもあれば、政策を見誤ったことでの、総辞職もあったのだ。

 そういう意味では、今の自民党政権の内閣は、なかなか辞職をしない。世間から突き詰められたり、マスコミに攻撃されても、しぶとく粘っていたりするのだ。

 それを考えると、当時の政権は、野党が強かったのか、それとも、軍による干渉が大きかったのかである。

 例えば陸軍が、当時の内閣を潰そうとすれば、できなくはない。

 現職の陸軍大臣を辞職させ、さらに、退役軍人を含めたところでの陸軍大臣を選出しなければいいだけで、陸軍大臣が空白になった場合、誰かが兼任ということになるが、さすがにそれを陸軍が許さなければ、成立できない。

 実際にここまでのことがあったかどうかは分からないが、陸軍が気に入らない内閣を政府が作ろうとした場合に、陸軍大臣候補を出さなければ、自然とその内閣は組閣に失敗したことになり、内閣自体の成立は不可能になり、

「幻の内閣」

 ということになる。

 何といっても、そこが難しいところで、組閣というのは、天皇が任命した首相が行うものなので、ある意味、

「陸軍は、天皇の決定に不服である」

 と言っているのと同じことになるのだった。

 そんな時代が、戦前の、

「大日本帝国」

 だった。

 軍備拡張による軍事大国、さらに経済大国でもあった日本の軍事力は、侮ることのできないものだった。

 それはアメリカが身に染みて分かっていることで、それだけに、日本の平和主義は、不可欠な状況だったのだろう。

 大日本帝国が、敗戦によって崩壊し、占領軍によって、急激な民主化が進む中、警察も次第に、民主警察となっていった。

 それまでの、特高警察であったり、治安部隊のようなものはなくなり、脅迫や自白強要、さらに、国家思想の押しつけなどといったものはなくなった。

 確かに、戦時中の戦争遂行においては、一人でも、

「戦争反対」

 と叫ぶものがいれば、政府や軍とすれば恐怖であろう。

 元々、無理な戦争をおっぱじめた形になってしまったもので、日本人にとって、団結が崩れると、今度は別の団体が生まれてくる。

 それが反戦であったり、共産主義革命であれば、戦争に邁進している国家の根底から裏返ってしまうことになる。

 当然、戦争を継続させるために、民衆を戦争に駆り立てるプロパガンダを発出する。

 プロパガンダというのは、どこの国にでも、戦争を行う以上、切っても切り離せないのだ。

 戦争継続には、莫大な戦費が掛かるし、長引けば長引くほど、国民生活はひどいものにあり、政府に対して不満の一つも出てくることだろう。

 それが次第に大きくなっていき、

「戦争は早く終わって、生活が楽になるはずなのに、戦争はなかなか終わらない。その割に、犠牲者は増えるばかり、生活もどんどん悪くなる」

 ということであれば、クーデターが起こっても無理もない状況になってくることだろう。

 そうなると、戦争継続どころか、国内でのいざこざを収めなければならなくなるので、とにかく、目を戦争に向けさせて、

「鬼畜米英打つべし」

 と、大きな敵に立ち向かうには、一致団結をしないといけないということで、国内を統制するうえで、警察の力が強くなるのだった。

 あくまでも、戦争継続のための、戦意高揚を絶やさないようにするためということで、マスゴミには戦意高揚の記事を書かせるだけではなく、大敗した戦いも、勝ったという一種の、

