第8話〈3〉

 あれからすぐに松永の心臓を摘出し、真田美香子への移植手術が始められたとの事。思わぬことで、美香子の両親は泣いて喜んでいた。

 せめてどうか、彼女は助かってほしいと願った。




 

 翌日の夕方、優里ゆりたちは美香子に会うため、再び病院を訪れていた。

 手術を終えるまでに一日近くかかり、今のところ拒絶反応もなく、昼過ぎに意識を取り戻した美香子とその後、面会させてもらうことになったのだ。

 個室のドアをノックする。


「はじめまして、天使あまつかです」

「どうぞ」


 鈴の鳴るような小声で応答が聞こえた。静かに部屋入ると、昨夜の女の生霊と同じ顔をしている女性がベッドに横たわっている。

 優里は、病院に訪れる前に上七軒で買ってきた、夏みかんの寒天ゼリーをお見舞いにサイド机に置く。


「良かったらあの、どうぞ、落ち着いたら食べてください」

「あ、夏柑糖だ。自分じゃ買わないから貰ったら嬉しいのよね、お気遣いありがとうございます。まだ起きられなくてごめんなさいね」


 そう言うと、美香子は申し訳なさそうに少しベッドのリクライニング角度を上げて、こちらを向く。


天使あまつか優里さん、と横の銀髪の彼……初めましてのはずなのに、あなたたちを知っている気がする。何だろう不思議な気持ち……」

「昨夜の事、何か覚えていますか?」


 美香子は悲しい顔で微笑むと、小首を傾ける。


「もう私は死ぬんだなと思った時だった。意識がなかったけど、松永……健太さんが来ているのはわかってて。何か変なのに取り憑かれてるような、思いつめた顔をして病室を出ていったのよね。この人一緒に死ぬとか言い出さないかと気が気じゃなくて、そう強く思ったら体から意識が抜けて、彼の後を追って屋上に上がったのをうっすら覚えている。そうしたら健太さんを追い詰めようとしているあなたたちがいて、鬼みたいなものもいて、何か必死で止めようとしていた……気がする……」

「そうですか、他はどうですか?」

「確か、一言二言、あなたが声をかけてくれた覚えはあるんですけど、あの時の私は音が聞こえなくて……後の事は、ちょっと記憶が曖昧かな……」


 そう言うと、力なく首をふった。


「そもそも、私が何故助かっているんですか? 何か知っているからわざわざ私に会いに来てくれたんですよね?」


 通常、様々なトラブルを防ぐために移植する際には誰がドナーかは通知しない決まりらしい。だけれど、彼女には知らせてあげておいた方が良い気がした。

 優里はクロに視線を移す。

 察したクロは、わかってるよという風に頷く。


「美香子さんが意識を失っている間に、移植してくれる人が見つかったんです」

「そんな突然、タイミングがいい事があるわけないですよね?」


 クロが、一呼吸開けて口を開いた。


「俺を恨んでくれてもかまわないから真実を伝える。昨晩、死神である俺が彼の願いで彼を殺してあなたに移植させた。だから美香子さんの体には彼が生きている状態だ」

「殺した……って?!」


 びっくりしたような顔をしたけれど、美香子さんは色々察してくれようとしている。


「恨むなんてそんな……あぁ、だから何も言わずに別れたのにな。いくら好きで離れたくなくても、一緒に死んでほしいなんて思うわけないじゃないですか。だから後腐れなく別れて、悲しませたくなかったのに、なぜ思い通りに行かなかったんだろう……あ、これ……」


 美香子は、いつの間にか自分の薬指にはめられた指輪に目を落とした。

 涙が溢れる。


「私、ちょっとずつ受け入れます。健太さんが助けてくれた命のためにも。あなたたちが誰かは聞かないし、何でこんな事になってるのかは詳しく聞かないけど、色々ありがとうございます……」


 指輪も命も貰ってるんだから他の人とは結婚できないよね、死ぬまで一緒よ、と美香子は少し寂しげに、微笑みを浮かべた。


「ところであなた、死神って……」

「はは。なーんちゃって冗談ですよ。まぁ、世迷言と思って忘れてくださいな」





「任務完了ですね、ご苦労様でした」


 病室の外に出ると上杉雪子が声をかけてきた。彼女も美香子の事が気になっていたらしい。昨日の怪我で、大事をとって片手で松葉杖を付いている。


「俺、死神なのに感謝されちゃってどぉ〜すんだよ、っていか結局勝手に決めちゃって大丈夫だったのか?」

「移植相手を指定する件、ちょっと過去のケースを調べてみたのですが、昔イレギュラーですが相手を指定した例がありました。というかそれを勝手に行ったのはクロさんですよね」

「ちっ、バレてら……」

「勝手に決めたから、あなたは冥界からペナルティを受けた」

「……まーね」


 人間に無関心ではなかったのか。誰か助けたい相手がいた、とか……。

 優里が神妙な顔でクロを見た。


「あー、ペナルティ気になる? そろそろたくさん働いたから、人間だった時の罰を精算してお役御免にしてやってもいいぜって冥界のお偉い強面おっさん上司に言われてたんだわ、でも勝手にやっちゃったからまた暫くこの仕事させられてんの、それだけ!」


