番外編1:私はいかにしてゆみみさんになったのか。
私の名前は山崎幸則。
長年勤めた高校を退職し、再任用の期間も終わり引退して自宅で過ごす日々を送っている。
今は、地域の民生委員を引き受けているので、定期的に近隣の一人暮らしの世帯への訪問や、地域のイベント開催のお手伝いをしている。
ようやく手にした自由時間なので、歴史書の研究でもして過ごしたいのだが、ずっと引きこもっているとよくないという自覚もあった。
そして、どうやらお節介焼きなのかワーカホリックなのか、ふらふらと出かけていく日々である。
先日も囲碁将棋会開催のため、コミュニティセンターの部屋の手配をした。
女性はお茶会という名目で出てきてくれるのだが、男性はなかなかそうもいかない。だから、囲碁将棋会など、何か興味のありそうなイベントを開催して、家から出てきてもらうことになる。
実際、一人暮らしの世帯は、とかく外部との接触が減っていく。
外に出るのは買い物くらい。
外部の情報はテレビのみ。
放っておくと、最後の末路は孤独死ということになる。
弟は孤独死という形ではなかったが、両親のいなくなった家を一人で守り、がんで亡くなった。
弟には、ゲームという暇つぶしがあったが、それぐらいだ。
遺品を渡す相手は、最後にお世話になったケアマネさんしかいなかった。
寂しかったのかもしれない。
私には、もっと何かできたのではないか、そんな気もしていた。
そう。
あれ以来、いつも、そんなことばかり考えていた。
「今日はお墓参り行くの?」
ひさしぶりにネクタイなんか締めていたら、妻が声をかけてきた。
「ああ、孝則の命日だしな。帰りに何か買ってくるよ」
「私も行きたいなあ」
「おとなしくしてなさい」
二週間前、足を滑らせて転んだだけなのだが、それだけで骨折したと言われ、不自由な生活を送っている。
私も家事くらいはできるので、そこの不自由はないが、友だちと一緒に外に出たがるのが困りものだ。喫茶店に行っておしゃべりをする、という時間が妻には何よりも大切だったのだ。
まあ、しばらくは我慢してもらうしかない。
弟、孝則のお墓は、郊外の寺院の霊園にあった。
車を駐車場に入れ、花を片手にお墓へと向かう。
すると、そこには先客がいた。
女性が手を合わせていた。
孝則の縁者なのか?
葬儀にあんな女性は来ていただろうか?
女性は私に気づくと立ち上がって一礼をしてくれた。
「ご無沙汰しています。山崎さんのお兄さんですよね。私、山崎さんのケアマネをさせていただいた榊原恵と言います」
思い出した。
葬儀でお会いして、孝則の遺品を渡した方だ。
ケアマネというのは、担当した人間の命日に、わざわざ墓参に来るほどの関係性なのだろうか?
「わざわざありがとうこざいます。あの……、ケアマネさんというのは、わざわざお墓参りに来られるものなんでしょうか? それとも何か孝則とそれ以上のご縁が?」
ご縁も何も年齢が違いすぎるので、そんなことはないだろうが。
「友人だったんですよ。渡していただいたパソコンを見て、初めて気づいた友人関係だったんですけどね」
「は、どういうことですか?」
「私たち、オンラインゲーマーだったんですよ」
その後、私たちは近くの喫茶店に移動して、いろいろと話を聞かせてもらうことになった。
オンラインゲームという、何かコンピュータの世界で友だちだったという。
果たして、どういうことなのか。
榊原さんが言うことには、どうもパソコンの中に、みんなが遊べる空間になっていて、そこで知らない者同士で遊ぶのだとか。
そして、お互いに知らぬうちに、孝則と一緒に遊んでいたのだということだった。
「弟は、孝則は孤独ではなかったと?」
「そうですね。それなりに、というか、かなり楽しんでいらっしゃったかと」
そうなのか。
今ひとつ、私が理解できずに怪訝そうな顔をしていると、榊原さんが一つの提案をしてくれた。
試してみるといい、と。
そうして、孝則が使っていたパソコンを渡してもらえることになった。
二、三日して届いたパソコンには、丁寧な解説がついていた。
とは言うものの、私には勇気がなかった。
よくわからない。
それが全てだ。
ちなみにパソコンの使い方がわからないわけではない。
何をするゲームなのかがわからなかった、ということなので、誤解しないでほしい。
「あれ? お父さん、新しいパソコン買ったの?」
パソコンが届いて一週間ほど立ったあと、そう言ってきたのは娘だった。
既に子どもも大きいということで、スーパーにパートに出ているのだけど、たまにこうして、スーパーで諸々買い物をした上で寄ってくれることも多い。
「いや、孝則のパソコンだ。どうも、ゲームがインストールされてるらしくてな」
