第92話 そっくりさん

キールザランに到着しても堂々と表から入るわけではない。

裏手の塀を跳び越え、まずエルーガ配下の密偵と合流。

その手引きでロランドの密偵――ダグリスのところへ訪れた。


娼館建ち並ぶ色町の一角。

ダグリスが指定したのはそこにある煉瓦造りのアパートであった。

色町を外套を頭から被って歩くクリシェ達はあからさまに怪しげではあったが、そうした人間はそれなりにいる。

彼女らのような人物に余計な詮索をしない、関わらない。

それが基本的なこの街のルールであり、怪しいからと言って絡んでくる連中は一人もいない。


外見から目立つクリシェは特に、目から下もマフラーを巻き付けていた。

外見を分からぬように気遣いながらアパートの一室を訪れ、中へ案内されるとすぐにそれを外す。


「息苦しいですね、まったく」

「……んー、むしろうさちゃんはこういう場所を歩く時、常にそういう格好をしてた方が安心な気がするけど。声も掛けられなくて」

「まぁ、確かに……」


ミアが苦笑して同意を示し、その言葉に馬鹿にされていることをうっすらと認識したクリシェは頬を膨らませカルアを睨む。

カルアは怒らないのと笑って、背中からクリシェの両頬を挟んで前へと向ける。


部屋はワンルームの簡素なもので、寝るためだけの場所、というより倉庫か何かのように見えた。

毛布が置かれ、棚には薬品。

刃物や弓といった武器の類が立て掛けられている。


部屋の造り自体はそれなりに頑丈なようで、ドアや壁には厚みがあり、床板はしっかりとしている。

裏手の窓は裏路地に繋がり、下で構えられても対面の壁を使って屋根の上には跳べるだろう。


部屋には一人。

顔に起伏も特徴もない、中肉中背の壮年。

樽の上に座ったダグリスを見ながら、クリシェは天井に目をやり目を細める。

音の響き――継ぎ目で隠されているものの、ぶらさげられている常魔灯の丁度真上に当たる天井は上の階への抜け道になっているらしい。

常魔灯を引っ張れば繋がる鎖ごと天井が抜けるのだろう。

色々考えるものだとクリシェは感心する。


「お久しぶりですね、ダグリスさん」

「……ああ。圧勝の話は聞きました。あなたについて正解だったようですね」


西の将軍――アウルゴルン=ヒルキントスへの勝利は既に伝わっている。

そして竜の顎での勝利も。

英雄を失い劣勢にあると考えられていたクリシュタンド軍――誰もがその快進撃に耳を疑った。

彼の元飼い主であるロランドも同様。


だが、ダグリスには驚きもなかった。

既に目の前にある少女の姿をした化け物を知っていたからだ。


理性では彼女のいるクリシュタンド軍が勝利することへの厳しさを感じていたが、それはある意味本能と言うべきものだろう。

ダグリスは人に残る獣の部分で、彼女の勝利を確信していた。


呆れたように両手を広げ、息をつく。


「ヒルキントスに渡した手紙は偽装したもんです。ロランドの出した本物はここに」


そして鞄から手紙を取りだしクリシェに投げた。

受け取ったクリシェは封を切り、中を軽く検めると後ろのミアに手渡した。


「それから、俺の方である程度ロランドの悪事に関しては纏めてあります。そっちに関してはファレン伯爵の密偵に渡してありますが……」

「聞いています。帳簿なども欲しい所ですね」

「後でいくらでも聞き出せばいいでしょう。軽く痛めつければ、指の一本切り落とされる前にすぐに吐く。上手くやってきた野郎だが、暴力には慣れちゃいない」


簡単なことのようにダグリスは言い、それもそうですねと簡単のことのようにクリシェは頷いた。

ミアは拷問には立ち会いたくないなぁ、などとぼんやり考える。

人を痛めつけることに良心の呵責を覚えないクリシェである。幼く子供っぽいところがある可愛らしい軍団長であるが、頭は病気なのだった。

人の生皮を剥いで平然としている姿が目に浮かぶ。


「表向きのロランドの資産に関してはこちらで全て回収しますけれど、色々と面倒なものに関してはそれなりの額をあなたの取り分にしてあげられます。だから――」

「わかってますとも。包み隠さず、その辺りに関してはきちんと調べ確認を取りましょう。……約束は守って下さるのでしょう?」

「ええ、言ったとおりクリシェはあなたたちの世界に興味がないですから。あなたたちが誰を殺して誰を攫おうが、ある程度の節度を守り、結果としてクリシェに害がなければどうでもいいです」


