第5話 cappuccino

[cappuccino]


 二ヶ月後、拓未は何事も無かったように少し伸びた髪で帰ってきた。ランチタイム明けの客の引いた束の間カルテットに現れ、マスターにインディペンデント系のコーヒー豆をいくつか土産に渡し、現地のコーヒーショップについて楽しそうに話している。

「お前にはこれ」とリュックの中でくしゃくしゃになった紙袋を渡される。開けると洒落たラベルのついたパスタソースが幾つか入っていた。「それ、バジルのめっちゃ美味いよ」と混ぜる分量や合うパスタなど教えてくれた。寮の代わりにコンドミニアムを数人でシェアしていたらしく、簡単な自炊はしていて調味料やソースなどは一通り試したという。

 そこへタイミング良く史緒が入って来る。「あれ、河井くん久しぶり、ていうかお帰り?」と言って「隣いい?」と断ってカウンターに座り、図らずも俺的にあんまりご一緒したくない面子になった。


 結局、拓未の秘めた想いは史緒には話さなかった。実際は「話さなかった」のではなく「話せなかった」というのが正しい。拓未に口止めされていたのもあるが、何より俺が上手くフラットに拓未の気持ちを史緒に伝えられる気がせず、とうとう切り出せなかった。

 そりゃそうだ、親友が自分の彼氏を好きだなんて本人に冷静に伝えられるか?しかも全員男なんてややこしい。

 史緒は俺と違って詮索しないタイプなので、「拓未と話してきた」とだけ伝えた時もこちらから内容を話さなければ色々聞かないでいてくれる。俺の態度や表情である程度感じ取って「大丈夫」と判断したのだろう。

「良かった、鹿野さんにも」と言って拓未は赤い表紙の本を一冊出した。


 滞在中サンフランシスコに遊びに行ったらしく、シティライツブックストアというビートニクの作家を扱う書店で見つけたという本を渡していた。

「かっちょいい、なんの本?」と聞くと「ギンズバーグの詩集」と拓未が答え、「前にちょっと話したことあって。嬉しいな、覚えててくれたんだ」と史緒は丁寧にページを繰る。

 史緒も訪れたことがあるらしく、店の話を楽しそうに話す拓未になんだか気持ちがざわついて落ち着かないので奥に引っ込んでランチタイムの皿をひたすら洗った。拓未の態度が吹っ切れたようにも未練が残っているようにも見えて真意が測れなかった。


 夕方の小休憩で『今日史緒んち行っていい?』とメッセージを送ると定時で上がれると返信が来た。上がる時間が一緒なので駅で待ってると返信するとスっと既読が付き『OK』とウインクする鹿のスタンプが現れた。


