第124話 すれ違い
村の広場ではクリシェ達の出発を待つ者達が集まっていた。
子供達や女達、そこには少ないものの男たちの顔もあって、名残惜しむようにクリシェ達へと挨拶をしていく。
「ペル、クリシェはベリーを見ないようにと言いましたよ」
「み、見てねぇよ! クリシェねーちゃんはしつこいな、会う度言いやがって」
「ベリーはペルの目には毒みたいですから」
ベリーは困ったように、他の者はただただ楽しげにペルをからかっていた。
顔を真っ赤にさせたペルは舌打ちをしつつ、キリク達へと顔を向ける。
「稽古、ありがとうございました! 十五になったら絶対、軍に入って俺も黒の百人隊を目指します!」
「はは、元気が良いな。しかし中々筋は良かった。軍に来るかどうかはともかく、鍛えれば良いものになるだろう。頑張るといい」
「はいっ!」
ペルは見様見真似の敬礼をし、笑いながらキリクは応じる。
しかしクリシェはうーん、と唸りながら言った。
「……ペルはくろふよに入れませんし、戦場に出ないでちゃんと村のため働くのが良いと思いますよ。戦場に出たらすぐ死んじゃいそうです」
「クリシェねーちゃん! 折角やる気出してるんだからそういうこと言うなよ!」
ペルは魔力を扱えない。どれだけ優秀でも黒旗特務には入れない。
事実として言ったまでだが、いきなり出足を挫かれたペルはクリシェを睨む。
「ったく、昔からそういう空気読めないとこ変わらねえよな」
「くく、そう怒るなペル。クリシェ様も心配しておられるのだ。……それに軍人として働くことも重要だが、こうして村の自警団として、村の平和を保つために働くこともまた大事なことだ。力が足りぬことの悲劇を知っているならなおさらだろう」
「……そりゃ、そうですけど」
「それに、心配しているのはクリシェ様だけじゃあるまい」
キリクは視線を別の場所に向ける。
幼なじみの少女がじっとペルを見ていた。
ペルはそちらを見て顔を赤らめ、ぷい、と逸らす。何かとペルの後ろについてくる可愛らしい少女で、ペルはよく彼女の事をからかわれていた。
「素直じゃないな、全く」
苦笑するキリクにペルは何とも言えず、口を閉ざした。
それから一歩前に出てきたのは恰幅の良い女性――クリシェはどういう顔をすべきかと少し迷いつつも、少しぎこちない笑顔を浮かべ、ガーラは優しく微笑んだ。
それから朝焼いたんだ、とパイの包みを手渡し、少し腰を下げて視線を合わせると頭を撫でた。
「忙しいだろうし、王都に住んでいるんじゃもう会えるかはどうかもわからないけれど……落ち着いたらいつでも帰っておいで」
「……はい」
「おばさんはクリシェちゃんが幸せに過ごせるよう、グレイスやゴルカと一緒に、遠くからずっと見守っているから」
ガーラはそう言って、ほんの少しの間その小さな体を抱きしめると、ベリーに視線を向けた。
「クリシェちゃんのこと、お願いするよ。ベリーさんみたいな人がいれば、あたしも安心してクリシェちゃんを見送ることが出来そうだ」
「はい。……この名に誓って、承りました」
互いに深く頭を下げると、ガーラはもう一度クリシェを撫でた。
「それじゃクリシェちゃん。旅には気を付けて……内戦の後で治安も良くないらしいしね」
「……はい、おばさんも体に気を付けてください」
「ああ、もちろん。クリシェちゃんを見て不調も吹っ飛んだからね、この先何十年と大丈夫だろうさ」
ガーラは力こぶを見せて笑うと、込み上げたのか。
目頭を押さえると息をつき、笑顔を浮かべた。
クリシェはそれを眺め、身を寄せる。
「あの……クリシェ、おばさんのこと大好きです」
ガーラはそれを見て頷き、おばさんもだ、と答える。
「クリシェちゃんと同じように、おばさんもそう思ってるよ」
「……はい」
クリシェは嬉しそうに頷くと、離れた。
「じゃあ、まただね、クリシェちゃん」
「はいっ、ちゃんと、時間が取れたらまた帰ってきますね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
クリシェは頭を下げて、ベリーのいる馬車の所へ。
彼女の腕に腕を巻き付け、身を寄せ微笑み。
そして乗り込む際にもう一度彼等に向かって頭を下げると、ベリーと共に、箱馬車の中へと入っていく。
