「我が身に起きたことは、全て物語の種」

第70話 『光る君へ』のセリフを章タイトルにいただく

 『光る君へ』35話「中宮の涙」見ました。


 前半は御獄詣、後半中宮様ですべて持っていかれたのですが、中盤、まひろと道長が「源氏物語」の新しく書き上げた内容について話している中で


「我が身に起きたことは、全て物語の種にございますれば」


 のセリフが、しみじみと今の自分に染みたもので、章のタイトルにいただきました。


 何が起こっても、最悪のことが起こっても、「いいネタ拾った!」と言って作品に書けというのは、小説の師と仰いでいる方のセリフですが(複数いらっしゃいますね)。


 まさにそんな感じで、事実は小説より奇なりを地で行く状態なのがしんどいのですが、書いたるわー!(バレないように)というのはモチベーションにもなりますね。


 それにしても、中宮様の涙、予告でどんな流れになるのだろう? と思っていたのですが、まさかのまひろ同席の状態での出来事でした。


 信頼のなせる業なのか、世間知らずなのか、思い立ったら即行動なのか。すべてのタイミングが劇的に影響しあった結果がこれかのか……。というドラマ展開。


 今回の紫式部=まひろは現場に居合わせることがちらほらあって、まさに実体験を種にして、物語にしていくスキルと度胸がすごかったです。


 しかも当時の現代小説ですよねぇ? 今では古典ですが、「平安当時は現代小説」と今自分で書いていても、なかなかリアル感が出てきませんが、それでも映像で見ることで気が付くことが『光る君へ』は本当にたくさんあります。


 そして見方を変えると、当時の紫式部から見たら、現代の電話やメール、ラインのやり取り、テレビ電話が普通なんて、結構魔法状態だよなぁとか。


 同じ価値観で見てはいけないとは思うものの、ドラマという架け橋でいろんな別角度からの思考実験もできて、刺激もうける。


 ドラマってすごいなと改めて思うのでした。


 でも小説もやっぱり負けてない。文字だけだからこその魅力もある。文字だけだからこそ書ける表現も絶対ある! と思って、貪欲に精進するだけですね。


 毎回盛沢山の『光る君へ』ですが、今回は弟君が斎院の女房のところに塀を超えて入り込み捕まるシーンで一人テンション上がってました。


 なにせ「とりかえばや」の漫画(原作は古典)でも出てくる禁断の忍び込み(忍んでなかった)シーンでして、当時も本当にあったんだろうなぁと。


 こんな風にドラマで時空に思いをはせていくのもまた楽しい週末なのでした。



 最後に中宮彰子役の見上愛さんのインタビューを張っておきます。

 https://x.com/nhk_hikarukimie/status/1835286832407625992


 まひろとの会話でじわじわ涙を浮かべていくところは、なぜかもらい泣きしそうになってました。

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