十章 認めないもの

第212話 アルベランの魔王

広く、見事な調度品で彩られた会議室。


「――では、アルベランにどうやって対抗すると言うのだ!? 時間を掛ければ奴らに与するものが増えるだけ。ここで奴らに痛打を与え、我らの武威を見せつけねばこの流れは止められんぞ!!」


――対アルベラン連合会議、声高に叫ぶはこの連合を統べる盟主にして、東の大国を統べる武王アルフマーズ=ゲルガニク。

その顔には僅かな皺。黒の虎髭には白髪が交じり。

しかし未だ偉大なる戦士としての覇気を有し、鍛え上げられたその筋骨隆々の肉体にも眼光にも、僅かな老いも感じさせない。


アルフマーズは大きな机を砕かんばかりに叩き、その場に居合わせる男達の顔を睨み付けた。

その男達も単なる男や貴族ではない。

皆それぞれの国を統べる国王か、軍部の長、王家に連なる大貴族達ばかりであった。


「落ち着かれよ、ゲルガニク王。声を荒げぬとも皆理解しておる」

「いいや、理解しておらぬ。アルベランとエルスレンの衝突、その時点で私はこの場にいる皆にその危険性を伝えたはずだ。だと言うのに皆が皆それぞれの利のために動き、結果としてエルスレンをアルベランが飲み込む間、我らは休戦し、同盟を結ぶので精々。アルベランの動きに対し指を咥えて眺めていただけだ」


アルフマーズは激昂したまま答えた。

アルベランとエルスレン、その衝突はよくあること。

大陸でも遥か西の話――大した事ではなかったが、しかし今回は明らかに事が違った。

アルベランがエルスレンを攻め滅ぼすつもりであったからだ。


ガルシャーンを属国に、エルデラントを併合し。

アルベランは西で起きた五大国戦争に勝利してからというもの、明らかに様子が違う。

この二十年の間に準備を整えたのだ、とアルフマーズは理解していた。


――この大陸全てを支配する準備を、だ。


「これはグラバレイネの再来だ。何故貴君らは歴史に学ばぬ。いつぞやのように、アルベランが自滅してくれるとでも思っているのか? 津波の如く力を蓄えたアルベランを前にして? 私からすれば危機感が足りぬと言わざるを得ない」


かつてのアルベラン侵攻――その当時も、アルフマーズの祖先達は盟約を結びアルベランに立ち向かった。

そう言われているが、史書を眺めれば分かる。

あれは完全な負け戦であった。


戦術、戦略的にも、軍の練度、装備の質でもアルベランはこちらを圧倒しており、敗戦に次ぐ敗戦。

エルスレンとの分裂が起きていなければ大陸の東も含め、全てをアルベランが支配していただろう。


それからは西にアルベラン、中央にエルスレン、そして東にゲルガニク。

それで一応のバランスが保たれていたが、今回アルベランはエルスレンを征服――かつての領土のほとんどを取り戻している。

今度は常識を覆す、高度な魔導技術を手にして。


決して侮れはしない。

それどころか、東の総力を結集してすら届くかどうか。

この会議で講和の是非を問うている場合ではないのだ。


「アルベランに対しどう講和を持ちかけるかではなく、どう痛打を与えるか。我らは意思を統一すべきなのだ。軟弱な姿勢を見せればつけ込まれる。我らは一枚岩となり、共通の敵アルベランに対し、どう戦うかを探らねばならぬ!」


アルフマーズは声高に叫び、一瞬の静寂。


『――勇ましいお言葉。ですが、戦う必要などありませんわ』

「っ!?」


その静寂を崩したのは、甘く蕩けるような少女の声音。


会議の場に女はなかった。

使用人すらここには立ち入ることは許されない。

ましてや、女ですらない少女など。


声と共に、ゆらりと。

テーブルの上に立つのは赤に煌めく金の髪――黒く優美なドレスを身に纏い、人を惑わす子供のような優美な微笑。

ふわふわと浮かぶように実体なく、その体はどこか透けて見えた。

その中で一点――宝石の如き紫の瞳だけが、愉悦を浮かべた少女の顔に際立って見えた。


『テーブルの上に不作法で失礼しますわ。ふふ、これだけ沢山の方が集まっていらっしゃるのに、アルベランだけ蚊帳の外だなんて寂しくて。わたくしの参加をお許しくださいましね』


