第46話 ハゲワシ

森にあるのはクリシェと、それを取り囲む五人。

五人はそれぞれ木剣を構え、クリシェはいつものように構えすらなく立っていた。

どこに目をやるでもない。

ただ細められた目はぼんやりと目の前の景色を見ていた。


それに対するはミア班。

五対一という状況――しかしそれに対する遠慮はもはや存在していない。

既に七つの班が彼女になすすべもなく倒された後とあっては油断など出来ようはずもなかった。


森の中で伏撃奇襲、そしてそれへの対処を実戦的に繰り返し、軽い怪我人を出しながらの過酷な訓練は一週間続けられている。

黒の彼等はその高い身体能力によって一般兵士とは比べものにならぬ能力を発揮しだしており、それまでの厳しい訓練によって甘えがそぎ落とされていた。


奇襲も単に横合いからの奇襲ではなく、今では木々を利用した三次元的攻撃を行なう。

もはや単なる輜重段列など小半刻も掛からずに始末を終えるだろう。

4日目に行なった赤に選別された軽装歩兵隊との合同訓練により彼等はその能力を十全に発揮した。


事前に奇襲を知らされた行軍訓練中の赤に対する伏撃。

百人隊の黒に対し、赤は優秀な百人隊二つを動員した難度の高いものではあったが、被害七名という結果で赤の行軍縦列を全滅させている。

自分達がエリートであると知らされていた赤はその結果に驚愕。

元々高かった彼等の向上意欲を掻き立てモチベーションの向上に繋がったのだが、黒は逆に増長する結果となってしまった。


精鋭として鍛え上げられている赤に対し、奇襲とはいえ圧勝。

自分達の能力の高さを初めて現実のものとして実感した黒の人間がそうなるのも無理はない。

とはいえ当然それはダグラの望むべき事ではなく、彼等の締め上げに協力して欲しいとクリシェに連絡が行ったのは昨日のこと。

結果、班ごと五対一による模擬戦が行なわれることとなった。


最初は将軍令嬢に対し五人で斬りかかるなど、と躊躇を見せていた彼等であったが、容易く三つの班が打ち倒されるところを見ると流石に油断もなくなり本気になる。

しかし続く四班も容易く打ち倒され、彼等はその増長に冷や水を浴びせられる形となっていた。


ミアの率いる班は黒の中でも隊長付き――最精鋭である。

戦場においては百人隊長ダグラの護衛として運用され、ミア以外は剣技卓越する優秀な兵士でのみ構成される。

黒――魔力保有者でありながら赤に選別されうる技量の持ち主がここに配置され、そして班同士の対抗戦では必ず一位をもぎ取る実力。

敗北を続け、冷え切った空気の中、それを巻き返すのはこの班しかないとミアは考えたのだった。


一人に対し五人で掛かる。

優位は明らかであり、そしてここにいる誰もが一流に近い剣技を有する。

そしてその身体能力は単なる兵士とは比べものにならない。


だがクリシェは余裕を見せ、どこからでも打ち込んで良い、と先手を譲ってすらいる。

ミアは樹上に身を隠し機を狙い、他の四人は四方を囲む。

彼女に正対するはダグラに匹敵する剣技を有する女、カルアである。


少なくとも追い込める。

そう考えたミアは手にした木剣で枝を打ち、合図を送る。


彼女の足を止めるべく、最初に踏み込んだのはカルアであった。

後ろで結った長い黒髪が風に流れ、その踏み込みは容易く彼我の間合いを詰め、

――疾風の如き速度で袈裟に斬り込む。

遠慮など欠片もない一撃。

鎧を全く着込んでいないクリシェであれば、寸前で止めても骨が折れるかも知れない。

やりすぎだ――と慌てたミアであったが、しかしクリシェはくるりと身を躱す。


まるでその小柄な体が、カルアの体をすり抜けるように見えた。

軽く身を捻るだけの動作でカルアの背後に回り、その背中を勢いよく足の裏で蹴りつけた。


「うぐっ!?」


馬にでも衝突されたかのようにカルアの体は吹き飛び転がる。


カルアの体は当然、隙を逃さずクリシェへ斬りかかろうとしていた背後の三人の前に転がる。突然現れた障害物に三人は足並みを乱され――そして次の瞬間には端の一人の木剣が跳ね飛ばされた。

