六章 貫くもの

第110話 悪夢の式典

太陽に輝く錬成岩――白き都のアルベナリア。

王都では盛大な祭が催されていた。

王位継承権を巡っての争いから半月、今日はアルベラン女王陛下の王位継承式典であった。

王位簒奪を狙う邪悪なる王弟を打ち砕いた幼き王女、そしてそれを守護した戦士――クリシュタンドを讃美する声が王都に響き渡る。


一際大きく、豪奢な馬車の上に設けられた玉座。

そこに座るは王都と同じ白を着飾った、幼い少女――クレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベラン。

金の優美な髪は陽光に赤く照らされ、そのかんばせは幼いながらも既に女神の如く。王都の民は噂に聞く王女の姿を目にし、その美しさを誰もが讃える。

ヴェールを着けることなく素顔を見せるのは、新女王の意志であると言われていた。

自らの治世はより民に近く、同じ王国の血が流れるものとして皆を幸福に導きたい――それ故ヴェールで顔を隠さず、同じ人としての素顔を見せているのだと。


柔らかく可憐な微笑を浮かべて左右に手を振り。

そんなクレシェンタの姿はこれまでの王とは違って親しみがあった。

王とは神の系譜――その血筋のもの。

王と民は触れ合うことなく、王が民に笑いかけることもない。

その上で崇められるべき雲の上の存在だった。

にも関わらずそうして彼等に笑いかける幼く美しき女王の姿は、真実その立場を越え民に心を尽くそうとしているのだと誰もが思う。


普段の式典と違うところは、他にもあった。

幼き女王と同じ馬車の上――その左斜め前に立つ銀髪の少女であった。

王が一人あるべきその馬車に立つ少女は、白を基調に黒のライン、胸元に赤いバラをあしらったドレスを身につけ、落ち着かなさそうにお腹に手を当て左右を見渡す。

小柄な少女の美貌は、花綻ぶ微笑を浮かべる女王と比べれば静謐なもの。

だが、その美しさは女王に勝るとも劣らぬものがあった。

幼すぎる女王をそのまま成長させたかのような姿。


民衆は口々にあれは誰かと囁きあう。

その内に行き着くのは、内戦の中聞こえていた噂話であった。


忌み子のクリシェ――系譜より抹消されし王女。

幼き王女を勝利へと導いた古今無双の剣士であり、無数の首級を挙げ、『黒獅子』と謳われた王弟ギルダンスタインを討ち取った怪物。


その美貌を王女と比べれば、確かに、と思わせるものがあった。

姉妹と言えばその通り、二人の顔は瓜二つであったからだ。

あれが忌み子――誰もがそう驚くが、ドレスで着飾った彼女はただただ美しい。

妖精の如き乙女であって、伝え聞く情報とは真逆であった。


身の丈六尺を越えるような大女、剛腕凶相の化け物を思い浮かべていたものからすれば拍子抜けと言わざるを得ず、その美しさに見惚れるものがほとんどであった。


――どうにも王宮内のいざこざに巻き込まれただけの、不憫な王女であるらしい。

彼女のことを気にする者達に、特徴のない顔をした男はそのようなことを囁く。

なるほど、なるほど、と言われた言葉を民衆は真に受け、頷く。


王弟の評判は元より酷いものであったし、忌み子と呼ばれた二人の姿に邪悪なものは一切感じない。そのように言われれば素直に納得することが出来た。

元より王宮内のこと――下々の者にはわからぬ事情が多いものだ。

忌み子などと失礼な、などと憤るものすら現れていく。

民衆達の並ぶ列、あちこちでそのような『事情通』が現れ、困惑する者達へと囁いた。


――お前も聞いたのか。やっぱりおかしいと思ったんだ。