 六時過ぎに駅に着くとほぼ同時に史緒も合流し、ホームまで並んで歩く。耳元で「好き」と囁くと「こらこら」と手のひらで顔を扇いで照れた。

 夕食は、早速拓未がくれたソースを使ったパスタと史緒がチキンサラダを作った。

「河井くん、彼女出来たってね」と徐ろに史緒が言った。寝耳に水の俺は「え?彼女?」と驚くと「うん、昼間言ってたよ」とパスタを口に運ぶ。

何で俺より先に史緒に話すんだと思わずムッとしてしまう。

「えー、俺聞いてない」

「陸が洗い場にいる時だよ。彼シャイだし、僕から陸に言って欲しかったんじゃない?」

優しく笑ってテーブルに置いた俺の手に自分の手を重ねて俺の気持ちを宥めた。

「同じ語学学校にいた人で、仕事辞めて来てたって言っていたから年上なのかな」

「え、写真は?見た?」

「ううん、彼女さんの方が帰国が少し後らしいけど」

「そっか、なら良かったけど」

口では「良かった」と言ったが、少し違和感があった。

「河井くんのアメリカ行く前に陸と話したことも彼の背中押したんじゃない?」

史緒はにこにこしながら言うが、あの日拓未と何を話したかは知る由もない。二人とも俺の気も知らないで、とため息をついた。

拓未でなければ気にならなかったかもしれない。ただ慎重なあいつにしたらちょっと話が性急過ぎる気もするし、俺じゃなくて先に史緒に話したというのも何処か引っかかった。


「ねぇ史緒、最近マスターからハンドドリップを教えてもらってるんだけど、味見してくれる?」

 コーヒーは前から好きだったが、淹れ方までは気にしたことは無かった。マスターが豆の挽き具合や湯の温度に気を配り、丁寧に一杯ずつドリップするのを見ていたら「やってみる?」と声を掛けてくれたのだ。

 食後に教えてもらった事を思い出しながら淹れてみると、芳醇な香りが部屋に広がった。史緒に出すと「いつものコーヒーなのに後味が全然違う、美味しい」と喜んでくれた。史緒に喜んで貰えるのがなんだか嬉しくて、もっと上手くなるねと言うと「二人でコーヒートラックとかしたらきっと楽しいね」とお気に入りの九谷焼のカップを眺めながら言った。

 

 俺は高校教諭志望なので、四年になると昨年の中学に続いて今度は高校の教育実習がある。大学の授業数はだいぶ減ったものの教採に向けての対策や日々実習の準備に忙殺され、史緒とゆっくり家で会うのは二週間ぶりだった。

 史緒も少し甘えたモードで俺に身体をくっつけて来るのが可愛くて仕方がない。唇だけ重ねる軽いキスから次第に深く舌を絡ませていくと珍しく史緒から「シよ」と誘った。一週間前に堪らず一度抜いたが、それ以降忙しさと疲れで寝落ちてしまうことが多く触ってもいなかった。

「自分でシた?」

「シてない」

「ホントかな」

Tシャツの上から乳首を擦ると「いいから」と言って俺の服を脱がせにかかる。お互い下だけ脱いでしまうとそのままソファで交わった。


「帰るの?」一瞬だが残念そうに表情を曇らせた。明日は朝から教採の講座があるのに、資料を持ってこなかったため一旦家に帰らないとならないので迷っていた。

「うーん一緒にいたいけど帰った方が朝ラクなんだよね」と言うと「わかった、帰るタイミングで言って?駅まで送る」と言ってくれた。子供じゃないから送るとかいい、と言ったが結局別れ難い気持ちが勝ってしまった。

人気のない深夜の住宅街を手を繋いで駅に向かう。

「史緒はさ、街とか歩いてて『あの人いいな』とか思うことある?」史緒は顔に大きな「?」を浮かべて「なんの話?」と聞き返す。唐突すぎたなと思い直し「恋人いても、他の人に目がいくことってある?」と聞き直した。

「無いよ」と俺を見上げて即答する。

「僕は、陸がいい」

そう言って目を細めた。「陸がいてくれるからいい」史緒がそっと俺の指を絡めとり、そして「もう春の匂いがするね」と静かに言った。

 一人の人を愛するという意味が分かり始めていた。

 史緒が少しづつ俺の中に侵食してきて、きっとこのまま心の深いところまで解け合えるのだと思う。

 そして失うことの怖さも同時に感じている。

 付き合いはじめて三ヶ月になろうとしていた。


「すんげぇ春が来たんだってな」

学食で一人でかけうどんを食ってる拓未を見つけ頭上から声をかける。トレーを置いてガタガタと隣に座ると何を言われるのかわかった微妙な表情で俺を睨んだ。

「写真見せろや」と言うと抵抗せずスっとスマホを差し出す。そこには大きな目が印象的な黒髪ロングの女性が拓未と並んで笑っていた。

「お、美人じゃん」

「たりめーだろ?」

「彼女いつ帰ってくんの」と聞くと学校は一緒に三月で終わったが、その後一ヶ月程旅行をしてから帰る予定を立てていたらしく、その分遅れるということだった。新卒で広告代理店で二年働いたが、あまりの激務に心身に不調を来たしやむなく退職。リフレッシュのために短期留学をしたのだという。年齢は二十五歳で四つ上だったが実年齢より落ち着いて見える拓未とはお似合いだった。