すぐさま転がるカルアがそのままに剣を振るうも躱され、その腕をクリシェの足で押さえられ、兜を木剣で軽く叩かれる。

実戦であれば致命的な一撃であり、その時点で彼女は死亡と判定される。


混乱の最中、残った二人は目配せをして左右に分かれて回り込んだ。

黒の中でも最精鋭――混乱の最中にあっても彼等は自分のなすべきことは理解していた。

そしてその機を逃さず、ミアは枝を蹴りクリシェに向けて頭上から斬りかかる。


しかし次の瞬間にはクリシェの姿は消えていて、


「ミア、上!」


――頭に叩き込まれた衝撃に、ミアは倒れ込んだ。





「樹上から攻撃するという案は悪くないです。でも、それは伏撃の場合。クリシェに気付かれてる状態で隠れてどうするんですか」

「はい、申し訳ありません……」


こつこつと木剣で兜を叩かれながらミアは頭を下げていた。

クリシェの背は随分と低く、平均的な身長と言えるミアがそうして頭を下げることで丁度高さはつり合う。


クリシェは訓練教官達が行なう指導をよく観察していた。

それに倣って『立派な訓練教官』としてその真似をしているのだが、小さな体で胸を張り偉そうにする姿はその可憐な外見と全くつり合っておらず、その姿はまさに大人ぶる子供である。

怖いと言うより滑稽で妙な愛らしさがあるのだが、とはいえそれを表立って口にするものはいない。


「やるなら常に樹上を移動して、相手に位置を悟らせない工夫が必要です。空中からの奇襲は奇襲として悪くはないですが、地上に降りるまで自分が無防備で無駄な時間ができるということを注意してください」


ミアが飛び降りると同時、クリシェは入れ替わるように上へ跳び、枝を蹴って頭上からミアの頭に剣を叩き込んだのだった。

後の二人はそのまま各個撃破。

完敗である。


「カルアの使い方もよくないです。少なくともこの班の中では比較的ましなカルアを正面から斬りかからせるなんてお馬鹿のすることです。戦術の基本はなんですか?」

「弱きを囮に、強きで食らう、です」


こつん、とまた頭が叩かれた。


「わかっているならなんでしないんですか?」

「はい、申し訳ありません……」

「申し訳ありません、は理由になってません」

「ぐ、軍団長副官っ」


カルアが長い黒髪を尻尾のように揺らし、声を上げた。


「わたしが正面から斬りかかり、時間を稼げると提案をいたしました! ミア副官はその提案を――」

「余計にお馬鹿です」


こつんこつんこつん、とミアの頭に三連続である。

ミアはじわじわと兜越しに伝わる鈍痛に耐えて、どうしてわたしがこんな目に、などと呪うしかない。


「彼我の戦力を見極めるというのは、指揮官として基本中の基本です。これが初戦であればまだしも、あなたたちは八戦目。クリシェとの実力差くらい理解できないのですか?」

「いえ、り、理解していたつもりです……」

「理解しているならなんでしないんですか?」

「えと、それはその……」

「軍団長副官、あとは私が」


永遠に続きそうな問答を止めるためダグラが緊張しつつ声を上げる。

クリシェはダグラをちら、と見て、じゃあお任せしますとダグラに投げた。


「ミアは優秀なのに、人の意見に左右されて優柔不断なのがいけません。クリシェの希望はミアをダグラのようにすることです。お願いできますか?」

「は。しっかりと鍛え上げておきます」

「高々200人を相手にこの人数で奇襲をしておきながら被害は7人。奇襲であればクリシェの希望は1000人に対して被害が7人です。要求に全く達していません」


銀色の髪を揺らし、クリシェは両手を腰に当て告げる。


「個人技能よりもやはり連携による訓練を更に鍛えたほうが良いですね。何のためにどこの軍も五人一組で班を作らせているのかをあまり理解できていないように感じます。カルア、班の利点はなんですか?」

「つ、常に五人で連携し、一人に対しても五人で掛かり、兵力優位を確たるものにするためであります」

「そうです。五対一ができなくとも、二対一の状況を一時的にでも作り上げられれば優位に立てるからです。あなたたちは赤の兵士より基本的能力は優秀なはずで、一対一であれば大体勝てる程度の能力はあるはずです。しかし7人も被害を出したのは逆に、赤の兵士に兵力優位を作られた結果。とても恥ずかしいことです」


