五章 立ちはだかるもの

第84話 風船姫と針子の従者

――数週前。

ベルガーシュから皇国へ。

平原にある街道を北に進むは数台の馬車。

その前後を守るように二十騎の騎兵が、そして黒塗りの鎧を着込んだ兵士達十人が護衛についている。


王族の護衛にしては数は少ないが、しかしそれで十分。

護衛の人数を増やすほど守りは堅固になるというわけではない。

体が大きくなるほど身軽さが失われ、咄嗟の反応が遅れてしまうのだ。

だからこそ護衛は少数精鋭。

騎兵も皆貴族出身――全員が魔力保有者によって構成された兵士であった。


今回求められるのは軍を相手にでも最悪逃げ出すことが出来る護衛。

アーナ皇国が敵対した場合、どれだけの数がいたところで無意味となる。

軍を相手に出来るのは同じ軍だけだからだ。

だからこそ集団の戦闘力以上に機動力。

彼等は二人をそこから安全に逃がせる能力の持ち主であり、セレネとクリシェ、そして軍団長達が選別した王国の最精鋭であった。


安全には安全を。

中央に列をなす馬車の中でも、特に華美な一台ではなく。

別の箱馬車に二人の護衛対象が乗り込んでいた。


「……お腹が空きましたわ」


赤く色づく金の髪。

優美な長髪に装飾された顔は幼いものの、その美貌は童話の妖精が如く。

長い睫毛に包まれた紫の瞳は大きく、それでいて完璧な美を目指して作られた人形のようにバランスの取れた顔立ちは人を惑わす魔性の魅力を帯びていた。

身につける白と金のドレスは優美なレースが施され、身につける彼女は王国の第一王女。

――クレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベラン。

まさに神の子と呼ばれるに相応しい姿、のはずであった。


「はい、あーんですよ」

「……あーん」


しかし赤毛の使用人の膝に座る姿は見た目通り幼く。

美貌はふくれっ面に、大きな瞳はどこか不満を示すように細められている。

――神の子クレシェンタ。

しかし口元に運ばれたクッキーを頬張る様はどう見てもわがままな子供である。


「あのですね、子供扱いしないでくださいまし。わたくしを誰だと思ってますの?」

「クレシェンタ様でございますよ。クリシェ様の妹です」


涼しい顔で告げる使用人はその童顔に柔らかな笑みを浮かべ、膝の上に抱いた王女の頭を撫でていた。

ますます不満そうなクレシェンタを気にせず、ぎゅっとその体を抱き寄せる。

背中に当たる膨らみの感触にクレシェンタは不機嫌を増し身をよじるが、使用人、ベリーはしっかりと暴れるクレシェンタを抑えつけた。


「暴れちゃ駄目ですよ。お尻が痛いと仰ったのはクレシェンタ様ですのに」

「……だからと言って頭を撫でていいなんて言ってませんわ」

「命じられる前に動くのが良い使用人というものです」

「あなたに頭を撫でて欲しいだなんて命じる日は一生来ませんわ」

「まぁ素直じゃありませんこと。クリシェ様とわんちゃんの真似ごとをしてらした時はあんなに素直でございましたのに」


この、と振り返ろうとするとベリーの手がやんわりクレシェンタの頭を押さえた。


「ほーら、クレシェンタ様、クッキーですよ。はい、あーん」

「うぅ……むぐ……」


文句を紡ごうとする口をクッキーに封じられる。

若干の空腹にあるというこちらの弱みを握ったのをいいことにやりたい放題である。

この使用人にはいつか罰を与えてやらねばならない。


そうは思いながらも栄養補給が優先であった。

どうあれクッキーは非常に美味である。

蜂蜜の甘みがしっとりとしたクッキーから染みだし、中に入っているのはナッツだろう。

口の中で香ばしく、カリコリとした食感が歯触りも楽しませる。


――料理上手で菓子上手。

そういう点でベリーのことはクレシェンタも評価しないではない。

少し困った部分のある姉の依存対象であるという点を除いても、アーネなどとは比べものにならないほど有能で、使用人としては有用であると認めてやっても良い。

だが一番の問題として、この使用人はクレシェンタに対し一切敬意の類を持っていないのである。

出会ったばかりの頃にはあったクレシェンタへの畏れや敬う心が今では完全に消失していた。


クレシェンタは物事に序列をつける。

人物に関してもそうだった。

王宮という貴族社会に育ったクレシェンタにはその辺りに明確な基準があり、それによって自身の態度や振る舞いを変化させる。


