七夕に妹とスーパーに出かけたらヤンデレの書いた短冊を見つけてその内容の濃さに恐怖を覚えるけれど最終的には丸く収まる話。

日向満月

七夕に妹とスーパーに出かけたらヤンデレの書いた短冊を見つけてその内容の濃さに恐怖を覚えるけれど最終的には丸く収まる話。

 今日は七月七日、七夕の日。


 年に一度、織姫と彦星が再会を果たすその日は、しかしわたしにとってはいつもと変わらない休日の一日に過ぎなかった。


 そりゃあわたしだって、小学生くらいまでは、星空を眺めて彼らの逢瀬に想いを馳せた日もあったかもしれないけれど、高校生になった現在では、星の世界の恋人たちに胸をときめかせるよりも、さっき買ったこの卵パックをすでに中身が溢れそうになっている目の前のエコバッグにいかにして詰め込むかのほうが大事だったりする。


 あれ。女子高生っていうか、これじゃあ主婦みたいじゃね?


「みおちゃ、あれ! あれ!」


 卵パックをどうにか詰め終わり、スーパーをあとにしようとしていたわたしを、隣にいた愛らしい存在が引き留めた。


 一緒に買い物に来ていた我が妹、みかである。ちょんっ、とわたしのワンピースの袖を引っ張ると、彼女はスーパーの入り口近くを指差した。


 小さな人差し指の先を辿ると、そこには七歳のみかの身長ほどの小さな笹が飾られていた。作り物ではない青々とした葉には、色とりどりの短冊が結ばれている。


「ささ、きれいなー」


 みかが星を散りばめたような、きらきらした瞳でそう言った。


 笹の葉の前には長テーブルと数枚の短冊、それにキャップ付きのペンが置かれていた。近くに立てられたのぼりには、小さな子供でも読めるように『じゆうにねがいごとをかいてね!』というひらがなの文字が書かれている。


 地域密着型のスーパーが提供する、七夕のささやかな催しだった。


「おねがいごと、したいのなー」


 みかの煌めく瞳がわたしを見上げてくる。期待に胸を膨らませた妹の笑顔は、それはそれは可愛いかった。……可愛かったのだが、同時に子供特有の遠慮のない力加減で、わたしを笹のところまで無理矢理引っ張っていく。どうやらわたしに拒否権はないようだった。


 正直さっき買ったばかりの鮭の切り身をできるだけ早く冷蔵庫に突っ込みたいところだけれど……まあ、しかたがない。


 可愛い妹からの頼みだ。みかは、本当は寂しいはずなのに、仕事で遅くなる両親の帰りをいつも健気に待っていた。わたしは織姫と彦星のように多くの願い事を受け止めることはできないけれど、これくらいの小さなお願いなら叶えられないこともなかった。


 魚の鮮度が多少落ちるくらいは許容できる。可愛い妹のためなら。……本当に多少なら、ほんの少しだけなら、構わないと思えた。可愛い妹のためなら。うん。ほんとに。構わ……ない……。