不満そうに僅かに頬を膨らませ、クリシェは続ける。

少女らしいどこまでも可愛らしい姿であった。


「クリシェはセレネに、あなたたちを一対十の損失で敵に打ち勝つ部隊にすると約束しました。それがこの程度ではクリシェ、恥ずかしくてセレネに報告もできません。ダグラからの報告では200人に対し7人も被害を出しておいて満足しているそうですね。クリシェはがっかりです。少なくともここにダグラが100人いればクリシェの要求は満たせるはずで、それくらいのことはできて当然でしょう」


黒の面々はダグラを見る。

ダグラはあまりの期待に居心地が悪くなりながらも、その視線を受け止める。

どうあれ、この天才からそれほどの期待を掛けられると言うこと自体は悪い気分ではない。


「兵士は敵を殺すのが仕事です。自分は殺されずに殺すのが仕事です。殺されなければ次も殺せます。仲間を助ければ仲間は更に敵を殺せます。連携というのはそういうもので、いかに仲間を殺されず、自分も殺されずに敵を殺すかです。クリシェはちゃんと、それをあなたたちに理解して欲しいです」


クリシェの言葉はあまりに明確である。

ダグラは補足するように告げた。


「……隣を見ろ。仲間の顔をだ」


ダグラは一歩前に出る。

誤解を招きかねないクリシェのフォローは内々にセレネから頼まれていた。


「お前達が今の自分に満足し、増長する。その気持ちはわかる。お前達は優秀だと私も思う。……しかし厳しい状況など戦場にはいくらでも存在するのだ。その時お前達の力が足りぬために失われるものは、その隣にある顔だ。その内の誰かが、一人一人と欠けていく」


兵士達は顔を見合わせ、ダグラを見る。


「私は多くの仲間を失ってきた。その中には友もいた。昨晩一緒に馬鹿騒ぎをしていた者もいた。……その度、悔しさに私は嘆いた。あと少し自分に力があれば、と」


ダグラはそんな兵士達を見据え、語りかけるように、静かな口調で言葉を紡ぐ。


「厳しい訓練をお前達に行なわせ、そして高い結果を要求する。それは何故か。お前達に同じ思いをして欲しくはないという私の後悔からだ。同じ釜の飯を喰らった仲間の死に顔を見て欲しくはないと思うからだ。……軍団長副官の言葉もそうだ。訓練で七人の被害が出たということは、実戦ならば死んでいたと言うこと。その意味がわかるだろう。ここからは本来、その七人が消えているのだ」