他国の王族や、王家に連なるものが自身に対し無礼を働くことは気にしない。

飾った言葉を面倒に覚える性分があるため、その辺りの無礼も気にしない。

だが、この使用人のような態度は別。


ややお馬鹿なところがあり、色々と適当な姉――クリシェがこちらに対し上位者として振る舞うのもまだ納得ができる、が。

ベリーやセレネは明確に、クレシェンタの中で自分より下にあるべき存在として位置づけられていた。

なぜならば自分は王女で、誰より能力優れた天才なのである。

血筋的、能力的に唯一対等なクリシェを除けば、王国に住む全ての者は偉くて優秀な自分を畏れ服従するべきで――言うなればそれは義務。


だというのにこのお子様扱い。

クレシェンタはそこらの子供のように扱われる現状に対して非常に強い憤りを感じていた。

自分は偉い。王国では一番偉い。その優秀さで考えれば世界で一番偉い。

そのように他者より優れて当然と考えるクレシェンタであるがゆえ、自分の扱いがぞんざいにされていることに対して強い不快感を覚える。

これは実に許しがたいことであると認識していた。


だが今の現状は良くて子供。悪ければ餌付けされる犬の如き扱い――いや如きではなく犬である。

クレシェンタの不満は膨れあがるばかり。

湧き起こる不満がそのまま柔らかい頬を膨らませていた。


「クレシェンタ様、むすーっとしてはいけませんよ。折角の可愛いお顔が台無しです」


ベリーの手がクレシェンタの頬を押し潰す。

ぷひゅーと情けない音と共に空気が漏れて、クレシェンタは彼女を睨む。


「それが無礼だって言ってますのっ! わ、わたくしを何だと思ってますの」

「ふふ、いえ、ついそう頬を膨らましているのを見るとなんだか……条件反射でございますよ、お許しくださいませ」

「全っ然誠意を感じませんわ!」

「大声出してはいけませんよクレシェンタ様、外にいらっしゃる方達に聞こえてしまうかも……ほーらよしよし、いい子ですよ」

「うぅ……!」


体をぎゅっと抱き寄せられ、頭を撫でられ。

クレシェンタの中に不満が募っていくが、抵抗も出来ない。


クレシェンタは外面を非常に気にする生き物であった。

淑女で完璧な王女――そういう自分のイメージを重要視する彼女は、不満を覚えても大っぴらに人前で文句を口にすることはできないのだ。

しかしクレシェンタのそんな性格を理解した上で、ベリーはそれを逆手にとってくる。

悪辣であった。

いつか罰を与えなければならない。


気を紛らわすためベリーの持つクッキーの袋に手を伸ばすが、それを途中で掴まれる。


「駄目ですよクレシェンタ様。クレシェンタ様にお渡ししたら際限なく食べてしまわれそうですから。ほら、待て、ですよ」

「……犬扱いしないでくださいまし」

「うふふ、退屈なのですね。大丈夫です、良い子にしていたらちゃーんとご褒美にあげますから……そうですね、クレシェンタ様、わんちゃんごっこを致しましょうか」

「そんなのもう絶対しません……!」

「さて、そうでしょうか?」


ベリーはクレシェンタを押さえたままクッキーを取り出すと、その鼻先でちらつかせる。

くすくすと非常に楽しげだった。


「ほーら、クレシェンタ様、クッキーですよ。とっても甘くて美味しいクッキーです。あ、これはクリシェ様が作ったものですね。蜂蜜がたっぷりです」

「う……」


鼻をくすぐる蜂蜜の濃厚な香り。

見るからにしっとりとした、混ざりけのない蜂蜜クッキーである。

ナッツやドライフルーツなど混ぜ物を好むベリーと違い、クリシェのクッキーは甘ったるいぐらいのシンプルなものが多く、クレシェンタの大好物であった。

卑劣である。


「どうですか? 食べたくなってはきませんか?」

「……その手には乗りませんわ」

「あら、仕方ないですね」


ベリーはクッキーを目の前で二つに折ると、半分を自分の口へと運ぶ。

呆然とクレシェンタはそれを見る。


「……美味しい。こういうシンプルなものはわたしも敵いませんね。口の中で蜂蜜が広がるようで……クリシェ様のは全部わたしが食べてしまいましょうか」

「ひ、卑怯ですわ。それはわたくしのためにおねえさまが……」

「クリシェ様はクレシェンタ様と一緒に食べるようにと仰っていましたから、約束通りです。あまり日持ちもしませんから、クレシェンタ様がお食べにならないと仰るのならやはりわたしが全部頂かないと」