「デマ」

 を流さなければいけないということであった。

 政府、いや、軍は、いかなることをしてでも、戦意高揚だけは死守しなければいけなかった。

 そのくせ、立てる作戦は、どうなるものでもなく、最期には、

「特攻隊」

 なる、脅威の、

「人間爆弾としての体当たり作戦」

 が決行されるに至ったのだ。

 現在の民主警察は、そんな時代のようなことはない。

 あくまでも、

「法律に則った捜査を行い、被告であっても、犯人までも、人権というものが存在しているという理念にのっとっている」

 といえるであろう。

 少し時代が極端な時代にさかのぼったが、このゲームにおける、

「鹿之助」

 という名前の人は、結構、戦時中などの話に造詣が深かった。

 もちろん、ゲーム内では、どこの誰なのか分かるはずもないので、そんなことは、特に、

「景勝、景虎、帰郷」

 の三人に、分かるわけのないことであった。

 ただ、後ろのプライベートメッセージで話をしていた、

「光秀」

 と名乗る人物とは、結構話ができていたのだ。

 ここで、このゲームの体制が、

「景勝、景虎、帰蝶」

 という三人と、

「鹿之助、光秀」

 という二人との構図が出来上がっていた。

 さらに、三人は知らなかったのだが、後の二人がつけているハンドルネームである、

「光秀」

 と、

「鹿之助」

 という名前は、実は、それぞれ、お互いにつけてやったものだということであった。

 ということは、

「光秀と、鹿之助は、以前から知り合いだった」

 ということになる。

 そして、これも、後の二人は知らなかったこととして、

「光秀というのは、実は女性なのだ」

 ということである。

 それを知っているのは、鹿之助だけであり、

「光秀は何かを計画している」

 ということが分かって、ここに参加したのだ。

 それが、光秀の企みに対して、

「応援、あるいは協力するという意味での参加にあったのか?」

 それとも、逆に、

「光秀が何か怪しいことをしようとしたら、戒めよう」

 ということで入ったのか、光秀には分からなかった。

 後者の戒めというのも、

「光秀の企みを止める、あるいは、阻止する」

 というのが目的ではない。

 どちらかというと、光秀が自分の行動に夢中になりすぎて、自分が危険な目に遭いかかっているところが分からずに、その時になって、

「どうすればいいのか?」

 と我に返った時、自分がどこにいるか分からないということのないように、見張っているということに注視しようと考えているのだろうか?

 そのことを知っている人は誰もいなかったのだ。

 正直、鹿之助は、光秀のことを、女として好きだという自負はある。しかし、だからと言って、その気持ちを、

「すべてにおいて優先させよう」

 という思いはないようだった。

 鹿之助にとって、彼女というよりも、妹と言った方がいいかも知れないのは、こちらも、向こうの三人と同じような立場で、幼馴染だったのだ。

「だから、相手の三人が実は知り合いで、しかも幼馴染ではないか?」

 ということを、鹿之助は、何となく悟っていたのだった。

 鹿之助は、景虎と景勝が、

「卑怯なコウモリのようなものだ」

 ということを知っていた。

 どうしてそれを知っていたのかというと、光秀に聞いたからだった。

 光秀という名前を付けるように言ったのは、鹿之助だった。必秀がどのような目にあったのかということを光秀から聞いて分かっていた。

「完全に、プライドをズタズタにされて、人間不信に陥り、さらに、それがトラウマとなって、鹿之助には、光秀の中に入って慰めることができなくなってしまっていたのだった」

 景虎と景勝が、それぞれに、

「卑怯なコウモリ」

 だということになれば、その被害者は、光秀だけではないだろう。

 光秀は、同じ目に遭った人が、二人と関係の深い人間にあると悟ったのだ。

 しかも、その相手は女性で、二人は、その女性を巡って、お互いに攻撃したり逃げてみたりしたのではないか?

 それは、

「卑怯なコウモリ」

 と同じ行動であり、

「自分が、鳥に向かって、鳥といい、獣に向かっては獣だといって、逃げ回っている」

 という性質である。

 つまりは、

「逃げ回る」

 という行動がなければ、

「卑怯なコウモリ」

 という考え方は成り立たないのだ。

 最初に、二人のことを、

「卑怯なコウモリだ」

 と言い出したのは、光秀だった。

 光秀は大学で、景勝と同じところに通っていた。その光秀の幼馴染が鹿之助だったのだ。

 鹿之助は、そのハンドルネームを、山中鹿之助からつけたこともあって、

「主君には、徹底的に味方に徹する」

 という考え方であった。

 つまり、光秀のことを主君だと思っていて、光秀の方も、家臣だと思っている。

「今の時代に、何をそんな封建的な」

 と言われるだろうが、明らかに二人の間には、主従のような関係がある。

 しかし、封建的と言われるかも知れないが、主従関係の方が、

「その結びつきの強さ、そして、人間としての、生きがいのようなもの」

 があるのだとすれば、それはそれで、いいことではないだろうか。

 今の世の中、平和ボケというのか、政治家や国を治める連中が、自分たちの私利私欲に走って、国民をないがしろにして、国民の税金を、まるで自分のものでもあるかのように、無駄に使っているのが散見される。

 今の時代のソーリだって、そうではないか?

