第64話 ご褒美

暗い倉庫の一室。

そこに並んだ黒の百人隊を眺めつつ、クリシェは口を開いた。


「とりあえずクリシェとしては色々不満がありましたが、今回の件は不問です」


一週間と少しを休息に取ったクリシェは、開口一番ダグラ達に告げる。

ダグラやカルアを心配していた面々はその言葉に安堵を覚え、クリシェに敬礼を行なった。

クリシェが休息している間、彼等も遊びほうけていたわけではない。

先日の反抗は半ば満場一致の結論であったのだが、しかしやはり相手はクリシェ。

復帰の後厳しい罰が下されるのではないかと内心怯えてもいた。

そのため少しでも心象を良くしようと二日の休息を取った後、ダグラが主導となり厳しい訓練を再開させていた。


「ハゲワシ、現状人員は?」

「88名。ある程度復帰しました。残りはふた月ほど掛かるでしょう」

「良いことです。先日の戦闘により部隊としての能力は証明されたと見て良いでしょう。死傷者が数名というのは残ね――悲しいことですが、対する戦果としては十分なものであるとクリシェは考えます。クリシェ的には可です」


あれで良でも優でもなく、可なのか。

一同はクリシェ基準の厳しさに顔を見合わせる。


「指導方針は?」

「基礎体力、連携に関してはまずまずといったところでしょう。現在は個人能力を伸ばすため、隊内で訓練を」

「軽装歩兵の第一大隊と話をつけています。適当に彼等を交え訓練を。……それとちょっと、この隊は剣を折る人がちょっと多すぎます。カボチャ何個分になると思ってるんですか、勿体ない」


ぷりぷりとクリシェは怒った後、そこでクリシェも少し考えました、と腰に手を当て小さな胸を張る。


「軍から与えられる剣を使うから、雑になってしまうのです。そのため、この部隊に関しては武器を自弁しても良いとセレネから許可を取りました」

「おぉ……!」

「……静粛に。話の途中だ」


目を輝かせた兵士達をダグラが叱りつける。

今回の活躍に対する褒賞であった。

負け戦であればこそ、そうした些細な褒美を与えて士気を維持せねばならない。

金銭も当然ながら、被害を出した部隊や活躍した部隊には隊の鎧の一部への塗装を許可し、簡単な隊章を作ることを許している。

編成面での見栄えの問題もあるため基本的に手甲の左。

些細な褒賞――他の部隊に関してはそれほど大きなものではないが、この百人隊に関しては特別に武器の自弁も許されていた。

基本的に大隊長にのみ許される武器の自弁は兵士にとってこの上ない栄誉と言える。


「ただ武器に関しては板金鎧を着込んだ相手を殺せるものに限ります。丈夫で長持ち、決闘や何かではなく、あくまで戦場で使うものであるという想定を。自分に合った扱いやすいもので、連携を乱さないものならなんでもいいです」