ふりふりと目の前で半分になったクッキーが揺れる。

うぅ、と唸るクレシェンタの瞳は、その動きに釣られて左右に揺れた。


「どうですか? やっぱり、お食べにならないと? では、残念です。わたしが――」

「ま、待ってくださいまし……」

「あら。どうか致しましたか? 立派で偉大な王女殿下のお口には、このようなクッキーは合わないのかと思っていたのですが……」

「うー……」


くすくすとベリーは笑ってクッキーを振る。


「もしかすると思い違いをしていたのかも。ここにいらっしゃるのはクレシェンタ王女殿下ではなく、あまーいクッキーが大好きなクレシェンタ様なのでしょうか?」


クレシェンタの中で天秤が左右に大きく揺れていた。

矜持とクッキー。

大きかったはずの傾きは次第に水平に、そして反転し――


「わ、わん……」

「まぁ、やはり思い違いだったようです。申し訳ありません、ふふ、つい勘違いを。クレシェンタ様、クッキーが欲しいのですか?」

「うぅ……わん」


楽しげにベリーがクッキーを押しつけると、桜色の唇でクッキーを咥え、飲み込む。

いい子ですね、と頭を撫でられつつ味わうクッキーからは、じゅわ、と蜂蜜の甘味がしみ出すようだった。

プライドに圧迫された欲望――強いストレスから解放されたクレシェンタ。

抑圧されていた全てが解放された頭では溢れんばかりの多幸感。

それが溢れるように体を満たして、頬が緩む。


「ふふ、本当可愛いお方ですね。はい、クレシェンタ様、次のクッキーですよー」

「わ、わん……っ」


そうして、クレシェンタは犬になった。

ここのところベリーとクレシェンタは同じようなやりとりを繰り返し、およそ日の半分をそうして過ごしている。







北の国境までは砦から七日ほど。

そこから四日でアーナ皇国王都ナウトアーナとなる。

皇国と王国を繋ぐ街道を使うため、街もそれなりに大きなものが揃ってはいるものの、当然野宿しなければならない日もある。


旅の六日目は丁度その日であった。

近場にあるのはいかにも宿場町といった風情の小さなもので、王国第一王女が泊まるには適した屋敷も宿もない。

そのような場合には野営を取るのが普通であった。


品位の問題という面もあるが、警備上の理由でもある。

王女ともなれば出自のわからぬ人間が出入りするような場所は避けねばならないし、出される食事、茶の一杯すらを気にしなくてはならない。

使用人の出自もはっきりとしているような場所でなければ好きに泊まることも許されないのだった。


そういう面で野営という形の方が安全と言え、旅の食料、馬糧の購入だけを済ませると、街から少し離れたところで一行は天幕を張り、夕刻には食事の仕度を始めていた。


面倒な天幕設置。火の番と見張り。

野宿は兵士達に負担の大きなものであった。

貴人の護衛という神経を消耗する旅であるからこそ、せめて柔らかいベッドで休みたい――そう願うのは普通のこと。

だが今回の旅に限っては、むしろ同行する兵士達が野営を喜んでいた。


「クレシェンタ様、お塩をもう少し入れましょうか」

「ん……このくらいですの?」

「はい、そのくらいですね。ふふ、では、次にこの葉っぱを――」


料理を担当するのは決まって料理研究家――道楽シェフ、ベリー=アルガン。

そしてその補佐には畏れ多くもクレシェンタ王女殿下である。

そんな二人の手料理を食べられるとあっては、多少の疲労も苦にならない。

なおかつそれが野営と思えぬほど美味なものとなれば喜ばないものもおらず、その反応は至極真っ当。

特に同行騎兵は能力も当然ながら王国への忠誠心が高いものから選ばれており、先日は食事を受け取る際、王女の手料理に手が震え、落涙するものすらがあったほどだった。