見送る者達は以前と違い、泣き崩れるようなものもなく。
遠くへと消えていく馬車を、笑顔を浮かべて見送った。
――数日前。
カルカの隣村キルナン村はそれほど大きな村でもなかったが、織物などの手工芸が盛んで街との付き合いも深く、特に貧しいと言うこともないのどかな村であった。
少し南にある村と取引し、羊毛を布や衣服に変えて街へと売りに出し、男は狩猟と畑仕事を、女はそのほとんどが織物に精を出し、
「うぅ、叩くことないのに……」
「どんだけ心配したと思ってんだまったく、これくらいで済んで良かったと思いな」
ミアはそんな村の大家族で育ったらしい。
栗毛の髪を後ろで束ね、顔立ちは美人と言えるだろう。
気の強そうな顔の母、ミルナに叩かれた頭を押さえ、ミアは唇を尖らせつつ。
カルアはそんな二人に苦笑しながら雪の積もる村の中をついて行く。
帯剣し、鎧こそ着てはいないが三日月髑髏の刺繍が胸に入った黒外套。
両手は皮に補強の入った手甲で、ブーツも無骨なしっかりとしたもの。
軍人であると一目でわかる格好で随分と目立ったが、雪が積もっているだけあって、あまり外には人がいない。
機織りの小気味良い音だけがあちこちの小屋から聞こえていた。
田舎村には珍しく、しっかりとした機織り機があるのだろう。
感心しつつカルアは村の様子を眺めた。
「カルアさんだっけ、ミアが迷惑掛けなかったかい?」
「いえ、それどころかいつも良く助けられて、仲良くさせてもらってます」
意味深な、からかうような視線をミアに送る。
ミアは腹立たしそうにカルアを睨むが唸るだけで何も言わなかった。
随分と母親に弱いらしい。
「正直に言っていいんだよ、まったく。おっちょこちょいで不器用で、無地の布すらまともに織れない子なんだから」
「ふふ、ミアさんはその分村では働き者でいらっしゃったとか」
「荷物運びでね。……そりゃどうなのかとあたしは思うんだけど」
お淑やかな淑女――猫を被るカルアである。
ミアはそのわざとらしいお淑やか振りが無性に腹立たしかったが、罵声を浴びせて更に母の怒りを買いたくはない。
そうして三人が向かったのは村の中でも少し大きな家だった。
ミアの家は比較的村では裕福そうなものに見え、カルアは首を傾げる。
ミアが出稼ぎに出なければならないような家には見えず、母親は腕の良い織り手で父もなかなかの狩人であるらしい。
お客人だからと紅茶を出され、部屋を見渡している内になんとなく察しもつく。
「はぁ……全くびっくりしたよ。いきなり軍の馬車について出て行ったかと思えば、しばらくしたら大金が送られてきて。何考えてんだい」
「だ、だってお母さん、家計が随分大変だって……」
「父さんが怪我をしたから、しばらくの間大変だって言っただけだ。蓄えぐらいあるよ。まったくもう……なんで軍になんか……」
「あ、ねーちゃんだ!」
「ほんとだ、帰ってきたの!?」
十歳くらいか、男の子が二人部屋から現れる。
ミルナはため息をつくと二人に告げる。
「お客様がいるんだ、ひとまず外で遊んできな」
「えー?」
「えぇ、じゃない。ほら、しっし!」
子供達を手で追い払うと、ミルナは悪いね、と言いながら切った果実をカルアの前に。
カルアは頭を下げるとミアをじーっと眺めた。
「な……何?」
「いえ、なんだか想像通りだと思いまして」
「……その口調なんだか腹立つんだけど」
「ミア」
呆れたようにミルナが名を呼び、ミアはびくりと姿勢を正した。
カルアは静かに笑いを堪える。
「ともかく、家に帰ってきな。あんたみたいなおっちょこちょいが軍人なんて、命がいくつあっても足りやしない。出稼ぎなんて必要ないんだから」
「か、帰れるわけ……あのね、お母さん、これでもわたしはクリシェ様直轄の、すごい隊の副官なんだから」
「それがなんだってんだい。軍人ってのがお命を賭けてお国のために働く立派なもんだってことくらい知ってるよ。でも、あんたみたいなのにゃ向いてない」
ミルナは再びため息をつくと、両手を組んでミアに告げる。
「たまたま無事だったから良かったようなものの、ちっとはあたしの気持ちになってくれりゃどうなんだい。これ以上心配を掛けさせないでおくれ。戦場で何かあって、酷い目に遭ったなんてことになったら、あたしはどうすりゃいいんだい。それに、そんな覚悟があんたにあるのかい?」