僅かに反応したカルアをミアは横目に見た。

必要悪――理屈は理解が出来る。

法は万能ではなく、抜け道を潰すことなど現実問題不可能で。

国としては彼等を放置するしかない。

不用意にそこへと手を入れれば混乱が増し、混沌となり、収拾がつかず手綱を握る事ができなくなるのだから、無法を承知で彼等の存在を認め、繋がりを保ち、そうした部分の管理監督を任せた方が上手く行く。


この取引もそう言ったもので、そういう理屈は理解出来るのだが、カルアの話を聞いたミアは何とも言えない気分であった。

カルアは視線に気付くと苦笑して、ミアの頭を優しく叩いた。


「ああ、そうそう。ロランドの屋敷の奴隷はどのような扱いになっているのですか?」

「ああ……ありゃロランドの持ち物じゃありませんね。債権は別の奴が持っていて、ロランドの屋敷で奉公しているって形です。債権者はばらついていていくらか面倒ですが……それが何か?」

「ん……扱いを決めかねてましたから。そうなると面倒ですね」


クリシェは少し考え込み、ダグリスは答えた。


「寝覚めが悪いって言うなら俺の方で軽く手回しはしましょう。どれもいい女だ。良心的な店はいくらか心当たりがありますから、そこで二、三年働きゃどうにでもなる。元々ああいうのが負ってるのは大した額の借金じゃないんでね」

「そうなんですか?」

「ええ、借金たって単なる鎖ですから、要は真っ当な仕事じゃ利子も返せない程度――それくらいの借金を負わせるだけでいいんです。負わせる借金は保険みたいなもんですから、器量によって個人差がありますが……額がでかいと御上の目もありますからね、大半はそれほどの額じゃない」


肝心なのはその後ですよ、と笑った。


「そのあと働き口としてロランドみたいな野郎に紹介し、奉公させる。売買が行なわれるのはそのタイミングですが、借金の額とは関係ない。……そうして使った後、歳取れば道端にそのまま放り出されてしまいです。相手が良心的なら借金もチャラにしてもらえることもありますがね」


良心的な店、道端に放り出される――宿の娼婦か街娼か。

そうした隠語を言葉通りに誤解しつつも、クリシェはほどほどに理解を示し、ふむふむとさもわかったかのように頷く。何が良心的かはいまいち理解しておらず、店と言えば酒場や何かで給仕でもさせるのだろうと当然のように考えていた。

ミア達は明らかにクリシェが誤解していることに気付きながらも口は挟まない。

概ね間違ってはいないということも理解していたからだ。


「じゃあその辺りは適当にお任せします。……まぁ、後のことは終わった後にお話しすることにしましょう」

「それがいい。今からでよろしいので?」

「ええ。面倒ごとは早い内に終わらせておくに限りますから」

「……確かに」


くく、と笑いダグリスが頷いた。


「では行きましょうか」

「あ、そだ。ダグリスさんだっけ、この辺りに服売ってるところある? 適当な女物でいいんだけど」

「ああ、あるが――」










流石に大商人――警備はそれなりに厚い。


正門、裏門、屋敷を囲む塀に建てられた四つの塔には護衛が二人、小屋のような詰め所に二人を基本構成。

庭園には巡回する護衛が二人一組で計三組。

民家の屋根――その陰から見下ろしクリシェはその視線の動きを把握する。


「……それなりの腕利きだね。屋根の上にも気を払ってる」

「暗殺を生業にするような人間で魔力を扱えないものなどいない。当然警戒する」


カルアの言葉にダグリスが答えた。


「とはいえ、あの中でも本当に腕がいいのは庭の中央にいる二人組だ。ホールザ兄弟って言えばこの街じゃそれなりに名が通っている」


魔力保有者の二人組。

他にも二名ほどそれらしき姿が見えるが、中央の二人からは幾分格は落ちる。

とはいえ魔力を扱わぬ者達も含め、皆熟練を感じさせる立ち姿で油断なく、月が昇る夜にあっても欠伸の一つも零さない。

カルアの言うとおりそれなり――警備に立つものとして質は悪くはなかった。

各地点には鐘が設置され、塔と塔、そして塔から庭園までの視界を妨げるものはなく、防衛上配置としても悪くはない。


「ふぅん。それより、あんたは手駒を連れてきていないのかい?」

「あんまり表立って動くと評判に傷がつくからな。どうあれ、ロランドは俺の得意先……それを裏切るのに駒まで使うと色々面倒だ。水漏れもあることも考えれば、俺一人がいい」