後で酒場で式典の話をし、語り合う内に、彼等はその『新たな噂』を真実のものとして受け止めるだろう。


人は自分の好む『物語』を真実として受け入れたがる。

抹消された王女の貴種流離譚――彼女は王宮を追われながらも再会した妹のため立ち上がり、剣を取った。

そして、二人の王女は共に手を取り合い、英雄クリシュタンドを失いながらも自らが新たな救国の英雄となり、巨悪――ギルダンスタインを討ったのだ。

クリシェが真実、あの姿で言われるような手柄を挙げたのか、そうした疑問は些細な事。

英雄ボーガン=クリシュタンドを失った彼等は、新たな英雄を迎え入れることを望み、ただ歓声を上げ続けた。


一人の少女が望んだ英雄譚は、こうして実を結ぶ。


二人の王女の前には美麗なる甲冑を身に纏う、セレネ=クリシュタンドとノーザン=ヴェルライヒ――二人の将軍の姿。

列の後ろには各軍団長の勇壮たる姿。

王国の武威が失われていないことを見せつけながら後へ続く。


武と義によって勝利を勝ち取った彼等は、讃美と共に王城へ向かう。

通り過ぎてもなお、止むことのない歓声が王都を包み込んでいた。








――その数刻前。


「だからね、黒だと言ってるでしょ!」

「本当に分からず屋でございますね。今日は白でございますよ」

「うぅ……」


場には怒気を露わにし、黒のドレスを前に持つセレネ。

その視線を真っ向から受け止め、白のドレスを前に抱くベリー。

間に立たされるのはクリシェとクレシェンタ。

そして右往左往するアーネとエルヴェナがいた。


昨晩から続いているドレス抗争――それはこの時間になっても続いている。

食事の前には昨晩の余り物をつまむという『前朝食』を嗜むクリシェ。戦場から帰ってきたクリシェの日常は堕落の一途で、ベリーとイチャイチャしながら日々を満喫していた。

昼過ぎには間食を口にし、日には五度の食事。

ベリーと入浴して、洗いっこ。日が落ちればベッドに沈んでぐっすり。

帰ってきた幸福な生活は束の間――王領に与えられた屋敷の中、クリシェを襲うのはそれら全てを打ち砕く悲劇であった。

例の如く今日は前朝食どころか朝食も抜かされ、彼女は空腹にお腹を押さえている。


「今日はお披露目も兼ねてるのよ! クリシェはどうあれ軍団長、その上誰より武勲を挙げた戦士なの! 甲冑じゃなくてドレスにするってところまで折れてあげたのに、この上まだわがままを通そうとするの!?」

「今日はクリシェ様の印象を決定づける大事な日でございます。……忌み子などと悪し様に言われて、そういう不本意な評価を正すためにはやはり黒よりも清廉潔白を示す白が良いと思うのは当然のことにございましょう」

「だから、クレシェンタと被るって言ってるの。ほら、思いっきり白じゃない!」


セレネはクレシェンタに指を突きつける。

クレシェンタはクレシェンタで、クリシェと同じ苦しみを覚えていた。

昨日大変な政務を終え、夕食の最中――その際にも不穏な空気を感じ取っていた。

ベリーが笑顔でクリシェを連れた湯浴みに誘い、妙に自分に優しいと思えば、その後に巻き込まれたこの論争。

クレシェンタは今日も朝の早くからドレス姿で付き合わされていた。


事前の手回しを終え、今日は書類仕事から解放されている。

今日は戴冠式にパレード、戦勝式を全て同日に行なうという過密スケジュールなこともあり、そうした雑務からは解放され、かねてから計画していた『式典はおねえさまとべったり過ごすのですわ大作戦』を行なう予定――だったのだが。

