第111話 女王とアルベリネア
長々と文官の美辞麗句を並べ立てた文言を受けつつ、女王の戴冠式。
式を終えて少しの間を置き、始まるは戦勝式。
同日に行なう理由は金銭的な問題であった。
楽士に料理人、貴族達の足代にと、式一つ開けば莫大な金銭が放出される。
まとめてやれば半分に、とは言わないまでもそれだけで随分な金は浮いてくるし、情勢不穏な王国のこと、国の防備に携わる有力貴族を一箇所に集めるような事態は可能な限り避けておきたい。
戴冠式――新たな女王を迎える神聖なる儀式。
その日に別の催しを交える事に対しては反対するものも多くあったが、自身の戴冠は己のみの力ではなく、臣下達全ての奮闘あってこそのものであるとクレシェンタは強く希望し、このような形となった。
本心で言うならばこうした式典を行なうこと自体避けたいところであったが、内外への建前として形式上は必要なもの。
やらざるを得ないのであれば最大限意味あるものに。
王宮内の密偵組織はギルダンスタインと付き合いが深く信用ならなかったため、民衆のコントロールにはエルーガ個人の密偵組織と、クリシェ個人に対し忠誠を誓ったキールザランのダグリスを。
パレードでは王宮内でのいざこざによって忌み子として王宮を追われた哀れな姫君としてクリシェのことを大々的に広める。
物事は第一印象が何よりも大事であった。
着飾ったクリシェは王女として十分過ぎる美貌を持っている。少なくとも彼女の姿は邪悪なる忌み子などとは見えないのだから、そのように印象づけるのは容易い。
そして、そのように印象づけ『あれが忌み子などであるものか』と一度思わせてやれば、彼女を忌み子であるとする流言が再び撒かれたとしても民衆は受け入れない。
既に一度、ギルダンスタインが広めた流言。必然二度目は効果が薄れる。
クレシェンタとしてはその上でクリシェを正当なる王族として復帰させ、お飾りの女王とでもしてしまいたいところであった。
権力を望まず、義によって姉を立てる姫君として自分の名声を高められるし、政治的、外交的にもクレシェンタが色々と動きやすくなる。共に過ごす時間も増える。
様々な面でのメリットはあったが、とはいえ女王となればクリシェの自由が損なわれ、クリシェという戦力を十全に扱えなくなる問題も大きい。
それにクリシェの性格上の問題もある。
『そういう面倒くさいのはクレシェンタがやるべきです。最初からそういう話でしたし、クリシェにはクリシェのお仕事があるんですから』
クレシェンタの提案は予想していたものの、即座に断られることとなった。
ベリーと一緒にお料理、家事。ついでに軍務。
クリシェの頭には欠片の権力欲もなく、ベリーと過ごすが第一なのである。
ぷりぷりと怒ったクレシェンタは三クッキー二撫でで懐柔され、仕方ないと諦めた。
とはいえ、クリシェにはある程度の権力を持たせておくべきである、という考えはやはりクレシェンタの中に存在している。
若さも当然ながら、その他と比べられぬ異様な戦果。
聞く限り指揮者としての人望こそ問題が生じる面はあるが、どうあれ彼女は一人で戦略的劣勢すらを覆す力を持った存在。
他の将軍達とは隔絶した特別な地位に置くべきで、彼女が独自の考えで新たな何かを作り出そうとした際、生じる問題をあらかじめ排除出来る権力を持たせるべきであった。
軍の総司令官としての立ち位置はクリシェの性格上問題が大きい。
自由度を失うことなく、縛られることなく、それでいて権力を有する立ち位置――女王たるクレシェンタの片腕にして、相談役。
そのような立ち位置を、クレシェンタは新たに設けることにした。
無数の柱がそびえ立つ、白き大広間。
その中央――真紅のカーペットには、今回の戦で活躍した将達がずらりと並び、その脇には政務を司る文官貴族と楽士。
カーペットの前方には小さな階段と玉座があり、そこに座るのは幼き女王クレシェンタであった。
「――目を開けてくださいませ」
はじめに内乱で失われた民と貴族についてを語り、一時の黙祷。
その静寂を破るように、クレシェンタは甘い――どこかまとわりつくような声で命じた。
「死者は王国の血に混じり、そして我らはその意志を引き継ぐ。多くの悲しみがあれど、わたくしたちは後ろ向きに立ち止まってはなりません。輝ける王国の未来へと目を向けねば」
クレシェンタはその容姿から想像も出来ぬほど落ち着いた様子を見せていた。
多くの視線を一身に受けながら、緊張の欠片も見せず。
玉座に腰を降ろした時から既に、彼女は女王。
百年の治世を誇るかのように、彼女は堂々たる姿を見せた。
「今よりはこの戦、特に功あった方々を賞する時間。けれどその前に、ここにある皆様全てにお教えして置くべき事がありますの。……わたくしの姉上のことですわ」
僅かにざわついた声を気にせず続ける。
既に有力な貴族には話を通してあった。
「忌み子として王宮を追われ、系譜から抹消された、本来の第一王女――こちらへ、クリシェ=リネア=クリシュタンド様」