武器の統一は連携を取る上で必須条件となる。

兵士を枠にはめ運用するのだから、そこに個性があっては困る。

だがこの百人隊に関しては乱戦下での活躍を期待されているのだ。

必要なものは個人としての戦闘能力。


体格によっても技術によっても、武器の好みというものは変わってくる。

より個人に合った武器のほうが個人戦での純粋な戦闘能力は高まる。

個人戦を重視するか、隊列を組んだ集団戦を重視するか。

一人で十人を殺すことを期待する彼等に求めるべきは前者であった。


魔力保有者は常人と比べものにならないほどの腕力を有する。

量産品の剣を折ってしまう理由もそこにあり、であればやはりそれに合わせた上等な得物を持たせたほうが良いという考えはセレネとも一致した。


先日の撤退戦では一人につき二本の剣を持って行っている。

しかし折れた、あるいはなくした剣の数は全体で百を超え、敵の剣を使うものもいた。

継戦能力を考えるなら、やはりある程度しっかりとした丈夫な武器を使わせるというのは悪くない。

これに文句をつけるものはいないだろう。

彼等の武功は負け戦の中にあっても一際輝いていた。


「隊章も許可されましたけれど、作りたいなら夜襲の際を考慮し目立たない色合いのものを。これも隊章担当のところへ話は通っています。適当に」


隊章であるとはいえ、自由にというわけにもいかない。

例えば竜――聖霊と呼ばれる神代からの生き残りなどを単なる兵士が描くことは畏れ多く、王族や高位の貴族にのみ許された図柄というものが存在する。

王冠など王位を示すようなものは当然ながら、色々と制約があるのだった。

そのため紋章などに明るい専門の担当が存在したりする。

紋章官という専門役職を持つものもいるが数は少なく、多少の知識を持つものが担当として立てられていた。


「鎧もまた自弁が許されてますが、光が反射するものや音の五月蠅いものは駄目です。ハゲワシ、判断はあなたに」

「は!」

「クリシェからは以上。ハゲワシからクリシェが見てないところでも訓練をちゃんと頑張っていたというお話は聞いてます。そのため、ご褒美として今日と明日はこの後あなたたちに休暇を与えてあげましょう。武具の注文や色々、適当に済ませておいてください」