「い、今はある! それにわたしだって馬鹿じゃないんだから、ちゃんと色々考えて今は軍で仕事をしてるの。責任だってあるんだから、そう簡単に――」
「ミア、聞き分けな!」
ミルナが声を張り上げ、ミアは睨む。
「折角可愛く生んでやったってのに、まったくあんたって子は」
「今更何! いっつも不器用で馬鹿で間抜けでって怒鳴るばっかの癖して! 機織り一つまともに出来ない、そんなだから貰い手もないっていっつも言ってたでしょ!」
「だからってそれと軍に残ることがどう関係するって言うんだい!」
「だから、わたしが役立たずみたいなこと言うから、少しでも家のために頑張ろうって思ったの。それで家を出たの! そんな風に言うことないでしょ!」
家に入って落ち着く間もなく、いきなりである。
突如始まった大げんかにカルアは困ったように頬を掻く。
ミアは机に身を乗り上げんばかりで、顔を真っ赤にして怒っていた。
「お母さんったらいっつもそう! わたしがやることなすこと全部にケチつけるんだから! 帰ってきて損した!」
「待ちなさいミアっ!」
ミアはそのまま立ち上がると扉に腰の剣を引っかけつつ。
扉を叩きつけるようにして出て行き、ミルナはまったく、と椅子へ腰を降ろす。
それからカルアに向けて恥ずかしそうに頭を下げた。
「すまないね、昔っからああいう娘で」
「あ、あはは……ま、まぁ喧嘩するほど仲が良いとも言いますし」
「気を使わなくていいよ」
ミルナは苦笑し、紅茶へ口付けた。
「黒の百人隊って言やぁ、こんな田舎にも聞こえてくるような名前だ。そんなとこからミアの名前で金が送られてきて、心臓が飛び出るかと思ったよ」
「確かに、驚くでしょうね」
「なんでも、最前線で戦う危険な部隊じゃないか。本当にあの子はそんなとこの副官なんてやってるのかい?」
「ええ、はい。事実で、副官としてとても努力していますし、指揮官としてミアさんは優秀……そう言って問題はないと思います。お母様のお気持ちは、もちろんわかるのですが」
ミルナは目頭を揉むように、疲れたように首を振る。
「ミアとはどういう?」
「結成当時からの付き合いですね、丁度、募集があった時に。歳も近かったのでそれで縁が……王都では一応、同じ家を借りて暮らしています」
「なるほど、ありがたいことだ。男勝りって言うかなんて言うか、小心者のくせに妙な所で気も強いし、変に悪目立ちして酷い目に遭ってないか心配してたんだが……カルアさんみたいな人が側にいてくれてたんなら少しは安心できるよ」
疲れた様子――実際疲れるだろう。
突如飛び出した娘が軍人で、しかも最前線で戦っているなど。
カルアは少し不憫に思う。
「同じ女の身で軍人をやっているカルアさんに言うのは、少し失礼かも知れないが……やっぱり母親としては心配でね。手の掛かる子だから余計に」
「あはは……お察しします」
「向こうでのことを聞いてもいいかい?」
「ええ、もちろんです」
カルアはミアの出て行ったドアに目をやりつつ、そう頷いて紅茶に口付けた。
怒気を露わに雪を踏み抜きながら、村の中を不機嫌そうな顔で歩くミア。
彼女に声を掛けたのは一人の痩せ身な青年だった。
「なんだ、バゼルか」
「なんだってなんだよ、心配したんだぜ、いきなり出て行っちまって」
「バゼルには関係ないでしょ」
「……ああ、ミルナさんと喧嘩したのか? まぁ、そりゃそうか……」
「何がそりゃそうか、よ。わたしは一人になりたいんだけど」
幼なじみの青年――バゼルは久しぶりの再会を適当に流されそうな事実に唖然とするが、いつものことであった。
このような扱いには慣れている。
「なんでついてくるの。畑仕事は?」
「こんだけ雪が積もってるのにできるわけないだろ。いつものとこか?」
「……一人になりたいって言ったのわからなかった?」
「お冠だなこりゃ……まぁそれもいつものことか」
ミアはぷりぷりと怒りながら歩いて行き、村はずれ。
少し森に入った川の側――そこにある岩がミアの定位置だった。
雪を払って腰掛けて、不機嫌そうな顔のままそれからようやくミアは尋ねた。