それは大いに狂わされ、朝食も取れずに朝から終わりの見えない戦いに付き合わされていた。


自分の空腹もさることながらクリシェは石像の如く嵐が過ぎ去るのを待っており、クレシェンタには見向きもしない。

クレシェンタの『式典はおねえさまとべったり過ごすのですわ大作戦』は既に破綻していた。


「クレシェンタ様は昨晩、お揃いが良いと仰っていました。そうですね?」

「……い、言いましたけれど」


確かにクレシェンタは言った。昨日、風呂場で。

クレシェンタのご機嫌を取っていたのは言質を取るためであったのだ。

ベリーはしたたかな女である。


「では決まりではありませんか。王女殿下――今日よりは女王陛下がそう望んでいらっしゃるんですから、ここはお揃いに――」

「そういうところがずるいのよ! あなたね、前々から思ってたけどやることが卑怯過ぎるの! クリシュタンドの使用人ならもう少し正々堂々勝負をしたらどうなのよ!」


ばん、と机を叩いてセレネは告げる。

はぁ、とため息をついてベリーは首を振った。


「卑怯だなんて。……困ったらそうやって人格批判。お嬢さまは以前から変わっておられませんね。幼少の頃よりお嬢さまを見て来ましたが、わたしは呆れてしまいます。少しは成長なさったらいかがでしょうか」

「あなたもその上から目線どうにかしたらどうなの!?」

「……もう! どちらでもよろしいではありませんの! ドレスの色なんかで馬鹿馬鹿しい!」


――空腹と無意味な論争。

そこで痺れを切らし、新たに参入を決意するのは第三勢力クレシェンタ=アルベラン(今日から女王。とても偉い)。

『どうでも良いから早く朝食が食べたいですわ同盟』には議題の中心、クリシェ=クリシュタンド(元王族。わりと高貴)が消極的に参加を表明、もとい、期待の目で妹を見つめていた。


「馬鹿馬鹿しい? 朝食一つ我慢出来ないあなたのことのほうがもっと馬鹿馬鹿しいわよ! お腹が減ったくらいで我慢出来ないだなんて、それでもあなたは女王なの?」

「お、お腹が減ったなんて一言も……」

「違うの? じゃあいいじゃない」

「え、うぅ……っ」


しかし『どうでも良いから早く朝食が食べたいですわ同盟』はセレネ=クリシュタンド(英雄の娘。将軍)主導の『クリシェのドレスは黒よ評議会(議員数1。議長のみ)』に一蹴。

大義名分の薄さを指摘され急速に勢いを失い、消極的な参加を表明していたクリシェの希望もまた壊滅的打撃を受ける。


「いえ、確かに馬鹿馬鹿しいことかも知れません」


が、そんな第三勢力に救いの手を差し伸べたのは『クリシェ様には可愛いドレスが一番です教(積極的原理主義)』指導者、ベリー=アルガン(使用人)である。

ベリーの言葉にクリシェは神を見るように頬を綻ばせた。


「クレシェンタ様は既に白が良いと希望を仰っています。畏れ多くも女王陛下のお言葉――二言などあるはずもなく、この議論の結論はもはや決まっていると言って良いでしょう」