最初はおどおどとしていた兵士達は一様に喜色を浮かべ、互いにこっそり腕を叩き合う。

クリシェは特に気にせず、ダグラも今日ばかりは見逃してやる。


「ハゲワシ、何かありますか?」

「は。では……この後隊章についての図案を募る。希望あるものは残れ。軍団長はありがたくも、我々に全てを委ねて下さった。何よりの栄誉と思え」


――クリシェは何でもいいです。

ここに来る前どうでも良さそうにクリシェが漏らした言葉を、ダグラはまるでそれが素晴らしい褒美であるかのように兵士達に聞かせた。

おお、とどよめきが響き、感謝の目をクリシェに向けた。

クリシェは小首を傾げながらもダグラに告げる。


「では、後はよろしくお願いしますね。クリシェはこれで」

「……一同、敬礼!」


鎧の胸を叩く音が響いて、クリシェは答礼をするとそのまま部屋を出た。





将軍へとそのまま格上げされたセレネに代わり、クリシェは第一軍団長となった。

将軍の娘であったセレネが将軍となることに異論を唱えるものはおらず、そしてクリシェが第一軍団長となったことに関してもそうだった。

セレネは元より人望厚く、兵士達からも慕われている。

クリシェはその性格はともかく、能力を見るならば右に出るものはいない。

若さという問題こそあるものの、二人はそれを補ってあまりある能力があり、他軍団長三人のそれ以外はありえないという同意もあってセレネの将軍就任はスムーズであった。


セレネ=アルガリッテ=リネア=クリシュタンド。

王女クレシェンタにより先日、セレネは略式ながら叙勲を受け、アルガリッテの名を引き継ぐ。

北部地域一帯を示すアルガリッテを与えられた彼女は、名実ともにクリシュタンドの頂点に立ったことになる。


そして将軍になったセレネに代わり、第一軍団長となったクリシェは歩き回っていた。

軍は四つの軍団で分担されているとは言え、それなりに仕事はある。

黒の百人隊への追加人員も見る必要があった。

戦場に出ている間に入ってきたらしい新兵の訓練を眺め、魔力保有者の中でも十人ほど要領の良さそうな人間を引き抜く。

現状百人隊はある意味完成されている。

クリシェとしては十分満足出来る出来だった。

だからこそ急な人員増加はその完成度を壊してしまうことになるため、多少慎重にならざるを得ない。


クリシェの手足――求めるのはクリシェの意図を全ての班が理解し行動できる百人隊。

数が増えると純粋にクリシェが掌握しにくくなるという問題もある。

最終的に二百人隊、三百人隊くらいにはしたいところではあるが、これには時間が必要だろう。


引き抜いたものに明後日ダグラの所へ行くように告げ、城砦の外――第一軍団の下へ。

行軍訓練の最中であったらしい。

百人隊ごとに駆け足で整列し、直進、方向転換、後退を行なっている。

それを見守るのは腕を吊り、包帯だらけの痩せた男。

クリシェはそちらに近づく。


「……軍団長」

「敬礼は構いません、キース。もう怪我はよいのですか?」

「ええ、まぁ……」


第一軍団の第三大隊長であった。

ぴりぴりとした視線がキースの周囲にいる兵士からクリシェに向けられるのが分かった。

訓練しているのは釣り餌にされた第三軍団の生き残り。

とはいえクリシェは特に気にしない。


「ここの兵員補充は優先せねばなりませんね。希望はありますか?」

「そうですね……ある程度能力があるものが。半分が死んだとなればさすがに、まっさらな新兵を育てて補充というのは難しい」

「他の軍団長に掛け合ってみましょう。補充の半数は新兵となるかもしれませんが、もう半分はまともな兵士を引っ張ってきます」

「ありがたく」


百人隊は五つ。再編成を行なったのだろう。

キースの周囲にいるのは兵長や百人隊長。今は訓練の補佐についているらしかった。


「囮の役目は見事でした。もう少し被害が出るかと思ったのですが、上手く兵を引きましたね。あなたが第三大隊長で良かったと感じます、キース」

「元より殿を名乗り出た身。流石に孤立無援の状態に置かれるとは思いませんでしたが……セレネ様ではなく軍団長が代行されていると聞きましたので、理解を」


理解は出来ている。とはいえ怒りがないとも言えない。

キースは人の上に立つものとしてそれらの感情を律していた。

それに、被害こそ被ったがそのおかげで軍全体が助かったという事実もある。

無駄死にをさせられたわけではない。むしろ采配は見事。

指揮官はいつも感情を数学的論理によって統制することを求められていた。

そしてクリシェ自身、単身百人隊を率いて敵の足止めを行なっている。

ボロボロになって帰ってきた百人隊と彼女のことを知れば、非難など出来るはずもない。


「一つ指摘をするならば、もう少し早期に決断できればよかったですね。高所を取りながらも敵が優勢であるならば、そうなる前に現状維持ではなく別な手段を取るべきでした。現状の敵配置、あなたがセレネに伝令を飛ばし、戦術的後退を提案。第四大隊、第五大隊による逆襲を提案していたならばもう少し被害は抑えられましたから」

「……軍団長、流石にそれをあの森の中で求めるのはあまりに」


新たに副官へ据えられたのだろう男が口を挟む。

怒りを押し殺した目。

クリシェは目を細めた。


「敵から見たときの脆弱部は第四軍団ではなく第一軍団。見えずとも想定するべきです。そして第一軍団から兵を引いているのですから、なおさらこちらに兵が迫る公算は高い。見えずとも想像できます。敵の立場で考えることは基本中の基本。最初から敵誘引のため段階的な後退を考えていれば、そうでなくとも敵を誘い入れることはできたでしょう」


わかるでしょうか、とクリシェは続ける。


「前にいるあなたたちに理解できる情報よりも、後方の指揮官はさらに小さな情報を得ることしか出来ません。指揮官の目となるあなたたちが分からなければ、指揮官は何を持って判断を下せば良いのでしょう? 偵察中の班長が敵と遭遇。けれど規模もわかりません、どこにいたかもわかりません。そんなことがありえてはならないのと同じことです」


クリシェは腰に手を当て、嘆息する。

男達が顔に浮かべた感情を眺めつつ、理性的に言葉を紡いだ。


「森の中で情報が得にくいのは当然のこと。でも前にいるあなたたちの方が多くを得られるはずです。クリシェはあなたたちを囮にすることで強引に解決しましたが、やはり強引。あなたたちの場所からはより良い解決策を見いだせたのかもしれません。そのために、今回の反省を踏まえてもう少し考えて欲しいと言ってるんです」


口にされるクリシェの言葉に静かに頷き、キースは周りのものに告げる。


「軍団長の仰ることに間違いはない。事実として、我らが囮になったことで他の多くが助かったことは事実だ。そのような目を向けるな。……軍団長は逆襲の最前線で戦い、その後は百人隊を率いて支援もなく、破壊工作による攪乱を一週間に渡って続けられた方だ。軍団長が我々以上に過酷な戦場で戦っておられたという事実を忘れるな」


その言葉に反論するものはいなかった。

クリシェは求める。しかし求める以上のことを自身でやる。

彼女を恨むものは特に第三大隊の中にも多くあった。

しかしそれが明確な悪意へと変化しないのは、そこに自分を必ず含めるからだ。

誰も出来ないことをやり遂げ、どれほど過酷な状況であっても、彼女は迷わず進む。


――あれは違う。怪物なのだ。

彼等は恨む以上に恐れていた。

常人と同じ物差しで見るべき相手ではなく、誰もが心の中で距離を置く。

人の心が分からずとも、あれはそういう異常者なのだと。

情を求めてもわかりはしない。

そしてどうあれ、彼女には逆らえず、彼女が言うなら仕方が無い。

理解とは遠く離れた感情で納得することで、彼等は折り合いをつけている。


「明日の昼、第四軍団と合同でベルナイクでの戦いを検討します。大隊長及び副官は全員の参加、百人隊長の内二人を後学のため連れてきてください。今回の戦闘における状況の推移、問題点を洗い出しますから、そのつもりで考えておいてください」

