珊瑚の島にて火群の燃ゆる

千崎 翔鶴

1章 水面の鬼

Prologue.その罪は消さない

 真っ白な墓標に、花を供える人を見た。自分と同じなのだろうとか思っていたのに、その人にはきちんと感情があって、なぜだかとてもうらやましい気がした。

「お前が、殺したんだろう?」

 どうしてここまで彼についてきたのか、それすらも分からない。それでもこの墓地までついてきて、その人が花を供えるのを眺めていた。

 この人も、どうして自分がついてくることを許可したのだろう。それも渋るとかではなく、快諾かいだくだった。

 お前にとっても良い機会だろう、だなんて。

「そうです」

 殺した人が、この墓標の下に眠っている。

 殺せと言われた。だから、殺した。眠る人は「いいよ」と微笑んで、自ら両手を広げて死を受け入れた。

 その瞬間にどうしようもなくなって、自分の胸をかきむしりたい衝動しょうどうに駆られた。

 今までだって、殺したのに。今まで何の感情もいだくことはなく、ただ命じられたままに殺してきた。それなのにどうして、今回だけこんな気持ちになったのか。

 わからない、わからない、わからない。

 不必要なはずなのに、一度いだいてしまったらそれは消えてくれなくなった。

 供えられた白い花は、なんという名前なのだろう。白くて、釣鐘つりがねのようで、そして小さい。小さな釣鐘の形をした花が下向きにいくつもついていて、茎は曲線を描いている。葉は二枚あって、茎を包み込むようについていた。

 自分は花の名前一つ知らないで、誰かを殺す方法だけを徹底的に身につけた。

 空に星、地には花。自分を取り巻いているすべての名前を、何も知らない。

「毒のある花を供えるなんて、おかしいか?」

 自分がじっと花を見ていたからだろうか。そんなことを言われた。

「毒……」

 この花には、毒があるのか。

「なんという名前の花か知らないので、名前はなんだろうと思っていました。毒が、あるんですか」

「そうだ」

 こんなに小さな花なのに、毒がある。なんだかとても怖いような、面白いような、変な気分だ。

 毒のある植物は、もっと赤とか紫とか、鮮やかできつい色合いをしていると思っていた。昔食べて死にそうになったきのこは、そんな色をしていたから。

君影草きみかげそうという。花言葉がいいんだと、あいつはこの花を好いていた」

 きみかげそう、と口の中で紡いでみた。振ったらからんころんと鳴りそうな、可憐かれんな毒の花。

「毒、なのにな」

 どこか懐かしむように、別のものに思いをせるように、その人はつぶやく。

 墓標の下にいる人とこの人との間柄など知らない。けれど殺したときにその場へ真っ先にやってきて、そして自分のところまで辿たどり着いた。

 だからきっと、大切な人だった。

 自分を殺したいとは思わないのだろうか。この前偶然手にして読んだ本では主人公が大切な人を殺されて、その犯人に「殺してやる」と叫んでいたのに。

「毒なんか大切にするから、お前は馬鹿なんだ。本当に、大馬鹿野郎だ」

 この人は、自分よりも小さい。小さいけれど姿勢はとてもよくて、背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見ている。

