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 リョウに私の過去の罪が知られてしまった可能性がある。リョウは人間性が脆弱なので嘘を吐くのがド下手くそだ。だから私はリョウの嘘を全て見抜くことができる。さっきの通話から察するに、リョウは私の部屋を色々と物色したらしい。おそらく私が離れていかないように、私と何らかの秘密を共有しようとしたか私の弱みを握ろうとしたか、そんなところだろう。リョウを自分と同じ歳の人間だと見做すべきではないとわかっていたのに。リョウを五つ以上年下の子供だと思って、常に目を光らせておくべきだったのに。身体が入れ替わるなんて不測の事態が起きて、先回りして工作しておくことができなかった。

 リョウが一日も経たずに私の言いつけを破ったのは、根尾がリョウを脅していたせいだろう。根尾が頻繁に「ナツキさんはいつかリョウくんのもとから離れていってしまうに違いないよ」と言うから、人間性が脆弱なリョウは不安に支配されて視野狭窄に陥ってしまった。私の言いつけを破るなんて愚の骨頂を犯してしまった。

 根尾は身体も心も男で、女ではない。だけど、私たち二人に悪影響を与える存在だ。

 それに、あの女装も、実はリョウを誑かすためにしているのかもしれないし。

 だから根尾はこの世から早急に排除するべきだ。

 そして、この身体の入れ替わり現象によって起こった弊害についても、解決しておくべきだ。

 全ては私とリョウの平穏のため。

「根尾。今度ナツキと映画を観に行くことになったんだけど、根尾も一緒にどうかな」

 私が言うと、根尾はぽかんとした表情で固まったが、数秒後に無言で首を縦に振った。そのままの表情でお茶を一口飲んでから「どういう風の吹き回し?」と怪訝そうに言った。

「根尾はナツキとお近づきになりたいんでしょ。だったら良い機会じゃん」

「リョウくんはいいの? それとも、やっとボクにナツキさんを譲り渡す決心がついたわけ?」

「別にそういうわけじゃないけど、根尾がいつまでもナツキと一切関わりを持てないままじゃ、可哀想だなと思って」

「へぇ。リョウくんが他人に気を遣うなんて珍しいね」

 根尾はずっと不思議そうに首を傾げていた。この話をしたら根尾は飛び跳ねて喜ぶかと思っていたから少し拍子抜けた。根尾はそれほど私に執着していないのかもしれない。

 リョウのほうが、根尾の五億倍くらい私に執着しているだろうな。

 当日になって、私は先にリョウと落ち合ってから待ち合わせ場所である新宿駅に向かった。根尾のずば抜けた容姿は新宿の人波の中でもよく目立っていた。

「こんにちは、リョウくん、ナツキさん」

 今まで見たことのない、何もかもが計算し尽くされたような美しい笑顔で、根尾は私たちに軽く頭を下げた。これが根尾の本当の愛想の良い笑い方なのだ。本当に好意を持っている相手には、これほど精錬された笑顔を見せるらしい。

「あっ、こ、こんにちは、根尾、さん? その、今日はよろしくねー」

 私の姿をしたリョウがぎこちなく挨拶を返す。立ち居振る舞いから声のトーンまで何もかも全然私っぽくないけど、この場には根尾以外の知り合いはいないのでどうでもいい。

「ナツキさん、ボクのこと知っててくれてたんですねー! ナツキさんみたいな素敵な人に認知されているだけでもうホントに光栄ですよ~! 今日は楽しい日にしましょうね!」

 根尾がリョウの手を包み込むように握って、キラキラした瞳で言った。リョウは引き気味にたじろいで「あ、ああ、うん。よろしくね~……」と弱々しい声で応対していた。

 映画館までの道程では、根尾とリョウが二人で話しているだけで、私はずっと蚊帳の外だった。といっても、主に根尾が話し続けているだけで、リョウは聞き手に徹しているようだった。

 映画館内の席順は私が決めた。右から根尾、リョウ、私の順番だ。上映中にも根尾は小声でリョウに話しかけていたようだったが、私には普通に話し声が聞こえていたし、おそらく他の客にとっても耳障りだっただろう。やはり根尾には常識というものが一部欠けている。

 映画を観終わった後は適当に近くの居酒屋に入ってお酒を飲んだ。しかしそこで映画の感想を語り合うことはなかった。終始こそこそと喋っていた根尾とリョウはもちろんのこと、私も映画にはほとんど集中していなかった。そもそも、根尾はどうだか知らないが、私とリョウは映画なんかには毛ほども興味がない。根尾を誘い出す口実として、私たちの普段のデートプランのままではあまりに不自然だろうと考えて、水族館か動物園か遊園地か映画館で迷った結果、最も安上がりに済みそうな映画館を選んだというだけだった。

 私はスクリーン上で動き回る俳優たちをぼんやり眺めながら、頭ではずっと他のことを考えていた。

「ねぇナツキさ~ん、聞いてくださいよ~。リョウくんって本当に信じられないようなことばっかりで~」

 私が焼き鳥の肉を歯で串から引き抜いていると、顔の火照った根尾がリョウに身体を絡ませ始めた。根尾とリョウが隣同士に座って、私はテーブルを挟んだ向かい側に座っていた。

 根尾はやはり酔いやすい。私も根尾もまだ一杯しか飲んでいないが、私はまだまだ素面だった。リョウには今日は一杯も飲まないように言いつけてある。

「え、なに、リョウが何かしたの?」

 私の姿をしたリョウが引き攣った笑みで、絡みついてくる根尾に肩を強張らせている。

 根尾に絡みつかれて緊張してるってことは、やはりリョウは……。

「この前リョウくんとご飯食べに行ったんですけど~、リョウくんがいきなり私をホテルに誘ってきて~、どういう意味なんだろうと思ったんですけどボクそのとき酔ってたし家帰るのめんどくさかったんで適当についていったんですよ~。そしたらなんかベッドに押し倒されて~、そのまま襲われそうになって~……」