言った後クリシェを見た。


「それに、必要性も感じない。こっちにはクリシュタンドの首狩人様だ。俺一人じゃ流石に至難でも、ここにいらっしゃるお嬢さま一人で片がつく。でしょう?」

「そうですね。やっぱりミア達はお休みしててもいいですよ?」

「そうしたいのは山々ですけど、今更そうもいきませんよ軍団長」


呆れたようにミアが言い、後ろにいたバグが笑う。


「乗りかかった船ですかね。それで、ロランドって野郎はどこに?」


百人隊最精鋭の第一班。

とはいえ、完全に落ち着いているのは元々裏社会の独特な空気に馴染んでいるカルアとバグくらいであった。

汚れ仕事に手を染めた過去のある二人は落ち着き、逆に比較的真っ当に生きてきたミア、ケルス、アドルには多少の緊張がある。

農民生まれで戦いとは無縁に生きてきたミアは当然ながら、ケルスとアドルも主に用心棒や隊商護衛で稼いできた人間で、襲撃を覚えたのは百人隊に入ってから。

軍の行動として隊で動くならばともかく、普段と異なる状況にはいつも通りとはいかない。


「三階、右から二番目の部屋だろう。恐らく時間的に、女と遊んでるところだ」

「そりゃ楽でいい」


バグはカルア以外の三人を見たあと、クリシェに告げる。


「相手も仕事で少々悪い気はしますが、皆殺しって手もありますね」

「ん……そうですね」


慣れていないミア達を気遣っての言葉であったが、ミアは首を振る。


「いえ、気を使ってもらわなくても平気ですよ。ついていったあと三人で廊下を見ておきますから。そうすれば普段通りです」


クリシェはミアを見て、カルアに目をやる。

カルアは少し考えた後頷いた。


「腕利きを一息で殺されて、残りが無理に迫ってくることもないと思うけどね。こっちは相手の雇い主を人質に取るわけで」

「まぁ、俺としては死人は最小限に収めておきたいところですが。今後があるんでね」


カルアとダグリスの言葉にクリシェは少し考え込んで頷く。

そして塔の一つに目をやった。


「まずはここから最も近い南東の塔にいる二人を狙います。カルア、バグ、行けますか?」

「いいよ、まっかせて」

「はい」

「ミア達は適当にクリシェの後ろに。邪魔なのが来るようなら殺してください」

「了解です」


カルアとバグは裏手から飛び降り、カルアが外套を脱ぐ。

中に着ていたのはシンプルな白のワンピース。先ほど店で買ったものだった。

普段から頭の高い位置で結んでいた髪を首の横で束ね、外套を畳んでショールのように肩から掛けた。

夜目であればそれで十分にごまかしが利く。


切れ長の瞳とすらりと通った鼻筋、形の良い眉と唇。

朱を引かずとも艶やかで、カルアは一息の間に見た目通りの淑女へ変わる。

立ち姿、持つ雰囲気は清楚で凜とし、艶やかであった。

カルアは貴族ではないものの、元々それなりに裕福な村長令嬢として生まれている。

生まれ持っての気品がそこへ確かに存在し、そして器用な彼女はその顔をいとも容易く使い分ける。


「……何してるの、バグ。見惚れてしまったかしら?」

「い、いえ、お嬢さま……」


共に降り立ったバグはそのあまりの変わりように硬直しかけたが、カルアに促され前を歩いていく。


裾の長いワンピースから僅かに覗く足。

足の運びも優雅で、上から見ていたミアは何やら一人敗北感を味わっていた。

普段は大雑把でズボラで適当なカルアだが、その気になればあっという間にこの通り。

どこからどう見てもちんちくりんな村娘である自分と見比べればその差は歴然。


ミアもなんだかんだと言って女である。

田舎村で生まれた彼女だからこそ人並み以上に、高貴で上品な立ち居振る舞い――お姫さまやお嬢さまなどといったものへの憧れを密かに持っていた。

とはいえそれも、ああいう風になれたならという淡い憧れ程度。

親友カルアの雑さ加減を見て『普通の女はこんなものだ』と安心している部分があったのだが、ここに来て突如梯子を外された気分であった。


見た目だけではなく、立ち姿や時折見せる仕草などが綺麗だとは前々から感じてはいた。

しかしこうして淑女然としたカルアの女らしい姿をあからさまに見せつけられると、どこからどう見ても田舎娘である自分の姿が何やら恥ずかしく思えてくる。

それなりに身なりに気を使い、ひっそりと上品さを身につけようと苦心していただけに、親友の裏切りはショックが大きい。


横目にそんなミアを眺めたクリシェは下を歩くカルアと比べて呟く。


「ミアは寝相だけじゃなくて全体的にお行儀悪いですから、これからはカルアに色々と教わると良いかもですね」

「うぐ……」

「普段適当なカルアでもその気になればあれくらいできるんですから、ミアはもっと頑張るべきです。クリシェのかあさまが言ってました。礼儀や作法を軽んじる人間は他人からも軽く見られてしまうのですよ。品というのは心根から生じるものだそうですから、ミアは普段からもっとお行儀良くするよう心がけないといけません」