「は」

「何かあれば連絡を」





クリシェはその場を後にすると各大隊の様子を見て回った。

弓兵主体の第五大隊は実質的な被害も無く、立場は中立。

フォローはするが、多少の気遣いはされたほうが良い、という助言をクリシェにした。


重装歩兵の第二大隊も同じく中立。

真っ先に撤退したため第三大隊に多少の負い目があるようだが、そこについてはあまり触れず、第一大隊の突破を助け速やかな合流を行なったことについて感謝の意を告げた。

そのおかげでその突破口維持を行なっていた第二大隊の被害は少なく済んだ、と。


第四大隊長バーガは完全に、大隊長としての顔でクリシェに対面する。

軽い話もなく、事務的な会話。

完全に一線を引かれている状態であったが、クリシェとしてはどうでも良い。

兵士達はクリシェを恐れるようで、しかし一部は不思議なことにクリシェに対して感謝をわざわざ告げに来た。

クリシェに危ういところを助けられた一部の兵士は、彼女は命の恩人であると深く頭を下げたのだった。


戦力低下を懸念しただけ。

特に人道的理由で助けたわけでもなかったクリシェは少し驚きながらも「当然のことを戦闘中にしただけです。気にしなくていいですよ」と適当に返した。

恩を売ったつもりもなく、当然のこと。

困ったようにそう告げるクリシェの様子に、命を助けられ熱心に感謝を告げていた兵士達は噂話との乖離を見て、尊敬の念を露わにする。

疲労に荒く息づき、木に寄りかかる彼女の姿を思い出して、憐憫の情すらを見せるものもあった。


クリシェは意図せず他人を助けても、そこに見返りは求めない。

そうした姿は、時に彼女を聖人か何かのように他人へ見せる。

彼女は良くも悪くも視野が狭く、自分本位で純粋であった。


そうして最後に向かったのは軽装歩兵の第一大隊――ここに関してはクリシェに対して非常に好意的であった。

黒の百人隊の訓練を通し付き合いが深かったこともあり、クリシェが他人だけではなく、自分に対しても非常に厳しい人間であることを知っている。

その実力に関しても言わずもがなであった。


第一大隊による中央背面突破を成功させたのは彼女と黒の百人隊であり、あのままもう少しの時間さえあれば竜の顎での戦いを勝利で収めていたことは間違いない。

今回第三大隊が犠牲になったことに対しても少なくとも最善に近い手段で、仕方のないものであったのだろうと理解を示してはいた。


「違いますよ、持ち手はこうで、歩幅はこう。弓の弦みたいな感じです。全身の力を切っ先に伝えるだけ。腕はそれを伝えるためのものですから、変に力を入れちゃ駄目です」

「は、はい……」


クリシェは見学の途中、いつの間にか剣術講義を行なっていた。

好意的な彼等に話し掛けられ、冗談でこいつに剣を教えてやってくださいよ、などと兵士に言われたことを真に受け、真面目にクリシェは講義を行なう。

未だ若い――二十くらいだろう青年は顔を赤らめながらクリシェ手ずから突きの構えを直されていた。


絶世の美少女クリシェの容姿は青年が未だかつて目にしたことがないほど。

そんな少女が自分の手や肩に触れ、手取り足取り指導を行なってくれている現実。

前屈みになると銀色の髪がさらさらと流れて手をくすぐり、大きな紫の瞳を包む長い睫毛が一層魅力的であった。


「はは、クリシェ様、駄目ですよ。クリシェ様があまりにお綺麗すぎるから、そいつ見惚れちまって身が入ってません。話が素通りです」

「む……ちゃんと聞いてないんですか?」


両手を腰に当て、上目遣いに拗ねたような顔で見つめられる。

小柄で華奢、クリシェはどこまでも可憐な少女である。

石鹸の香料がほのかに鼻をくすぐって、どこまでも甘い。

まさに逆効果であった。

青年の目が泳ぎ、い、いえっ! などとどこか裏返った声で否定する。


「まぁいいです。見せた方が早いかも知れませんね。剣を貸してください」

「ぁ、はい」


長剣を受け取ると訓練用のカカシの正面に。

丸太に巻き藁を括り付け、上から革の鎧兜を被せた訓練用。

クリシェはその前に立つと外套を脱いで先ほどの青年に手渡す。


黒い外套の下にあったのは白いシャツと黒のスカート。

良家のご令嬢さながら、軽く刺繍の施された服はシンプルながらも美しい。

動きを見せるに当たって外套は邪魔だろうという配慮であったが、男たちの視線は細い腰や控えめな膨らみ、風に揺れる膝下丈のスカートとブーツの隙間に見える白い肌に向けられていた。