「色々悪かったな」

 そろそろ席を立とうと言う時に照れくさそうに言った。

「何のこと言ってんのかわかんねぇけど、良かったな」

拳を突き出してきたのでグータッチしてやる。去り際に「浮かれてんなよ」と言うと「うるせぇお前だろ」といつもの悪態が返ってきた。


 図書室で提出期限の迫った実習の計画案を作っては消し、作っては消しをしていた。

 三年の時の実習では母校の中学に千葉の実家から約一ヶ月通った。今回は高校の実習なので約二週間、若干東京寄りではあるのでどちらからから通うか迷っていた。

 親には自分がゲイであることを言ってはいない。彼女は出来たかとか母親や姉にうるさく聞かれたが、当時は本当に居なかったので「居ない」で済ませてきた。でも今は史緒がいる。

史緒の存在を隠すことは、彼や自分がゲイであることを否定する事になる気がして凄く嫌だった。


 メッセージを着信し、見ると同じゼミの奴から合コンの誘いだった。隠しているつもりもないが、わざわざ皆に言うことでもないと思っている。実際恋人が出来たらオープンになるかなと思っていたが、逆に史緒を傷つけたり興味本位であれこれ探られたくないと思うようになっていて自分でも意外に感じていた。

 そこへまたメッセージが入る。水沢創だった。法学部の水沢は一年の時に何となく人に付いて行った詰まらない新歓で気が合い、今は拓未も含めてたまに飲みに行く仲だ。

 四年になるとあまり大学にも行かなくなるので、なかなかキャンパスを歩いていて偶然会うことが無くなってくる。今日もし来てたら少し話さないかと言うメッセージにすぐに返信した。


 カフェテリアに行くと本を読んでいた水沢が俺に気づき軽く手を上げた。「おー」と声をかけると「なんかいる気がしたんだよ」と言った。

 水沢は法科大学院への進学を希望していて、大学の授業の他に予備校にも通っている。その合間にバイトもこなしているため、大学で捕まえるのもなかなか難しいやつだった。「相変わらず忙しそうだな」と聞くとまぁまぁな、といつものように答える。

「そうだ河井に聞いたよ、彼氏出来たんだって?」

「うん、三ヶ月くらいかな」と言うと結構経っている事に驚かれ、早く教えろよとわざと不満そうな顔をした。

「いい人なんだな」と言い雰囲気が変わったと言われた。俺自身そんなに史緒に影響されていると思っていなかったが、近しい人にはここ最近「丸くなった」「穏やかになった」と言われることがある。前は恋人に影響されて変わるなんて格好悪いと思っていたけれど、優しく穏やかな史緒が少しづつ自分の険を溶かしてくれている様でそう言われるのも悪くないと思うようになっていた。

「試験いつだっけ」

「七月、お前の教採と一緒」水沢は弁護士って言うより裁判官って感じだな、と言うと「なんだよそれ」と笑った。

おしゃべりなタイプでは無いが、一緒に居て心地よいやつだった。博識で大概の話題にはそれなりの知識があり、話していて楽しかった。


「彼は何やってる人?」と聞かれ“六つ年上で学芸員”と言うと「学芸員」という職業に興味を持ったようで機会があったら紹介してと言われた。水沢は相変わらず彼女はいないようだが、どこかいつも恋人がいるようなそんな色気があり、以前そのことをぶつけてみると今彼女は要らないからちょうどいいなと言ってはぐらかしていた。そのまま水沢はカフェテリアに残り、俺は家庭教師のバイトに行くため席を立った。

 道すがらふわりと柔らかい風が吹く

「春の匂いがするね」と声を出して言ってみる。前を歩いていた女の子が驚いて振り返るが気にしないでそのまま歩いた。

 昨日会ったばかりなのにもう史緒に会いたかった。

 


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