声に立ち上がるのは白きドレスのクリシェであった。
そうして前に、階段を昇ってクレシェンタの隣に立つ。
そこは王族のみが足を踏み入れることを許される場所。取り乱す文官があったが、他の文官にたしなめられた。
「姉上のこと、事情を知る方はここに少なくないでしょう。わたくしの姉上がどのような扱いを受け、王宮を追われることになったのか。……王家の不始末、この場で多くは語りません」
王族は間違えず、誤る事なき存在。
けれど、クレシェンタはあえて不始末という言葉で述べた。
先の内乱――実際はどうあれ、表面的には王弟による王位簒奪を切っ掛けとした内乱であり、これ以上ない王家の不始末である。既に隠せぬ不始末を起こしてしまっているのだから、クリシェのこともそのように片付けても問題はあるまい、ということだった。
「姉上は本来であれば現状、王位の第一継承権によってこの玉座に座るべきお方。……けれど姉上はご自身を拾い養われた、救国の英雄にして先代クリシュタンド辺境伯――ボーガン=クリシュタンド様への義により、クリシュタンド家の貴族として、一人の戦士としてわたくしを支える立場になると先日誓われ、王位をお譲りになりました」
もちろんクリシェはそんなことを言ってはいなかったが、黙っていた。
『わたくしが適当にやりますから、おねえさまは黙って言われたまま立っててくださいまし』というクレシェンタのお願いの通り、淑女然とした姿で立っている。
パレードの後、クッキー程度を食べることは許されたものの、空腹を堪える彼女の顔は幾分悲しげで、場の雰囲気に良く噛み合う。
先代、ボーガンの死を悼んでいるようにも見え、見た目は悪くない。
「愚かな陰謀に巻き込まれ、運命を狂わされ。……姉上はその上で、そのようなことを仰います。けれどそんな姉上を単なる一貴族として臣下と扱うことは、王家のものとして、女王として、道理に反した行いであるとわたくしは思いますの」
クレシェンタは赤いカーペットに膝をつく者達を眺めた。
セレネにノーザン、コルキス、グランメルド、エルーガ――そこにあるのは今日叙勲を受ける、クリシェをよく知る者達だった。
当然、彼等にも既に話を通してある。
「そうでなくともクリシュタンド軍、その一軍団長として彼女の成した功績を知らぬ方はここにいらっしゃらないでしょう。天性の才覚、剣技により、わたくしとそう変わらぬ歳でありながら最前線で剣を振るい、無数の敵軍団長を――そして敵将、逆賊アウルゴルン=ヒルキントス、クラレ=マルケルス、更には簒奪者である叔父上、ギルダンスタインの首を手ずから獲り、我らを勝利に導きました」
この戦で直接獲った軍団長の首は7つになり、大隊長の首となれば20に届くだろう。
百人隊長となれば何人か、数えるのも馬鹿らしくなるほどで、指揮者を執拗に狩り取るクリシェの武勲は尋常のものではない。
敵将の手柄の内二つは大隊長ベーギルとノーザンのものであったが、いずれも彼女の影響は大きく、その上一つは敵の総大将。
彼女が王女を勝利に導いたとするのは過言ではなく、まさに疑う余地ない事実であった。
姉の活躍を信じていたクレシェンタですら呆れる戦果。
ここに疑問を呈する者などどこにもいない。
「単純な武功と能力を考えれば軍総司令、元帥という立場こそが相応しくあるでしょう。けれどご自身の年齢と、現クリシュタンド辺境伯――セレネ様に対する忠義からそれを受けることは出来ないと仰りました。とはいえやはり、全ての事情を鑑みれば姉上を一軍の将という立場へ封じることはできません。……そこで、わたくしの戴冠に伴い、相応の爵位を設ける形となりました」
クレシェンタは微笑を浮かべる。クリシェがやや唇を尖らせた。
『じゃあおねえさまが軍総司令になるべきですわ! 絶対そうですわ!』
『クリシェはそういうの苦手なんですから、セレネがやるべきです。クリシェはあっちに行ったりこっちに行ったりしなきゃならないんですから、そのままクリシュタンド軍をもらって――』
『お馬鹿、クリシェですらどうかと思うのにわたしが元帥なんて若すぎるって文句しか言われないじゃない。せめてヴェルライヒ将軍が――』
それは長い議論の末の決着であった。
「古き言葉で戦士を表わすリネア――正騎士。戦場での武勲によってのみ得られる、一代限りの爵位。武功に応じてリネアに新たな字を加えるというのは慣例のことですけれど、この度姉上の武勲は史書を紐解いても類なき武功と言えるでしょう」
クレシェンタは立ち上がり、側に立て掛けた宝剣を手に取る。
王のみが手にすることを許される大剣、ベーゼリアだった。
そしてそれを厳かに、クレシェンタは隣のクリシェへと差しだした。
クリシェは膝をつかず、それを立ったまま受け取る。
女王であるクレシェンタと対等――少なくとも彼女の事をクレシェンタはそう扱うという意思表示であった。