 自分はどうだろう。背中を丸めて、なんだかよく分からないものが自分の中を荒れ狂って、おかしくなりそうだ。

「……俺を、殺してくれませんか」

 おかしくなる。ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃだ。

「お前を?」

「この人を殺したのは、俺です」

 自分が殺した。殺せと命令されて、命じられるがままに殺した。

「どうして俺がお前を殺すんだ?」

「どうして、殺してくれないんですか」

 ただじっと、見られていた。その視線はとてもむずがゆいような逃げ出したいような、そんな気分になる。

 どうしていいかも分からずに、その目を見返した。

「たとえば」

 その人は背中の腰部分に吊っていた小太刀を抜いた。そのままその刃で、貫いてくれないだろうか。

「俺がこの小太刀で誰かを殺したとする」

 よく磨かれて輝く銀色の刃は、すぐにさやへと戻される。

「その場合、この小太刀に罪はあるのか? 武器に罪はないだろう?」

 ざわざわと木々がざわめいている。夜の墓地はとても静かで、風の音がよく聞こえる。

「感情がない、自ら動かない、そんな武器に罪はない。罪があるのは、それを振るった人間だ」

 武器が勝手にやりました、そんなことを言えば笑い話だろうとその人は言う。

「お前は、ただの人形。ただの武器。罪があるのは、私利私欲でお前を振るったクソ野郎だけだ」

「でも俺は、人間です」

 命じられるままに人を殺して、花の名前一つ知らない。それでも自分は生きていて、人間としてここにいる。

「いいや。お前はまだ人間になってはいない。人間にようやくなりかけた、人形だ。武器と同じだ」

 心臓は動いている。血液も流れている。斬られれば血も出て、体温もある。それでもこの人は、自分を人間とは認めてくれない。

 戦闘人形という言葉をかけられたことはある。そしてその言葉は嘲りの笑いと共にいつもあった。だというのにこの人のいうにはそれがなく、ただ淡々と事実を告げている。

 あざけりでもなければ他のものでもない、ただの事実だ。

「どうして殺して欲しいんだ?」

 どうして。

 どうしてだろう。わからない。わからないけれど、ぐちゃぐちゃなのだ。わからないからぐちゃぐちゃなのかもしれない。

「わかりません。でも、ぐちゃぐちゃでめちゃくちゃなんです」

 とても気持ちが悪いのだ。いっそ殺して欲しいくらいには。

「逃げ出したくて、胸をかきむしりたくて、叫びたくて、どうしようもないんです」

「そうか」

 その理由を、この人なら知っているのだろうか。教えてくれるのだろうか。

「これは、なんですか」

「そうだな。それはきっとという名前だ」

 本で読んだことはある。これをしなければよかった、ああしておけばよかった、主人公はそうやって試行錯誤して成長していった。

 自分にとって、感情は知識でしかなかった。自分ではそんなものは分からずに、どうしてだろうと思っていた。だから自分の状態に、名前もつけられない。

 ああ本当だ。彼の言う通り自分は人間になんてなれていない。感情の名前だけを知っていて、自分の中身には名前をつけられない。

「よかったな。お前はきっとこれから、人間になれる」

「そうでしょうか」

 わからない。

 これは、後悔という名前。でも、それでこんなにも殺して欲しいと思うものなのか。この感情の名前はもっと別の何かなのではないのか。

「どうしたら、殺してくれますか」

 このどうしようもなくぐちゃぐちゃになったものから、どうしたら解放してもらえるのだろう。

「そうだな」

 その人は、笑う。あざけりではない顔で。

「お前が人間になったらその時は――殺してやるよ」

 風の音がする。ざあざあと木々が何かを告げている。

 殺してもらえるのなら、人間になろう。そうしてこの人に認めてもらって、この人に殺してもらうのだ。

 そうしたらこのぐちゃぐちゃな中身とも、きれいにさようならできるだろう。


  ※  ※  ※


 俺は本当に、何も知らなかった。それを後になってから、思い知る。

 あれは紛うことなく、罪だった。その罪に対して、罰が欲しいと願った。それまで一度もそんなことを願ったことはなかったのに、その時初めて「償わなければ」と、そんなことを思ってしまった。これはきっと正しくないことで、望まれないことだ。それでも、願ってしまった。

 あの人の優しさに甘えて、とても残酷な約束をさせた。あの人は嘘をつかないし、約束を破ることもない。だから本当に、あの人は俺がだと認められれば殺すのだろう。俺があの約束はもういいと言わない限り。

 わかっているのに。裁かれないことが、きっと俺への罰なのに。俺は生きるという苦しみから、あの人を利用して逃れようとしているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る