002 とびっきりの罪悪感を抱いています(後編)
言われるがまま、なすがまま。
僕は花ヶ崎と手を繋いだまま、帰宅路を歩くハメになった。
ちらり、視線を隣へとやる。花ヶ崎は、足元を見続けて歩いている。口角がほんのちょっと吊り上がっているようにも見えた。自惚れだったらとても恥ずかしいが……幸福をかみしめている様子に、僕には見えた。
本当、油断も隙もない少女だ。形勢の逆転に成功したかと思えば、すぐさま大逆転の一手を打ってくる。あの手この手で、僕を翻弄してくる。これじゃ心臓がもたないよ。
まあ今は、頬に触ろうとしてこないだけマシか。
頬以外の接触は、恋心が強まる条件にないらしい。つまり、手と手が触れ合うことは問題ない。この辺のルールもいまいち飲み込みづらいのだが、実際にそうなのだから、納得せざるを得ない。
「……ほら、着いたぞ」花ヶ崎の家の前に到着したタイミングで、僕は言う。彼女の家は、立派な一軒家だ。豪邸、と呼んでも過言ではない。「手、離して」
「……むぅ」
「むぅ、じゃなくて」
「あ、そうだ。家、寄っていきません?」
「寄っていきません」
再度、むぅ、とふてくされる花ヶ崎。
「簡単にお持ち帰りされる男じゃないんでね」
「簡単に手を繋いでくれる男ですけどね」
「だ、誰とでも繋ぐわけじゃないんだからなっ!」
「男のツンデレはきついっす」
さいですか。
ノリボケを一蹴されて落ち込む僕をよそ目に、花ヶ崎が「じゃあ」と言った。
「ちょっとだけ、待ってもらってもいいですか?」
「ん。いいけど、なんで?」
「実はぁ〜、峰岸さんにぃ〜、渡したいものが──おっと、これ以上は」
と、おどけるように口を手で隠す仕草をする。
なんだよ。まだ何か仕掛けてくるのか、こいつは。
「……分かったよ。待っとく」
「さんきゅーです。じゃ、急いでとってきます!」
言って、自宅の玄関へと駆けていく。
その背中を、ぼうっと眺める。
僕は、僕の好きな人の背中を、眺めていた。
「……ほんと、不思議な感じだ」
気づけば、そんな独り言が口から洩れていた。
僕は、花ヶ崎りりに恋をしている。そのきっかけは、魔法。
ほんと、奇妙な話だ。自然じゃない、と思う。
魔法から始まる恋愛なんて、普通あることじゃない。
先に名を呼びあって、言葉を交わしあって、親睦を深めて、恋に落ちていく、のが一般的だろう。
僕らの場合は逆だ。恋に落ちてから、名を呼びあって、言葉を交わして、親睦を深めている。
それでも、もしも……あくまで、もしもの話だ。
僕らが普通に出会っていたとしたら、なんて、たまに想像する。
その時も、僕たちはこうやって一緒に過ごしていただろうか。恋に落ちていただろうか。
そんなことをぼんやり考えていた──時、だった。
とんとん、と左肩を二度、誰かに優しく叩かれた感触がした。すぐに反射的に振り向く。その『誰か』が誰であるかなど、考える暇は無かった。
だから、「しまった」と口から漏れ出た時には、すでに遅かった。『誰か』が花ヶ崎りりであって、彼女の狙いが──
「えいっ」
──僕の頬に触れること、であると知ったのは、彼女の体温を頬に感じた後だった。
いわゆる、
「肩トン指ぷに!」
と花ヶ崎は言ったが、頬に触れたのは人差し指ではなく、彼女の左手のひらだった。
「指ぷに、っていうか……張り手では……?」
ツッパリにツッコミを入れる僕。それから、およそ一拍後。頬が青白く光り輝き出して、微かに熱を帯びた。
「隙あり、ですよ」
瞬間、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
身体中に高速で血が巡る。重心がわからなくなって、足がふらつく。二歩、三歩下がって花ヶ崎から距離をとり、そして僕は彼女に触れられた部分を左手で覆うようにしてから、視線をまっすぐ前へ向けた。
花ヶ崎は、両手を背中の方で組んで、満面の笑みを浮かべていた。
まるで他愛もないスキンシップ、じゃれ合いの延長であると主張するかのように、あっけらかんと笑ってみせる花ヶ崎。
「……お、お前なあ」
こいつ──マジで、触りやがった。
これで、四回目だ。
魔法をかけられた日から今日までに起きた「三回の接触」。それは、二人とも魔法の特性を知らなかったから起きてしまったもので、ある程度は仕方がないこと、だと僕は納得していた。そこに花ヶ崎の意思は無かった、という擁護だってしてやれる。
が、今回はどうだ。
明らかに、花ヶ崎の意思で、僕の頬に触れた。
「やっぱり、四回目はなにも起きないんですね。残念」
花ヶ崎が、はぁ~あ、とわざとらしい溜息をこぼしてから言った。それから、口角を小さく上げた。笑ってくださいよ、とでも言いたげな表情だが、ぜんぜん笑えない。