言葉を失う男達の前で、少女は踊るようにくるりと回り、スカートの端を持ち上げて一礼を。

この世のものとは思えぬほどに幻想的で、人を惑わす魔性の美貌。

――少女は『アルベランの魔王』と呼ばれる存在。

議題の中心であるアルベラン、その女王クレシェンタであった。


何とも面妖な、と男達は口元に手を当て、


「っ……貴様!!」


アルフマーズは立ち上がり、腰のナイフを投げつける。

少女の額を狙った一投――しかしナイフはクレシェンタの額を突き抜け、そのまま壁に。

クレシェンタは楽しげに肩を揺らして笑い、わざとらしく額を撫でた。


『まぁ。当たっていたらどうしますの? 他国の王を暗殺だなんて聖霊協約違反ですわ』

「敵の会議に堂々と踏み込み、よく言うものだ」

『それを罰する法などどこにもありませんもの』


馬鹿にするようにクレシェンタは言って、両手を打ち鳴らす。


『ふふ、無駄話はおしまいに。皆様に今後の行動予定をお伝えしようと思いまして』

「何を……」

『目的はアルベランを頂点とした、大陸の統一連合樹立。そのためこれからアルベランは、真っ直ぐ東の果てまで遊びに来ますわ』


アルフマーズを無視してクレシェンタはアルフマーズの背後――大陸の簡略図を手で示す。


『駆け引きもなく、躊躇もなく。抵抗するならその国を滅ぼして呑み込み、跪くならば統一連合の加盟国として受け入れ』


そして指ではなく掌を、西から東へ塗りつぶすように動かした。


『皆様へのお願いは一つだけ。東は国が沢山あって面倒ですもの。こちらから使者は送りませんから、恭順の意を示すならばそちらから使者を送ってくださいまし。……単純明快、分かりやすいでしょう?』

「ふざけたことを……!」


あざ笑うでもなく、困った子供でも見るように。


『ふざけてませんわ。だって、当然の話でしょう?』


一拍置いて、少女のままクレシェンタは微笑んだ。


『負け戦で多くを失うことを望んでいる方なんてどこにもいませんわ。わざわざこうやって姿を見せてあげた理由くらい、分かって欲しいのですけれど』


紫の瞳は無機質に、なぞるように周囲を見渡す。

宝石のようで、獲物を眺める蛇のようで。


その瞳を見た男達の背に寒気が走った。


『……その気になれば、この部屋の人間全てを血祭りにあげることくらい簡単ですの。後々の面倒を考えるからしないだけで』


楽しげに少女はその唇をなぞり、アルフマーズは眉間の皺を深く刻む。


「……戯れ言を」


そして少女を憎悪するように睨み付けてそんな言葉を吐き出した。


『どうかしら? ふふ、まぁ、愚かにもアルベランに挑むのならば、すぐにお分かりになると思いますけれど。……アルベランとはもう、戦いにすらならないのだと』


くすくすと、楽しげに笑って肩を揺らし、少女のように。

アルベランの女王は歳を取らない。

その言葉通り、彼女はどこまでも幼く見え。


人ではないものかのように、どこまでも狂って見えた。


『来月頭になったら西から順に、この地図を塗りつぶしていきますわ。決断はお早めに、皆様には賢い判断を期待します。……それでは失礼』


現れた時と同じく、くるりと回って一礼を。

少女の姿は靄が薄れるように消え、場に残されたのは沈黙であった。

男達は顔を見合わせ、アルフマーズは背を向けるとその拳を壁に打ち込み轟音を響かせる。


「……こちらの足並みを乱すための戯れ言だ。先の話の続きをしたい」


告げる言葉に反応は薄い。

遥か西にいるはずのクレシェンタがこの場に現れた動揺は大きく、アルフマーズと同意見であった王達ですらそれを完全に消せずにいた。


会話が通じていたのだ。

ここで行う会議の全てが盗聴されている可能性は大いにあったし、それどころか、こちらの動向、その全てが相手に知られている可能性があった。


そんな状況で話に熱が入る訳がなく、会議は翌日へ持ち越しに。

ゲルガニクの王都からはその日、各国の密偵が各々の国へと夜闇に紛れて走り去っていった。










――アルベランの天極。

アルベナリアの側に建てられた巨大な塔は雲を貫かんばかりに高く、魔力保有者でないものすら分かるほどの青き魔力の光を上空に吐き出していた。

アルベランはこの建設のために膨大な人員を注ぎ込んだ――という訳ではない。

王都の民からすれば、いや貴族達にも理解が出来ない存在であった。


この塔はある日突然、この地に生えたのだ。


周囲は常に鉄の巨人――数十のジャレィア=ガシェアが起動状態で昼夜を問わず警備を行い、中へ入ることを許されるのは女王とアルベリネア、そしてその許可を得た一部の人間。