外套を手渡された青年はそこに残る温もりと香りを感じてドギマギしていたが、クリシェはそれに気付かない。


周りの兵士達が羨ましそうに青年を見つめ、いつの間にか周囲には兵士達が輪を作っていた。

熱心に中央――周囲の男たちとは頭一つ違う少女の姿を眺める。

訓練用のカカシと、少女の立ち位置。

少女の間合いとしては遠すぎるのではないか――そう思わせるほどの距離であった。

始めはゆっくりすぎるほどに遅く、小柄な体躯を沈めるように踏み込む。

――足が大地を踏み抜くと同時、剣の切っ先は吸い込まれるように鎧を貫いていた。


「おお……」


誰かが感嘆の息をつく。

決して速くはなく、むしろ動きとしては遅いくらいだった。

しかし頑丈な革鎧をバターか何かのように切っ先は貫いている。

小柄な見た目からは想像できない間合いの広さ。

しなやかな体は驚くほどに伸びていた。


足を引くことで容易く剣を引き抜き、告げる。


「踏み込んだ一瞬で足から伝わる力は消え去ってしまいます。要点はその力が消え去る前に、腰から背中の力を加え――」


クリシェはもう一度繰り返す。

先ほどよりも速く、一瞬で穴が穿たれ剣が引き抜かれる。


「――肩から切っ先に集約する。力よりも体の流れが重要なのです。体重全てを一点に伝えるイメージでしょうか。それならクリシェ程度の重さでも十分」


滑らかに滞りなく。

動きは男たちが驚くほどに美しい。


「板金鎧程度であればきちんとやればこれで貫けます。問題は刃を傷めてしまうところでしょうか。あまり深く突き立てると抜きにくくなったり刃が曲がってしまうので気を付けてください。無防備になってしまいますから」


クリシェは剣をくるくると手の内で回しながら様子をうかがう。

拍手が巻き起こり、賞賛の声が響く。

大きな反応にクリシェがこれでいいでしょうと外套を受け取ろうとすると、もう一回お願いします! などと声が上がる。

ひらひらと舞うスカートに胸を打たれた男であった。

おいおい、などと声を上げた男に兵士達の視線が向く。


「えーと……、わかりました。ちゃんと見ててくださいね」


が、クリシェはそれに気付かない。

手先よりもむしろ、足や腰の動きは大事である。そういった部分に視線が集中するのは当然であると考えていたため、特に不埒だとも感じていなかった。

クリシェは熱心なことは良いことだと再び突きを見せる。


ふわりとほんの少しスカートが揺れて、伸びきった体のラインに女性らしさが微かに浮かぶ。

また感嘆の声。

次は突きではなく剣の振り方をなどと男たちは口々に告げる。


「……なんだか皆さん熱心ですね。まぁ良いことです」


クリシェは『訓練』にやる気を見せる兵士達に微笑む。

剣技達者なものが集まる軽装歩兵。

まじめにクリシェの剣技に感心するものも中にはいたが、半ば踊り子扱いであることなどクリシェが気づけるはずもなかった。


解説を交えながら行なうクリシェの剣技に荒々しさはなく、その精緻さは戦闘術というより剣舞というべき滑らかさを秘めている。

剣を振る姿は、その容姿も合わせてまさに踊り子であった。


「多くの人は腕にしっかり力を入れていますが、腕はむしろ力を抜くべきです。足からお尻、おへそから背中を通った力を、肩からそのまま伝える。遠心力――円の力で剣を振る。円とは言っても楕円ですね。必要な、最短の楕円を描くことを意識するべきです。最速の一撃が最高の一撃とは限りません」

