第3話

 ナビット個別指導学院は、全国に1000教室ほどある中堅学習塾だ。

 僕は、その南栄三丁目教室の教室長。


 教室長と言われると、割と偉そうな感じだが、僕以外の指導員が全員パート、アルバイトという事実を踏まえれば、まあたいしたことはないというレベルだということが判明する。

 むしろ、エリアリーダーと呼ばれる複数の教室を束ねて管理する人が、僕の上役で、主任・係長のポジションだ。

 そう、正社員であれば、そのまま教室長ということになるのだ。


 とは言え、アルバイトの頃からこの教室にいるから同期の社員より、ちょっとだけ経験も豊富。

 それなりに保護者の方の信頼も受けている。

 だから、講習会の売上もそこそこ出せているので、他の教室でも同じことができれば、多少給料も上がっていくはずだ。


 ちなみに学習塾の先生は、勉強を教えることが仕事ってわけではない。

 高校に合格させること、そして基本の月謝以外の追加売り上げをきちんと上げること。

 講習会や模擬試験が、いわゆる追加売り上げだ。


「時任先生」

 生徒の一人、中学二年生の桜庭祐介が声をかけてきた。

 あ、僕の名前は時任二郎。姉の名前が時任一姫というあたり、とても安直な名前付けと思われる。


「どうした、祐介?」

「これ」

 いつも言葉少なな祐介が一枚の紙を差し出してきた。

 模試の申込書だ。

「おう。ありがとう」

 はい。これで、一名追加。

 とは言え、祐介は、家庭が教育熱心なので、あまり心配はしていない。


 地頭がいい感じではないが、きちんと努力して、中の上をキープするのが、祐介の特徴だ。

 だから、きちんと模試を受け、できなかったところを講習会できちんとサポートすれば、努力分だけは身に着けられる。

 そんな子だ。


 チャイムとともに、アルバイト講師たちがテキストを閉じさせる。

 そしてそれを待つまでもなく、バタバタと駆けだす子どもたち。

 僕は、それに合わせてドアへと向かう。

 ドアの向こうには車で迎えに来た保護者たち。


「こんばんは」

 何人かの保護者に挨拶がてら、最近の子どもたちの状況を説明していく。

 実は、この時間が教室長のもっとも大切な仕事だったりする。

 お金を出すのは保護者だからね。


 そして、保護者たちの中に、いつもと違う顔を見つけた。

 たしか、一度だけ会ったことがある。

 祐介のお父さん。

「ご無沙汰しています。桜庭さん」


 人違いだったらどうする、という考えがよぎる。

 これがゲームだったら頭上に名前があるのだけど、現実では、そんなわけにはいかない。

 人の顔を覚えるのが苦手な僕としては、ぜひ実装してほしい機能なんだが。

 とは言え、あえてギャンブルで声をかけてみた。


「先生。いつも祐介がお世話になっています」

 よし。勝った。

「珍しいですね。お父さんが迎えに来るのは」

「たまたま早く帰ってこれましたので」

 そうか。お母さんの体調悪いとか言われたら、リアクションに困るところだった。

「祐介君、がんばっていますよ。がんばりがそのまま力になるタイプですね。そういう子は、割とさぼりがちなんですけどね」

「そうですか。私としては、少し遊んでほしいくらいですけどね」

「今のがんばりが、将来きっと役に立ちますよ」

「だといいのですけど」

 祐介のお父さんは、たしか介護事業をしている会社の社長さんだ。

 ヘルパーとして独立して、今ではデイサービスなどの施設をいくつか持っていると、お母さんが言っていた。

「多少、遊んでくれた方が、仲間とか友人を作りやすいとは思うのですが。私の方が古いんですかね」

「そんなことはないと思いますよ。祐介君、結構リーダーシップとるときもありますしね」

「そうなんですね。あいつ、そういうことは話してくれなくて」

「子どもですからね。お父さんから、ぜひ聞いてあげてください」


 そうして見送る。


 アルバイトの子たちから報告書を提出してもらい、ななめ読みでチェック。

 あまり目立つ変化のある子はいない。

 強いて言えば、西田さやか。

 この子は、非常に成績にムラがある。

 端的に言えばすぐにサボる。

 ここのところは塾にもまじめに通っている。

 何か、変わってくれればいいのだけど。


 ぶっちゃけ言ってしまうと、サボる子はいずれ塾をやめてしまう。

 イコール売上減ということになる。


 と、まあそういうことを考えるのも、あまりうれしくはない。

 この商売に染まってしまったかな、などと考えていると、いきなりスマホが鳴った。

 RINE WORKSの音声通話呼び出し。

 表示されている名前は「小林要係長」。


 ヤバい! エリアリーダーの小林係長だ。

 一瞬にして思考が真っ白になる。


 そうか! ミーティングあるんだっけ!


 とりあえず、慌ててスマホを取る。

「おつかれさまです、時任です。今入ります!」

「おつかれさま。忘れてた?」

「いえ、すみません。お客様のお父さんから、ちょっと電話入ってまして、対応してたらいろいろ押してしまって」

「お客様か。じゃあ、急いで入りなさい」


 通話が切れる。

 僕は慌てて、PCに表示されているカレンダーから、会議のURLを叩く。

 同時にヘッドセットをかけて、リモート会議の準備。


 繋がるや否や。


「遅くなりまして申し訳ありませんでした!」


 誰かが何かを言う前に叫ぶ。

「気をつけろよ」

 小林係長が憮然として言う。

 この人は、失敗を怒るのではなく、その時反省しているかどうかを見る人だ。

 だから、さっさと謝ってしまう方が、ストレスがたまらない。


「では、そろったのではじめよう」


 エリアのメンバーが三人、画面に映っていた。

 服部、横山、中原。

 同格の教室長たち。

 特に中原先生は学生アルバイトだった時代の教室長で、いろいろ教えてもらった恩人でもある。

 卒業して二年、ようやく肩を並べられるようになった。


 四つ年上の大先輩なのだが、熱心に入社を勧めてくれて、決まったときには我がことのように喜んでくれた。


 正直、格好悪いところは見られたくなかったのだが……。


 ミーティングの内容は中学三年生の生徒の成績報告。それは模試の申し込みに繋がる数字なので、とても重要な数字だ。


 そして夜の会議が終わると、10時を過ぎている。


 さ、帰ろう。

 僕は大きく伸びをした。

 そのタイミングで電話が鳴った。




















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