北の灯台守のはなし

藍田レプン

北の灯台守のはなし

 ある北の国に 一人の灯台守がおりました。


 その灯台守は 遠く離れた町から灯台へと越してきたので、近所に知り合いは一人もいませんでした。


 そんな灯台守のもとを、年に何度か、以前住んでいた町の知り合いがたずねてきます。

 それが、灯台守の唯一の楽しみでした。



 はる


 まだとけきらない雪が残る春。

 灯台守のもとを友人がおとずれます。


「ひさしぶり。元気にしていた?」


「ああ」


 彼は、灯台守が何の気兼ねもなく、楽な自分でいられる一番の親友です。


 彼も灯台守に対して、まるで家族のように自然な態度で接しました。


「ああ、おなかがすいた!」


 灯台守の部屋の中を、彼はまるで自分の部屋のようにふるまいます。

 灯台守にはなんのことわりもなく塩をつかい、鍋をつかい、たくわえておいた野菜をつかってシチューをつくります。

 眠くなったらひとりで寝て、退屈になったら本棚から本を取り出して読み、灯台守の飼っている黒いコリーを連れて、灯台の前の浜へ散歩に行きます。


 そんな彼の自由な振る舞いが、灯台守は好きでした。

 少し早い夕食に彼の作ったシチューを食べ、麦酒を飲みながら最近の町の様子を聞き、くだらない冗談でひとしきり笑った後、ベッドは彼にゆずり、灯台守はくたびれたソファで横になります。


 太陽が西の空に沈むころ、灯台守は起きて仕事の準備をします。

 その物音に目を覚ました彼は、ベッドの下で丸くなっているコリーを無造作に撫で回しました。


「いってらっしゃい」


「ああ」


 らせん階段をのぼって灯室に入ると、灯台守は仕事を始めます。

 海を渡る船が迷わぬように、暗礁にのりあげぬように、海を明るく照らします。

 