どうやって、これが何を目的にしたものかも知る者はおらず、そして女王もこれに関して何かを説明することもなかった。


情報に通ずるものは古竜の地――アルビャーゲル山にも同様の塔がそびえ立つことを知っていたが、やはり彼等も同様。

この塔が何のためにあるのかを知る者はない。


「ふふ、終わりですわおねえさまっ」

「えへへ、偉い子です」


天極の内側はまさに、ハリボテというべきだろう。

中心部では大地から青い魔力の光が天へと昇る筒状の構造。

そちらに目を向けていた女王――クレシェンタは楽しげに笑い、甘えるように双子のような姿の姉へと抱きついた。


銀の髪と瓜二つの美貌。

エプロンドレスを身につけた少女はそんな妹の頭を撫でつつ、イヤリングの形を取った魔水晶を指でなぞり、言った。


「――ダズ、お仕事は終わりです。第一くろみみ班は適当に撤収作業を。こっちに戻ってきていいですよ」


一瞬の間を空けて、返答。


『了解しました。ようやく俺達の仕事も終わりですな』

「そうですね、くろみみ班は損害もなく、これまでよく頑張ってくれました。帰ってきたらダズは退役ですし、終身名誉ぴりりん班長の称号と共に終身名誉くろみみ班長の称号を与えるつもりなのです。長旅なんですから気を付けて帰ってくるんですよ」


返答は先ほどより時間が掛かる。

クリシェは首を傾げ、クレシェンタは呆れたように姉を眺める。


『あ、ありがたいお言葉です……』

「えへへ。エルスレン西のクラウゼラ地方まで鉄道は延ばしてますから、そこまで行って適当に乗せてもらってください。ザッツがいますから問題はないと」

『……、は』

「じゃあまた帰ってきたら。ご苦労様です」


魔水晶のイヤリングから手を離す。

耳ぷるるん(命名者クリシェ)という魔水晶による通信装置であった。

遥かな地下より膨大な魔力を上空へと打ち上げる天極によって作られた濃密な魔力空間――通称どろふよ空間(通称の定義:クリシェが呼んでる)を用いて情報を伝達。

音声の送受信を可能とする魔道具であった。


クレシェンタはこの天極の魔力を遥か東に送り込み、自らの姿を投影したが、彼等の状況、会議の日程を逐一知ることが出来たのは黒旗特務の諜報班――通称くろみみ班(通称の定義:クリシェが呼んでる)が設置した共鳴水晶によるものだった。

窓に向けることで微かな振動を読み取り、内側の音声を手にするぷるるん共鳴水晶(基本的に共鳴水晶と呼ばれる)によって、ほとんどリアルタイムで他国の情報を入手することが出来た。

情報漏洩を警戒した彼等の懸念通り、同盟国や属国のみならず、敵国も含めた共鳴水晶の設置が行われており、アルベランは軍事的、経時的優位だけではなく、圧倒的な情報的優位までも手にしている。