「おばさんは元気?」
「ああ、元気にしてる。早く相手を見つけろってどやされてるよ」
「そ、元気なら良かった」
完全なスルーであるが、この程度で心は折れない。
バゼルは忍耐強さを身につけていた。
「黒の百人隊って本当か?」
「本当。今は再編成中かな。副官だから仕事もあるんだけど、クリシェ様が故郷に戻るってことで、同行させてもらって帰ってきたの」
「クリシェ様……って、クリシュタンドの?」
「そう。あ……」
「なんだよ?」
バゼルが首を傾げると、ミアが思い出したように告げる。
「そういえば、いつぞやカルカの馬車に綺麗な子が乗ってたって言ってたでしょ?」
「ん、ああ……」
バゼルは記憶を手繰りつつ頷く。
「どうにもその綺麗な子がクリシェ様だったんだって。カルカの出身なんだよ」
「……まじか」
「カルカ出身だって聞いた時もびっくりしたけど、偶然ってあるもんだね。まぁ確かに、すっごく綺麗な人だよ。ちょっと……いや、大分変わってるけど」
ミアは楽しげにくすりと笑い、バゼルは久しぶりに見る幼なじみの笑顔に見惚れる。
肩に届かない程度――短めの栗毛はさらさらとしていて、どこか子供っぽい笑顔は可愛らしく。
軍人として戦場に出ていたなんて信じられないものがあった。
しかもそれが黒の百人隊――あのクリシェ=クリシュタンドの直轄部隊となればなおさら。
劣勢にあった内戦を勝利に導いた幼き怪物。
ギルダンスタイン側の主立った将軍はほぼ全て彼女の手で捕縛、もしくは斬り殺されている。
その剣で斬り殺した数は将兵合わせ千を超えると言われており、そのあまりの戦果に誇張があると告げるものもいたが、実際にそれを目にした多くの兵士達はそれが真実であると口を揃えて彼等に伝える。
そしてそんな彼女が指揮するのが、黒の百人隊という特殊精鋭部隊であった。
「……ミアもその、双子山にいたのか?」
「双子山……ああ、ベルナイクのこと?」
竜の顎――ミツクロニアとベルナイクは一般的には双子山という俗称で呼ばれることが多い。
軍では竜の顎と呼ばれることが普通であったため、聞き慣れぬ響きに少し戸惑う。
「うん、大変だったよ……一週間もずーっと敵地で野宿だもん。みんな怪我して、死ぬ人もでて……クリシェ様もすっごい熱出してたのにまだもうちょっとって聞かないんだから」
思い出して呆れたように言うと溜息ついた。
バゼルは驚きつつ、尋ねる。
「それじゃ、その……人も」
「……まぁ、戦場だもん。でもあんまりそういう話しないで。わたしは武勇伝なんかしたくないし」
「あ、ああ……すまん」
働き者で、でもちょっと抜けてて、天然が入っていて。
幼い頃から知っているミア――けれど彼女は以前とは別人のように思えた。
人を殺せるような性格でもない。
どちらかと言えば臆病で、恐がりで、そういう人間なのだ。
戦場は人を変えるというが、ミアのような人間まで変えてしまうのかも知れない。
バゼルは考え込み、肩を叩いた。
「……大変だったな、その」
「こんな形になるとは思わなかったけどね。……でも、まぁ、なんだかんだで居心地は悪くないからいいんだ。みんないい人達だし、頑張ろうって思えるの」
親友も出来たし、と少し恥ずかしそうに唇を尖らし、ぱたぱたと足を振り雪を蹴散らす。
明らかに彼女に合わなさそうな軍人社会である。
居心地は悪くない、という言葉にバゼルは何か危機を感じつつ、尋ねた。
「も、もしかして、気になる奴とかできたり……その」
「気になる……?」
「……つ、つまりその、男として、興味がある、的な」
「んー……そういう目で見たことないな。みんなわたしのこと馬鹿にしてからかってくるんだもん、まったく」
バゼルはほっと息を吐きつつ。
この女がそういう目で男を見ることがこの先訪れるのかと疑問にも思う。
ここまで鈍いのは恐らくミアとその姉くらいだろう。
唐突に村を出て行ったミアのことで、バゼルには後悔しかなかった。
なんだかんだでやっぱり可愛く、働き者。
競争率の高い彼女を射止めるため、できる限りの努力をしたつもりであったが、しかしやはり甘かったと思う。
久しぶりの再会に対してこの様子――バゼルの扱いはどう見ても単なる幼なじみ。