「うぅ……っ」


寝起きの額に裏拳をもらった記憶はまだ新しい。

母親の受け売りをここぞとばかり披露するクリシェの追い打ちは、ショックを受けているミアには効果抜群であった。


「くく……しかし中々のものだ。単なる兵士かと思えば多芸な部下を持っていますね」

「はい。カルアは何をやらしてもそこそこ優秀ですから、面倒がなくていいです」


目端が利き、他と比べて腕も良く。

カルアは『クリシェ基準のそれなり』をこなすには十分な逸材で、そういう点ではダグラの次に兵士として信用もしている。

自分で動くことを好む性格のため指揮官にするには問題もあったが、兵士としては頭一つ抜けており、個人的な関係の上でも彼女は好ましい人間。

クリシェは彼女の事を素直に好いていた。


「なるほど。あなたの部下のお手並み拝見、というところですね」




二人は自然に屋敷へ近づく。

大通りから南東の塔に差し掛かり――横道に入るとそこで少し壁に寄る。

塔の上で見張りに立っていた男たちは令嬢風のカルアと護衛のバグ、二人の姿を気にした様子もなく、死角に入った彼女らに気付かない。


気付かれていないと確信するとバグが壁にもたれるように腰を落とし、手を組んでカルアの足の前に差しだした。


「お先にどうぞ、お嬢さま。羽の生えた靴ですよ」

「あら、ご丁寧にどうも」


カルアは笑ってその上に足を掛け、一息。

バグは一気に体を起こしてカルアを頭上へ放り投げ、カルアはその勢いに体のバネをしならせ空へ。

そこからは一瞬の出来事だった。

音も無く塔の上部へ飛び移ると、カルアは短刀を振るい瞬きする間もなく二人の男を絶命させる。


そして死体が腰につけていた剣を抜き取り奪い、


「うっさちゃん」


死体の手にあった短槍を宙に放る。


「はい」


――それを掴み取ったのは風を裂くような銀の影。

屋根から飛ぶように、一気に塀の中へと侵入を果たしたクリシェであった。


なんの打ち合わせもなく、けれどはじめから決められていたかのように。

クリシェは勢いのまま空中で体を捻り、その無造作を自らの理へと落とし込む。

目標は庭の中央にある二人の男、その片割れ。

欠け月の如くしなやかに背を反らし、引き絞られた肉弓から放たれるのは極限まで無駄がそぎ落とされた必殺の槍であった。

螺旋を描き大気を貫く槍の初速は、奔る音の速度にすら追随する。


反応も出来ぬ男の体、胸を貫くは攻城槍。

鍛えられたその肉体は瞬時に挽肉へと変わり、その五体と臓物をまき散らして転がり散った。

男を穿ってなお槍は石畳を抉り、砕き、それに気付いたもう片方は咄嗟の跳躍。

長年共に過ごしてきた半身――血肉を分けた自身の弟を一瞬で肉塊にされながらも、冷静に状況を読み取り剣を引き抜いていた。

そして襲撃者の姿を捉える。


十人あれば十人が、何が起きたかも理解できぬまま死に到るだろう。

そんな状況にあって瞬時に自身の危機的状況を理解し、行動に移したその精神力と判断力はまさに数多の死地をくぐり抜けた経験と才覚のなせる技。

裏の世界でも一握りのものだけが持つ、至宝と言うべき技術の結晶であった。


――けれど、彼に出来たのはそこまでで。

最期の瞬間、彼に見えたのは冷たく輝く紫色の瞳と歪で淫らな曲剣の煌めきであり――それはただ逃れようのない死を彼に伝えていた。


首から血花を咲かせる男を背後に、抜けたクリシェはくるりと回る。

死体から抜き取った剣を放って空を裂く。

遠心力にて加速した刃は向かってきていた男の両足を切断し、クリシェは残った一人へと踏み込んだ。