怒鳴りつけるよう声を張り上げるでもなく、ダグラはやはり優れた百人隊長。

兵士の父に他ならない。

彼等の意識を引き寄せ、束ねる術を知っている。


「連携とは殺されぬための技術。そして仲間を守るための技術。己の身でなく仲間を守り、そして仲間が己を守る。そのことをゆめ忘れるな」


クリシェは納得したような兵士達の顔を見ながら、ダグラの評価を再び上げた。

やはりこういうことはダグラに任せておくのが良い。

クリシェの言葉は文字通りであったが、肉付けと装飾をダグラが行なってくれるなら楽なことこの上なかった。


とはいえ、やはりダグラは複数人いた方が良い。

クリシェはミアを見る。


「とりあえず、ミア。まずはミアがダグラの考えを理解して、同じレベルの物事を考えられるようになるんです。そしてあなたは他のダグラを作る。わかりましたね?」

「う……はい……」

「クリシェの目標はここにいる全員をダグラにすることです。そのためにあなたがまず二人目のダグラになってもらわなければいけません」


さ、次へ行きましょうかとクリシェはまた班の一つを呼んだ。

その日は結局班が三周するまでそれを繰り返された。











「いやぁ……あのうさちゃん、あそこまで化け物だとは思わなかったんだけど」

「うさちゃんなんて呼ばないの。ダグラ隊長に聞かれたら怒られるよ、もう」


二班対一班、十対五の訓練を行ないつつ、一班はクリシェとの五対一。

終わる頃にはへとへとになっていたが、野営の準備はしなければならない。

今日はその後休息が命じられており、普段2グループに分けられた黒の百人隊は今日に限って合同で野営を行なうことになっていた。


枝を拾いながらミアと話しているのはカルア。

女の身でありながら隊の中でも剣技に優れた兵士で、ミアとは同じ班ということもあって仲が良い。

のらりくらりと要領が良く、何事もそつなくこなすタイプで、ミアの愚痴を面倒見よく聞いてくれる姉のような存在である。


「いや、うさちゃんがああ見えて凄腕だって噂には聞いてたけどさ、あんな見た目であれだけ強いとは思わないじゃんか」


うさちゃん、というのはクリシェの愛称だった。

銀色の髪と真白い肌、小さな背丈。

セレネやベリーが来たときには擦り寄るように甘える姿を見せることから、可愛らしい冬場の白兎になぞらえ、うさちゃん、うさぎちゃん、などと部隊の中では呼ばれていた。

厳しく冷徹で、まるで石ころのように兵士を見る彼女への反発も若干入った蔑称とも言え、ダグラなどはそれを聞くと怒濤の如く怒る。

そのためミアは人目がなくとも決して口に出さないが、カルアは性格か、特に気にした様子もない。


「あたし、これでもそこそこ大きい街の剣術大会で優勝したことだってあるんだよ? ここにきて魔力の使い方を覚えて、もはや敵なし、みたいなつもりでいたんだけど……」

「ダグラ隊長が真面目な顔で絶対に怒らせるなって言ってたもん。ほら、噂にもあったでしょ? 顔色一つ変えずに、賊の指先から両手足まで全部切り落として拷問したって」

「うへぇ……やっぱりほんとなのかな」

「さぁ。でもやりそう……」

「確かに。うさちゃんが無表情にそうしてるの想像つ――」

「クリシェの話ですか?」


――二人は硬直した。

気配もなく、背後から聞こえたのはどこか幼く甘い声。


カルアはすぐさま背後を向くと、胸に手を当て敬礼し、ミアもそれに倣う。

クリシェも返礼し、尋ねた。


「ミア、ダグラを探しているんですけれど、知りませんか?」

「だ、ダグラ隊長は警戒歩哨の確認に……」

「そうですか」


クリシェは唇を尖らせつつ、告げる。


「まぁ、ミアでいいです。訓練は明日からこれまで通り。クリシェは帰りますから、何かあれば報告をと伝えておいてください」

「は、はい」

「それから気になったのですけれど、うさちゃんっていうのはクリシェのことですか?」


小首を傾げてクリシェは聞いた。

無機質な、何を考えているのか分からない瞳。

人形のような無表情は、夕暮れ時にあって深く影を落とし、不気味に感じた。

さぁ、と風が静寂をくすぐるように枝葉を撫でる。

ミアはカルアを睨み、カルアは首を振った。

しばらく無言の会話が繰り広げられ、再び反対側に小首を傾げたクリシェが尋ねる。


「……ミア?」

「は、はい……えと、その……も、申し訳ありません!」

「……? どうして謝るんです?」


どうして謝るのか、というクリシェの言葉の意味をミアは考える。

それは彼女が文字通り意味を理解していないのか。

それとも、意味を理解した上で殺してほしいのかと尋ねているのか。

無表情なクリシェの様子にミアは計りかね、冷や汗が垂れた。


「それとちょっと誤解があります。クリシェが拷問で切り落としたのは指を八本だけで、両手足は切り落としてませんよ。まったく、噂というのは困ったものです」


噂は知らない間に大きくなる、といういつぞやガーレンに言われた言葉を思い出し、わかったような顔でクリシェは言う。実際全くわかっていなかった。

それが仮に両手足でなく指だけだったとしても、恐ろしいことには変わりない。

根本的な部分をクリシェは理解できていないのだった。


本当なんだ、とむしろ確信を得たことで二人の恐怖は増していた。


「まぁ、それはいいです。うさちゃんっていうのは、何か謝らないといけないような呼び方なのですか?」

「ぃ、いえ、その……っ」


この自分より幼い少女は化け物なのである。改めて確信する。