当然二人が料理することに対し、そのようなことはさせられないと反対するものがあったものの、


『わたくし、アルガン様に料理を教わってる最中ですの。こういう機会でないと王宮では包丁も握らせてもらえなくて……駄目でしょうか?』


などというクレシェンタの上目遣いにやられてしまっていた。


目を潤ませ、両手を胸に。

少し悲しげな仰角45度の上目遣い。

クレシェンタは自らの希望を通すために、自身の可憐さと美貌を最大限に活用する術を完全にものにしていた。

その点でクレシェンタは同等のポテンシャルを持つクリシェを圧倒的にしのぐ能力を有している。


二回目ともなればもはや二人が食事を作ることに疑問を持つものはおらず。

天幕の設営や食材運びなどの手伝いを行ないながら、周囲の兵士達はてきぱきと料理をこなす二人の姿を眺め目の保養を行なっていた。


「…………」


ここでのクレシェンタは常に本気であった。

クレシェンタが持つ紫の瞳はベリーの手の動きを捉え、観察する。


単なるタマネギのみじん切り――しかしそこに積み重ねられた年月、捧げられた熱量は驚嘆すべきものがあり、容易に真似取ることは難しい。

大きさ、繊維、形状。それぞれ個性のある一つ一つを見極め、みじん切りの角度を手元で僅かに変化させているのだった。

クレシェンタが切れば目を刺激し涙を流させる邪悪なタマネギは、ベリーが手に取れば別物のように大人しく従順――その腕前はまさにタマネギ調教師であった。

当然それだけではない。

大根の皮を剥けば月が透け、肉に通す刃に抵抗はなく、ベリーはそれでいながら同時並行的にスープや焼き物の様子を見て味を調えていた。


これまでの経験上、ベリーは同時並行で七つの物事を処理出来るとクレシェンタは知っている。

単に一つの技術を真似たところで、それを流動的に組み合わせる思考回路が真似できなくては何の意味もない。

だからこそ彼女の全ての動作を観察し、考察することにクレシェンタの優れた頭脳は稀に見る回転を見せていた。


クリシェがベリーを絶対視する要素の一つとして、この料理技術の高さが挙げられる。

クレシェンタの中にある『おねえさまをわたくしにべったりさせるのですわ作戦』にはこの部分の攻略が必要不可欠であると考えた。

だが、彼女の料理技術は難攻不落――ベリーはその点においてクレシェンタの遥か高みにあることを認めざるを得ない。


料理と調理器具、そして食材に対する膨大な知識と経験――そしてそこに加えられた天才的センスと創造力によって、常に成長しているのだ。

今日の彼女はもはや、昨日の彼女を置き去りにしている。

追いつこうとしても距離が縮まらず、ベリーの後ろ姿は霞んで見えるようだった。


幼少の頃から経験を積んでいたクリシェと違い、クレシェンタはここにくるまで完全な素人。

宮廷料理に育てられた彼女の味覚は優れていたものの、それはベリーに対して大きなアドバンテージとはならない。


包丁の扱いや味付け。

そうした技術の一つ一つに関しては、クリシェと同じく病的な模倣能力を持つクレシェンタ。

既に本職ですら舌を巻く成長ぶりを見せてはいたが、相手はこと料理に一切の妥協を許さない芸術家、ベリー=アルガンである。

流石のクレシェンタも片手間に相手取るには分が悪い。


「お肉はこれくらいで良い頃合いですね」

「……まだ全然中に火が通っていないと思いますけれど」

「牛さんは少し休ませてあげると良いんです」


焚き火の網の上から手早くベリーは皿へと移す。

まだ焦げ目もない肉の色――ベリーはそれを皿の上に移すと布を被せる。


「邪気や虫は熱に弱いですから、お肉は基本的に焼いたり煮たり揚げたりといった調理を行ないます。とはいえ焼きすぎると今度は折角の美味しさが損なわれてしまいますから、どんなものにも丁度良い火加減というものがあるのですよ」