 灯台守はいつもどおり光が海を照らしたのを確認すると、夕食に飲んでいた麦酒の残りを瓶からじかに飲みました。

 灯室の端で椅子に座ると、灯台守はその物憂げな瞳をらせん階段に向けました。

 階段をのぼってくる足音がします。


「邪魔しにきたよ」


「なら帰れ」


 彼もまた、手に麦酒を持っていました。


「まあまあ、

そうおっしゃらずに」


 琥珀色の麦酒を一口飲むと、彼は軽快なリズムで歌を口ずさみながら踊りだしました。

 くるくると長い手足で踊るその姿が、灯室の壁に影絵のように映し出されます。


「夜は長いんだ。人生もね」


 楽しくいこうよ、と笑う彼に、灯台守もあきれたような笑みをかえすのでした。


 影絵は踊り続けます。

 麦酒に酔いつぶれて、彼がふたたび眠りに落ちるまで。





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 なつ


 北国の短い夏、灯台守のもとを友人がおとずれます。


「お元気でしたか」


 彼は灯台守に対して恋心をいだいていました。

 それは灯台守も知っていましたし、前にその気持ちを告白されたこともあります。


 けれど、灯台守は彼のおもいに対して首をたてには振れず、彼もそれでもいい、とこたえ、灯台守との関係は続いています。


 あざやかな色の花が咲く砂浜を、灯台守は彼と並んで歩きます。

 少し前を行くコリーは、水が怖いのか波打ち際から離れたところを楽しそうに歩いています。


 彼は作家でした。

 いつも鞄にノートとペンを携え、灯台守の生活や浜の様子をメモしています。


 そんなに書くことがあるものか、と灯台守は思います。

 ここは何もないだろう、と前にたずねたことがありましたが、そんなことはない、と少し照れくさそうに彼は笑うのでした。


「なにもないところなんて、

この世にはありませんよ」


「そうかい」


 彼のペンを握る手が止まります。

 ペンをノートにはさむと、彼は歩みを止めました。


「手を」


 彼は遠慮がちに灯台守にききました。


「手をつないでも、いい」


 浜に人影はありません。


 灯台守は小さくうなずきます。

 潮風で少し冷えた、自分より一回り小さな彼の手が、ここちよく灯台守の手にかさなりました。


「この体温も、君は紙に記すのかい」


 彼は寂しそうに、首を横に振りました。


「戻ったら、何か飲み物でも。なにが飲みたい?」


 灯台守の問いに、彼は少し考えた後こたえました。

「ココアを」。


 灯台守の手を握る彼の指に、少しだけ熱がこもりました。



 夜。

 こうこうと灯かりがともる灯室の隅で、灯台守は彼とまじわりました。


 強い光に照らされて、二人の体は黒い影のようです。

 したたりおちる蜂蜜色の汗が、まるで泣いているように彼のまなじりに溜まりました。


「好き」


 好きです、とつぶやいて、唇を噛む彼に、灯台守はそっとくちづけました。


「ああ」


 こうして彼を抱いても傷つけるのだろう。

 けれど彼を抱かなくても、それはまた傷つけてしまうのだろう、と灯台守はその物憂げな目をとじます。


 彼とのくちづけは、夕食のあとに飲んだ甘すぎるココアの味がしました。




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 あき


 朝夕が肌寒く感じる秋。

 山が赤く色づくころに、灯台守のもとを友人がおとずれます。


「元気そうだね」


 ヴァイオリンケースを肩に担ぎ、おちついた笑顔で手を差し伸べる彼に、

灯台守は荒れた手で握手をしました。



 彼は町で恋人と暮らしています。

 灯台守は彼のことが好きでした。


 灯台守は彼に恋人がいることを知っていましたし、このおもいが叶わないこともわかっていました。


 だから、自分のおもいを口にすることはありません。

 ただ、彼はこの灯台にいる間は一度も恋人の話をしないので、


 なんだか、勘違いをしてしまいそうで。

 灯台守は彼に聞こえないようにため息をつくのです。



 秋の海は静かで、透き通っています。

 灯台守は秋の浜が一番綺麗だ、といいます。

 春のように冬を越せずに死んだ生き物たちのなきがらがころがることもなく、夏のように海草がうちあげられることもなく、冬のように灰色に濁ることもないからだ、と。


 浜を散歩しているあいだ、コリーは灯台守の隣をぴったりとついて歩きます。

 彼はどうやらこのコリーにはあまり好かれていないようで、かまおうと手を伸ばすとするりと逃げていってしまいます。


「あいかわらずだな」


「きみも」


「やれやれ」


 ふと、彼が歩みを止めました。

 足元にはきらりと光る、小さな石。


 それは瑪瑙のかけらでした。

 この浜ではときおり見られるもので、灯台守はあまり興味がなかったのですが、彼は珍しい、と言ってその石をポケットに入れました。


 その石は、きっと。

 町に戻って、土産話と一緒に、恋人に渡されるのだろうな、と灯台守は思いました。



 夕食の後、灯台守が灯室に上がるまでの短い時間に、彼はヴァイオリンを奏でます。

 心に染み入るようなその音色に、灯台守は目をとじました。


「素敵な曲だ」


 そっと呟くと、どういうわけだかヴァイオリンは鳴り止んでしまいました。

 どういうわけだろうと灯台守がとじた目をあける前に、


「ありがとう」


 灯台守の唇に、彼の唇が重なります。


「あ・・・」


 シャツの中にすべりこむ彼の指の動きに、灯台守は甘い吐息をもらしました。


「・・・駄目だよ、これから仕事だ」


「じゃあ、

仕事が終わったら」


 それまでおあずけだ、彼はふてくされたように尻尾をむけて寝ているコリーをちらと見て微笑みました。


 逃げるように、灯台守は台所で淹れたばかりの珈琲が入ったカップを持って、らせん階段をのぼっていきました。



 灯室に一人になると、灯台守は真っ黒の珈琲を一口飲みました。


「ああ」


 苦い珈琲は癖になります。




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 ふゆ


 しんしんと雪がふりつもる冬。

 灯台守のもとを友人がおとずれます。


 彼は灯台守が、かつて町にいたころの恋人でした。


「元気だったかい」


 彼はコリーにそう声をかけると、その頭を優しくなでました。

 このコリーも、もともとは彼の犬です。


「どれくらい、こちらには居られるんだい」


「一週間ほど」


「そう」


 灯台守は温かい紅茶を淹れると、彼と一緒に飲みました。


 体のしんからあたたまります。


 雪がふりやんだのを見て、灯台守は彼と一緒に散歩に出ました。

 すねまで雪がつもった浜を、コリーはうれしそうに駆け回っています。


「相変わらず、こちらの冬は寒いな」


「部屋の中はそちらよりあたたかいだろう」


「まあ、そうだが」


 コリーと、二人以外は誰もいない雪の浜に、並んで歩く二人分の足跡と、

ジグザグについた一匹分の足跡が絵を描きます。


 散歩を終えるとストーブで温まり、灯台守の仕事が始まる夜まで、二人は少し眠りました。



 夜。

 灯台守は灯室で仕事をし、彼は灯台守の部屋で趣味の絵を描きます。

 雪の浜辺に、二人の男と一匹の犬。

 そこに点々と続く足跡を。


 冬の夜は長く、ゆっくりと時間が流れていきます。


「おつかれさま」


 灯台守が少し眠気を感じるころ、きまって彼は淹れたての紅茶を届けにきます。

 まるで灯台守の眠気がわかっているかのようなそのころあいの見方は、きっと長く一緒に暮らしてきたからでしょう。


「ありがとう」


 熱い紅茶をひとくち飲んで、灯台守は玻璃板(はりはん)の外に広がる夜空を見ました。

 ふりやんでいた雪が、ふたたびちらちらと舞い始めています。


「それじゃあ、私は先に寝るから」


「ああ、おやすみ」


「おやすみ」


「あ」


「なに」


「・・・明日、雪かきを手伝ってくれるかな」


「わかった」


 らせん階段をおりていく彼の足音を背に、灯台守は雪の降る海をじっと見ていました。


 凍えるような長い夜も、ふりしきる雪も、いつかは終わりがきます。


 終わりが来るということは、つぎの始まりが来る、ということ。




 そしてまた、灯台に春がやってきます。




 北の 灯台守の はなし。


 終

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北の灯台守のはなし 藍田レプン @aida_repun

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