 令和4年の9月の頃の、ソーリというと、最初は、

「政権与党の間に隠れている汚職を暴いて、明らかにさせる」

 といって、総裁選に通ったくせに、ソーリになったとたん、その汚職のドンに対して頭が上がらなくなってしまった。

 外国で戦争が起こると、本来であれば、日本のように、憲法で、

「戦争放棄」

 を謳い、さらに、専守防衛しかできない状態で、戦争を始めた片方の国の肩を持つなどということはあってはならないのだ。

 すぐに中立を表明し、なりゆきを見守るしかないはずなのに、こともあろうに、攻め込まれた国に援助し、さらに、その国が援助を言ってくれば、ホイホイで金をやる。

 アメリカで演説した時には、アメリカ国民に対して、

「真珠湾を忘れるな」

 と、攻められた国の大統領はほざいたのだ。

 完全に日本を無視した言い分ではないか。7

 しかも、そのダイトーリョーが、今度は日本で演説をぶちかました時、こともあろうに、政治家たちは、立ち上がって、スタンディングオベージョンである。

 本来であれば、金もないくせに、大国と戦争を始めるという暴挙に出たのは、自分たちなんだから、何も日本が協力してやる必要はないはずである。

 しかも、アメリカ議会の前で、

「真珠湾を忘れるな」

 と言った後にである。

 みんなのあの拍手を見た時、思わず、

「ハイル・ヒトラ―」

 と言っているような錯覚を受けた人は意外と多かったのではないだろうか?

 攻めている国の大統領が、

「やつらは、ネオナチだ」

 と言っているのも分かる気がする。

 しかも、そんなことをするとどうなるかというと、

「物資が入ってこなくなる」

 ということになり、さらには、物価が上がるというわけだ。

 しかも、日本は、元々景気が悪く、給料が上がらないという状態に持ってきて、給料が上がらないまま、物価だけが上がっていくという、いわゆる、

「スタグフレーション」

 というものに入っていくことになるのだ。

 そんな時代というと、昭和恐慌を思い出すではないか。

 元々、マンハッタンでの株の大暴落から始まり、日本での凶作が追い打ちをかけ、這い上がろうとすると、列強が、

「ブロック経済」

 などというものを敷いて、

「強国である自分たちだけが生き残ればいい」

 というような世界になった。

 そうなると、日本ができることは、

「今までの占領地をすべて解放し、明治維新の状態に戻る」

 ということになって、世界から物資を分けてもらうという生き残りを目指すか。

 あるいは、

「資源の豊富な地方を占領し、対外戦争も辞さず」

 という方向で、戦争に突き進むしかなかったのだ。

「大東亜戦争は、日本が無謀な戦いを挑んだのは、慢心からだ」

 という人がいるが、決してそんなことはない。

 特に日本政府は、外交に舵を切っていた。しかし、暴走してしまった陸軍を止めることはできなくなっていたのだ。

 そもそも、政府は、軍の作戦には口を挟んではいけない。天皇を通さなければいけないわけだが、日本の政府ごときが、天皇を動かせるわけもなく、どんどん、

「事後承認」

 という形で、作戦が、正当化されてくる。

 しかも、悪いことに、戦争は連戦連勝であった。危機感もない。

 戦時中の情報統制のように、

「負けているのに、勝った勝った」

 と言っているわけでもないのだ。

 本当に勝っているのだから、たちが悪い。政府も国民もマスゴミまでもが、戦争機運になるのも当たり前だというものだ。

 そういう意味で、大東亜戦争の前夜。一番戦争を回避したいと思っていたのは、政府であり国民ではない。

 陸軍は、完全に、

「開戦やむなし」

 であり、海軍とすれば、山本五十六長官のいう、

「半年や一年は十分に暴れて見せるが、それ以降となると、保証はできない」

 ということに代表されるように、

「戦争をするなら、先手必勝。そして、連戦連勝でタイミングを見計らって、一番条件のいいと思えるところで和議を結ぶ」

 というやり方しかできないのだ。

「ニューヨークやワシントン。ロンドンに攻め込むなどできるわけもないので、どこで挙げた矛を収めるかということだけが、戦争に勝つための条件である」

 ということで始まった戦争だった。

 まさか、ルーズベルトが、

「我が国がヨーロッパの戦争に参戦するためには、何かのきっかけがいる。そのため、日本に先制攻撃をさせて、その恨みを晴らすという形に持っていけば、反戦ムードは、戦争ムードに一変するだろう」

 ということだったのだ。

 そんな時代を考えてきた中で、封建的なイメージを頭に抱いた鹿之助だったが、鹿之助が、

「どうして、光秀に対して、ここまで従者としての気持ちになれるのか?」

 ということを考えると、光秀の正体をクローズアップさせないといけなくなってくるだろう。

 そう、ここに出てくる光秀というのは、男性ではない。女性だという事実だったのである。

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