稻刈りのような自然さで曲剣で振るい、その首を裂いて命を奪う。


見ていたものが目の渇きを忘れるほどの異常であった。

その惨殺を目にした屋敷の守り手達は鐘を鳴らすことも忘れ、襲撃者がどうあっても敵わぬ化け物であると知る。

唖然とクリシェを見つめる者達を僅かに警戒しながら、そこでようやくダグリスとミア達が彼女の後ろに降り立つ。


「ダグリス、屋敷の中には?」

「……ロランドは何らかの用がない限り護衛の連中を中には入れません」


ダグリスは彼女に背筋を凍えるほどの恐怖を覚えながら、反面喜悦を滲ませた。

彼女の下につく――その選択は正しかったと確信が持てたからだ。

何者にも脅かされる事なき、触れ得ざるもの。

彼女の力はまさに神話のそれであり、およそ人の手に届くものではない。


先日の敗北。

自身の肉体的な衰えなど考慮に値しない。

彼女は絶対者であり、そもそも人間であるダグリスに逆らう余地などなかったのだ。

雇い主を裏切ることへ職業倫理の躊躇があったが、自分が本能に逆らわず敗北を受け入れられた幸運を何より喜んだ。


目の前を歩くのは少女の姿をした竜が如きもの。

嵐に対して剣を取り、逆えるものがないように。

彼女はそういう存在であった。


「ミア、適当に廊下から。クリシェは窓から行きます」

「はい」

「俺も窓から続きましょうか。その方がロランドも状況が理解しやすい」


クリシェは頷き、跳躍する。

壁の僅かな突起に足を掛けて、外套が翼のように翻る。

宙空で体を捻ると踵で出窓を蹴破り中へ――


「だっ、誰だ……っ!?」


誰何の声は裏返っていた。

外から響いた音に着替えようとしていたところなのか。

贅肉に弛んだ裸体を晒し、下着とズボンを掴んでいた男が部屋にある。

そしてもう一人も露出の激しい黒の下着姿で、闖入者に可愛らしい悲鳴を上げるとシーツで体を覆い隠す。

そこにいたのはエルヴェナだった。


「あ、エルヴェナもいたんですね」


絵画や壺の美術品が飾り付けられ、暖炉からは煌々と火が。

天蓋付きのベッドの脇に蹴り破った破片が散乱しており、もうちょっとでエルヴェナを傷つけていたかも知れないとクリシェは一人反省する。


ごく自然なクリシェの様子に二人は困惑していた。

ロランドの縮み上がった醜悪なものを目にしても、クリシェは平然としたまま。

部屋に他の人間がいないことを確認し、微笑む。


「お久し――ん……いえ、ちょっとぶりですね。この前会ったばかりですし」

「クリシュタンド、の……」


あまりの状況に固まっていたロランドは思い出したように下着を穿く。

こんな状況で剣を取るでもなく、下着を穿くロランドの姿にクリシェは首を傾げつつ、まぁいいかと話を始める。

丁度、ダグリスが後ろから続いたところであった。


「お前は……!」

「申し訳ないがそういうことだ。あんたの手紙はこの、クリシェ様に」

「この裏切り者めが……っ、お前にどれだけ――ぁ!?」


無造作に近づいたクリシェはベッドの上にあったロランドの首を掴む。

そしてカーペットの敷かれた板張りにその巨体を叩きつけた。

悲鳴が響く。

悶絶するロランドの姿を冷ややかに――どこか満足げに眺めながら、曲剣の切っ先をその弛んだ首に這わせた。


「……それが中立である限り、行なうものが商取引として真っ当なものである限り、商人というものを始末するのは難しいものです。けれど今回はそうではありません。……あなたは商人として持つべき中立性を捨て、王弟殿下に与し、軍事的諜報を行なった。その結果あなたにあるのは死罪です」