「わたくしの……女王の剣として。その武の象徴として。外敵を打ち砕き、国土を守る意志と力を持ったわたくしの半身として。姉上には元帥と並ぶ武官の最高位アルベリネア――『天剣』の爵位を受けて頂くこととなりました」
迅雷の騎士――ヴェズリネア。
ボーガンが有していたように、名誉称号として正騎士に収まらぬ武功を挙げた者に対して、その武勇を示す名を加えることは褒美の一つとしてよくあること。
アウルゴルンの『守護』を意味するニルクリネア、ギルダンスタインの『黒獅子』を意味するサーカリネア然り、その活躍による異名がそこに付け加えられることが多い。
ただ今回はその例に収まらない。
「姉上には王国の軍事面における相談役として、軍総司令官――元帥と共に立って頂きます。実権としてはこれまでの元帥に準ずるものとしますが、最上位権限保有者はこれまで通り元帥。軍総司令補佐に似た立ち位置と言えますわね」
それはあまりにも――口答えしようとする文官があったが、すぐにクレシェンタの瞳、その紫色が向けられる。
「ヴェルライヒ辺境伯の辞退により、元帥には同じく、若くして此度の内乱に大きく貢献したクリシュタンド辺境伯。補佐としては軍歴長く、これまでも数々の武功を挙げたファレン伯爵をそれぞれ指名します」
赤いカーペットに膝をつく者達はその言葉を当然のものと受け止めた。
元帥につくのであれば、一番の候補はノーザン。だが、周辺との関係が危うい現状、彼は東を離れるわけには行かない。
東に将軍として赴任して間もなく今回の内戦が発生したために、東の立て直しは半端なところで終わっており、この状態で誰かに後を引き継がせるということはできない。
であればもう一人の将軍であったセレネ。若さという問題はあれど人を使うことへの才覚は十分で、そこに経験豊富な知将エルーガ=ファレンが補佐につくとなれば、その若さを補い十分役目を果たすことが出来るだろう。
むしろその二人以外に、適当と言える人物はいなかった。
古将フェルワース=キースリトンは元々は元帥位についていたこともあり、最有力候補ではあったが、ギルダンスタイン側についた彼は謹慎中。
当然、今の時点では軍の実権全てを握る元帥などという立場にはおけない。
共に戦った彼等からすれば人事は正当――とはいえ、左右に居並ぶ文官や武官、つまるところ今回の内戦に参加せず様子を見守っていた者、あるいは消極的にでもギルダンスタインに協力していた者達にとってはそうではない。
名を挙げられたセレネとノーザンは将軍になったばかり、エルーガとクリシェは元々軍団長である。
仮にクリシェに関しては彼女を王族と見なしそれに目を瞑るとしても、他の人事については不満があった。元より中央将軍位にあったものなどは当然、その人事を身内人事と捉える。
クレシェンタはその様子を眺め、告げた。
「不満がある方がいらっしゃるのは承知の上で、わたくしはこのような形を望みました」
その紫色で見渡せばすぐにわかる。
敵意、反発、疑念。クレシェンタの瞳はそれだけをただ、生まれてから捉え続けた。
表情、仕草。そうした微細な感情を零さず、その個人を特定し頭の中へ情報として取り入れていく。
いずれその内、始末するためだった。
――クレシェンタは自身に害意を向ける者を許さない。
「……此度の反乱。わたくしは多くの方に命を狙われ、その過程で生まれてからずっとわたくしを助け、支えてくれた側仕えのノーラも失い……誰を信じれば良いのか、誰に助けを求めれば良いのか。それすらもわからない状況で過ごしました」
目を伏せる。悲しげに見えるように。
それで油断するなら弱者を演じる。こうべも垂れる。
クレシェンタはそうして人を騙すことに何一つ躊躇も、罪悪感も覚えない。
「全てはわたくしの不徳のなすところ――年齢を言い訳にするつもりはありません。けれどわたくしはわたくしに仕える皆様のことをあまりに知らず、怯え、恐ろしくなり、結果王宮を逃げ出しました。……そうした先で、わたくしは先代、クリシュタンド辺境伯に救われ……姉上や多くの方達に助けられ、こうして戻ってくることができましたが、しかし今でも……」
『滲ませた』涙を拭って、顔を上げる。
か弱く幼く、けれど強い意志を秘めた王女。
そのように見えればいい。
「――ほんの少しだけ、時間を頂きたいのです。誰がどのような方で、どのように秀で、どう扱うべき方なのか。それを見極める時間を。……此度の戦でわたくしの味方をしたものから選んだ作為的な人事であると、露骨な人事と思われることは承知の上――ですが、どうか、わたくしの未熟さをお許しください」
クレシェンタは続ける。
「……今は堪えて頂きたいのです。いずれ必ず、皆様の誠意に応えて見せます。応えられる王となります。だから、それまでは」
弱き女王の顔で、憐れみを誘うように。
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