骨の花葬
磊(コイシ)りえい
第一章 その1
ソレは『死』そのものを変えた。単なる小さな隕石、そのはずだったのに……。
苦痛のない死。
そしてそれには代償があった。
◇ ◇ ◇
炎が膨れ上がり、小さな爆発音が続いた。曇り空と、灰色の煙を背景に、赤やオレンジの火の粉がハラハラと舞っている。身を隠した窪地から顔だけをのぞかせて、リボルバー式の銃を構え様子を見る。これは人を撃つためじゃなく、引火しなかった時に予備の着火剤として構えていた。だが、揮発性の高いガソリンは少しの火花で引火してくれた。トンネルの出入り口が炎で包まれる。
炎の中で燃えている人がいないかヒヤヒヤしながら観察したが、そんな動きは見えない。俺たちを追いかけてきた奴らは炎を見て逃げてくれたようだ。そのことに俺はほっと息をはいた。
「カヨ、もういいぞ」
俺は拳銃を腰のベルトにねじこむと、隣でしゃがんでいる女の子に声をかける。カヨは俺の指示で目と耳を閉じていた。俺の声は聞こえないのか反応がない。俺がポンと彼女の頭に手をおくと、カヨははっと目を開いて俺を見た。俺は動作で耳から手を外していいと伝えてカヨは素直にそうする。
「うるさかったか?」
カヨは唇をわずかに動かしたが、声をだすのにあきらめたようにうつむき、しばらくためらった後、首を横に振った。
無口な子だった。年の頃は八歳か九歳ぐらいで、肩まで届く黒い髪に、ぱっちりとした二重まぶたで目鼻立ちのはっきりした顔立ち。だが存在感が薄く可愛い印象を受けないのは、表情が動かないことや前髪の長いことが原因だろう。
この子と出会ってから数日間カヨが自ら話しかけてくることはほとんどなかった。声は出るので、
「喋りたくないんだったら無理するな」
俺が呼びかけると、カヨは小さくうなずく。
もう大丈夫だろうとカヨが立ちあがるのを助けた。炎はまだ燃えあがっている。鎮火してくれる消防隊というのはもうこの日本にはいないので、周りに燃え広がらないことを祈った。
炎の向こうにいる俺たちを追ってきた連中。彼らがすぐそばまで来ていることがわかって、トンネルを必死に駆け抜けた。その先に、小さな町工場があったことは幸いだった。ガソリンタンクも。
工場のトタン屋根は一部穴が空いていて、細々とした光の柱を作っていた。ガラス窓も割れていた。荒廃はゆっくりとだが着実に広がっている。
破棄され、埃のかぶった車からバッテリーを抜いて、ガソリンをトンネルの出入り口に撒いた。そこに銅線をつなげたバッテリーを置き、銅線を挟んでおける工具で電極を繋げ、走って窪地に逃げ込んだ。バッテリーが高温になったせいか、火花が発生したせいか、ガソリンは見事に燃え上がってくれた。
俺たちは炎から逃げるように再び歩き出す。
狭い道を歩いているとふいに磯の香りがし、さらにカヨの声が聞こえた。
「う……み」
かすれ、搾り出すような声に俺も顔をあげると、確かに目の前に海がある。今までは両側を絶壁に囲まれた切り通しを歩いていたので、海は見えていなかった。
不意に海が現れて、俺の内側は暗く重たいものであふれた。
海から目をそらして隣のカヨに目をやると、彼女は首を伸ばして食い入るように海を見つめている。
落ち着いた深い青の海に、カヨは不思議と馴染んでいる。ダークグリーンのワイシャツに黒いズボンというシンプルな出で立ちで、無表情に海を眺めているからか、深い海の底で漂っている海草を思わせた。
「……海ははじめてか?」
カヨは顔をあげて俺のほうを見た。その瞳はキョトンとしている。質問の内容が驚きのようだ。
「はじ、めて……じゃないの?」
おずおずといったふうに聞き返されて俺は微かに笑う。どうやらこの小さな女の子にとっては、海を何度も見ている人間がいることは驚きなのだ。
「俺がお前みたいに小さい頃は海の近くに住んでいたさ。それこそ毎日海を見ていたな……もう海を見るのはイヤになったよ」
カヨは俺の言葉を確かめるようにうつむき、やがて俺と海を交互に見比べた。
彼女にとっては海の近くに住んでいる人がいること、海がイヤになること、どれもが納得のいくものではないのだろう。
カヨが急に手をあげて、指をさす。つられて俺もそちらを見た。カヨの指の先、浜辺を分断するように崖がせり出ている。その崖の下、崖と海の小さな境目の部分に人工的な青いものがある。ビニールシートだ。
ビニールシートの下にはなにかあるのか。目を細めて確認しようとする。
「ひ、と?」
カヨは俺より目がいいようだ。
「行ってみよう」
俺が言うと、カヨは恐る恐るといった感じに俺に手を伸ばしてきた。俺は気がつかないふりをして歩き出す。カヨも少し遅れて歩き出すのが気配でわかった。
段差の大きな階段を使って浜辺に降りる。ビニールシートに近づきながら、堤防の壁のチラシに目が止まった。チラシには
チラシには一人の男の顔。俺はその顔の部分をぐっと力を込めて握りつぶす。二度とその顔を見ることがないように。乾いた音を立ててくしゃくしゃになるチラシを持って、大股で波打ち際まで行くと、それを海に向かって投げ捨てた。
振り返るとカヨは不思議そうに俺を見ている。
ビニールシートに近づくとカヨが人だと言った理由がわかった。ビニールシートから白髪だらけの頭部が見えている。真っ白な頭髪は崖を背後によく目立っていた。そこにコバエがブンブンと飛び交っている。どう考えても昼寝をしている状況ではない。
海の近くにあるビニールシート。不吉なものを思い出して、背筋が冷たくなる。
カヨを後ろに下がらせ、そっとビニールシートをめくる。
そこには目が落ち窪み、頬がこけ、ウジ虫のわいた死体があった。
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