バゼルがアプローチを掛けていたなど欠片も気付いていないのだろう。
ミアには、直球しかない。
もしもう一度チャンスがあるならば、必ずそうしようと決めていた。
「あのさ、ミア――」
しかし声を掛けた瞬間、唐突に彼女は鞘から剣を引き抜いた。
しゃらん、と音が鳴り、現れるのは小さな刃こぼれの痕跡がいくつも残る長剣。
「はぁ、どうしよっかなぁ」
「な、何が?」
「いや、新しい剣を買おうって思って。これは軍の支給品の奴なんだけど、この前好きな武器を買って使っていいってことになってね」
剣を左右に振りつつ眺め、うーんと唸る。
「わたしはあんまり剣は上手じゃないけど、やっぱり使う機会は結構あるしどうしようかなって。軽い奴がいいなぁとか思ってはいるんだけどさ、でも剣で相手の剣を受けることも結構多いし、しっかりした頑丈なやつも悪くないなって」
刃こぼれの研ぎ跡を見て、実戦で使ったものだろうというのはわかる。
今日の晩ご飯はどうしようか、という調子で新しい剣について語る彼女に困惑するも、バゼルは咳払いをして言った。
「……買わなくていいんじゃないかな?」
「なんで?」
「いや、その……ミアは剣なんて振らなくたって、いいんだ」
「……?」
眉間に皺を寄せ、何を言っているのかとミアは首を傾げる。
遠回しに過ぎる。全く発言の意図が読めていない。
これではいけないとバゼルは首を振り、口を開こうとし――しかしぽん、と手を叩いたミアの方が一瞬早い。
「そういうことか。バゼルも隊長と同じこと言うんだ?」
「た、隊長……隊長が、俺と同じことを?」
「うん……お前は剣なんか振らなくていいって」
――それは守ってやるという意味か。
まさか、プロポーズを。
バゼルの胸の内には驚愕。今、気になる男はいないのかと尋ねたところであった。
「……指揮官が剣を振るのは最終手段だ、って、もう耳にタコができるくらい言われたよ。言いたいのはそういうことでしょ?」
――そうじゃない。
バゼルは首を振りため息をつく。
「いや、そうじゃなくて」
「うん、これはそういう問題じゃなくて、その最終手段の時にどういう剣を持つのがいいか、って話だよ。言いたいことはわかるけど、今はそういう話じゃないの」
――全くわかってない。
バゼルは明らかに間違った方向へ進む話に頭を抱えた。
わざとではあるまいかと思うほど、ミアは不思議な方向へ話を導く。
いつものことではあった。
ミアはそのまま戦場における剣の大切さを説き、どういう剣にするべきかという、今ミアの頭を支配する問題についてを語り出す。
普段畑を耕し生活しているバゼルには理解が及ばぬ次元の話。
口を挟もうとはするものの、どうにもそのタイミングがない。
「だからわたしとしては軽い方がいいんだけど――」
「ちょっと待て、しばらく何も言わずに聞いてくれ」
「……何?」
いつものミアである。しかし、バゼルはいつもとは違う。
今回は心に決めていた。
回りくどいことを抜きに、はっきりと告げようと。
「俺は前々からお前に言いたいことがあったんだ。……いや、以前からそれとなく言ってたんだが、大事な話だ」
「……わたしの命を守る剣より大事なことって何?」
「あの……頼むから黙ってくれ、ちょっとでいいから」
むぅ、と不満そうなミアは腕を組み、バゼルを見る。
思い込みが激しく、不器用でおっちょこちょいで、集中すると周りが見えない。
ミアには欠点だらけだった。
でも、明るく元気で、働き者で、彼女は誰かのために一生懸命になれる人間。
自分よりも他人のことを考える優しい幼なじみ――彼女のことはずっと好きだった。
どうしてここまで回り道をしたのだろうと思う。
自身の恋心を素直に受け止められず、子供の頃に彼女をからかってぼこぼこにされたせいか。
ミアが大きく綺麗になるにつれ、ライバルが増えてしまったせいか。
遠慮なんて元から存在しない、小さい頃からの付き合いのせいなのかも知れない。
だが、そういう言い訳はもうやめだ。
突然彼女が姿を消してからずっと後悔していた。
もう、後悔はしない。
「ミア、俺は――」
「っと、こんなところにいたんだ?」
しかし、その瞬間樹上から飛び降りてきたのは黒髪の美女だった。
後ろで纏めた長い髪は艶やかで、どこか色気のある美貌。