スープの味を見ながらベリーは続ける。


「牛肉の場合は表面に火を通したあと少し休ませて、余熱で中へ火を通して――牛さんは邪気や虫が少ないので、中にほとんど火を入れないで食べる方も多いようですけれど。……わたしとしてはほんの少し、こうして休ませてじっくり熱してあげるほうが安心出来ますし、美味しく感じます。柔らかくなりますしね」

「柔らかく……」

「はい。お肉は柔らかい方がおいしいでしょう?」


ベリーは先ほど肉へ擦りつけていたタマネギのみじん切りを指さす。


「さっきみたいにみじん切りやすり下ろしのタマネギにちょっと漬け込んだり、牛乳で漬け込んでみたり、柔らかくする手法はいくつもあるのですが……まぁまたそのうちですね。基本的に食材は素直ですから、手間を掛けるほど美味しくなってくれるのですよ」


ベリーは楽しそうに説明する。

それもクレシェンタが気に食わないポイントであった。

ベリーは手の内を容易にさらけ出すのである。


この天才クレシェンタを相手にこの余裕。

彼女の頭にある知識は底知れず、覚えても覚えても新たな手段と概念が提示される。

いつか限界が来るはず――そう考えて知識を吐き出させてはいるものの、ベリーは膨大な知識を吐き出しながら平然と笑っているのだ。


本気のクレシェンタを前にこの余裕は実に許しがたい。

クレシェンタが知らず唇を尖らせるとベリーは苦笑して、そんな顔をしては駄目ですよ、などと言った。


「料理は肩の力を抜いて楽しく、が大事です。頭も心も柔らかく、どうすれば美味しくなるかを考えて。いつもクリシェ様も楽しそうにしていらっしゃるでしょう?」

「……むぅ、わかってますわ」

「焦らなくてもクレシェンタ様は飲み込みがすごく早いですから。今度クリシェ様と一緒にお料理するときはクレシェンタ様がとてもお上手になったとびっくりしちゃうかもですね。とっても喜んでくださいますよ」


ほんの少し想像して、クレシェンタは頬を緩め。

その顔を楽しげに見られていることに気付いてぶんぶんと首を振る。


「つ、次は何をしたらいいんですの?」

「ふふ、本当可愛らしいお方ですね。では――」






焼いた肉は野営と思えぬほど柔らかく、タマネギと赤ワイン、すり下ろした果実を使ったソースは宮廷料理のそれであった。

それに加えカボチャベースの甘いスープに、フライパンで作ったカボチャパイ。

カットフルーツの盛り合わせまでいつの間にかベリーは用意していた。


主導権を完全に握られ指示されながら作った料理はしかし美しく、美味であるから文句も言えない。

クレシェンタは頬を緩めるのをこらえながらそれらを食べつつ、ベリーを見る。

ベリーは魔力を扱うものにしては食が細いほうで、むしろ食事はほどほどに。

美味しそうに食べる周りの人間やクレシェンタを見ながら嬉しそうにしている。


「このカボチャのスープ、いつぞや軍団長殿が作ったものを思い出しますね。……いやぁ、これほどのものを野営で食べられるのは贅沢です」


そう言ったのは黒塗りの鎧を着た兵士の一人。

護衛につけられた第十九班班長キリク――壮年隻眼の男であった。

第二十班と合わせ二班がこの旅に同行しているが、彼はその実質的なリーダーとなる。


「アルガン様がお教えになったので?」

「いえ。カボチャを使ったものはむしろ、わたしが教わった方が多いですよ。……クリシェ様の大好物なんです」


幸せそうにベリーは言って、カボチャのパイを優しくなぞる。

焚き火の明かりに照らされた横顔。

普段は幼く見えるその顔はどこか大人びて、いとおしげにパイを見つめる様は吟遊詩人の語る乙女のように美しい。


庭園に咲く優美な花。

セレネのようにはっきりとした美ではなく。


深き森に輝く一輪。

クリシェやクレシェンタのような幻想的な美でもなく。


ふと腰を降ろすと側に咲いていて、はっと気付いた木陰の花。

その美に華やかさや鮮やかさはなく、けれど確かに人の心を引きつける。

彼女はそんな魅力を持っていた。


「カボチャを見たら思いだしてしまって。今頃、クリシェ様は戦場でしょうか」

「そうですね、早ければ。……ご安心ください、軍団長に敵う者などこの世にはおりません。竜でも持ってくるならばわかりませんが……はは、まぁ、それと例えられるほどのお方ですよ」

