都会の蛍

八鶴 斎智

第1話

 若者は、今の未熟さを隠すように、必死に過去の自分の未熟さを自嘲するものだ。その姿を眺めていると堪らなく恥ずかしい気持ちになる。だが一方で子どもが背伸びをして大人の真似をしているようで、愛おしい。

 

 そして、吉祥寺の街はそんな若者たちの賑わいで今日も喧々としている。

 

 ちょうど秋から冬に変わる頃、僕は同僚の篠崎美奈と一緒に飲みに行く約束をしていた。気温はそれほど低くないのに吹いている風と、傘を差していても吹き込んでくる雨に晒された僕が震えていた。19時から会う約束をしていたのに彼女は30分も遅刻している。LINEには「中央線の遅延!」と送られてきたが、Googleには遅延情報が載っていない。また適当言ってると思いながらも、女の嘘は愛せという言葉を信じることにした。

 

 かれこれ40分ほど待っていると、明るい声がした。

「ごめん、待った?」

 凍えた僕の心にホッと灯が灯る。

「大丈夫。」

「でもさ、わざわざ店の外で待っている必要なくない?駅で待ってくれていればよかったのに。」

 いや遅れてきたの篠崎じゃん、と僕はツッコミを入れる仕草をした。

 

 とりあえず店に入るとビールとクリームチーズをいぶりがっこで巻いたものを注文した。こいつと一緒に飲むときは気取らなくて良い。こういう物を好んで飲み食いするところが篠崎の好きなところの一つだった。

「やっぱ仕事終わりのビールは美味しいね。」

 篠崎は親指と人差指でハートマークを作って僕に見せてきた。僕もその仕草をお返しする。傍から見ると恋人同士に見えるかもしれないが、僕たちは単なる同僚だった。


 篠崎とは今年の夏が始まる頃、職場で出会った。フリーアドレス化したデスクで初めて隣り合ったのが篠崎だった。その日、人見知りの僕はフリーアドレスなんて最悪だと思って暗い気持ちで席についた。僕は自分の定位置が欲しい人間だったし、いつも隣が違う人という違和感が堪えた。そんな僕の暗い顔を見ながら篠崎が話しかけてきたのだった。出身は?大学は?趣味は?休日は何して過ごしているの?部署は?……尋問のように質問されて、僕はたじろいだが、幾分明るい気持ちになった。


 篠崎には不思議な力がある。人を明るい気持ちさせる天才だと僕は思っている。


 それからも彼女は事あるごとに隣の席に座り、ペラペラと他愛のない話をするのだった。そしてある日彼女が言った。

「話足りないし、今日飲みに行こうよ。」

 僕は快諾した。最初に注文したのはビールと枝豆。おっさんか!とツッコミを入れそうになったが、当時の僕はそれを言って良いのか分からず、黙ってビールで流し込んだ。その日は沢山話しこんだ。男友達よりも話すことがあった女性は僕の経験上篠崎だけだ。ラストオーダーまで話し込んで、退店。飯田橋の夜。帰り道は少し寒かったことを覚えている。


「また飲もうね!」

 そう言うと彼女は中央線に消えていき、僕も若干の虚無感を残して東西線に乗り込んだ。寂しい、そういう感覚を明確に自分の中に見出したのは初めてのことだったかもしれない。篠崎といると楽しい。中野で乗り換えるとあえて自分のなかで反芻した。

 

 それからも仕事終わりに色々な場所に飲みに行った。九段下や神楽坂。それから僕たちはしばらく新宿にハマり、今は井の頭線沿線を開拓している。篠崎は下北沢、僕は立川に住んでいたからアクセスも悪くなかった。


 ある日、僕と篠崎はすこし離れた場所に座った。昼休みを過ぎて午後の眠い時間になるころ、彼女からLINEが届いた。


『今日も飲みに行こ。』

『今日も?』

『ちょっと話聞いて。』

『良いけど、今日仕事終わるの遅くなりそう。』


 大丈夫です!と可愛らしいスタンプで返された。集合は下北沢と決まった。終電は23時30分ごろだから、溜まっている仕事を早く終わらせようと俄然やる気になった。


 結局、僕は定時から1時間ほど掛かって終わった。彼女のいた席はすっかり綺麗に片付けられていた。


『ごめん遅くなった。』


 LINEを送ると飯田橋駅に急ぐ。地下鉄の階段を降りようとすると返信があった。


『大丈夫。下北で待ってるから早く来てね~。 』

 

 下北沢に行くにはJRだった。ほぼ駆け足で僕は電車に乗った。きっと今日も彼女は僕を楽しく明るい気持ちにさせてくれる。早く会いたくて、都内を走る中央線の速度が物足りなかった。


 下北沢につくと、私服姿の篠崎が居た。化粧は落としていないが、人と会うにはラフな格好だ。舐められたものだと僕は思ったが、初めて見る彼女の私服には心がときめいた。

 

「今日はどこに行く?」

「めっちゃ気になっている店があってね、日本酒美味しいらしい。」

「僕日本酒苦手かもしれない。」

「大丈夫、美味しいもの飲んだら好きになるから。」


 僕の気まずそうな顔は無視された。日本酒は大学時代に飲まされ過ぎてから本当に飲めなかった。特有の甘みが特に苦手だった。

 

 ~明~と書かれた提灯の掛けられた店の外から中を覗くと、水曜日だというのに大変な繁盛をしている。


「混んでるね。」

「大丈夫、予約してあるから。」

 

 慣れた動きで店員と話すと、外からは見えなかった個室に案内された。

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