「なるほど……」


小ぶりな胸を張りながら両手を腰に当て、やや偉そうに。

セレネや訓練教官の姿を真似たものであるが、その姿は近所の綺麗なお姉さん。

お姉さんぶって講義をするクリシェは恐ろしい怪物ではなく可愛らしい何かである。

彼女の剣が敵の首を軽々と裂いていく様を見ているものは多かったが、どうあれ可愛い。


クリシェも実に熱心である。

一つ一つ説明すると素晴らしい、なるほど、などと良い反応が返ってくるため、クリシェとしては実にやりがいのある講義であった。

クリシェもお話や説明が上手になったかも知れません、などと心中で満足している。

大半が踊り子クリシェの剣舞観賞をしていることになど気付いていなかった。


無論彼女の剣術講義を全く聞いていないわけではなかったものの、やはり比重は剣士クリシェより踊り子クリシェ。

褒めれば褒めるほどクリシェは満足そうに頬を緩めて可愛らしい微笑を浮かべ、自信満々に説明しだすものだから、誰にも止められない空気が生まれていた。


くるくると舞うように、しばらく休んでいた体の柔軟も兼ねて剣を振るう。

うっすらと汗ばみ、シャツが僅かに張り付いて体のラインを見せだした頃、声を掛けたのは眉をぴくぴくとさせた金の髪の少女であった。


「あ、あの……何してるの、クリシェ?」

「セレネっ」


上機嫌なクリシェは人の波を割って現れたセレネに抱きつく。

いつも通りのクロスアーマーと乗馬ズボン。セレネの肩にクリシェは頬を擦りつける。


「えへへ、剣の講義です。みんなすごく熱心なんですよ」

「ね、熱心……」


セレネは周囲を見渡し、クリシェの格好を見て、事情を理解すると一人の男に視線をやる。

いつの間にか踊り子クリシェの独演会に混ざっていた第一大隊長ベーギルは、びく、と肩を揺らし、慌てたように声を張り上げる。


「しょ、将軍に敬礼!」


周囲にいたものはすぐさま姿勢を正し、胸を掌で叩くように敬礼する。

セレネは呆れたような目でベーギルを睨む。


「……ベーギル。なんか、大体事情は理解できたけれど……クリシェがいくらお馬鹿だからってあんまり遊ばないでちょうだい」

「クリシェ、おばかじゃ……うぅ」

「……お馬鹿」


両手でクリシェの柔らかい頬をつまんで、もう、と少し怒ったように周囲を睨む。

皆苦笑いで視線を逸らした。


外套を持つ青年を手招きすると、それを受け取ってクリシェの体をすっぽりと覆った。

クリシェは嬉しそうにセレネに擦り寄り、まったく、とセレネはクリシェの頭を撫でた。


「もう。せめてこういう訓練の時はスカートじゃなくてズボンにしなさい」

「……クリシェ、ズボンは好きじゃないです」

「スカートだとひらひらして下着が見えちゃうかもしれないでしょ」

「下着を見せなきゃ――うぅ……」


頬をむにむにと動かされクリシェは頬を赤らめ黙り込む。

下着が見えないよう彼女は気を使っている。太もももあまり見せない。

だがそんな彼女の意識が逆に妙なチラリズムを生み出しており、兵士達を喜ばせていたのだが、当然ながらクリシェはそうした視線に対して酷く鈍感であった。


呆れたように彼女を見ながら、変な所で頑固なんだから、とセレネは嘆息する。

クリシェを襲う勇者などいるとは思えないが、自分の容姿と魅力に対して彼女はあまりに無頓着なのであった。

肌や下着を見せるのは駄目であるだとか基本的なことは理解しているのであるが、根本的な部分を彼女は理解できていない。

どうしたものかと頭が痛かった。

いっそのこと首輪をつけて一生部屋に閉じ込めておきたいくらいである。


「とりあえず、病み上がりなんだから戻るわよ。ベリーとお料理しなくていいの?」

「はい、ベリーとお料理しますっ」

「……はぁ」


セレネはぽんぽんとクリシェの頭を叩いてベーギルを見る。


「……第一大隊は体力が有り余ってそうね、ベーギル。夕刻まで時間があるわ。あなたが先導して強行軍の訓練なんかどうかしら」

「は、はは……断れませんな」

「もう、あなたがしっかりしてくれないでどうするのよ全く。日が落ちるまで走ってきなさい」

「は! 第一大隊、これより駆け足での行軍訓練に入ります。整列!」


きびきびと動く第一大隊を眺めて、セレネは深いため息をつく。


「セレネ、あんまりため息をつくと幸せが逃げちゃうらしいですよ。ベリーが言ってました」

「そうね、誰のせいかしらね」

「うぅ……」


セレネはクリシェの頬を掴んで、また深いため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る