女性にしては少し背は高く、外套に包まれた体はすらりとして、けれど女らしい。
「……カルア、雪掛かった」
「あはは、気にしない気にしない。……あ、お邪魔だった?」
カルアは気付いたようにバゼルを見る。
猫のようなその瞳が向けられると、バゼルはドキリとした。
バゼルが初めて見るような美女の姿――
「ふぅん……カルアみたいなのが好みなんだ? バゼル、鼻の下伸びてるよ」
「っ、伸びてない!」
「ムキになって否定して。まぁカルアは美人だし、仕方ないと思うけど」
ミアは軽蔑するようにバゼルを見つつ告げる。
カルアは困ったように頬を掻き、ミアとバゼルを交互に見る。
「えーっと、ミアが言ってた幼なじみ?」
「そう、バゼルって言うの。……あ、それで何、大事な話って?」
――明らかに空気が壊れていた。
どう見ても告白出来るような状態にない。
一瞬カルアに見惚れたのも最低だった。
「……いや、今日はいい。明日も明後日もいるんだろう?」
「今のところはそのつもりだけど」
「じゃあ、また声を掛ける」
バゼルは悔しさを飲み込むように背中を向けて去っていく。
カルアはその哀愁漂う後ろ姿を見て、乾いた笑いを零した
「うわぁ……やっちゃったなぁ……」
「……? あんまり気にしないでいいと思うけど」
「いや、ミアはもうちょっと気にした方がいいとあたしは思うけど」
呆れたようなカルアをミアが睨む。
「何を?」
「……色々と。ミルナさんが夕食までには帰ってきなって」
「はぁ、もう。お母さんいっつもああなんだから」
ぷりぷりと怒るミアに苦笑する。
「ミアのことが心配なんでしょ。いいお母様だと思うけど」
「それはわかってるけど。あんな言い方ないじゃない、わたしだって色々考えて、家のために出て行ったのに」
「……これはしばらく機嫌が直りそうにないなぁ」
「……お子様扱いして」
「実際怒り方はお子様だし」
カルアは笑って頭を撫で、ミアは不満そうに。
けれど抵抗するでもなく目を伏せた。
「……村での女はみんな織り手。中でもお母さんは織物すごい上手で、お姉ちゃん達も上手で。……家でへたっぴなのはわたしだけなんだ」
「不器用だもんね」
「うるさい。茶化すのか慰めるのかどっちなの?」
「あー、じゃあ慰める方かな?」
「…………」
「睨まない睨まない」
カルアはよしよし、と頭を撫でて軽く抱き。
ミアは溜息と共に怒気を吐き出し、続けた。
「その分他の事で働こうって思ったけど、結局村じゃ女は織物が出来て一人前。自分より下の子がちゃんと織物上手になっていくのを見てると、なんだか自分の居場所がないような気がしてたの」
「うん」
「村を出たいなっていうのは昔から考えてたけど、一人で街になんて行けないし。そしたら丁度、募兵の馬車が来て……まぁまさか軍人になるつもりなんてなかったけどさ」
ミアは言いながらも、少し楽しげに言った。
「戦場は怖いし、責任重大だし、未熟でちゃんと出来てるなんてまだまだ思えないけど……でもクリシェ様や隊長達に色々無茶を言われて、わたしにって任されて。そういうのってなんだかいいなって最近は思うんだ」
村ではそういうことなかったしね、と続け。
目を伏せて、ぎゅっと拳を握る。
「お母さんの言うこともわかるよ。でも……空回りかも知れないけど、わたしなりに頑張ってるつもりで、だから、ああいう風な言われ方したら、すごく腹が立って……」
「……ほら、そういう顔しない。折角の可愛い顔が台無しだよ?」
手甲を外して滲んだ涙を拭ってやると、またミアが睨んだ。
「……そうやってすぐに馬鹿にする」
「正直に言ってるつもりなのになぁ、もう。ほら泣かない泣かない。泣き止むまでおねえさんがぎゅーってしてあげよう」
「そういうところが馬鹿にしてるの」
涙声で言いつつも、そのままカルアの胸に顔を押しつけ。
カルアは苦笑し頭を撫でた。
「あたしはミアを小馬鹿にしてるくらいが丁度いいらしいから、副官様曰く」
「……言ってない」
「本当に言ったんだけどな」
カルアは楽しげに。
少しだけ寂しそうに笑って言った。
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