「共鳴水晶設置も問題なく。今年で大陸も制圧、全体をある程度整えるのに十年くらいですわね」

「むぅ……本格的な作業はそれからでしょうか。やっぱりちょっと長いですね」

「わたくしは別にじっくり百年二百年くらい使っても良いと思いますけれど」

「……クリシェは嫌です」


クリシェはぷくー、と頬を膨らませ。

クレシェンタはそんな姉をじっと見つめて両手を頬に、唇を押しつけた。


「失敗がないようにするのが第一ですわ。わたくしも精一杯頑張りますけれど、色々問題がありますもの。ご理解くださいまし」


愛おしげに、頬を撫でながら囁くように。

紫の瞳は濡れたように輝いていた。

クリシェはその瞳を見つめ、不満を残しながらも静かに頷く。


「あら、もう終わってたかしら?」


声が聞こえたのはクリシェの背後。

壁際に設置されたエレベーターからであった。

聞こえた声に喜色を浮かべ、クリシェがそちらへ振り返る。


「えへへ、お仕事終わりですか?」

「ええ、それで様子を見に来たんだけれど」


金の髪美しい、軍服姿の女。

はっきりとした、けれど落ち着きのある美貌。

すらりとした立ち姿には気品があり、人の上に立つものとしての覇気というべきものが漂う。

四十を超え、随分と前に成長を再開した体――顔立ちから幼さは消え、目に見える老いこそないが、もう少女とは言えないだろう。

アルベラン王国元帥、セレネ=クリシュタンドであった。


クリシェはクレシェンタから離れ、セレネに飛びつきキスをする。

セレネは呆れたように「もう」と彼女の頭を撫でつつ嘆息した。


「外に出る時はエプロンドレスから着替えなさいって言ったでしょ?」

「今日の用事はここに来ることくらいでしたし……」

「言い訳しないの」

「ぅに……っ」


クリシェの柔らかい頬をつまみつつ、セレネはクレシェンタに目を向ける。


「ひとまず終わりですわ。これできっと主戦派はある程度纏まってくれるのではないかしら? 足並みが乱された以上、あちらは結果を求めますもの」


大陸東にある無数の国――その結束を乱し、真っ向からの決戦に引きずり出すこと。

挑発と威圧の理由はそれだけであった。


あちらの同盟国が全て敵に回るとなればいくらか面倒がある。

戦には勝つにしろ、広大な土地――戦力の分散は必要不可欠なものとなる。

アルベランとしてはもう少し手っ取り早く戦を終わらせてしまいたい。


しかし今回の挑発で結束は乱された。

あちらが再度、総力を結集するには結果が必要となる。

エルスレンという大国を呑み込んだアルベランに対し、あちら側にも確かな勝機はあるのだと、それを見せつけなければ日和見の連中は彼等に心からの協力など行わないだろう。


つまるところアルフマーズは総力を結集した決戦にて、こちらの出鼻を挫いて見せなければならないというわけだ。

そうでなければ、彼等が一丸となってアルベランに対峙する未来などあり得ない。


そしてその決戦で敵の主戦派を圧倒的実力でねじ伏せてやれば、アルベランは多くの国に対し、流血なしにその門戸を開かせることが可能となる。


「それを期待するわ。これをアルベランが行う最後の戦争にしたいもの」

「向こうの盟主、ゲルガニク王は随分血気盛んな方みたいですもの。どうあれ戦には出てくるでしょうし、どちらにせよそれを討ち取れば後は流れ作業みたいなものですわ。大した差は――」

「大した差よ。人の命は数字じゃないの」


セレネは静かに嘆息した。


「分かってますわよ、だから手間を掛けてるじゃありませんの」


不満げに両手を腰に、クレシェンタは唇を尖らせ、膨らませ。

セレネは苦笑しながら彼女に近づき、その頬を指でつついて空気を抜く。

ぷひゅー、と間の抜けた音が響いた。


「どうしてわたしがこんなに口を酸っぱくしてるのか、本当はあなたにもちゃんと理解して欲しいのだけれど」

「……、ちゃんと理解してますわ」

「そう。……ふふ」

「……ぁにひまふの」


セレネはクレシェンタの頬を左手で引っ張り、眺めていたクリシェは反対側の頬を引っ張る。

むにむにと頬を引っ張られ、クレシェンタは眉間に皺を寄せていき、限界が来たのかその二本の手を掴んで頬から剥がした。


セレネとクリシェはくすくす笑い、クレシェンタだけが怒ったように二人を睨む。

宥めるように彼女の頭を撫でつつ、セレネは言った。


「アルベランの魔王だなんて言われてるそう。……でも、わたしはあなた達が残虐非道な悪人だなんて言われたくないわ。だから――」

「耳にタコができましたわ、もう。準備の時間はこれ以上なく取りましたもの。これ以上はなく最善で、すぐに終わって世界は平和。……よろしいかしら?」

「ええ、女王陛下」


セレネは額に口付けて微笑み、クレシェンタは額を撫でつつ彼女を睨み。

クリシェは言った。


「セレネ、準備は?」

「順調、問題なしね。予定通りかしら」

「えへへ、じゃあ再来月に出発しましょうか」

「そうね、あなたに任せるわ」


嬉しそうにクリシェはセレネの腕を取り、クレシェンタの手を引っ張った。


「じゃあしばらくは細かいことくらいでお休みですね。今日はミートパイを作る予定だったのです。セレネも一緒に作りましょう?」

「あなたね……まぁいいけれど」

「……足手纏いですわ」

「失礼なこと言わないの。わたしだってそれなりに上達したわ」

「そうですよクレシェンタ。もうセレネは牛肉と羊肉の違いだって見分けられるのです」

「……上達の程度が低すぎるような気がするのですけれど」

「うるさいわね」

「ぅにっ」


大陸全土に残された史書にはいずれも、この年にあったある出来事が記されていた。


――王国歴485年、大陸統一戦争。


その後長く使われた統一歴の制定は、これから僅か翌年のことである。

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