「なんのおねがいするかなー。なー」


 わたしが主婦の使命と姉の矜持との板挟みで苦悩していることには気づかず、みかがテーブルのうえを覗き込んで楽しげに鼻歌を歌い出した。


 その無邪気な様子に少しだけ気持ちがほぐれて、わたしはなんとなくみかに似合いそうなピンク色の短冊を選んでそれを彼女に手渡した。


 みかが嬉しそうに笑う。その笑顔には肩にかかるエコバッグの重みすら忘れさせる力があった。そんな妹に、わたしは微笑みを返す。


 その刹那──


「はっ! ねがいごとがおりてきたのな!」


 みかが突然叫ぶと、とてつもない勢いで短冊にペンを走らせた。


 呆気に取られて見ていると、すぐにみかは納刀する侍の如き所作で、ペン先をキャップへと、おもむろに納める。


 なにか大業を成し遂げたっぽい顔をしていた。気になってみかの手元を覗いてみると、そこには丸っこい字でこう書いてあった。


『まいにちおにくたべたいのなー』


 短冊に書かれたみかの願い。それを見てわたしは思わず目を逸らしてしまった。


「……ごめん。今日は鮭の炊き込みご飯だよ」


 どうやらわたしには健気な妹の願いすら、叶える力はなかったらしい。


「みおちゃ! みおちゃもなんか、かいてなー」


 一瞬にして願い事を打ち砕かれたというのに、妹はまったくへこたれていなかった。テーブルのうえに手を伸ばして、水色の短冊を私に手渡す。


 んー。なにを書こう……。これといった願いが思い浮かばず、私は悩んでしまう。


「つぎのおねがいごとはー、まいにちー、たまごずしなのなー」


 妹はいつの間にやらべつの短冊を手にして、そこにペンを走らせていた。卵寿司なら毎日は無理だけど、今日か明日くらいには作れそうだ。


 短冊に書く願い事は一人一枚までという、古来より受け継がれた不文律を我が妹は簡単に打ち破る。将来は図太い女の子に育ちそうでなによりだ。


 まあ、それはそれとして、わたし自身の願い事がなにも思い浮かばない。例えばわたしが購入したすべての商品にいまから値引きシールを貼ってもらうとかどうだろう? いや購入してから貼っても遅いか。じゃあこの前買ったレトルトカレーの具材をもうちょっと大きくしてほしい、とか? だってあれ、どう見てもパッケージの写真と実物の具のサイズが合ってな──いや待て。こんな色んな意味で庶民の業を煮詰めたような願い事でいいのだろうか。


 どうしよう……。とりあえず他のひとの短冊でも参考にしようかな。そう思ったわたしは笹に結ばれた色とりどりの中から、妹に渡したのと同じ色の、ピンクの短冊を手に取った。


 小さな文字で、願い事がびっしりと書き込まれている。


「えーと、なになに──」


 流麗な筆致を目で追うと、そこにはこう書いてあった。


『一緒の高校に通う美緒凛みおりさんへの告白がうまくいきますように』


 なんて純粋な願いだろう、そう思った。


 さらに文章は続く。


『その告白が絶対うまくいきますように。付き合えますように。結婚できますように。一生側にいられますように。お互いの存在がないと生きていけない親密な関係になれますように。美緒凛みおりさんが他の塵芥どもとお付き合いしませんように。結婚しませんように。一生ずっと未来永劫お互いを慈しみあい愛し合って暮らしていきましょうね美緒凛さん絶対。絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対』


 なにこれ怖あああああッ!


 わたしはスーパーで絶叫しそうになりながらも、寸前のところで踏み止まった。


 なんだこの願い事は!? 短冊の紙の中で『絶対』という二文字が無数に躍り狂っている。


 ヤンデレか! これが噂のヤンデレというやつか!? こんな邪悪な願い、わたしが織姫と彦星なら絶対叶えな──


「……ん?」


 ──『美緒凛みおりさん』


 この名前、どこかで聞いたことある気がする……。


「気がするっていうか、これ……わたしの名前やーん!」


 思わずエセ関西弁になって突っ込みをいれてしまった。


「え。うそ。待って」


 いやいやいや。ないないない。こんな主婦全開の生活を送ってる女子高生にそんな恋とか愛とかそんなアレな展開が巻き起こるわけがない。起こるわけがないのだけれど、『美緒凛みおり』なんていう珍しい名前の高校生、この辺りではそうそういないはずで。いや、でも──


「どしたのな、みおちゃ」

「うおっ!? な、なんでもない!」


 妹に声をかけられて、驚きのあまり飛び上がってしまった。肩にかけたエコバッグの中で、卵のパックがベコっとへこむ。


「なんかおもしろいこと、かいてあったのな?」

「ないよないない! ふつーふつー!」


 慌てて顔の前で手を振った。が、それよりも早く、妹の視線が笹に結ばれた短冊へと向けられる。


 「ん?」と、みかが小首を傾げた。


「みおちゃのなまえが、かいてあるのな。むずかしいかんじいっぱいで、よめないけど……ぎょうかんをよむかぎり、みおちゃがおんなじがっこうの子に、すきっておもわれてたってことなのな。……だがこのねがいからは、とんでもないヤンデレのはどうをかんじる……」


「どこでそんな言葉覚えてきたの?」


 まるで強者つわものの気を感じ取ったバトル漫画の主人公の如く、冷や汗を浮かべて呟く妹。少なくとも家には少女漫画しかないはずだが……。


 というか行間だけでよくそこまでわかったな!?