「えっ⁉、え、えっ、えっ⁉」

 舌打ちが漏れそうになるのを必死に堪えた。あのホテルではナツキさんには秘密にすると言っていたのに。いや、根尾の言うことを鵜呑みにするほど私も馬鹿ではないけど。

「あれは根尾から誘ってきたんでしょ」

 焼き鳥を飲み込んでから、すかさず口を挟む。リョウが狼狽して目を回しているけどとりあえず放っておく。

「え? なんでよ。ホテルに連れ込んだのはリョウくんじゃん」

「最初にご飯に誘ったのは根尾でしょ。二人きりで夜も遅かったんだから、ホテルに連れ込まれても文句は言えないはずだよ」

「うわ~! ナツキさん聞きましたぁ? ナツキさんという彼女がいながら、夜遅くに二人だけで食事してたら浮気しても仕方ないって言いだしましたよこいつ~! ほら、もうこんなクズ男やめときましょうよ~」

「あっ……、いや、その……」

 リョウが泣きそうな目で、縋りつくようにこちらに視線を向けた。女の姿をしているからいつもよりも余計に弱そうに見える。

「ナツキさんはリョウくんみたいなクズといつまでも付き合っていていい人間じゃないんですよ。ねぇ、ナツキさん……ボクならきっと……」

「あ、あの! ちょっとトイレ!」リョウがきつく目を閉じて、叫ぶように言った。突然の大声に私と根尾が固まったのを見て「あっ、その、トイレ……。トイレ、行ってくるね」と仕切り直すように笑顔で言って、小走りで居酒屋の通路を歩いていった。

 リョウの姿を目で追ったまま私たちは数秒固まったままだった。

「根尾、お前酔いすぎだよ」

「へっ? ああ、いや……」

「この前までナツキに一言話しかけることすら躊躇してた人間が、どうして急にそこまで踏み込めるんだよ」

「……うるさいな、ボクだって色々と必死なんだよ」

「別にどうだっていいけどさぁ、ああやってナツキを無闇に刺激するのはやめてくれるかな」

「…………」

 根尾はぷいっと顔を逸らして、手元のハイボールに口をつけた。それを横目で見ながら、私はテーブルの下でリョウに「先に帰ってていいよ」とメッセージを送った。

 数分が経った後、それとなく切り出す。

「……あー、ナツキ、先に帰っちゃったみたい」

「えぇー! ホントに⁉ もう最悪だよー」

 根尾は大げさに驚いて、不貞腐れたようにテーブルに突っ伏してしまった。しばらく経った後、グラスの残りを一気に飲み干して靴を履き直し、「ほら、ボクたちもさっさと帰るよ」と言い出した。会計は私と根尾の割り勘で済ませた。

「あのさ、帰る前に、ちょっと付き合ってほしい場所があるんだけど」

「なに、またホテル?」

「そんなわけないだろ」

 根尾をいつもの場所まで連れていく。大学生になってからは、あそこに入るのは初めてか。

 根尾も千葉方面に自宅があるらしいことは好都合だった。二人でしばらく電車に揺られ、一度乗り換えを挟み、海岸沿いの駅で降りる。それから三十分ほど歩く。途中でついに根尾が酔いつぶれてしまったので、その後は根尾を背中に背負って歩いた。男の身体だったし、根尾は女子大生のように軽かったので楽だった。

 死骸と鉄さびと潮の臭いが混じり合って地獄のような空気が形成されている廃工場跡に着くと、床に根尾を転がした。もう手慣れたものだ。鞄からレインコートと凶器を取り出して、仰向けに転がっている根尾の上に馬乗りになる。

 あとは刃を突き立てるだけ——だったのに、示し合わせたようなタイミングで、それまで眠っていた根尾の両目が、ぱっちりと開いた。

「おはよう、ナツキさん」

「えっ……?」

 どうして、私がナツキだって……?

「ナツキさんは、どうしてずっとボクを殺そうとしていたの? どうして、最初からずっとボクに殺意を持っていたの?」

 妙に機械的な明るい声で、根尾は淡々と言う。

「……うるさい。うるさいうるさいうるさい! どうせお前なんかにはわからない。安易に他人の恋愛に首突っ込んで、好き放題かき乱すだけのお前には、私の気持ちなんて絶対にわかんねぇよ!」

「ボクは理解がしたいんだ。キミたちを理解したかった。でも結局、最後までよくわからなかったんだ」

「うるせぇ死ねクソが!」

 私は目を開けて喋り続ける根尾に構わず、思いっきり根尾の胸に刃を差し込んだ。

 皮と肉と骨と内臓を貫く柔らかい感触があった後。

 私の視界は一気に明るくなった。

 しかし、眩しさに視界がぼやけることもなかった。

 荒い呼吸を整えて、辺りを見回すと、そこは慣れ親しんだ自分の部屋だった。

 リョウの部屋ではない。この私、ナツキの実家の、自分の部屋だった。

「……なっ……、なに、なにが、起こったの……?」

 思わず自分の身体を触る。女に戻っている。

 リョウと私の身体の入れ替わりが、元に戻った。

 何がなんだかわけがわからなくて、とりあえずスマホを手に取る。現在時刻は二十三時半。あのとき、根尾を廃工場跡へと運んだ時刻から変わっていない。

 あれ。だとしたら……。

 自分の身体に戻ったリョウは、今——。

 手の中のスマホがぶるぶると震え出した。

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