「ぇほっ、おま、お待ちを……それには訳が――」

「大丈夫ですよ。今ここで殺すようなことはしません。これは処刑ですから然るべき尋問、拷問を行ない、お話をうかがって、その後に街の広場を使って首を刎ねますから。あなたにはもうしばらくは生きる事が許されます」


クリシェは微笑み、自身の唇を指先でなぞる。


「んー、セレネが来る前に事を終えておきたいですから、明日には処刑ですね。安心してください。軍が主導で行なう拷問は多岐に渡りますから、クリシェがちゃんと、あなたが素直にお話を出来るよう協力します。ちょっとくらいはお休みの時間が作れますよ。クリシェも夜は寝ておきたいですし」

「ひ……っ」


銀に縁取られた紫色が狭まる。

今日は実に良い日で、明日はもっと良い日だろう。

ベリーを不愉快にさせた男を正義の名の下に殺してやれるのだ。

この先ベリーが偶然にすら、この男を目に入れることは二度とない。

そしてそれをベリーに知られることなくやってしまえるのだから何よりだった。


優しいベリーはクリシェがそうすることを悲しく思う。

けれど知られなければ、気付かぬままに普段通り。

ベリーの知らない内に、ベリーの住む世界から不愉快なものが一つ消えて、ほんの少しだけ綺麗になる。

これは要するに『お掃除』であった。

汚れやゴミが目に入らぬよう綺麗にしておくのは良いことで、掃除というのは知らない間にやっておくもの。


良いことか悪いことか、考える必要はない。

これは軍人のクリシェがやるべき仕事であって、私情を挟む余地なき処罰なのだから。


「ダグリス、適当な立会者は?」

「エルゼーですね。キールザランの第一法務官です。ロランドとも付き合いのある男ですから、脅しにも良いでしょう」


街と村――その大きな違いの一つは司法機関の存在であった。

貴族から選出された法に精通する官吏が必ず街には最低一人が在駐する。

第一と頭がつく法務官は街の司法機関におけるトップ。

拷問の立会者としては申し分ない。


「ん……エルヴェナをちょっとびっくりさせてしまいましたね、ごめんなさい。えーと、他にも人が来るのでお洋服を着た方が……」

「あ、あの……事情、は、理解したのですが……」


ロランドと同様、混乱の極みにあったエルヴェナはようやく状況を理解する。

とはいえ、理解すれば更に疑問が湧いてくるのは当然のことだった。


「その場合、わたし、たちは……」


シーツを抱きしめるように、不安げにクリシェを見る。

先日見た少女と同一人物には思えず、けれど少女は先日見たときと同じように、柔らかい笑みをエルヴェナに向けていた。


「ちょっと難しい問題なのですが――」

「うさちゃん、ここかな?」


ドアノブが軽く回り、しかし途中で鍵の奏でる金属音。

ガチャガチャと苛立たしげな音が響いた後、一拍を置いて打撃音。

頑丈なドアが蹴り破られる。


「……もう、カルア。後ろに軍団長がいたらどうするの?」

「うさちゃんなら平気だって。ん……終わったかな?」

「ええ、これが目的のロランドです。あとはこれを連れて行って終わりですね」

「そ。他の奴が近づいてくる様子はないね。まぁあんなの見たら仕方ないか」


カルアは呆れたようにクリシェを見て、それから転がるロランドへ。

その目が軽蔑に細められ、そしてベッドの上に。

シーツを胸に抱き体を隠すエルヴェナに向けられる。


「あー、ごめんね。すぐ済むから大人しく――」


言いかけた途中で言葉が止まる。

そして目を見開き、硬直し――それはエルヴェナも同様だった。


「ねえ……さん?」


瓜二つの顔を鏡合わせに。

互いに驚きを顔に浮かべ、そしてそれはミア達も二人の顔を見比べて言葉を失い、カルアの事情を知らないものであっても二人の関係をすぐさま理解する。


「どうしました? カルア」


改めて見比べると、やはり稀に見るそっくりさんである。

偶然というものは恐ろしいもの、人違いには注意しませんと――などと一人感心していたクリシェだけが不思議そうに小首を傾げ、カルアを見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る