 わたしの動揺はまったく感じ取ることなく、「でも」と言ってから、みかが不思議そうにわたしを見上げた。


「みおちゃのかよってるがっこう、女の子しかいないのなー」


 そんな七歳児の冷静かつ端的な一言で、わたしは我に返った。


 そうだ。うちの学校って。


「……女子校やーん」


 思わずエセ関西弁で突っ込んでから、がっくりと項垂れてしまった。


 相手にヤンデレ疑惑があったとはいえ、一瞬でも男子から告白されるかも、とか淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしい……。なんで自分が通っている高校が共学じゃないことを忘れていたのだろう。


 美緒凛という名前だって、偶然被っただけ。きっとわたしじゃない他の誰かのことなんだ。よかったね。美緒凛さん。付き合うかどうかは知らないけど、お幸せにね。


 やっぱり恋より卵だ。卵こそ正義。卵と妹と鮭の切り身さえこの世にあればいい。


 ロマンチックの欠片もない、それどころか自分でもよくわからない思考回路に陥ったわたしを、妹の大きくて真っ直ぐな瞳がじっと見詰めていた。


「……ちょっとたんざく、かしてなー」

「え?」


 妹はそう言うとわたしの返事も待たずに、まだなにも書かれていない水色の短冊を、わたしの手から取り上げた。


 いったいどうしたんだろう。みかの様子を見守っていると、妹は少しの間悩んでから、その短冊に本日三つ目の願い事を書き込んだ。


「はい。これなー」


 みかは満天の星空より眩しい笑顔で、短冊を──その願い事をわたしに見せてくれた。


 そこには、こう書いてあった。


『みおちゃがヤンデレの女の子とおつきあいできますように』


「みか……」


 ほんわかした温かい空気に、わたしとみかの周りが包まれる。


 ──寸前でわたしは気が付いた。


「いやちょっと待って。なんか勘違いしてない!?」


 わたしは慌てて首を左右に振る。


 きっとみかは落ち込んだわたしのことを、励まそうとしてくれているのだろう。それは嬉しい。嬉しいんだけど、でもね、べつにわたし、女の子とお付き合いしたいわけじゃないんだよ!?


 そう言葉を続けようとした。しかし姉の話をまったく聞かない妹は、七歳児とは思えない達観した瞳でわたしを見る。


「女の子どうしのけっこん──いろいろ、ままならないこともあるのな。でもおちこまないで、みおちゃ。みかだけはなにがあっても、二人のみかたなのな!」


 そう元気づけるように眉をキリッと寄せるみか。なんて男前な妹だろう。


「──って、すでにわたしがこの子と付き合ってる前提なの!?」


 どうしよう。さっきまでお付き合いを短冊で願われてただけだったのに。みかの中でわたしとヤンデレのきみかっこ仮名かっことじのラブストーリーがどんどん進んでいってる! このまま黙っていたら、あの短冊に書かれた願い通りに、みかの脳内で結婚式まで上げられてしまいそうだ。


 手遅れにならないうちに早く訂正しなければ。べつにわたしはヤンデレのきみかっこ仮名かっことじとの恋で、思い悩んでいたわけじゃないと!


 そう口を開きかけた。


 けど、その前に。


「これでみおちゃと、このねがいごとかいたひと、けっこんできるのなー。よかったなー」


 朗らかな笑顔で喜ぶ妹に──わたしは、二の句が告げなくなった。


 きっと、みかがわたしだけではなく、見ず知らずのこのひとの願いまで叶えようとしていたと気づいたからだ。


 ……まあ、べつにいいか。みかが嬉しそうなら、もうそれでいい。


 妹の優しさに、ちょっとだけ心があったかくなったから。


 色んな意味で誤解を招きそうなその短冊を、妹は背伸びをして笹の葉に結ぶ。


 みんなのねがいごとが、かないますように──そう呟きながら。


 わたしはその様子を見守って、そしてまだなにも書かれていない、ピンク色の短冊を手に取った。


 なるべく丁寧な字で、そこに想いを綴る。


『妹が幸せでありますように』


 そう願いながら。


 笹の葉に、短冊をそっと結んだ。



  ◇◇◇



 後日、妹の書いた短冊をヤンデレのきみに見つけられたことで、紆余曲折巻き起こった末、妹の無垢な願いが叶うことになるのだが、それはまたべつの話である。

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