「へー、どんなゲーム?」
「オンラインゲームと言ってた」
「オンゲーかあ。ファイナル・ファンタジア14かな」
「いや、PSO2とか言ってたな」
「PSO2かあ。FFだったらあたしがやってるんだけどなあ」
「何だ、似たようなことやってるのか」
「うん。知らない人と遊ぶの楽しいよ」
「楽しいのか」
「そうだねえ。直接顔は合わせてないけど、代わりに分身が顔を合わせてる感じかな。百聞は一見に如かず、やってみる?」
「え?」
「孝則おじさんのキャラがあるんでしょ。多分すぐに始められるよ。正確には規約違反っぽいけど、遺産相続と思えば、いいんじゃないかな。キャラクリ始めるとめんどいし」
そう言ってパソコンを立ち上げ、あっという間にログイン、そしてキャラクター選択画面が現れた。
そこには、ピンク色の髪のメイド服を着た少女がいた。
「あら、孝則おじさん、可愛いキャラクリするのね」
「これ、孝則が作ったのか」
「そうみたいね」
いい歳をしたおじさん、というかそろそろ老人、後期高齢者が見えてくるような人間が、こういうキャラクターを使う違和感はあった。
だが、孝則の見ていた風景があるなら。
見てみたかった。
「じゃ、このキャラ使ってみるね。まあ、嫌だったら、新しく作り直せばいいだけだし」
「いや、このままでいいよ。孝則の見ていたものが見てみたい」
「そっか。じゃあ、問題なし。行ってみようか」
ジェットコースターみたいな画面から、SF的な町の風景に変わった。
そして、何か表みたいなものが出てくる。
「ログインボーナスだね」
「ろぐいんぼーなす?」
「ゲームやると、もらえるのよ」
「そうなのか」
そういうものなのか?
「何かたくさんいるな。人とかロボットとか。話しかけたりするのか」
「あー、昔ドラクエとかやってたっけ、父さん」
「お前がやっていたのを見ていただけだぞ」
「でも、まあ、RPGの基本はわかっているみたいね。でもやっちゃダメ」
「どういうことだ」
「そこにいる人、父さんと同じ。中にちゃんと人がいるのよ」
「は?」
「どういうことだ」
「みんなが自分のキャラクターで、ここへやってきているの」
「これ、みんな……プレイヤーということか」
「そう。だから、友だちもいたはずよ」
いきなりピンク色の文字でメッセージがやってきた。
送信者は「パグパグ」
「ケアマネさん、おひさしぶりです。また、ゆみみさんで来てくれたんですか?」
あ、いや。
「ど、どうすればいいんだ」
と、リアルで声を出す。
「ゲームの中では文字で会話するの。ほら、こんな風に」
そう言ってキーボードをたたき始める。
「こんばんは。このキャラのご友人ですか?」
「はい。チームマスターです。ゆみみさんは、うちのチームに所属していました」
「私、このキャラの持ち主の姪に当たるものです。父が、持ち主の兄なんですが、おじさんの見ていた世界を見てみたいと、それで」
「姪っ子さんはPSO2のプレイヤーなんですか? ずいぶん慣れていますが」
「光の戦士ですよ」
「あら、ひかせんでしたか」
「ここからは、父に変わりますね」
「こんばんは、ゆみみさん。ここでは本名ではなく、キャラの名前でいきましょう」
「お父さん、これからしばらくはゆみみさんだからね。本名使っちゃダメだよ」
「あ、ああ、わかった」
「初めまして。ゆみみです。右も左もわかりませんが、よろしくお願いいたします」
「ようこそ、ハルファへ! 今日からよろしくお願いします!」
こうして、私はこのゲームを始めることになった。
いつの間にか、妻が娘に教わって自分のキャラを作っていた。そして、私のいないときにいろいろやっているが、まあいいだろう。
榊原さんも、こっそりウィスパーチャットをくれた。
「始められたんですね。よろしくお願いします」
キャラネームは「るな」。
何か派手な格好をした少女だった。
みんなが東方とか呼んでいるが、いまだに何なのかはよくわかっていない。
だが、プレイするために必要なことは、みんなが教えてくれた。
そして、自分でもいろいろ調べた。
そして、いつの間にか、毎日ログインするようになり、友だちが何人もできた。
今、私には友だちがたくさんいる。
中学生、と名乗られると、つい宿題は? と言ってしまいそうになるのは、元教師の悪いところだ。
コンピュータの空間の中に、世界がある。
コミュニティがある。
孝則は孤独だったのか?
本当のところはわからない。
どれだけ、みんなに心を開いていたのか。
だけど、身近にたくさんの仲間がいたのはたしかで。
私は、ほんの少しだけ安心をした。
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