ダグラをはじめ、戦場での彼女を見たものは歴戦の猛者であっても口々に『人ではない』『悪魔』『冷酷無比』『死神』なのだと畏れを見せる。

腰の曲刀は百人以上を斬り殺してなお刃こぼれ一つなく、彼女は戦場にありながら骨や鎧を避け、柔らかい肉だけを狙って裂くほどの余裕があったという。

普通の人間と同列に語ってはいけない存在であると口々に言うのだ。

そして今彼女が述べた言葉は、そうした噂が限りなく事実に近いことを示している。


硬直するミアの代わりに答えたのはカルアであった。


「あ……っ、愛称のようなものです! 軍団長副官!」

「愛称?」

「は、はい。その、軍団長副官への親しみを込め、その銀の髪と白い肌、美しく愛らしいお姿から白い兎になぞらえ、う、うさちゃんと仲間内で呼び親しんでおりました!」

「親しみ……」


クリシェは少し考え、なるほど、と頷く。


「クリシェ、愛称なんてものをつけられたことがなかったので、少し不思議に思ってしまいました。そういうものなのですね」

「っ、はい! か、階級の差はあれど、同じ仲間として親しみを込め、そのような呼び方をしておりました! ご不快であれば――」

「いえ、いいですよ。クリシェがわかればいいですし、親しみの表現というのなら特にクリシェがどうこうというものでもありません」


親しみを込めて、というフレーズが気に入ったクリシェは頷く。

基本的に他人に無頓着ではあるものの、嫌われているよりは親しまれているほうが良い。

自身に対しての敬意を求めているわけではないため、特に不快も覚えない。


彼女らに求めるのは戦場での従順さ。

恐れさせて従順にさせるよりも、親しみを覚えた結果従順になるほうが良いに違いなく、親しみを持ってくれようとしているのだと言われれば素直に受け入れる。

好意に対しては好意を。

クリシェは少なくともそうした危うい善良さを持つに至っている。


そう納得したところで、クリシェは視線を動かし茂みを見る。

そこには誰もいない。


「どうされましたか……?」

「ダグラです」


ミアとカルアは眉をひそめ、しばらくしてから藪をかき分ける音。

暗い茂みからゆっくりと近づいてきたのはダグラであった。

二人は驚いたようにクリシェを見て、ダグラはそんな二人を不審そうに見ながら声を掛けた。


「軍団長副官、どうなされましたか?」


クリシェはダグラを見つめる。


ダグラは厳めしい顔をした、禿頭鷲鼻の目立つ男であった。

鍛え上げられた体。

頬には古傷が深く刻まれ、勇壮な武人であることこの上ない。


親しみ、愛称。

クリシェはその顔をまじまじと見て、少し考え込む。


「あの……?」

「ハゲワシ」


――その言葉に三人が固まる。


「これからダグラのことをハゲワシと呼ぶことにします。何でも、親しみを込めた愛称という文化がここにはあるそうですね」

「は? あの……は、はげ……」

「ハゲワシです。頭は禿げてますし、鼻は鷲鼻。とても良い愛称なのではないかと思ったのですけれど」


もはや愛称ではなく単なる罵倒である。

しかし硬直した三人を気にすることなくクリシェは微笑んだ。

実に良い思いつきであるとクリシェは認識している。


「クリシェは肌と髪色で白い兎だそうで、うさちゃんなんだとか。そうですね、ミア?」

「え、ぁ……その……」


言ったのはカルアであるが、ここではミアが上位者となる。

規則を忠実に守るクリシェは責任のありかをミアへ自然に求めた。


ダグラの禿頭は赤く染まり、青筋が浮き上がりその顔が怒りと憎悪に歪み始めた。

その視線が向ける先はミアである。

助けを求めるようにカルアを見るが、カルアは目を逸らす。


「基本的にハゲワシはクリシェ直轄の部下となるわけですから、やはり良い関係を築いておきたいですし、となれば愛称をつけておくというのは良いことのように思えます。どうですか? もし気に入らないというのならクリシェも無理にとは言わないのですが」

「い、いえ……軍団長副官直々に、愛称を賜るなど、こ、この上ない栄誉であります」

「そうですか。ではハゲワシで決まりですね」


もはや取り返しもつかない。

栄誉であるとまで言われたクリシェは満足そうに言って、良いことをしたと言わんばかりの表情で頷く。


「クリシェは今から帰ります。指示はミアに伝えた通り。何かあったらまたハゲワシからクリシェの方に伝令を送って下さい。日に一度の報告は欠かさないように」

「……は。これからミアと明日からのことについて、よぉく、じっくりと話をすると致しましょう」

「はい。お願いしますね。ミア、ハゲワシの言うことをよく聞くのですよ」

「は……はい……」


クリシェはそう告げると、とてとてと小走りに森の中へと入っていく。

馬があまり好きではないらしく、クリシェはこの森にも徒歩でやってきていた。

帰るのも徒歩なのだろう。


「よし、ミア。どういうことか良く話を聞かせてもらおうか」

「わ、わたしじゃないですっ! か、カルアが……あれっ!?」


カルアは忽然と姿を消していた。

クリシェが走り出したと同時、こっそりと逃げだしている。


「カルア? ……仮にカルアがどうだとしてもだ、お前は副官、隊の規律を整えるものだ。その側にいたお前が止めんでどうするこの馬鹿者が!!」


ミアは本日二度目の衝撃を頭に喰らった。

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