ただし邪教。クリシェの神は私利私欲に染まっていた。


「あなたね、だからそれが卑怯だって何度言ったらわかるの!」

「決まったことに対してケチをつけていらっしゃるのはお嬢さまでしょうに。仮に多数決であれ、二対一で白の勝ちです」


当然、議論は混迷を極める。

アーネは前回の失態から口を挟むことも出来ず成り行きを見守り、エルヴェナなどは女王を女王とも思わぬ発言内容に戦々恐々としていた。

一使用人――この中では最も格下なはずのベリーは常に先手を取り、場を掌握しての傍若無人。慇懃無礼に極まっていた。

ここ数日接した際の柔らかい様子が嘘だったのではあるまいか。

クリシェから聞いた内容で想像していた超人がそこにある。


――そこで、ノックの音が響き渡る。

アーネがどなたかと尋ねると、現れたのはガーレンであった。


「……女王陛下、失礼致します」

「え、ええ……」


ガーレンは部屋に入る前から漂っていた、ただならぬ雰囲気が強まるのを感じて眉を顰める。


「セレネ、ベリー、何をしているのかね?」

「……ドレス選びの最中ですわ、ガーレン様。昨晩からずーっと言い争ってますの」


疲れたようにクレシェンタが告げ、補足するようにアーネが耳打ちする。

要領を得ない内容であったが、白か黒か、クリシェが着るドレスの色でどうにも揉めているらしいことはガーレンも理解した。


「なるほど……わしにはわからぬことだが、貴族の女子としては重大なことか。クリシェの希望はどちらなんだい?」

「お、おじいさま、クリシェは、その……」

「クリシェ?」

「クリシェ様……?」


老人は空気を読めなかった。

二人の視線を感じて、クリシェは慌てて首を振る。

クリシェはこの終わりの見えない議論の矢面にはもう立ちたくない。


「はは……まぁクリシェにはあまり興味がないか。構わんよ」


ガーレンはあっさり取り下げる。

着飾ることに興味を覚えるクリシェというのは、それはそれで孫を溺愛する老人のこと、気が気ではない。


「とはいえ、時間は有限だ。どちらにも理があり、引けず……こういう時には良いやり方がある」

「良いやり方……とは?」

「コインだ。わしらは大抵そういう場合、その裏表で事を決めた」

「ああ――それは良い考えですね」


パン、と楽しげにベリーは手を叩き、コインを取り出すと親指の上に乗せる。

セレネは眉を顰めた。

鮮やかな流れ――優位にあったベリーが突如、運に身を委ねる。

そのようなことありえるのか――いや、ない。


「さ、お嬢さま、裏か表か――」

「待ちなさい、嫌な予感がするわ。器用なあなたのことだもの、なんだか裏表を自在に操るくらい出来そうな気がするわ」

「……疑いますね」

「疑うわよ」


セレネはベリーを睨み付け、ベリーは静かに嘆息すると肩を落とした。

そして仕方ありません、とコインを弾く。

非常に正確な軌道を描き、コインはセレネの手に着地する。

なんとも鮮やかなコイン捌きであった。


「……やっぱりね。おかしいと思ったのよ。……わたしがコインを弾く。手に入った段階で、あなたが表か裏かを宣言する。どう?」

「……はい、もうそれで決めるとしましょう」


諦めたようなベリーの姿――セレネは安堵する。

とりあえず、これで状況は五分まで持ち直しただろう。

後は運のみ、正々堂々の勝負。

セレネは持っていたドレスを隣にいたクレシェンタに手渡す。

一つ深呼吸をすると神に勝利を祈り、ベリーを睨み、指先に力を込めてコインを勢いよく弾いた。


しかしその瞬間、


「――お嬢さまなら、そう仰ると思ってました」

「え?」


ベリーからは落胆の様子が消え失せて、その瞳は勝利に歪む。

視線は回転するコインに――その回転と軌道を正確に捉えていた。


そこでセレネは初めて失態に気付くが、対抗策などない。

無慈悲なまでにあっさりと、コインはセレネの左手の甲に着地し、条件反射でそれを右手で覆い隠した。

だが、もう遅い。

全てが遅すぎたのだった。

それを示すように、ベリーは微笑を浮かべている。


「……表。ふふ、外に出ないで出来る遊びは大抵マスターしてるんです。誤りでしたね、お嬢さまがわたしに弾かせ、裏表を当てるべきだったのです。……でも、わたしを疑うお嬢さまはご自身でコインを弾くことを選んだ……」

「っ……」

「さ、どうぞ、表か裏か――」


言いながらベリーは「はい、クリシェ様、今日のドレスです」と白いドレスを手渡す。


セレネの手の甲にあるコイン、開く前から確信があった。

卑怯者、という言葉の前に生じる敗北感――その様子を心底どちらでも良さそうに見ていたクレシェンタはガーレンに尋ねる。


「あの、それよりガーレン様、何の用事でここに……」

「ああ……改めて配置とルートの確認をしたいと。どうにも念には念を入れてと言うことで少し女王陛下も交え、クリシェとセレネにも目を通してもらいたいらしく――」


白いドレスをベリーから受け取りつつ。


聞こえた言葉にクリシェは硬直した。

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