 優里の頭をポンと叩くと、クロは羽柴に昨夜の事を諸々報告をしに行ってくると言い残し、さらりと去ってしまった。

 とにかく、と雪子がホッとしてスタイルの良い胸を撫で下ろす。


「本当、何とか手術が成功して良かったですよね。あ、他諸々後処理は私がやっておきましたので心配ないですよ。さ、帰りましょうか。あ、この荷物ですか? ちょっと私は家に持って帰ってチェックしないといけない仕事の書類が溜まってて……」


 足元に、書類が入った大きめの紙袋二つが置いてある。

 片手松葉杖で、それを持っての移動は大変だろう。

 ひとまず優里は近くだという雪子のマンションまで荷物を持って行く事にした。





 お邪魔した上杉雪子の家は新しめの2LDKのマンションの5階にあり、真面目そうな彼女らしくきっちりモノが整頓されている。奥の扉一つは寝室だろうけれど、一人暮らしにしては広い。

 優里はリビングに荷物と書類が入っている紙袋を降ろした。


 テレビの横に、彼氏らしき人とのツーショット写真が飾ってあるのがチラリと見えた。眼鏡を外してワンピースを着た雪子は、いつものピシッとした大人っぽく落ち着いたイメージと違い、とても可憐だ。

 よくよく周りを見ると、プラモデルだったりバイク雑誌だったり、そこはかとなく女性だけの部屋らしからぬものが置いてあったりする。


(ん、そういえば玄関のスリッパも男性のものが並んでた、よね)


「あの、もしかしてこの彼氏さんと住んでるとかですか? ってか勝手に独身だって思ってたけど旦那さんがいらっしゃるとか……あっすいません、プライベートな事をペラペラと……」

「ふふ、既婚者じゃないですよ。ここで彼氏と住んでいたの、以前はね。あ、いえ、三年ほど前に事故で亡くしたんです、心の奥では未だ立ち直れて吹っ切れてなくって…b一緒にいた場所から引っ越す事もできていないので……幽霊になってでも帰ってきてくれるかもしれない、なぁんて期待しちゃって。未練たらしいんですよね、私。こんな仕事しているくせにね」


(おわっ、ヤバ、地雷ボタン押してもーた?! 触れない方が良さげな事聞いちゃったかな……)


「だから美香子さんの件、人ごととは思えなかった。何とか松永さんの願いを叶えてあげたかったんですよね……今日はここまでわざわざありがとうございます、本当大した事ないんで。天使あまつかさんも暗いから気をつけて帰ってください、荷物運んでもらって助かりました。最寄りの叡山電鉄の駅まで行くなら、マンション出て左曲がってすぐですし」

「ありがとうございます、上杉さんも気をつけて」

「天使さん、あの……」

「?」

「いえ、何でもないです……」





 雪子のマンションを出ると、クロが家まで送ると待っていてくれていた。

 外の風が心地よかったので、カップルが等間隔に並んで夕涼みしている鴨川沿いを歩いて南下する。

 しばらく黙って横を歩いていたクロが、口を開いた。


「ちょっと前まではさ、どうせ死ぬんだから一緒だろう。契約一つで地獄行きにならない保障が手に入るんだ、何がいけないのか。なんて思って平気で人に引導を渡してたんだよね」

「うん」

「お互い思い合って今回こんな事になったけれど、ちょっと悲しくなっちゃったな。相手の為に死ねるほど人の事を好きになるって経験した事ないから、凄いなって…」

「そうだね。美香子さん、松永さんの一部と一緒に、元気で長生きできるといいよな」


 またちょっと思い出したら涙が出そうになったから、空を見上げる。

 クロは、優里の手を引っ張った。


「感傷的になっちゃった? さっ、千代さんが心配するから早く帰ろ。遅くなったら俺怒られちゃう」


 ひんやりと冷たい手が心地良い。

 優里は立ち止まる。


「……クロさんは、羽柴さんみたいにまた人間に戻るって事は考えてないの?」

「え、何いきなり……」

「せっかく知り合ったのに、いつかどっかいなくなっちゃったら……悲しいもん」


 やっぱり面倒くさい子だって思われるだろうな。

 クロの前では、たまに感情の抑えがきかなくなる。


 ゆっくりと手が離れていく。


「俺は……」


 クロは無表情で、目を逸らした。


「過去人間だった時、母親を殺して俺も自ら死を選んだって罪を犯した。時間がいくら経ってもそんな自分を許せなくて、俺は早くとっとと消えてしまいたいと思ってる」

「そんな……」


 悲しい。

 ズルいよ。

 かつて、優里には死ぬなと言っておいて、自分は消えたいと言う。

 優里には話が重すぎて、今は詳しく聞く勇気も資格もないだろう。





 あれから数日、さっぱりクロは家に顔を見せなくなってしまった――

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