「はい。……でもよく無理をなさる方ですから、それが少し心配です」


パイを小さくかじり、飲み込んだ。

そして指先で唇をなぞる。どこか熱を帯びた仕草だった。

キリクはそれに見惚れながら同意を示す。

先日の遅延工作――その時のクリシェを思い出せば言わんとすることはわかった。


「それは……確かに」


娘の心配をする母のような。

恋人の帰りを待つ乙女のような。

戦地の夫を想う貞淑な妻のような。

彼女を語るには、どのような言葉を使えば良いものかとキリクは思う。

強い愛情に比例した不安が、一層彼女を魅力的なものにしていた。


半ば当然のように、その心配を和らげる言葉を掛ける。


「しかし我らに限って言うなれば、以前に比べて隊の結束も強まり、皆本心より軍団長を尊敬しております。ダグラ隊長をはじめ、軍団長の負担を最小限に抑えるべく皆努力しておりますゆえ、先日のようなことにはならないでしょう」

「……ありがとうございます」


ベリーは微笑み頭を下げ、慌てたようにキリクは首を振る。

所作の一つ一つが美しく、ベリーは貴族らしい貴族であった。

けれどそこに嫌味もなくどこまでも自然なものであるから、面と向かうとキリクのような真面目な人間を無意識に畏まらせる。


クレシェンタなどは無言で食事を進めながら、ベリーのそうした動き、相手の反応、その一つ一つを観察していた。

王宮に育ち貴族の立ち居振る舞いを観察してきたクレシェンタであっても、ベリーの纏う貴族としての空気は独特で、観察すべき対象となる。

声音、表情、手や唇、視線の動き。

無意識に他者の好意を引き寄せるベリーの所作からは学ぶべき所が多くあった。


ここにこの王女クレシェンタがいるにも関わらず、今ある空気はベリーのもの。

彼女は周囲の視線と好意を引き寄せ、庇護欲を掻き立てさせるのだ。

そうした空気を自在に操るにはどうすれば良いか――クレシェンタは常にそれを考えて生きており、そしてクレシェンタの求めるべきものがそこにあった。


――とはいえ、そこでもやはり彼女が覚えるのは不満。

現状この旅の道中、明らかにクレシェンタよりベリーの方が周囲の関心と好意を集めているのがやはり気に食わない。

王女――王国の女王となるべき自分を差し置き、使用人が人望と注目を集めるというのは実に由々しき事態である。


不満が知らず、その柔らかな頬を膨らませる。

気付いたベリーが苦笑して、その頬を撫でた。

ぷすーと、空気が抜ける音。


「ふふ、心配したところではじまりませんね」

「……そーですわ、アルガン様。わたくしはアルガン様がおねえさまを心配しすぎて体調を崩す方が心配ですもの。そうしたらわたくし、おねえさまに何を言われるかわかりませんわ」

「……はい、申し訳ありません」


お口が汚れてますよとベリーがハンカチでそれを拭い、クレシェンタは頬を赤らめ。


それを見た男たちは顔を見合わせる。

幼くして立派な振る舞いを見せるクレシェンタは、ベリーに対しては少しわがままな見た目通りの少女のようで。

それがその華奢な両肩に背負わされた重荷を彼等へ身近に感じさせ、今日も尊敬の念を集めていた。


が、クレシェンタは求めたものがすぐ側に落ちていることにも気付かず。

そして今日もただ、不満と敗北感にライバル心を募らせていた。


些細な不満と喜びと。

幼い姫君とそれを支える使用人の旅はそのように、今日もつつがなく進んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る