「でも、よかったですね。これでまた一つ、魔法の特性が判明しましたよ。三回目以降、つまり魔法が100%の効果を発揮した後でも、条件は変わらない。三の倍数のときにしか、効果が強まることはない。なるほど、なるほど」
「っ……そんなの分かっていたことだろ」
「それは、理論上、じゃないですか。実際どうなるかは、こうして実践してみないと分かんないです」
言い訳のつもりだろうか。それとも本気で言っているのだろうか。
どちらにせよ、心中穏やかではない。
彼女は、僕らの間に敷かれたルールを破ったのだ。
目の前の純朴な少女が、田舎の中学生が、僕の好きな人が──途端に、底知れない存在に見えた。
「……ッ。お前、なにかモノを取りに行ったんじゃなかったか?」
「いいえ。峰岸さんに触るタイミングを、見計らっていました。……あそこで」
彼女が指差す先には、花ヶ崎宅の門の付根。敷地内外を区切る塀との境目。
そこに身を隠して、隙を狙っていたというわけだ。
「本気だって事ですよ」
花ヶ崎が上目遣いで僕の目を覗き込んで、言った。
「本気で、峰岸さんに好きになって欲しい、ってことです」
「愛情表現なら別の形が良かったんだけど」
「だってそれじゃあ、いつになるか分からないじゃないですか」
それから、花ヶ崎は、
「峰岸さんが、その恋心を本物だって認めるの」
言った。
「………………」
僕は恋の魔法にかけられて、花ヶ崎りりを好きになった。
そう。
僕の中にある恋心は、魔法によるものなのだ。
たまに想像する「もしも」の過去は実在しない。僕たちが普通に出会い、普通に仲を深め、普通に恋に落ちる……そんな現実は、僕らにはない。
ならば、僕は思わざるを得ないのだ。
花ヶ崎への好意は────本物か?
「………………」
だから、僕は花ヶ崎に沈黙を返した。
「分かりましたよ」花ヶ崎が口を開いた。「まずは、峰岸さんにかかった魔法の特性を、二人で協力して解き明かすこと、からですよね」
「……それも大事だ」
「ですよね。妙なことをして、魔法が暴走したら、お付き合いどころじゃないですもんね」
花ヶ崎が言ったことに、僕は肯いた。
僕も、魔法をかけた花ヶ崎自身も、この魔法の不可思議な特性について、完全に理解できていないのだ。頬に触れるだけで、心の中の魔法が育ってしまうのだ。もしかしたらそれ以外にも、隠された条件があるのかもしれない。
なら、これ以上関係性を発展させることや、互いに触れ合うことさえも、大きなリスクを伴う。
けど、問題は、
「それだけじゃない」
僕は、言った。
むしろ、僕にとって重要なのはもう片方の「問題」だ。
恋に落ちるには早すぎる。それが、現在の僕の本心だった。
僕は花ヶ崎りりのことを何も知らない。恋の魔法を使える、中学生。そして、その魔法を僕にかけた張本人。それ以外のことを、まだ、何も。
というのは、決して「健全な交際をするための」といったようなレベルの話ではない。
深く息を吸い込んで、花ヶ崎の目を見つめて、言う。
「僕らがどうやって出会ったのかを、花ヶ崎が明かすこと、だよ」
僕は花ヶ崎りりのことを何も知らない。
本当に、なにひとつ、知らないのだ。
「……あはっ」
僕たちの出会い。
それは、九月のあの交差点。魔法にかけられた瞬間。
…………というのは、僕側の認識でしかないらしい。
あの日、あの時、花ヶ崎はすれ違いざま、僕に言った。
『また会えてよかった』
鼓膜には、その声がこびりついている。
つまり、花ヶ崎と僕の本当の出会いは、それ以前にある、というのだ。
「傷つくなあ。まだ思い出せないんですか? 私たちの『はじめて』」
花ヶ崎は、あの出来事よりも前から、僕を知っている。
ということを──彼女だけが知っている。
「ま、いいですよ。絶対に、思い出させてあげますから。私、好きになってもらうためなら、どんな我慢だって出来るんですから」
「じゃあ、頬に触れるのも我慢してくれないか」
「はい、次から気をつけます」
納得したのか、どうなのか。花ヶ崎はそう言って、くるり背を向けた。その瞬間、風でふわり浮かんだ彼女の髪があまりにも綺麗で、見つめてしまう。
胸の内に、確かに在る感情。花ヶ崎が好き、という気持ち。
そいつに抗えず、心臓は跳ねる。意識が吸い込まれてしまう。
一秒でも長く、一緒にいたい。
もっとたくさん話したい。触れたい。触れられたい。
恋の衝動が、僕を突き動かしそうになる。身体が、脚が、前へ前へと動き出しそうになる。
「じゃあ、またこんど。次に会うときも、たくさんお話ししましょうね」
最後に花ヶ崎は、上半身だけを軽くひねって、僕を見た。
見惚れる。花ヶ崎りりに。好きな人に。
その正体を、なにひとつ知らない、可憐な魔法使いに。
僕の心は、奪われてしまっている。
「峰岸晴喜さんっ」
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